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くもりのち、はれ  作者: 夏みかん
第十四章
92/127

あなただけを・・・(10)

翌朝、遠藤は島原と共に横浜の工場へと出かけていった。今週末で関西支社に帰る島原がお世話になった部署へ挨拶に向かうのに同行したのだ。もちろん、新型マシンの経過を見る目的もあるからだが。香は休暇となっており、忙しそうにしているフロア内の他の部署の人たちとは全く無縁の2人は、パソコン画面を立ち上げたままボーッとした時間を過ごしていた。仕事と言っても資料整理ぐらいしかなく、その気になれば2時間程度で終わってしまう。インターネットで遊ぶことにも疲れた周人は今日何度目かのあくびを噛み殺すと時計に目をやった。何とかだましだまし時間を潰してきた午前中とは違い、午後2時前ともなれば暇すぎて眠い。こんな事なら香のように休めばよかったと思う周人はコーヒーでも飲みに行こうと席を立った。同じようにパソコンを見ながら眠そうにしている理紗を見た周人だったが、休憩に誘うか誘うまいか迷ってしまった。というのも、午前中に休憩に誘ったのだがあっけなく無視されてしまったのだ。チラチラ理紗を見ながら頭を掻く周人は誘わないのも変だと思い、声をかけようと口を開きかけたその瞬間、理紗と思いっきり目線が合ってしまい、何故かもごもごと口ごもってしまった。


「休憩するなら、付き合いますけど・・・」


素っ気ない口振りのあと、パソコン画面へと視線を戻す理紗に苦笑するしかない周人は一緒に休憩しようと声をかけた。理紗はいつも会社で利用している小銭入れを手に取ると先に廊下に出て歩き始める。そんな理紗を理紗らしいと思う周人は何も言わずにそのままエレベーターホールまで付いていった。エレベーターに乗ってからも全く会話がないまま休憩室までやってきた2人はそれぞれアイスコーヒーとオレンジジュースを購入した。白い丸テーブルに向き合って腰掛けるが理紗は周人と視線を合わせることなくオレンジジュースの入ったコップをじっと見つめている。そんな理紗を別段気にすることなく、コーヒーを口にする周人はぼんやりと壁に貼り付けられている今月のスローガンの用紙を見ていた。


「彼女・・・可愛いですね。それに、木戸さんを好きで仕方がないって感じが出てましたし」


突然そう言われた周人は口に持って行きかけた紙コップを一旦テーブルに戻すとやはり自分を見ていない理紗に顔を向けた。何を思って彼女がそう言ったかわからないが、周人は口元を緩めてそうだなとだけ答えた。


「可愛いと思うよ、実際ね。でも、好き好き光線が出てるとは知らなかったけどね」


苦笑気味にそう言う周人をやや鋭い目つきながら見やった理紗は紙コップを両手で包み込みながらその中身を見つめるかのように顔を伏せてしまった。


「すごく、すごく自然だった・・・同じ雰囲気を、空気を持ってて・・・今まで、そんな人に出会った事ないから、正直、羨ましいと思った」


ぽつりぽつりとそう言う理紗を見つめる周人はレストラン『ミレニアム』で会った高木青空たかぎせいくうの事を思い出していた。青空の家とは実家が近所だったせいもあって、小学生の頃は何度か遊んだ事はある。だが、中学に上がった頃から疎遠になり、逆に小学生で青空の妹の紫杏しあんとは仲が良くなっていった。やがて青空は家に帰らないようになり、そのまま暴走族の仲間に入って警察のやっかいになることもしばしばあった。大手会社のエリート社員だった父親は全ての責任を母親である妻のせいにし、徐々に家庭は崩壊していった。そういう状況から家族の付き合いもなくなり、数年後、『キング』の事件で周人たちがミレニアムと激突した際には横浜の方に遠征に行っていたために不在だったのが当時の第1分隊長である青空だったのだ。その為、周人たちと相まみえる事無く、特攻隊長の芳樹と総長の茂樹が倒され、青空は怒りに絶叫したと言われていた。結局、ミレニアムに青空がいたという事実を聞いたのは茂樹を倒した後の事であり、すでに家族は引っ越してしまっていたために周人はその事実に衝撃を受けたのだった。その後の紫杏の事も気になっていたが、結局青空とは会う事がなかった周人はその存在さえ忘れていたのだ。先週、あそこで青空に会うまでは。


「私が高校生の頃、親友に暴走族の彼氏ができた」


ぼんやりと青空の事を考えていた周人を現実に引き戻すように、理紗は静かにそう切り出した。


「その友達は、はっきり言ってそう可愛くはなかった・・・でも、ある日、その彼氏を紹介された時に・・・あの高木青空と出会ったんです」


周人は何も言わずに黙って話を聞いているのみだ。そんな周人をここでようやく見た理紗は、青空との出会いを説明し始めた。彼氏は1人で現れたのでなく、青空を伴っていたのだ。連れの彼女よりも見た目可愛い理紗を気に入ったのか、青空はその場で付き合おうと言いだした。だが、見た目も怖そうな青空を拒絶した理紗に自身のプライドが許さなかったのか、青空はしつように理紗にまとわりついた。だがそれはストーカー的なものではなく、バイクによる送り迎えなど優しい行動で、という事だ。強面ながら優しい青空に徐々に心を許した理紗はやがて付き合うことを決心した。それを伝えて喜ぶ青空の顔に自然と笑顔が浮かんだほどに。誕生日にはプレゼントを贈り合い、クリスマスは共に聖なる夜を過ごした。それら全てが初めての経験だった理紗は、身も心も全て青空に捧げたのだ。だが、そんな甘い日々は、もろくも崩れ去った。徐々にめんどくさそうな態度を取り始めた青空は学校帰りに迎えに来る事もなくなり、デートもただ体を求めるだけですぐにどこかへと消えていくのだ。それでも彼を好きな理紗は文句を言わずにただ尽くすのみだった。たまにまともに会えば何かを要求し、それでも彼を愛していた理紗はそれを買ってあげた。その後すぐにホテルに向かい、肉体的に結ばれるとまたすぐどこかへと消えるのだ。こういう状況が続いた後、次第に電話も繋がらなくなり、とうとう連絡も途絶えてしまった。一途に想い続けた理紗の恋は、こうしてあっけない幕切れを迎えたのだ。そして半年後、失恋のショックからようやく立ち直った理紗が見たものは、見た目も綺麗な美女を連れて歩く派手な出で立ちをした青空の姿だった。ただ立ちつくす理紗を見てニヤける青空はおもむろに強ばる理紗に近寄ると耳元でこう言った。


『連れて歩くなら上の上の美人、持っている金もハンパじゃないお嬢・・・お前じゃどれも中の中・・・俺には釣り合わねぇよ』


そう言い残し、大声を出して笑う声と共にその美女と消え去ったのだ。もはや自分の全てを否定された理紗はそれ以来容姿とお金のみで男を判断するようになった。それも決して本気になるわけではない。いい男を連れて歩くという優越感、相手の財力をもって欲しい物を手に入れるという征服感を得るためだ。すべては青空に対する復讐心から、理紗は自分を磨くために化粧の仕方を勉強し、高いお金を払って化粧品を購入してより男を選ぶ目を肥やすことに専念したのだ。


「結局、男の人はみんなそう、見た目のいい女に騙される・・・ちょっと可愛い顔してそれらしいそぶりを見せれば、ある程度の容姿をした男なら簡単に落とせた」


理紗は感情のこもらぬ声でそう言うと、自虐的な笑みを見せた。


「男も女もそうさ・・・でも、どんなに容姿が良くてお金を持っていても、それだけで結婚相手を選ぶって事は・・・難しいもんなんだろうけどね」


周人はそう言うと氷が溶けて表面が水っぽくなったコーヒーを混ぜるようにくるくるとコップを回してみせた。


「彼女と、付き合ったきっかけって・・・どんなんだったんです?」


顔を上げた理紗のその質問に、周人は小さな笑みを見せると一口コーヒーをすすった。混ぜただけあって、水っぽさは感じられない。


「オレは、いろんなしがらみ背負って生きてきた・・・オレも不良しててね・・・・ケンカなんて、そりゃぁ掃いて捨てるぐらいの数をしてきたさ・・・・」


その話が由衣と何の関係があるのか疑問に思ったが、理紗は黙って話を聞いている。周人はテーブルの一角を見据えるようにしたまま今の話の続きを始めた。


「1人の、不良の頂点を極めた男に、当時付き合ってた彼女を殺された・・・」


無表情でそう言う周人を驚いた目で見る理紗をチラッと見た周人は悲しげに見える微笑を浮かべると、テーブルの上に置いてある紙コップへと視線をやった。


「復讐に燃えて、何人もの暴走族や不良なんかを叩きのめしたさ・・・そして、その頂点を極めた男もね・・・それで復讐は終わった」


先週末にレストラン『ミレニアム』でオーナとしていた会話、そして、出張の際に夕食に乱入してきた女性との話を思い出しながら、理紗は黙ったままうなずいた。


「もちろん、オレもただでは済まない。両親や親戚、友達にも多くの迷惑をかけた。だから、高校卒業後に街を出てこの桜町へとやってきた・・・が、死んだ彼女の事を忘れられない女々しいオレは、知り合いのつてで塾でバイトを始めたんだ・・・そこには、君すらかなわない程そりゃぁもう、すんげぇイヤな少女がいたんだ」


いやに『イヤ』な少女を誇大してそう言う周人に、理紗は思わず苦々しい顔をしてしまった。確かに自分も周人に対してはかなりいやな態度を取っている。それを知っている周人がそう誇張するほどなのだ、よっぽどひどいに違いないと思えた。


「それが、彼女・・・吾妻由衣だ」


話の流れ的にそれがわかっていた理紗はさほど驚く事無くうなずくのみ。そんな理紗ににこやかな笑みを見せた周人は一旦コーヒーを口にして間を空けると、続きを話し始めた。


「そんな彼女を悪い連中から助けたのをきっかけに親しくなってね・・・やがて、彼女に好かれたオレは、やや強引ながら何度かデートに誘われて、行った」

「行ったんですか・・・」

「あぁ・・・でも、それが楽しくてね・・・死んだ彼女の事なんて思い出す暇もないくらい振り回されてしまった・・・・」


微笑む周人の表情から、その言葉が嘘ではないことがはっきりとわかる。


「オレも、そんな彼女に惹かれ始めて、そして・・・・・告白を受けたんだ」

「彼女が、告白を?」


てっきり周人から告白をしたと思いこんでいた理紗はもはや驚きを通り越して呆けてしまった。あの美少女に惚れた周人の優しさを感じながら徐々にデートする内に好感を得た結果、周人の告白にOKしたものと勝手にストーリーを作っていた理紗だけにそういう反応をしてしまったのだ。だが周人はそんな反応をする理紗にツッコミを入れる事無く、ゆっくりと話を再開した。


「告白されて、自分の気持ちにはっきり気付いたんだ・・・彼女はオレの過去を知っても死んだ彼女と張り合おうとせず、気にする事もなく、そんなオレの全てを受け入れて好きだと言ってくれたんだ。5歳も年下の、十五歳の少女にそう言われて、ようやく過去のしがらみから解放された・・・」


少しだけ口元を緩める周人は、雪の降りしきる中で告白をしてくれた由衣の姿を思い出していた。幻想的な景色の中、大人の女性に変貌したような、見事なドレスアップをして化粧を施した由衣がはにかむ姿を今でもはっきり思い出す事が出来る。


「で、付き合ったのが去年、でしたね」


理紗は何の感情もないようにそう言うとコップを手にとってジュースを全て飲み干した。そんな理紗を見て理紗らしいと思う周人はうなずいただけで、こちらも無表情のままコーヒーを全て平らげる。しばらく沈黙が流れる中、理紗は紙コップを握りしめる周人を見つめるようにジッと視線を向けてみせた。さすがにその視線を感じた周人が顔を上げても、理紗は見つめることを止めようとはしなかった。


「彼女が美人だからではなく、自分の全てを受け入れてくれたから、それでも好きだと言ってくれたから付き合ったんですね?」

「まぁ、3年猶予があったから、アメリカでいろいろ考えた・・・でも、めぼしい人にも出会わなかったし、何より彼女の事を考えている自分がいたからね。ま、その3年の間に彼女に彼氏が出来ていたら、それはそれであきらめただろうけど」

「そこまで想ってて、あきらめられましたか?」

「それは断言できるよ。オレが願うのは彼女の幸せであって、オレの幸せじゃないから」


普段であればカッコつけての台詞だとバカにしていた理紗だが、何故かこの時は素直に受け止める事ができた。今まで出会ったことがないタイプの男性を前に理紗の中で青空に対する、男に対する恨みが消えていき、考え方が変化していく自分が手に取るようにわかる。この人は違う、この人は大丈夫だと、心の奥で安心している自分がいる。


「いつか君が、本当に大切な人と心と心で結ばれる事を祈ってるよ」


淡い笑みと共にそう言う周人は俯いて何かを考えるようにジッとしている理紗に心からそう思っていた。


「そうですね・・・・・・」


絞り出すようにしてそう言うのがやっとなのか、理紗は顔を上げることはなかった。


「まぁ、世の中オレと同じ考え方の人間は他にもいるだろうさ」


そう言って立ち上がる周人は理紗が飲み終えた紙コップも手に取るとそのまま歩いてゴミ箱に投げ入れる。


「・・・・・できれば、木戸さんがいい・・・」


小さくそう言う理紗の言葉は周人の耳に届いていた。何を思ってそう言ったかはわからないが、告白とも取れるその言葉を受けても周人は別段反応を返すことなく理紗を振り返っただけだった。


「でも・・・私は・・・・・木戸さんが、嫌い・・・だから・・・」


弱々しくそう言う理紗を、周人は微笑を浮かべたまま見つめていた。そして、背を向けて休憩室のドアノブに手を置いた。


「わかってるよ」


いつもと何ら変わらぬ口調でそう言う周人から出される空気は優しく理紗を包み込んだ。理紗は顔を伏せたままであり、そんな理紗を残して周人は休憩室を後にした。遠ざかる靴音を遠くに聞きながら、理紗は伏せたままの顔を両手で覆うと肩を震わせて声を押し殺すようにして泣いたのだった。


休憩室を出てエレベーターホールへと向かう周人は正面玄関、エントランスホール前を通過していた。正面入り口を右側に、休憩室からエレベーターホールまではほぼ直線状態にあるために来客からもその姿が見えるようになっていた。そしてそれはエントランスホール正面から左脇に設置されている受付カウンターからもよく見える状態にあった。


「木戸さ~ん!」


周人しかいないホールに可愛らしい女性の声が響き渡る。自分を呼ぶ声にそちらを振り向いた周人に向かって手を振っているのは受付カウンターの中に座っている早坂聖子だった。そんな聖子に笑顔を見せながら近づく周人は全館に繋がっている白い電話を置く仕草を見ながらカウンターの縁に肘を置いた。


「何のご用でしょうか?」


恭しく頭を下げる周人に対してクスッと可愛らしく笑う聖子はカーギャラリーの外れに置いてあるベンチの方を見ながら周人を呼んだ理由を説明し始めた。


「今、内線しようと思っていたからちょうどよかった。木戸さんに来客です。ほら、あそこにいらっしゃる方です」


そう言いながら目線の先にあるギャラリー前のベンチの方を指さす聖子につられて周人もそちらへと顔を向けた。そこに座っているのは青いポロシャツに綿のパンツとおぼしきズボンを履いた男性である。見覚えのあるその人物を見て驚きの顔を見せていた周人だったが、徐々にそれは小さな笑顔へと変化していった。


「ありがとう。何かあれば携帯に電話してもらえるかな?」

「はい、うけたまわりました!」


可愛い声と仕草で敬礼する聖子に笑顔で手を挙げてからベンチの方へと向かった周人の背中を見る聖子は興味津々といった表情で身を乗り出すようにしながらそちらへと集中した。だが、不意に近くでヒールのような靴音を聞いたためにあわてた様子でエレベーターホールに続く壁側の方へと顔を向けた。そこには小走りでトイレの方へと向かう理紗の姿があった。声をかける暇なくすぐにトイレへと消えた理紗は口元を手で覆っており、気分が悪いのか、はたまた泣いているように見えた。だが、同期で理紗とは面識がある聖子はあの理紗が泣くわけもないとあまり気に留めることなく周人のいるベンチを見やったが、そこにはもう周人たちの姿はなかった。


「まさか君が面会に来るなんて、想像したこともなかったよ」


苦笑混じりにそう言う周人は太陽を隠して自らの存在をアピールする大きな雲を見上げるようにしてみせた。エントランスを出た周人と、面会に来た光二は芝生の庭を見渡せる木で出来たベンチに並ぶ形で腰掛けて座っている。工場内を移動する小型の運搬車やまばらながらに見える人も、そしてあきらかに工場とわかる建物の数々も光二にとっては新鮮だった。なにより、いつも見ている周人だが今は何故か別人のように感じられる。やはり環境が人を変えるのか、和んだ雰囲気は相変わらずの周人の中にどこかりりしさを感じてしまうのだ。


「会社まで押し掛けてすみません・・・ご迷惑だとは思ったんですが・・・」

「いやぁ、もう、超暇だったから、いい時に来てくれたよ」


笑いながらそう言う周人の言葉が本当かどうかはわからないが、この工場での周人の認知度の大きさには先程通った門の所ですでに思い知らされているため、本当は忙しいのだろうと推測した。というのも、警備員に門を挟んで周人に面会をお願いしたところ、呆気なく通してくれたのだ。多分ダメだろうと思っていた光二にしてみればそれは拍子抜けするほどであり、こんな警備でいいのかと疑問に思ってしまったほどだ。すぐに来客証明章を手渡され、周人がいる建屋を指さされた光二は受付で周人の名前を告げてあのベンチで待っていたのだと、ここまでの経緯をかいつまんで説明した。


「警備の小倉さんとは親しいからね・・・でも、もう少し警戒するようには話しておくよ」


にこやかにそう言うと、周人は黙って光二から話をしてくるのを待った。そしてそんな空気を自然と感じ取った光二はここへ来た理由、由衣や恵たち塾の関係者には聞かれたくなかった為にここでと考えて来た事、そして相談があることを告げた。


「実は、塾内での恋愛の事なんです」


険しいその表情から自分の恋愛に関するものではないなと思う周人は黙ってうなずくと次の言葉を待つ。


「この間、塾に来たとき会った新人の横山と、中三の女子、江川紀子が付き合っているようなんです・・・でもそれ自体に問題はありません。本人たちの自由ですし、周囲を気にして隠して付き合ってますから」


そう付け加えるように説明する光二の表情が苦しげなものへと変化する。流れ行く雲から太陽が顔を出し、地上にさんさんたる光と熱気を送り始めるが、建物の影によって日陰に位置するベンチには光はともかく、熱気は抑えられてしまった。


「おそらく既に肉体的な繋がりもあるでしょうが、彼女は本気です・・・問題はアイツの方なんです」


光二の口から『肉体的繋がり』についての言葉が出た瞬間、周人の表情も曇る。かつて新城を好いていた由衣たちですらまずそこまでは求めていなかった。それでも当人たちが本気なら、それもまた仕方がないと思う周人はそのまま口を挟むことなく続きを待った。


「彼の思念から、あいつは他に複数の女性ともそういう関係を持っています。もちろんその全てが教え子ではありません・・・大学の同級生からOL、高校生に中学生・・・多彩です」

「ようするに、いわゆるプレイボーイってやつだな・・・なるほど、その江川さんだっけ?その子はその事実を知らずに付き合ってる・・・っつーこったな」


ここでようやく口を挟んだ周人は何かを考えるような仕草を取った。


「中学生は塾の生徒か・・・で、そいつらだけで何人?」

「3人です。うち1人は江川さんと仲が良い・・・友達も含まれています」


ますます険しい表情をする周人は口を尖らせながら頭を掻いた。高校生ならまだしも、中学生にも手を出したあげくに肉体関係まで持っているとなるとこれはかなり問題だ。


「しかも、青山さんや吾妻さんも狙っています」

「なるほど・・・そりゃやっかいだ」


本当にやっかいだと思っているのかどうかわからない口調を周人らしいと思う光二だが、そう楽観的にしていいのかとかなり険しい顔をしてみせる。


「この間の佐藤との一件で、アイツもまた木戸さんを見下したでしょう・・・そうなれば、多少強引な手に出るかもしれません」

「ま、そん時はそん時だ・・・病院送りにしたらナースに手を出しそうだから、男として大事なモノでもぶっこわすさ」


薄く笑う周人のその言葉がどこまで本気かわからないが、この人ならやりかねないと思う光二は思わず苦笑を漏らしてしまった。


「で、塾長たちもそれを知らないわけだな?」

「はい・・・どうしたらいいのかわからなくて・・・」

「青山さんにも伏せておいたのは正解だよ・・・また倒れかねないからな」


周人はそう言うとシャツの胸ポケットからタバコとライターを取り出した。一本そこから取り出して火を点けるとゆっくりと煙を揺らす。その横顔は何かを考えているようで、一点を見つめたまま視線は全く動く様子がなかった。


「お前さんの師匠もかなりのモンだったが・・・さすがに中学生を相手にはしなかったからなぁ・・・」


つぶやくようにそう言うとズボンのポケットから携帯の灰皿を取り出してそれをジッと見つめるようにする。そんな周人の様子を見ながらじんわりと汗をかき始めた額を軽く拭う光二は同じようにどうしたものかと思案に暮れた。


「多少危険は伴うけど、手はあるな・・・・」


そう言う周人はタバコをくわえたまま光二へと顔を向けた。芝生をごくわずかに揺らす風程度では何の涼しさも感じられないが、それでもわずかな気持ち程度の心地よさは提供してくれた。


「君とこの師範が昔、この手を喰らって当時いたガールフレンド十二人に一斉にフラれたんだ」


今でも手が早く、何人かいる女性の門下生をすぐさま口説く哲生を見ているだけに引きつった顔をしている光二にそう前置きすると、周人はその方法を伝授するためにタバコをもみ消すのだった。


理紗が席に戻って三十分程してからやっとフロアに姿を現した周人をいつもの調子で睨む理紗に周人は顔を引きつらせた。幸い三十分経っているせいか、理紗の顔にはもう泣いた痕跡は残されていない。そんな理紗を後目に泣いたことなど全く知らない周人はそそくさと席に戻るとスクリーンセーバーをかき消すようにマウスを動かして画面を見やった。


「ちょっと遅すぎませんか?」


刺々しい言い方にビクッと体をすくませた周人はパソコンの陰から顔を半分覗かせるようにして苦い笑いを理紗へと向けた。いつもの感じで画面を見たまま何かの打ち込みをしている理紗は周人の方を見ようともしなかった。困った顔をする周人は来客があったことを告げるとパソコンに隠れるようにして様子をうかがう。理紗は相変わらずずっと画面を見たままで、それ以上は何も言わなかった。休憩室で去り際に見せた理紗の寂しげな様子はもう微塵もない。そんな理紗に小さな微笑みを浮かべた周人は資料の整理に取りかかるべく、ファイルを開いて机の上に置くのだった。

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