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くもりのち、はれ  作者: 夏みかん
第十四章
88/127

あなただけを・・・(6)

自分の席である光二の右隣に座る康男はチラッと光二越しに恵を見ながらわざと大きな咳払いをした。ばつが悪そうな顔をしながら光二を盾にするように康男の様子を横目でうかがう恵はそんな自分を見て苦笑する光二を睨むようにしてから正面を向き、深々と、だが気付かれないようにゆっくりとため息をついた。


「来週からじゃなかったけかなぁ?なぁ、三宅君、たしか僕は来週から来てくれって言ったよねぇ?」


わざとらしくそう言う康男に対して笑顔を返した光二は、自分を睨む恵にも小さい笑みを見せた。


「確かにそう言いましたよ。本人もじゃぁ来週からって答えてました」


腕組みしながらうんうんうなずく光二は自分を睨む恵の視線を無視するかのようにそっと前髪を掻き上げてみせた。その仕草もわざとらしく、もはや我慢の限界となってしまった恵は思いっきり椅子の背もたれに身をゆだねるようにしながら両手を上げ、目を閉じてしかめっ面をしながら天井を仰ぐ体勢を取った。


「確かに来週からって言いました!来てすみませんでしたっ!」


まるでヒステリーを起こした少女のように早口でそうまくし立てた恵を見て、2人はぷっと噴き出すようにしながらふてくされている恵の方へと椅子ごと向き直った。


「いやぁ、怒らせちゃったね・・・・でも、ま、退院おめでとう」

「ありがとうございます・・・・でも!感じ悪い!2人ともっ!」


元の態勢に戻り、腕組みして唇を尖らせた恵はフンッという感じでそっぽを向きながら怒った口調でそうまくし立てるように言うのだった。


「いやいや、ゴメン・・・なんか嬉しさの反面、意地悪を言いたくなってしまってね」


両手を合わせて謝るポーズを取りながら、康男は苦笑気味にそう返した。光二もまたすみませんと謝るが、恵は鋭い目つきで2人をねめつけながら鼻でため息をついてみせる。だが、すぐに表情を緩めるとピロッと舌を出した。


「でも実際謝るのは私なんですよね・・・ちょっと様子を見に来ただけなんで、すぐに帰ります」


さっきまでの態度とは裏腹に揃えられた膝の上に手を置くと、かしこまったようにしながらそう言葉を発する。もちろん来たからといって咎める気など毛頭ない康男は笑顔を見せながら椅子から立ち上がると、光二と恵の間に立ってポケットから財布を取り出した。そしてお札が入っているであろう場所からお金ではない紙切れを2枚取り出すと、2人の机のちょうど境目辺りにそれを置いた。臨時収入でもくれるのかと期待した2人はその紙を見て一瞬目を丸くしたが、すぐさま康男の方へと顔を向ける。そんな2人の反応を予測していたのか、康男はニヤリとした笑みを見せて財布をしまうと腰に手をやって2人を見下ろした。


「残念ながら映画のタダ券だよ。今月までだが2枚ある。2人で行ってきたらどうだい?」


そう言われた2人は映画のチケットから目を離すと、お互いに顔を見合わせた。


「2人ともデートらしいデートなんて何年もしてなさそうだし・・・青山さんは気分転換と三宅君への感謝を込めて、三宅君は息抜きとして行ってきたらどうかなと思っただけだよ。いらないなら吾妻さんにあげるし」


2人の肩に手を置きながらそう言うと康男は回答を待つように交互に2人を見やった。言われた2人はたしかにデートらしいデートなどもう何年もしていない。恵は周人とした最後のデート、告白したデート以来男の人と出かけることすらなかった程であり、実に5年近くもそういった事をしていない。また、光二などは生まれてから女性と2人きりでデートなどした経験がなかった。高校時代に男女数人で出かけた経験はあったのだが、思考を読む能力をコントロールできずにいた内気な光二は、読みたくない思念まで読めてしまうが故に他人に関して臆病になっていたからだ。それを改善したくて塾にやってきたのだが、今では自分の能力をコントロール出来る上に何故か恵の思考だけが読めないという事もあって、少しだけだが行こうかなという姿勢になりつつあった。しかし、こればかりは相手がいて成り立つものであり、恵がイヤと言えばそれまでなのだ。だからといって断られても別に何の支障もない。つい今し方恵の本心、周人を今でも好いているという言葉を聞いているだけに、光二にしてみれば康男の好意も無駄に終わるとはなっから踏んでいたのだった。恵がどういう反応をするか、ある程度予測できてしまった光二はチケットを見てから恵の方へと視線を走らせた。恵はそんな光二をチラッと見てからチケットを手に取ると、まるでお札を透かすように手に持ってそれをまじまじと見つめ始めた。


「まぁ・・・確かに5年ぐらいデートというか、まともに映画なんか見なかったなぁ」


元々映画好きだった恵は周人と映画に行っていた以前から大学の親友たちとよく映画館へは足を運んでいたのだが、この塾に勤めだしてからはそういった機会もなくなっており、忙しさもあってほとんどレンタルDVDで鑑賞すら出来ていない状態にあった。もちろんただ忙しいだけでなく、つらい思い出を引っ張り出したくない気持ちもそこにはある。だが、昨年帰国した周人と由衣が付き合い始めてからは前向きに生きようと誓ったのだが、今度は物凄く多忙になってしまい、映画どころではなくなっていたのが現状だった。今の仕事状況からしても、東塾の経営がどうなったか把握出来ていないとはいえやはり忙しいことには変わりがないだろう。体を休める事は大事だが、仕事も大事だ。


「仕事に関しては三宅君が頑張ってくれたおかげでこちらは落ち着いたよ・・・東に関しては今月末に全員で会議する時に話すよ」


まるで恵の心を見透かしたかのように絶妙なタイミングでそう話した康男だが、何も光二と同じ能力を持っているわけではない。元々こういう職業柄、人の中身を見抜く事に関しては秀でている康男だが、今回もまたそういった経験から恵の心を予想しての言葉だ。


「落ち着いたって・・・・たかだか5日程度で?」

「彼、随分頑張ってくれたよ・・・もちろん、青山さんがほとんど片づけておいてくれたからだけどね。ま、僕も東が片づいたからある程度は手伝ったんだけど・・・」


康男はそう言うが、月末という事もあっていろいろやらなければならない事も増えていたはずだ。ほとんど恵自身が片づけたと言っても体調が悪く、仕事もはかどらなかったために、この短期間でほとんど全てをこなすとは想像も出来ない。実際ほぼ毎日お見舞いに来てくれた上に授業をこなし、さらに塾の仕事まで行うといった事が果たして出来るのだろうか。光二は涼しい顔をしながら頭を掻いているようで、恵の視線の意味も理解していなさそうだった。


「まぁとりあえず貰っておきます・・・」

「そうしてくれ。日にちは後でよく相談するといい」


康男は笑顔でそう言うと、トイレへと向かって歩き始めた。その康男が完全にトイレに消えてから、恵は椅子ごと光二の方へと向き直るとジッと見つめるような仕草を取った。


「ホントに私の仕事を?」

「え?あ、はい・・・でも塾長に手伝ってもらったし、吾妻さんにもちょっと。だから実際はみんなでやったんですよ」


光二はいつもと変わらぬ調子でそう答えた。だが、康男の言葉の真意を知りたい恵が詰め寄ろうとした矢先、入り口脇に取り付けられている白い電話が鳴り響いたために光二はそっちへ向かい、恵は開きかけた口を閉じてその背中を見送ると光二の机の上にあるファイルをいくつか手に取るのだった。パラパラとファイルをめくれば、たしかに全ての仕事が完了している。しかもパソコンを使って新たに表まで作成出来ているのを見る限り、いまだにパソコンが苦手な康男ではそれが出来ない事は明白である。


「彼、超人だよ・・・」


ファイルに見入っていた恵の横に立ち、そう声をかけたのは早々とトイレから戻ってきた康男であった。そんな康男を見上げるようにしながら、恵はファイルを取り替えると同じようにパラパラとめくって大まかに中身を確認した。やはり綺麗に整理されており、しっかりと仕事も完了している。


「午前は大学、昼から君を見舞ってここで仕事。授業をこなして徹夜に近い状態で作業をこなす。その上道場にまで通っているんだからね・・・」


電話での対応が続いている光二をチラッと振り返った康男はファイルを置いて何かを考え込むようにしている恵に優しい視線を向けた。


「木戸君もそうだったが、ああいった特殊な武術をしている人ってのは、何か特別な修行でもしているのかねぇ」


腕組みしながらそう苦笑混じりに言う康男も柔道の有段者である。高校、大学と柔道をしていた康男は県大会準決勝で惜しくも敗れた経歴もあって、その強さも本物である。もちろん、周人とは強さのレベルが異なるが、中学時代に塾の生徒だった周人がこの人は強いと感じた実力の持ち主だ。そんな康男だったが、毎日光二のような事をして元気でいられる自信はない。歳のせいもあるのだろうが、体力的に不可能なのだ。


「昔、東塾にいた木戸君に無理をさせた事があってね・・・その時はわずか2時間の睡眠で十分休めると言っていた。僕に心配をかけまいとそう言ったんだと思っていたが・・・実際は2時間で十分熟睡できる技術を身につけていたとか」

「じゃぁ三宅君も同じ技術を?」

「いや・・・流派がまるで違うし、何より本当にそんな技術があるのかは疑わしいよ」


確かにそれはそうだ。体を鍛える事と睡眠がどう密接しているかはわからないが、武術においてそんな技術があるとは思えない。恵は康男の言葉にうなずきながら、それでも周人なら出来るかもしれないと思う自分に心の中でため息をついた。


「ま、とにかく、三宅君は立派に君の代行を務めた。それは僕が保証するよ」


そう言い終わるのと光二が電話を切るのとはほぼ同時であり、そのまま光二は自分の席へと帰ってきた。


「米澤さんから、中一の数学教材は明日搬入できるとの報告でした」


座る前に康男にそう報告をした光二は自分を見上げている恵の視線に気付いて何気なしにそちらへと顔を向けた。そんな2人を見て小さく微笑んだ康男はその場を立ち去ると、玄関を出て2階へと上がっていった。残された2人はとりあえず席につきながら会話もなく、恵はぼんやりと正面に位置する閉じられた窓を眺めているのみだった。光二は先程の電話の件もあってパソコンの電源を入れながらファイルをめくって仕事を開始していた。そんな光二を横目でチラッと盗み見る恵は、映画のチケットを持っている指先にキュッと力を込めると遠慮気味な深呼吸をして光二の方へと顔を向けた。


「あのさ・・・コレ、いつ行こうか?」


不意にそう言われた光二は何事かとそちらを向いて驚いた顔をしてみせた。もはや100%一緒に行く事はないと思っていたにもかかわらず恵から誘われた為である。


「行くの、ですか?」


しどろもどろな感じを隠すことなくそうたずねた光二に冷ややかな視線を浴びせるその真意をさぐれない自分をもどかしく思いつつ、とりあえず返事を待つ。


「何?私と行くのがイヤなわけ?」

「い、いいえ・・・ち、違いますよ!いや、僕なんかと行くわけないだろうなぁって思ってたから・・・ぼ、僕はいつでもいいです。青山さんの都合のいい日で」


睨みながらのその恵の言葉にしどろもどろになりながら、光二は自分の本心を口にした。そんな光二をジッと睨んでいた恵だったが、突然プッと噴き出すように笑ったかと思うと優しい笑みを浮かべた為、光二は図らずもその顔を赤く染めてしまった。由衣とは違う可愛さ、綺麗さを持つ恵はやはり美人だと再認識させられた光二は小さく頭を掻きながらそれを誤魔化すように机の上を見つめるようにするのがやっとだった。そんな光二を見て小さく笑った恵は机の上に置いてあった卓上カレンダーを手に取ると、週末の日にちに目をやった。来週末からはお盆休みに入ってしまい、家の都合もあって月末に伸びてしまう。それならばと、別段予定のない今週末、つまり明後日でどうかと光二に切り出した恵は隣り合う由衣の机の引き出しから地元の情報雑誌を取り出すと、現在上映中の映画が何かを調べ始めた。


「明後日っていうか、僕はいつでも暇ですから・・・その日でいいですよ」


実際何の予定も立っていない光二はそう答えた。現に光二は友達とどこかへ行くということも、誰かを誘って出かけるという事もしない人間だ。忌むべき能力、五感を鋭く出来る上に読心術という相手の心を読む能力を有するが故に臆病になり、友達と呼べる人間すらほとんどいない光二にしてみれば、能力をコントロール出来る今でこそ人混みでも平気でいられるが以前なら勝手に知らない人間の思考が頭の中へと入ってくる為にかなりつらい思いもしていたのだ。恵は今の光二の返事を聞いて寂しいやっちゃ、とつぶやくように言いながら、自分もまた同じだと思い、それを口にしながら苦笑するのだった。光二はそんな恵に優しげな笑顔を見せると、開いている雑誌を覗き込むようにしてみせた。一瞬だったが、その笑顔を見て胸がときめくような感情を自覚する恵はそんな自分を否定させるかのように咳払いすると、自分が見たいと思う映画をピックアップしていくのだった。


2階3階へと続く鉄の階段はちょうど日陰になっていて、午前中は座っていても熱くはなく日差しも遮られる為に暑さも少々和らいでいた。とはいえ、暑がりの康男にしてみれば外にいるだけで地獄のような夏はつらいものでしかない。ゆっくり息を吸い込むと同時に煙を肺へとやりながら、康男は夏の青空を見上げて見せた。口にタバコをくわえたまま鼻から息を吐き、白い煙を放出する。右手でタバコを掴んで口から外した康男が座っているのは、かつて周人がよく腰掛けていた一番下から4段目当たりであった。額や頬を伝う汗がその外気の暑さを物語っていたが、当の本人の表情は緩み、タバコの無くなった口元は少々吊り上がるような形を取っていくのだった。


その日も仕事らしい仕事はろくになかった。新型車の開発はもはや最終段階へと移行し、周人たちグループの仕事はもう完全に終わったも同然だった。来週末の盆休み前に島原は関西支社へと帰っていく事が決定しており、1週間後には送別会も予定されていた。さらに、その日の朝には周人たちの異動も発表される事になっている。今回行った仕事に関する資料やデータをひとまとめにする作業も終わりつつある周人は今日の定時後に理紗と桜ノ宮に遠藤の為の買い物に付き合うことを思い、小さなため息をついた。何を思って自分に付いてきて欲しいと言ったかはわからない。はっきり言って自分を嫌っている理紗がまさか誘ってくるとは思いも寄らなかったが、かつてとことん自分を嫌っていた由衣の例があるだけに、そういうこともある可能性を脳裏に浮かべてしまうのは仕方がないと言えた。だが、理紗はいつもと変わらぬ様子で全く自分からは何も話しかけてこなかった。それどころか目も合わそうとしない理紗を見た周人は、もしかして今日の約束は無しになったのかなと思っていたところ、メールにて一言『お忘れなく』と送信されてきた為に苦笑いを浮かべるしかない状態になった。そして定時となり、金曜日という事もあって皆帰り支度が早い中、理紗は遠藤が帰るのを待っているかのようにトイレに向かい、そんな理紗を見送る周人はとりあえず帰る準備を整えてから理紗の帰りを待つことにした。遠藤が去り、次いで島原も香もいなくなり、やがて10分ほどしてから戻ってきた理紗はしっかりとメイクをし直しており、いつもよりも派手目に上げられたまつげも、より紅く塗られた唇もさっきまでとは違う理紗を演出していた。


「お待たせしました。行きましょう」


理紗はバッグを手に取ると周人を残してさっさとタイムカードを押してエレベーターホールへと向かって歩き出す。周人は理紗に気付かれないように小さな小さなため息をついてからタイムカードを押してその後へと続いた。この時間は帰宅者が多く、エレベーターホールは人であふれかえっている上に、1階までは各駅停車となってしまう。だからというわけでなはいが定時で仕事を終えて帰る際にはここでわざわざ混んだエレベーターに乗って人混みに揉まれて下へ降りるよりは階段を使用して下りた方が速く、より快適だった。4階を上るよりは降りる方が楽なのは当たり前である。人混みを避けるかのようにして数人が階段へ向かう中、その中に理紗の姿を認めた周人も階段へと向かってやや早足気味に歩くのだった。3階に着いた頃には理紗に追いつき、並んで降りる。理紗はほんの一瞬だけ横目で周人の姿を見たのみで後は一切視線を向けようともしなかった。そのまま会話も無く黙々と階段を下りた理紗は速度を落として周人を先に歩かせる。駐車場へと向かう周人にやや遅れる形でついてくる理紗は時折チラチラ周囲をうかがう様なそぶりを見せながら従業員用の駐車場へと入っていく周人の後に続いていった。遠藤も島原もマイカー通勤をしているが、さすがにこの時間となれば会社を後にしているだろうと思える。だが、周人と一緒に、しかも同じ車で帰る所を見られるのを嫌う理紗は万一の事を考えて周人との間隔をかなりあけるようにしながらも見失わないようについていった。自分から買い物に付き合うように誘っておきながら失礼な行動を取る理紗を何とも思わないのか、周人は自身の車である白い車体を夕日で輝かせるジェネシックの機体を目に留めて歩く速度を遅めた。後ろを歩く理紗は何故周人が速度を落としたかが気になったが同じように速度を落とすしかなく、少々唇を尖らせ気味にしながらも周囲に目を配ることも忘れなかった。一方、周人は何気なしに周囲を見渡すようにしている。そんな周人の背中を見てまさか自分の車の位置がわからないのではないのかとため息をついたが、そのすぐ目の前に停車しているジェネシックの機体を見つけて小首を傾げた。そうこうしているうちに周人は素早くジェネシックへと乗り込むとすぐさまエンジンをかける。理紗は注意深く周囲の様子をうかがってからジェネシックへと近づき、さらにしつこく周囲を見渡してから助手席のドアを開けた。


「あんまりキョロキョロしてると余計に怪しいぜ」


シートベルトをしながら苦笑混じりにそう言う周人に対し、かなりムッとした態度を見せる理紗はその苛立ちを体で表現するかのようにドカッとシートに座ると同じようにシートベルトを締める。芳香剤のせいか、甘く良い香りが鼻をくすぐる車内を見る理紗はいろいろな機能を持っているとわかる正面やや下辺りを見ながら彼女を乗せて走っているにしては味気ない内装に少なからず驚いた。普通なら可愛らしいぬいぐるみやマスコットが置かれていたり、キャラクター商品がぶら下げられていてもおかしくはない。だが、そういった物は何1つない車内は様々なパネルやボタンが支配する無機質な素の状態であるだけだった。そういえば周人の携帯電話も待ち受け画面はさすがに彼女である由衣の写真となっていたが、ぶら下げられているストラップも味気ないものだった。そんな事を考えているうちに車がゆっくりと進み始める。


「幸い遠藤の車も島原さんの車もないみたいだし・・・まぁ、用心して一応裏門から出るから」


言いながら大きくハンドルを切る周人は警備事務所がある正門ではなく、西日がまぶしい西門へ向けて車を進めていく。駅へ向かう幹線道路へと続く道へ行くには北側に位置する正門を出て右にまっすぐ行けばすぐであるため、皆そちらを利用する。逆にこの辺りの住宅地に住んでいる者は自転車か徒歩による通勤となっているのだが、そういう人たちが利用するのが西門となっていた。人と車がゆったり別々に通れる正門とは違い、人と車が同じ狭い道を進むことになる西門は車が門を出るまで少々時間をロスしてしまう。さらにそこから幹線道路へ出るためには一旦一方通行の道路を迂回してから正門前の道路へ出なくてはならない為に大幅な遠回りをしなくてはならないのだ。理紗が遠藤たち知り合いに周人の車で帰る所を見られないようにするためには西門を通るのがベストと言える。しかも今見た限りでは人の流れもほとんどない。その絶好のチャンスを逃すことなく車を加速させる周人の横顔を顔を動かす事無く目だけで見やる理紗はさっきの周人の行動や今の言葉から、遠藤や島原がいないかどうかを確かめる為の気配りだと気付きながらもあえて何も言わずに黙ったまま視線を前に戻しながらほんの少しだけチクリと胸が痛むのを感じるのだった。


買い物に付き合うといっても、買う物自体が決まっていたせいかそれはすぐに終わってしまった。理紗が遠藤にプレゼントしたいと言っていた事もあり、別段助言をすることもせずただ理紗に付いて来ただけの周人はどの財布にするか選んでいる姿を追いながら何気なしにガラスケースの中を見て回っていた程度だった。最終的にこれにすると決めた物を周人に指さしてみせた理紗はすぐさまそれを購入したのだ。予算通りに収まった事もあって、嬉しそうな理紗を見た周人は自分の存在がいらないのではないかと思いつつもそれを口にすることはなかった。時間が早く終わった事もあって、ここで解散かと思いつつも周人は理紗にこれからどうするかをたずねることにした。


「買い物終わったみたいだけど・・・どうする?まだ早いし、飯でも食って帰るかい?」


小さいながらもブランド品だけあってなかなかしっかりした手提げに入れてくれたプレゼントをブラブラさせながら、理紗は悩んだ顔を周人に向けた。会社を出てからこっち、理紗がまともに周人の顔を見たのはこれが初めてである。


「晩ご飯食べて帰るって言って出てきたから・・・・・木戸さんはどうするんです?」

「オレは1人暮らしだし・・・ここまで出てきたから食って帰るさ」


鞄を車の中に置いてきた周人は胸ポケットに携帯を、お尻のポケットに財布を入れているために手ぶらの状態にあった。店が入っているデパートの前は待ち合わせをしている人たちで賑わっており、かなりの人だかりができていた。繁華街の中心地の一角にあるこのデパートの真向かいには大型電機店もあり、その脇から伸びるセンターロードと呼ばれるアーケード通りには多くの店が建ち並んで人で賑わっている。やはり週末金曜日の夜ともなれば若者だけでなく、仕事帰りのサラリーマンたちも多く見受けられた。


「木戸さんがおごってくれるなら・・・一緒しますけど」


素っ気なくそう言う理紗はすでに周人から視線を外し、ネオンのきらめく大通りを見渡すように視線をやや高めに置いていた。そんな理紗が周人に返事をうながすようにやや斜めながら振り返る。夕闇に染まる空は真夏とあってまだ明るく、その顔をはっきり浮かび上がらせている。その顔に、想い出の中の少女の顔を重ねた周人は一瞬憂うような顔をしてみせたが、すぐに小さな笑みを浮かべて肩をすくめる仕草をしてみせた。


「外見、中身、似すぎだな・・・わかった、おごります!行きつけのいい店があるから、そこへ行こう」

「似すぎぃ?」

「知ってる子に、君はそっくりなんだよ・・・・・ま、とにかく行こう。混んでるかもしれないけどね」


周人はそう誤魔化しながら苦笑気味にそう言うと、理紗を追い越すようにしながら赤色を灯らせた信号機を見てかなり幅の広い横断歩道の前に群がる人ごみに混じって立った。理紗は鼻でフンと息を荒くしながらもその横に立つ。端から見れば自分たちの関係はどう見えるのかなと何気なしに考えてしまった理紗は、ぼんやりした顔からハッとした顔へと変えて隣に立つ周人を睨むようにしてみせた。やがて信号機が青に変わり、皆一斉に前へと進み出した。周人を見ていたせいか、出遅れた理紗はその勢いと人の多さにもみくちゃにされそうになり、とにかく買った物だけでも死守しようと自分の鞄と袋とを抱きかかえるようにしながら前へと進もうとする。だが、思った以上に強引な人の波に押された理紗は前につんのめってしまい、こけそうになってしまった。そんな理紗の腕を誰かがそっと掴むと、ぐいっと自分の方へと引き寄せる者がいる。突然腕を掴まれて思わず体を硬直させた理紗はあわててそっちを見やった。


「ぼけっとしないで・・・・ほら」


周人は理紗の腕を掴んだまま身を寄せるようにして人の波と同じスピードで歩き出す。腕を掴まれて密着している為、その周人と同じ速度で歩く理紗も幾分か楽に歩けるようになった。点滅を始める信号機がやがて赤に変わる頃、2人は既に道路を渡り終えて人が少なくなった通りを歩いていた。理紗を掴んでいた周人の手は横断歩道を渡りきったところで離されており、既に横に間隔をあけて歩いている。理紗はさっきまでとは違う目つきで周人をチラチラ見ながら歩いていた。腕を掴まれて身を寄せられたが、別に嫌な気持ちにはならなかった。逆にドキドキしてしまった自分がそこにいたのだ。そしてそうされることによって安心したのも事実だった。理紗は何も言わず、だからといって自分を見てくることもしない周人を見ながらつかず離れずついていく。やがて周人は桜ノ宮でも1、2を争うショッピングモールの中へと入っていった。


「この上にある『ミレニアム』って所だよ。行った事ある?」


エレベーターの場所を示す表示がぶら下がったのを見ていた理紗に不意に周人がそうたずねた。理紗はさっきの事もあってチラッと周人を見るのが精一杯だったため、前を向いたまま小さく首を横に振ってその質問に答えた。そんな理紗に少々の違和感がありながらも自分に対して素っ気ないのはいつもの事だと全く気にしない周人はそうか、とだけ言うとエレベーターを待っている数人の人だかりの一番後方に並んだ。


「ここ、人気だからね・・・・いっぱいかもしれないなぁ・・・・」


徐々に降りてくるエレベーターの真上にある電光表示を見ながらそう言う周人を見上げる理紗は、何も言わずに下唇を突き出すような表情を見せた。やがてエレベーターが到着し、内部はほぼいっぱいの人で溢れかえっていた。その人たちが全て降りた後、比較的ゆとりのある人数の周人たちが乗り込んで各自が降りたい階数のボタンを押す。レストランがある12階は既に押されており、ますますいっぱいで入れないのではないかと心配になる周人は何気なしに真横に立つ理紗の横顔を見やった。髪型こそ違えど、その横顔は死んだ恵里を彷彿とさせる。周人は誰も気付かないと思える程の微笑を口の端に浮かべると、そのまま上昇していくデジタル表示へと目をやるのだった。

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