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くもりのち、はれ  作者: 夏みかん
第十四章
86/127

あなただけを・・・(4)

会議室には人はまだまばら程度にしかいなかった。とりあえず真ん中あたりの席を陣取った5人は未来に会った興奮が冷めやらぬ状態にあり、あれこれ話に華を咲かせていた。1人端に座って遠藤や香の話に耳を傾けながら何かを思う周人は会議室正面にある大きなスペースに目をやった。正面には大型のスクリーンもあり、まるで大きな映画館のような造りになっているこの会議室の正面のスペース、スクリーンの真下には教壇のようなテーブルが置かれ、その横には今回開発された新型機種の試作マシンが薄暗い中に横たわるように置かれていた。ちょうど真正面から見下ろす形でそのマシンをジッと見ている周人に気付いた理紗はさっきの未来の様子を思い出していた。ピアスについて訊ねた事に対し、それを贈ってくれた人の事をまず身体的特徴から話した未来。しかもその視線は何度も周人に向けてられていたのを理紗は見逃さなかったのだ。一瞬、ピアスを贈ったのが周人なのではと思った理紗だったが、未来が述べた身体的特徴や言動からそれが周人ではないことは理解できた。だが、ピアスの送り主と未来、そして周人との間に何らかの接点があるのは間違いないと思われる。


「何?」


理紗の視線に気付いた周人が普段通りの表情でそう聞いてくる。だが理紗はキッと睨むようにしながら顔をフンッと正面へと向けて目だけを周人の方へとやった。さすがにわけのわからない周人はちょっと唇を尖らせるようにしながら怪訝な顔をしてみせた。


「何でもないです」


視線を感じたせいかそうそっけない答えを返す理紗にますますわけがわからないという顔をしてみせた周人は小さなため息をつくと再び試作車の方へと顔を向けた。そんな周人を横目に見ながら、何故か心の中がモヤモヤしてくるのを抑えつつ同じように試作車へと目をやった理紗は少し悲しい表情を浮かべてみせるのだった。


会議も無事終わり、この会議によって周人たちのグループの仕事は事実上終了となった。とりあえずお盆を前にして島原の関西支社への復帰が決定する事は必至であり、とりあえずは引継ぎや今後の業務に関しての異動などが発表されるであろう事はメンバーたちにも容易に想像がついた。とりあえず帰路に着くことになったメンバーたちだったが会話もなく、エレベーターを降りてエントランスに向かう足取りもどこか重いものとなっていた。


「木戸君!」


不意に背後からそう呼び止められた周人だが、他のメンバーも皆一斉に振り返る。エレベーターホールのさらに奥から姿を現したのは社長の菅生であり、片手を挙げて近づくその姿に全員が軽く頭を下げた。


「ちょっと、いいかい?」


何故か周囲の視線を気にしながら耳元でささやくようにそう言う菅生に対して戸惑いながらも、周人ははいと返事を返すとエレベーターホールの角の壁へと引っ張られていった。遠藤は何が何だかわからずに横にいる島原の顔を見やるが、その島原は2人を無視して受付の美女たちに愛想を振りまいていた。


「社長と木戸さんって、どういう仲なんですか?」


疑問を口にせずに表情で同じ事を問いかけていた遠藤に変わって率直にそうたずねた理紗の方を向いた島原は頭を掻くようにしながら何やらこそこそ話をしている周人と菅生の方へと頭を巡らせた。


「彼がここに勤める前に社長を助けた事があるんやってさ・・・・まぁ、大神さんからの又聞きやから詳しいことは知らんけども」


そういうことは初耳だった遠藤は多少ならずも驚いた顔を見せ、理紗はあからさまに侮蔑の目を周人へと向けてため息をついた。


「なぁんだ・・・コネで入社か」


結構有名な大学を出てどうにかこうにか就職を決めた理紗にしてみればいい気がしないのだが、はなっから周人の就職が菅生のコネであると決めつけての発言が出来るというのも理紗らしいと苦笑する島原は目を細めるようにしながら何やら神妙な顔つきでうなずいている周人に視線を巡らせた。


「彼はかなり拒んだらしいけど、大神さんと社長に説得されて来たらしいわ。大神さんが認めるぐらいの腕やからな・・・それに、確かにあいつ、腕はええから」


確かに島原の言うとおり仕事に関しては抜群の才能を発揮する周人にライバル心を持っている遠藤は渋々ながらに今の島原の言葉に納得した。だが理紗はいまだに鋭い目つきで周人を睨むようにしている。そんな視線を浴びながら菅生と2人でやって来る周人はいつもの事だといわんばかりの苦笑を理紗に見せながら遠藤の横に立った。


「明日、昼から木戸君を借りてもいいかな?」

「はい、今は待機状態ですからお好きに使って下さい」

「ありがとう、じゃぁ木戸君、明日2時に、上でな」


そう短く言い放つとすぐさま元来た道を戻るかのように早足でエレベーターホールの奥へと消えていく菅生の背中を見送る遠藤たちは何だったんだという顔を周人へと向けた。


「で、なんやったんや?」


皆の疑問を代表して島原がそう問いかける。


「プライベートな頼まれものですから詳しくは言えませんけど、まぁ、買い物に付き合うって感じですか」


やや言いにくそうにそう答えた周人に島原はうなずいたが、他のメンバーは納得できない。第一何故に社長のプライベートな買い物に付き合うのが周人なのかが全くわからないのだ。だが、島原は今の言葉にそうか、とだけ答えるとそれ以上何も聞かずにすぐに全員に行くぞとうながして本社ビルを後にしてしまった。モヤモヤした気持ちを残しながらも島原の今の言動からそれ以上何も聞けなくなってしまった遠藤たちだったが、睨むような視線を周人に浴びせた。そんな視線に引きつった顔をしながらも黙ったまま歩く周人はしばらくこのネタで攻撃される事は必至だと少々憂鬱な気分になってしまうのだった。


普通の部屋にしてはかなりの広さがあるここはどこかのホテルの宴会場のように目一杯畳が敷き詰められていた。壁も窓枠も天井も全てが木で出来たこの空間は剣道や柔道の道場といった感じになっていた。実際は合気柔術の道場なのだったが、造り自体は他の武術のそれと全く変わりがない。今、この道場にいるのは若い男性が十人程度である。門下生は小学生以上の男女から中年の男女まで幅広くおり、人数も総勢で四十人はいる大きなものとなっていた。道場の門には分厚い木で出来た看板が掲げられており、そこには『佐々木流合気柔術道場』と銘打たれていた。何年も前に取り付けられたのだろう、風雨にさらされたせいもあってかなり年季が入ったものとなっている。その道場にあって、門下生たちを指導しているのは二十代半ばとおぼしき男性である。かなりの美形をしているその指導者はこの道場の師範であり、道場を経営している最高師範の甥であり、そして最高師範をも超える実力を持つ師範なのであった。ウェーブがかった茶色い髪は流れるように後方へと向いており、すらっとした鼻筋に大きな目もぱっちりした二重となっていて副業でモデルをしているという事も簡単に納得できるほどの美青年であった。


「よし、ほんじゃ・・・今日はこれまでにしようか」


声は低めだが広い道場全体に響くほどの透き通ったものだった。白い道着の帯を引き締め、身だしなみを整えた門下生たちは拳を握りしめて腰の横に手をやると足をやや開いて頭を下げた。同じ動作で頭を下げた師範のその動作を見てから皆更衣室となっている床から天井まである棚が設置された道場の片隅へと談笑を交えながら歩み去っていった。だが、その中の1人だけは更衣室へと向かわずに師範の方へと歩み寄ってくる。額に光らせた汗が稽古の激しさを物語るその男は師範の前に立つと乱れた息を整えるようにしながら軽く頭を下げて見せた。


「お疲れさん」

「お疲れさまでした」


何か言いたげにしているその男を見やる師範の顔つきは柔らかく、とてもこういった武術の師範をしているという雰囲気は持っていない。


「どうした?」

「僕・・・・強くなっていますか?」


ここ最近ずっと心の中で思っていた事を素直に口に出したその男、三宅光二は真剣な目を師範である佐々木哲生に向けた。


「はっきり言って、わかんねぇ・・・・でも、強さは肉体的なものだけじゃない」

「と言いますと?」

「心だ・・・・心が強くなければいくら技や体が出来上がっても何の役にも立たないよ」


そう言うと哲生は木の壁にもたれるようにしながら腕組みをし、どこか遠い目を天井に向けるのだった。


「君の心は、今はまだ弱い・・・体も含めて今はまだそこを鍛えてる。焦ることはないさ」

「でも・・・」


光二は顔を曇らせ、どこか泣きそうな子供のような表情をしてみせた。何に焦っているのかはわからないが急いで強くなろうとしている事を見抜いた哲生はおもむろに畳の上にあぐらをかくと、そっと目を伏せて小さな笑みを浮かべてみせた。それを見た光二も同じように哲生の前で正座をする。


「俺は誰よりも強いと信じて戦った事があった。他の仲間にも負けない自信があった。『魔獣』と呼ばれた親友にすら勝てると思っていた・・・・」


そこで一旦言葉を止め、目の前に座る光二に対して顔を上げた。


「けど、実際は違った・・・・『キング』を前にした時、はっきり言って逃げ出したくなった・・・と言うより、怖くて怖くて全身が震えたよ」


その時の事を思い出しているのか、哲生は自らの手の平を広げるとそれをまじまじと見つめる。その表情はいつもの哲生にはない複雑な感情が見て取れた。


「『こいつとは戦いたくない』、そう思った。何より、逃げ出したかった。でも逃げても無駄だとも思ったよ。他の仲間もそうだった・・・・・だが、あいつは、あいつだけは違った」

「木戸さん、ですね」


光二が出した周人の名にうなずく哲生は広げていた手をギュッと握りしめるように力を込めて拳を作った。


「復讐の相手を前にビビってるんじゃないかと思ってたんだが・・・・・あいつは『キング』の壮絶な気迫を前に、笑ってた」


光二は先日周人が話していた言葉を思い出していた。『恐怖』より『歓喜』が勝っていたと言った周人の言葉を。


「間違いなく死を予感させる相手を前に、圧倒的な迫力を持つ相手を前に、笑ってるシューが信じられなかったよ。俺は絶対戦いたくない、戦うなら不意打ちか何かでないと無理だと思った相手に真っ向から戦いを挑んだあいつには勝てないって、そん時心の底からそう思った」

「それが心の強さですか?」

「どんなに優れた技を持っていても、心が弱く、恐怖に負ければ実力は発揮できないってこった」


哲生は握っていた拳をゆっくりと解きほぐすと小さな小さな微笑を浮かべて見せた。


「どうすればそんなに強くなれるんです?」

「想いだな・・・人の想いは何よりも強い!恵里ちゃんの仇を討ちたい一心で勝ち目ゼロの相手にも笑って向かっていけるあいつを見て得た答えがそれだよ」


肩の力を抜くようにしながら笑顔を見せた哲生に対し、光二の表情は曇ったままである。


「俺は今のあいつになら勝てるよ、俺にも守るべき人がいるからさ」

「でも木戸さんは強いです。去年、その強さをこの目で見ています」

「それは彼女が危険な目に遭いそうだったからさ・・・それがなければ、きっと戦う事すらしなかっただろうさ」

「そういう状況でも勝てますか?」

「勝てるね」


どこからその自信がくるのかはわからない。だが、はっきりそう言い切った哲生を見やる光二の頭の中には今の言葉が嘘ではない自信に満ちた思念が流れ込んできている。


「君も、いつか守るべき人ができたらわかるよ」


薄い笑みを浮かべながらそう言い残し、哲生は談笑しながら着替えている門下生たちがいる更衣室の方へと歩み去っていった。光二はため息をつきながら哲生の背中を見送ると、強くなるということについての意味をもう一度考えるのだった。


翌日、予定通りの時間、2時前に本社ビルへと1人でやってきた周人はそのまま高速エレベーターを使って最上階にある社長室のドアをノックした。元々菅生からの依頼でやって来ている周人はすぐさま受付嬢に案内されて高速エレベーターへと乗りこんだのだ。普通であれば受付から社長に了解を得るのだが、今の周人に関して言えばその必要は全くなく、受付嬢も社長から周人が来たらすぐに上へ上げてくれとの命令を受けていたのもあった。重厚で豪華な木で出来たドアをノックして数秒後、そのドアを開いてくれたのは間もなく菅生の妻になる秘書の美島優子ではなく、その後を受け継いで社長秘書となった三浦涼子であった。一応現在も秘書としての仕事もこなしている優子だが、もっぱら引継ぎがメインな上に新居や結婚式の準備やらで週に数えるほどしか出社していない事実上退職のような状態にあった。そんな優子から引き継ぎを任されたのは優子の下で秘書としての仕事を学んできた二十六歳の美女、涼子だった。入社当時から秘書としての才能を発揮してきた彼女は優子の次たる第二秘書として裏方をしてきたのだが、優子の退職によって優子自身の指名で社長秘書に昇格したのだ。美人で清楚な感じがしながらも、どこか庶民的な雰囲気をもっていた優子とは違い、この涼子はつつましくお嬢様のような雰囲気を持っていた。にこやかに会釈するその顔は由衣やあの未来ですらかなわないと思えるほどの美人であり、長い黒髪を三つ編みにした和風な雰囲気も持ち合わせていた。そのにこやかな笑顔で中に入るようにうながされた周人は初対面ということもあってか、少々照れた顔で軽く頭を下げると簡単に身だしなみを整えてから失礼しますと部屋の中へと足を踏み入れた。周囲を大きなガラス窓で囲まれた部屋は直接太陽の光があたる部分だけをブラインドで覆っている他はすべてそのままの状態にされており、電気がなくても十分な明るさを持っていた。天下のカムイモータースの社長室とは思えない程、パッと見た目さほど広くないと思えるこの社長室は実際は四十畳もの広さをもっている空間となっていた。横浜港工場長の部屋とほぼ同じ程度の大きさを持つ濃い茶色い色した木の机の上にはいくつものファイルの他に小さなノートパソコン、小さめのガラスの灰皿があり、革製の椅子の正面には壁にかけられた50インチもの大きなプラズマテレビが設置されていた。音響用の縦長のスピーカーにDVDとハードディスクを内蔵したレコーダーも置かれているこの部屋は、社長室と言うよりはもはや社長用のリビングといった方が適切だろう。背の低い本棚が数個窓の下に置かれ、ちょうど角になる部分には黒いハンガーが置かれていてそこには高そうなブランド物のスーツの上着が掛けられていた。それら全てに驚かされる周人はもはや呆気に取られた表情をしながら誰もいない社長室の真ん中まで歩み出るのが精一杯であった。


「社長はすぐお戻りになられます。そこにお掛けになってお待ち下さい」


透き通るような美しい声でそう言うと、今入ってきたドアの右側の壁沿いにくぼんだ形で設置されている来客用と思われる小さなキッチンへと入って行く涼子を見ながら周人はとんでもなく場違いな場所へ来たと緊張を増大させながらふかふかの革製のソファに腰を下ろした。社長のデスクの真向かいに置かれているそのソファは対面式であり、2つのソファに挟まれる形でガラス製の横長テーブルが置かれている。一応喫煙も可能なようで社長のデスク上にある物より数倍大きなガラスで出来た灰皿がレースのクロスの上にドカッと置かれていた。


「突然の来客があったものでして・・・・10分ほど遅れるようですので、すみませんが少しお待ち願えますか?」


日本茶を用意してくれた涼子が丁寧な手つきで周人の前に湯飲みを置いていく。もはや恐縮極まりの状態で会釈を返すのが精一杯の周人は落ち着き無く周囲を見渡すようにしながら窓の外に見える雄大な景色に目をやった。高いビルが林立する都心にあるせいか、この高さのビルであっても遠くまで見通す事はなかなか難しい。隣り合うビルの窓が反射して中の様子が見えなくなっているのはこの本社ビルも同じだが、右側は通りに面して背の低いビルが並んでいるせいかかなり遠くまで見渡すことが出来た。ビルや建物の屋上が見下ろせるその景観は自分が高い場所にいることを痛感させ、それだけで何故か自分が偉くなったような錯覚さえ引き起こさせる。そんな事を考える自分自身に苦笑を漏らした周人はお茶をすすると心を落ち着かせるように目の前にある社長の机に目をやった。


「いやぁ、申し訳ない!呼び出しておいてコレじゃぁ詫びの言葉もないよ」


日本有数の大企業、その代表取締役社長とは思えない言動で部屋に舞い戻った菅生はお茶の入った湯飲みをテーブルに戻した周人にそう詫びるとあわてた様子で引き出しを開けながらそそくさと出かける準備を始めた。


「そういや彼女、赤瀬未来さんが君を捜してたぞ」


セカンドバッグの中に大きめの財布を詰め込んだ菅生は引き出しから周人へと視線を向けながら少々ニヤけた感じでそう話を切りだした。捜すも何も、昨日会ったばかりじゃないかと思う周人は怪訝な顔をするのが精一杯であり、菅生の言った意味が理解できないという風な表情を浮かべた。


「正確には『魔獣』と呼ばれた君を、だがね」


わざわざ後からそう付け加えた菅生に人が悪いというしかめっ面を返した周人は思い当たる節があるのか、すました顔をしてから窓の外へと顔を向けた。


「納得してるって顔だな」


菅生のその言葉にそちらへと顔を戻した周人は机の上に手をついたままジッと自分を見ているその表情を見て小さなため息を漏らすとチラッと秘書の涼子の方に視線をやった。その涼子は周人が飲んだ湯飲みの片づけを済ませ、2人のやりとりに注目している。


「彼女は心配ない・・・ここでの会話に関しては決して他言しない」


周人の視線の意図を読みとった菅生の言葉を聞いてにこやかな笑顔を見せた涼子に小さく苦笑を浮かべた周人はソファに身を埋めるようにしながら天井を仰ぐようにしてみせた。


「あのピアスを彼女に贈った人物を知っているって言いましたよね?・・・・多分、彼女もその男から僕の事を聞いたんでしょう。思い過ごしじゃなかったって事です」

「やはりな・・・」

「でも名前は知らないんですよね・・・・身体的特徴にあの十字架のピアスを覚えていただけですから」


目を伏せがちにしながらそう言う周人はやや険しい表情を浮かべながら両手を組んだ指をせわしなく動かしていた。


「彼女も、その人物とつながりがあるのが君だと見抜いたみたいだな・・・持っている空気みたいなものが同じだったとか言ってた」


その言葉を聞いた周人の口元が緩む。そんな会話を聞きながらも全く内容が理解出来ないでいた涼子も今の周人の表情から何かを懐かしんでいるような雰囲気を読みとることが出来た。


「『渋谷の狼』と僕が同じとは・・・・」

「みくびられた・・・・かな?」


周人の言葉の続きを予測してそう問いかけた菅生に鋭い目をしながら笑みを浮かべて見せる。だがその顔つきは決して菅生を威嚇したのではなく、残念ながら外れであるというニュアンスが含まれている事を菅生も理解できた。


「意外だった、ですね」

「ほぅ」


その理由を問うような返事に周人は表情を緩めた笑顔に変化させた。


「誰であろうと敵意むき出しにしていた僕と、そんな僕を迎え撃つ側の人間が同じ空気を持っているとは思ってもみなかっただけですよ」


昔の自分に対して苦笑じみた笑みを含めながらそう言うとソファから立ち上がった周人は再度窓の外の景色へと顔を向けた。そんな周人を見やった菅生もバッグを掴むと緩んだ表情のまま涼子に車のキーを手渡した。


「今度会った時、もし何か聞かれてもうまくごまかしておくよ・・・」

「お願いします。まぁ、僕も会うことはないでしょうし」


先に行く菅生にそう返事を返した周人はそのまま社長室を後にした。しっかりと鍵をかける涼子をチラッと振り返りつつ小さなめ息を漏らした周人を見た菅生は口の端をやや吊り上げるようにしていたずらな笑みを浮かべて何か言いたそうな表情を見せたが、結局それを言葉にする事はなかった。


結局その日は菅生、涼子と共に夕食を食べたため、時間も既に午後8時を回っていた。無事目的を達成出来た菅生は終始ご機嫌であり、庶民である周人が絶対に行く事がないような超高級小料理屋へと向かうとそこでかなり豪華な会席料理を食べた後、そのまま涼子の運転で都内の高級住宅地にある新居の方へと帰っていった。料理屋では、入った時こそ緊張していた周人だったが気さくな菅生のおかげで随分リラックスしながら食事を楽しむ事が出来たのだった。その際に遠回りになることを承知の上で周人を送っていくと言ってくれた菅生の申し出を丁寧に断った周人はそのまま菅生と別れて夜の繁華街、しかも都心の繁華街を見て回るのだった。ここ最近は治安も良くなく、夜の都心部は乱れた若者や不審な者、そしてお金を目当てに体を売る少女たちが我が物顔で街を歩き回る危険な場所となっていたが、かつてこの場所でケンカに明け暮れていた周人を知っている菅生は何も言わずにその場で別れたのだった。若者たちのメッカ、渋谷のセンター街の入り口に立った周人は目を細めながら何かを思い出すような感慨深げな表情を浮かべて見せた。ここへ来たのは8年前、亡き恋人磯崎恵里の仇を討つために街を仕切る男たちをなぎ倒す目的で訪れて以来である。当時この渋谷を治めていたのが『渋谷の狼』の異名をもつ黒崎星くろさきせいという男だったのだが、周人にしてみれば180センチはあるその背の高さと、左耳に着けられたシルバーで出来た十字架のピアスしか印象にない。ただ街を仕切る彼を倒すことが目的だった為、正直名前などどうでもよかったのだ。実際渋谷に限らず、新宿、池袋などの街を仕切る男たちとも戦ったが、ほとんど印象らしい印象など無い。行き交う人々の顔ぶれも昔とは随分違うと思う周人は、未来と会ってピアスの男の事を思い出したのか当時を思い出しながら大通りを外れ、少しさびれた裏通りを目指して歩き始めた。そこかしこにたむろしている若者がにやけた顔つきで周人を見ているが、全く無視をして裏通りへと入っていく。


「もう、覚えてもないや・・・」


ピアスの男と戦った裏路地を入った小さなスペースがどこだったかなどもう覚えてはいない。ふとそこへ行ってどうしようと思ったんだろうと自問した周人だが、答えなど出ない。そんな自分に対して一人苦笑を漏らしつつ元来た道へと戻ろうとした周人だったが、小さな狭い角で突然現れた人影にぶつかってしまい、あわてて倒れそうになっているその人物を支えに入った。一瞬の邂逅だったが、その人物が女性だと見切った周人は素早い動作で女性の腰を支えるように左手を添え、右手で女性の左腕を軽く掴む。倒れそうになっていた女性は周人に支えられてなんとか倒れる事は免れたが見上げた顔は恐怖に引きつっていた。だがその恐怖に彩られた顔すら美しいと言えるその人物の顔を見た周人はアッという声と共に驚きの表情を浮かべて見せた。そんな周人の顔を見て自分を支えてくれたのが周人だと確認した女性もまた少しだけだが安堵の表情を浮かべて見せるのだった。


「き、木戸さん!?」

「赤瀬さん・・・・何でこんな所に・・・」


続きの言葉を発しようとした刹那、通りの奥から何やら数人の足音と声が響いてくる。顔色を変えてそっちを振り仰ぐ未来は恐怖からか震える体を押さえつけながら気丈に立ち上がった。


「追われてるのか?」


すぐに事情を察した周人の言葉にうなずく未来を見やり、その手を引いて路地を駆ける。土地勘もない場所だが、今は路地を回って大通りへと出るのが先決だ。だが、追っ手が来ていたとおぼしき後方からではなく、前からも叫ぶような複数の男たちの声が聞こえてくる。周人は舌打ちをすると見知らぬ路地を駆け、大きな荷物が積まれた角に身を潜めるとその状態のまま小声で未来に詳しい事情を問うのだった。


「何で追われてるの?」

「街に買い物に来たら男の人たちに声かけられて・・・・しつこいから逃げたんですけど、集団で追ってくるから・・・」

「で、路地かよ・・・」

「大通り、ダメだったんです。彼ら、この街を知り尽くしてるから・・・」


そう言ってから続きの言葉を言おうとした未来の顔を覆うかのように手の平をかざした周人によってその言葉を飲み込んだ未来は息も止めながら近づいてくる足音に緊張感を増していった。大きく胸を打つ鼓動が聞こえるのではないかと思う未来だったが、ジッと様子をうかがっている周人は表情も柔い。かつてこの街を仕切っていた男、自分にピアスを贈ってくれたその人物を軽々倒した『魔獣』と呼ばれた人物、『きど』という名の人物がまさに目の前にいる木戸周人ならばこの危機すら乗り越えられるだろう。だが、もし違っていれば、大変な事になりうる。今は周人を信じるしかない未来はジッとしながらもただただ周人の横顔を見上げるのが精一杯であった。


「いねぇな・・・・」

「クッソー!未来だぜ?絶対見つけろよ!ビデオに取れば売れに売れるし・・・アイドルとやれるんだからたまんねぇよ」


乱れきった街の風紀を表すかのように卑猥な言葉を口にしながらもキョロキョロ未来を捜す男は全部で四人。後ろから追ってきてるのが何人かはわからないが未来をかばいつつ乗り切れる人数である。だが、彼女が『魔獣』を捜していると聞いている周人はここでうかつに出ていけなかった。未来が自分を『魔獣』だと思っていると聞いているだけに、ここで男たちをのしてしまえばその信憑性を自ら高めてしまうことになる。ここは穏便に逃げ切る事を優先させた周人は遠ざかる男たちを見やってから自分を見上げている未来の方に顔を向けた。


「一気に走るぞ・・・大通りはすぐそこのはずだ」


耳元に顔を近づけて小声でそう言う周人の手をギュッと握り返した未来はそれが返事だといわん顔をしてみせる。そんな未来を見て淡い微笑を浮かべた周人を見上げる未来はそこに『ある人物』の顔を重ねて少し頬を赤く染めた。


「行くぞ」


その小声を合図に路地を駆ける二人だが、後から追ってきていた5人に大通り寸前で見つかってしまい仕方なく大通りへと向かう大きく路地を迂回する事を余儀なくされた。もはや息も絶え絶えの未来だったが、足をもつれさすことなく走り続ける。だが周人の舌打ちを聞いて正面を見やった未来もまた小さな悲鳴をあげると顔を青くした。そこは袋小路となっており、来た方向以外高いビルの壁面に遮られてしまっているのだ。未来を背にしながら迫り来る男たちを見やる周人から緊張感のようなものが漂い始める。


「み~っけ!」


ロン毛の男を先頭にゾロゾロ集まってきた男たちは総勢十人。皆奇抜なスタイルをしてニタニタとした笑いを浮かべていた。こういう男たちは8年前とちっとも変わらない。


「こっちおいでよ・・・・」


スキンヘッドの男がニヤけた顔つきで1歩前に出る。もはや周人のYシャツを掴みながら小さく震えるしかない未来は唇までも青くしていた。そんな未来の恐怖を掴んでいる服越しから感じていた周人は小さなため息をついてみせる。


「しゃあねぇなぁ・・・・」


そうつぶやくように言った瞬間、全身から出ていた緊張感が吹き飛び、怒気というべき鬼気が放出し始める。一番近くにいる未来はさっきまでとは明らかに違う恐怖感を感じつつ、掴んでいた手をそっと放した。


「このおっさん・・・オレらとやる気みたいよ」


小馬鹿にしたように笑いながらそう言うロン毛は周人から発せられている鬼気をまるで感じていないようだった。


「オレはまだ二十五だ・・・・おっさんじゃねぇよ」


そう言った周人が一歩を踏み出そうとした矢先、どうしたことか今の今まで出ていた鬼気がまるで霧を散らすかのようにかき消えてしまった。次の瞬間、後方にいた男がいきなり悲鳴をあげると地面に倒れ込む。何事かと振り返るロン毛だったが、視界を遮るように目の前に現れたのはだらしなくほどかれた紐靴であり、その靴が強烈なまでに鼻を直撃して一瞬にして意識を失って倒れ込んだ。ほんの数秒で十人の男たちは皆夏とはいえ裏路地で冷たい地面に倒れ込み、全く動かなくなった。薄暗い中、何が起こったかわからない未来は不安な気持ちを表現するかのように再び周人のシャツを掴むとその背中に隠れるようにしながら顔だけを出し、様子をうかがうような態勢を取った。


「助かったよ、芳樹・・・・」


ホッとしたような顔つきでそう言う周人を見やった芳樹と呼ばれた人物が薄暗い路地から姿を現す。ちょうど真上に来ていた月が雲から顔を出し、明るく優しい光を降り注いで来た。そんな月明かりの中姿を見せたのは倒れた男たちの背中を平然と踏みしめながら前に進む黒いTシャツにだぶだぶのジーパンを履いた夜目にも鮮やかな赤い髪をした青年であった。


「よくオレだって気付きましたね。まぁ、こいつらも木戸さんの左頬の傷を見て誰か気づくべきでしたね」


赤髪の男、千早芳樹は表情を和らげてその強面に似合わない子供っぽい笑顔を見せた。


「なんとなーくの勘だったけどな。まぁ、アレから随分経ったし、俺のことなんか知らないんだろうさ」


こちらも笑みを浮かべてそう軽く返す周人はそっと未来の方を向くとそのにこやかな表情を見せて安心させると自分の横に並んで立たせるようにしてみせた。


「マジ赤瀬未来だ・・・」


瞳を輝かせてそう言う芳樹は興奮した顔をしながらゆっくりと近づいてくる。そんな芳樹に少し怯えてしまった未来は無意識的に周人を見上げるが、周人はにこやかな表情を崩すことなく大丈夫といった目を未来に向けるのだった。


「後でサイン下さいっ!」


はにかんだ顔でそう言う芳樹を見て苦笑を漏らす周人だったが、やや緊張も解けてきた未来はいくらか顔を強ばらせつつもにこやかにうなずいてみせる。


「で、こんな所で何やってんの?」

「それはこっちの台詞ッスよ・・・・木戸さんこそ、こんな路地であの赤瀬未来ちゃんと何やってんだか」


あきれた口調でそう言う芳樹は暑くないのかジーパンのポケットに手を突っ込みながら眉をひそめた。そんな芳樹の表情と言葉から確かにここで自分が未来といる方が不自然だと思う周人は苦い顔をしながら頭をポリポリ掻くのが精一杯だった。


「ここらへ仕事で来たもんで・・・昔を思い出して路地に来たら追われてる彼女にでくわしたのさ」

「昔、ですか」


周人の言葉に懐かしむ表情をする芳樹は口の端をやや上げて意味ありげな笑みを見せた。


「ま、いろいろあったしな」

「ですね・・・」

「で、お前さんはここで何を?」


話が逸れそうになった上にこれ以上未来に勘ぐられてはまずいと感じた周人が話を本題に戻す。だが、今の言葉からますます周人こそが自分が捜している人物だと確信しつつある未来はジッと黙って2人の会話を注意深く聞いているのだった。


「いやぁ、この街に『キング』の再来と言われる男がいるって聞いたもんで、ご挨拶に」


『キング』という言葉にピクッとした反応を見せたのは未来の方であり、周人はと言えば涼しい顔で今の言葉を聞いている。そんなちぐはぐな反応見せる2人に怪訝な顔をしてみせる芳樹だったが、構わずそのまま話を続けた。


黒金一くろがねはじめって言う男なんですけど・・・・なんかもう知ってるって感じッスね」


最初は驚かしてやろうともくろんでいた芳樹だったが、その涼しげな顔を見てはそういう気も失せてしまった。ため息が混じったどこかがっかりした口調でそう言う芳樹に苦笑を見せた周人は半袖Yシャツの胸ポケットからタバコを取り出すと同じ場所から取り出したピンクのハートが装飾されたジッポライターで火をつける。周人にはいささか似合わないそのジッポライターを見上げつつ、未来は視線を芳樹へと戻すことなく周人の返事を黙って待った。


「つい先日聞いたんだよ、あの綾瀬桜にな」

「へぇ・・・あの魔女がなんで今頃木戸さんの前に?」

御手洗みたらいの残した土産を預かったんだ。彼女、結婚するらしくてな」


今の言葉がかなり意外だったのか、すっとぼけた表情を見せる芳樹はゆらゆら煙を揺らす周人を見るのが精一杯だった。キング四天王の1人、御手洗慈円みたらいじえんの彼女だった桜が結婚する。さらに何かを周人に託したという事が信じられない芳樹は桜の意図が理解できない様子で赤い頭をガシガシ掻くのがやっとだった。


「で、あの女はなんて?」

「黒金という強いのが『キング』の後釜になってきてるって事と、あと、政府が『ゼロ』と呼ばれる男を『キング』の後継者にしようとしてるとか・・・」

「ゼロ?」


黒金一に関しては風の噂を聞きつけ、調査をした結果知った事である。だが、ゼロと呼ばれる人物についてはまるで聞いたこともない。日本最強の暴走族集団ミレニアムの2代目総長ですら噂も聞かない事を何故結婚間近の桜が知っていたのかが腑に落ちない。


「ま、蛇の道は蛇っつーからな」


芳樹の疑問を見透かしての言葉だったが、芳樹にしてみればどこか納得がいかない。それでもかつて『キング』の傍にいた女の言うことだ、信憑性は十分にあるだろう。黒金の件が落ち着いたら調査してみようと思う芳樹は話を戻すことにした。


「とにかくその黒金に会ってみたいと思って情報を集めたら渋谷に潜伏してるって話を聞いたんです。で、来てみたら何か騒がしいわ、逃げてる木戸さんが見えるわで・・・けど、ま、余計なおせっかいだったみたいッスね」


茶化すような口振りでそう言う芳樹だったが、周人はタバコを携帯の灰皿でもみ消すといつもの飄々とした風ではなく真剣な顔つきになって芳樹を見た。


「いや、助かったよ。危ない所だったからさ」


緩んだ表情を未来に向けてそう言うと、未来もまたうなずく。だが、未来にしてみればあそこで芳樹が出現しなければ周人が『魔獣』であるとの確信が得られたかもしれない為、その心境は複雑である。そんな未来の心情を目で感じ取った周人はそのまま無言となったが、その場に鳴り響く軽快な着メロの音に2人はその音源を持つ芳樹の方へと顔を向けた。短い会話を終えた芳樹の提案でまずこの場から立ち去る事にした3人は芳樹に先導される形で裏道を進んでいく。そうして1分も行かないうちに大通りが見えてきた頃、おもむろに芳樹は後ろを歩く周人を振り返った。


「オレが黒金に負けたら、ますますそいつを勢いづけるでしょう・・・」


珍しく弱気な発言をする芳樹に眉をひそめた周人だったが、その真剣な顔つきと口調から芳樹の心の底にある漠然とした不安を読みとることは出来た。


「お前は負けねぇよ。あの頃とは比べ物にならない程強くなってる・・・何より心の強さは本物だよ」

「そうですかね・・・」

「はっきり言うとさ、さっきのお前を茂樹の旦那と勘違いしたほどだ。昔のお前さんは怖くなかったけど、今はやり合いたくない程だからな」


周人のその言葉を聞いてきょとんとしていた芳樹だが、徐々にその顔がほころんでいく。


「マジですか?」

「あぁ・・・自信持てよ、お前は総長なんだから。今のお前はあの頃の茂樹と互角だと思うぜ」

「その言葉、他のヤツから聞いたならムカついたかもしんねぇけど・・・木戸さんに言われるとなんか嬉しいッスね」


照れた顔をしながら照れた口調でそう言う芳樹に、未来もまた表情を緩ませた。強面の赤い髪の青年はその外見に似合わずに繊細であり、そして人が良い、そう思えた。大通りへの出口付近に止められた大きな改造バイクの前まできた未来は周人の背に隠れるようにしながら、何故かバイクに積んであったもう1枚の白いTシャツに慣れた手つきでサインを書いていく。書き終えたサインを見て満足した芳樹はこっそりしながら携帯電話でツーショット写真まで撮ると颯爽とバイクにまたがった。その赤い髪が目立つせいか、周人の背後にいる未来には誰も気付かない。


「もし、オレが殺されたら・・・仇、討ってもらえますかね?」


バイクのエンジンをかけながらそう問いかける芳樹の言葉に驚く周人だったが、すぐさまその顔つきは真剣なものに変化していった。


「オレが討たなくても、兄貴が討ってくれるさ」

「できたら木戸さんがいいですよ」

「オレは弱くなったから、無理だと思うぜ」


あくまで要求をはねのけようとする周人に不快感をあらわにしたのは未来だったが、言われた当の本人である芳樹は小さな笑みを浮かべながらアクセルに手を置き、前傾姿勢をとってギアを入れた。


「木戸さんは強いですよ・・・さっき、オレ、出ていくのを一瞬ためらっちゃいましたもん。あの殺気はすごかった・・・やっぱ『魔獣』は健在ってね!ほんじゃ!」


そう言い残すと、芳樹はニヤリとした笑みを残して爆音を響かせながらヘルメットもかぶらずに歩行者のみの大通りを走り去っていった。何とも言えない意味ありげな笑みを浮かべてその後ろ姿を見送った周人だったが、背後から感じる突き刺さるような視線を感じて苦々しい顔をしてみせるが、もちろんその表情は未来には見えない。そのかわり未来の表情も周人には見えないのだが。


「やっぱり、あなただったんですね・・・・『魔獣』さんは」


もはや揺るぎがたい事実もあって観念したのか、フッという笑みを漏らした周人はゆっくりと背後に立つ未来の方へと体を向けた。


「そういうこった」


肩をすくめるような動作を見せながらそう言う周人の表情は未来が予想していたものとは違い、柔らかい、昨日会った時と変わらぬものであった。未来は一瞬拍子抜けしたような顔をしてみせたが、すぐに気を取り直して周人を睨むようにしてみせた。


「聞きたいことがあります」


き然とした言葉は有無を言わせぬ迫力を持っており、周人にはそれを断る権利はないといった無言の脅迫も込められているようだった。だがその言葉すらさらっと流すかのような表情の周人は右手で小さく頭を掻きながら片目をつぶると、鼻でため息をついた。


「お答えしましょう・・・・・ただし」


そこで言葉を止めた周人に体を強ばらせる未来。


「人目の付かない場所、あるかな?君が目立ってしょうがないからさ」


にこやかにそう言う周人の言葉にふと我に返った未来は、通りすがる何人かが立ち止まってひそひそしながら自分を見ている事に気付いて苦々しい表情へと変化させるのだった。

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