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くもりのち、はれ  作者: 夏みかん
第十章
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曇りのち、晴れ-エピローグ-

広大な土地を臨むその建物はわずか2階分の高さしかもたず、作りもプレハブである。隣に、とはいっても軽く百メートルは離れている大きな5階建てのビルの脇には本格的にレースをする事が出来るコースが広がっており、その敷地の広さ、大きさを改めて実感させるものとなっていた。日本が誇る自動車メーカーたるカムイモータースのアメリカ工場であるこのフロリダにある広大な土地は日本で最大を誇る北海道工場の約3倍の敷地面積を持つのだが、建屋は2階建てのプレハブと5階建てのビル、そして3階建てのやや小さめの建物以外何もなかった。敷地を囲うコンクリートの塀は2メートルも無く、所々に錆びた有刺鉄線が申し訳程度の進入防止を行っている程度なのだ。無意味に広いこの工場には日本人はわずかに十七名しかいない。あとは白人と黒人のアメリカ人を含む外国人ばかりが百七名勤務しているのだ。主にF1マシンに使用するエンジンの開発、及びテストを行うこのアリゾナ工場とニューヨークにある支部以外、アメリカに拠点はないカムイにおいてはここは重要な場所となっていた。そんな場所に配属されてはや3年、プレハブの1階と2階とを結ぶ外部に設置されている鉄で出来た階段の2階部分の踊り場に腰を下ろしながらタバコを取り出した周人は雲1つない満天の星空を眺めていた。工場以外に周りにあるものといえば日本では考えられないほどの広さを持つ麦畑のみだ。数年前にはミステリーサークルも見つかったその麦畑の広さは半端でなく、空から見ても見渡す限りの土地を持っているのだ。もはや大きさの概念すら共通性を持たないと思えるこの土地に来て人生における考え方も変わりつつあった周人だが、根本的な部分は何も変わっていなかった。本当は少しぐらいは変わったのではないかと自分自身そう思っていた周人も、先日一時帰国した際に再会した由衣と顔を合わせる事によってそれが間違いであったと気付かされた。この3年間、ただの1日として忘れた事がなかった愛しい人はその美しさ以外は何も変化が無く、周人は3年という月日すら感じる事無く由衣に接する事が出来たのだ。なにより、3年遠回りしてようやく想いを繋げた充実感もあってか、周人は手にしたハートマークが印象的なジッポライターをくるくる回しながら小さな微笑みを浮かべてみせるのだった。こっちに来てから大富豪の令嬢や企業の娘などとの出会いはあったのだが、周人の心の中には常に由衣がいたのだ。もちろん日本で高校生活を送っている由衣に彼氏が出来ても何ら不思議はなく、むしろそれを願って別れておきながらもそれを思うと胸を痛めた。だが、実際は由衣も自分を想い続けており、晴れて結ばれた2人はお互いを運命の人であるという思いを強めたのだった。チンという金属を響かせて火を点けたライターにくわえたタバコを近づけて火を灯す。再度金属音を残して閉じられたライターをポケットにしまいつつ、周人は紫煙を揺らしながら日本では考えられないほどの瞬きを見せる星々を見上げた。もはや空ではなく、宇宙がそこにあった。本来は一週間ほどあった一時帰国も由衣と気持ちを確かめあった翌日の夜にはとんぼ帰りだったせいか、今はまだ付き合い始めたという実感はない。本格的な帰国は2週間後だが、時差もあって連絡は取れないためにやきもきした日を過ごす事となりそうだった。一旦右手の人差し指と中指との間にタバコを挟みつつ煙を吐き出す周人はその宇宙ともいえる星空を見てふと亡き恋人の事を思い出した。アメリカに来てから『恵里』の事を思い浮かべたのはこれが始めてだ。そんな自分に苦笑しつつ、由衣への想いを遂げたという心のゆとりからようやく思い出したかつて忘れられなかった人の事を想う周人はその夜空に語りかけるように1人言葉を発した。


「恵里・・・長い間忘れていてゴメンな・・・これからますますお前を忘れていく事になるかもしれないけど・・・いいかな?」


そこで一旦言葉を切った周人はゆっくりとタバコをくわえると大きく煙を吸い込んで目を閉じた。


「いや、きっとお前なら、いいよって言ってくれるよな?」


勝手解釈だと知りながら自嘲気味にそう言うと、周人は階段へと視線を落とした。高さこそ違えどこの階段は懐かしいあのさくら西塾のそれとよく似ており、そのせいか周人はしょっちゅうここへ来てはこうしてタバコをふかせているのだ。右側をプレハブの壁が階段の壁になっている点も酷似しているその風景に、周人は小さな微笑みを見せるとそこに恵や新城、そして由衣の姿を思い浮かべた。塾で講師として過ごしたかけがいのない貴重な時間、想い出、それらを幻のように重ねながら、やがて由衣だけをそこに残してみせる。


「絶対に・・・離さないからな」


決意を込めてそうつぶやく周人の口元はきつく結ばれていたのだが、徐々に淡い微笑が浮かび始める。やや大きめの白いズボンのポケットに両手を突っ込みながらタバコをくわえた周人はゆっくりと立ち上がると、笑みを絶やすことなく空から降ってきそうな満天の星空を見上げるように顔を上へと向けた。空を覆い尽くすような星の中にあってゆっくりと移動している星は人工衛星だとここに来た時に教わり、驚いたものだった。遙か天空を行く人工衛星すら見ることが出来る夜空など、周人はここ以外に知らなかった。流れ星もすでに何十回と見ているその夜空を見上げながら、周人はこの夜空をいつか由衣にも見せてあげたいと思うのだった。


空が朱に染まり、その影響を受けて海の青も紫がかった青へと変貌を遂げていた。ひときわ大きな雲がグレーの色合いを見せ、赤に支配されていく空と海にあってただ1つ抵抗するかのように大きな大きなオブジェとなってそこに君臨していた。水平線に沈みゆく真っ赤な太陽はゆらゆら揺れてその熱さを表現しているように思える。この時間になってもいまだに人がいる海岸を見ながら防波堤の上に立つ2人の影が夕日によって長く引き伸ばされており、そのせいか足の長い体型となって地面にくっきりと浮かんでいた。そんな影を、後ろで行き交う車が踏みつぶそうとやって来るのだが逆に車が影の下を通過していく。徐々に沈みゆく夕日をまぶしげに見ながらこの夕日を忘れまいと頭の中に留めようとしている女性がそっと隣に立つ男性の手に触れた。触れられた男性も全くその手を気にすることなく、逆に指をからめるようにして手を重ね合わてそれを握った。それに合わせて長い影も手を繋ぎ、2人は言葉もなくただジッとその夕日へと視線を注ぎ続けた。


「いつか、見せたい夜空があるんだ」


燃える太陽が沈むまであと少しというところで、男性がそう言葉を発した。水面が水平線にある太陽を誘うようにまばゆくきらめき光る光の絨毯を描いているが、非情にも太陽はそれを無視して海の彼方へとその姿を消してしまうのだった。繋いだ手の温もりは不思議と夏の暑さとは別の空気を持っていた。汗ばむ様子もなく繋がれた手は、これこそが探していたものだといわんばかりにくっついて離れる様子をみせないでずっと1つになったままだった。


「見たいよ・・・何でも、一緒なら何でも見たい、感じたい・・・」


そう言うと、ここでようやく男性の方を見やった女性はその愛くるしい笑顔を朱に染めながら同じ時間を共有している事に幸せを感じていた。


「あぁ、そうだな・・・オレたちの時間は、やっと始まったばっかりだもんな」


そう言うとにこやかに微笑む男性は力強くうなずく愛しい人の笑顔を見て胸の中が温かくなるのを感じるのだった。


「私の心も、やっと晴れたよ」


そう言うと、女性は握っている手にやや力を込めて沈んでしまった太陽の残す影響で淡くて濃いブルーの空を見上げて見せた。


「曇りのち、晴れ・・・だよ!」


そう言うととびっきりの笑顔を見せる愛しい顔を見ながら、男性は照れた顔をしながらおもむろに繋いでいた手を離すと肩を抱くようにして体を密着させると小さく微笑みを返す。そんな男性を見てはにかんだ表情をして見せた女性は夕闇が迫りつつも澄み渡った空を再び見上げて嬉しそうに微笑むのだった。


3年という年月を越えてようやく2人の時間は動き出したばかりだ。これから数え切れない思い出を残しつつ、同じ時間を共有していくだろう。そんな自分たちの未来を想像しながら、再度繋がれた手の温もりを感じる自分を幸せに思う2人はお互いの顔を見合わせて小さく微笑み合うのだった。


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