ときめきの中で(2)
昨日の事件の事は一切話題には出ず、終始和気藹々といった感じで夕食は終わった。その後、由衣は康男が送って行くこととなり、周人に関しては新城が車でさくら谷駅まで送っていくことになった。今日は周人は電車で来ており、そのために由衣を送っていけないのだった。だが意外にも新城ではなく康男を指名した由衣に別れを告げる2人を乗せた車は軽快なエンジン音をさせて走り去っていく。それを見送った康男は自家用のワンボックスカーを用意し、見えなくなるまで手を振っていた由衣もそれに乗り込んだ。見送りに来てくれた好恵と子供たちに別れを告げた由衣を乗せた車は大通りを出て幹線道路をひた走る。
「これで昨日の事件からはひとまず解放だな。最後にもう1度だけお詫びを言わせてほしい・・・すまなかった」
もう何度目かもわからないそのお詫びの言葉に由衣は笑顔でうなずいた。
「木戸くんには感謝の言葉もないほどだ。彼のおかげで塾も、君も救われた。特に君は、木戸君を好きになっていなければここまで落ち着いていなかっただろうしね」
由衣はその言葉にも素直にうなずいた。確かに事件そのものにはショックを受けている。塾の先生が犯した罪も大きく、由衣の心の傷も本来ならば大きいはずだった。だが由衣は周人に助けられた事によって大きく救われているのだ。周人ならば大丈夫という気持ちが大きいせいか、昨日の事件がもう遠い昔のような気がしている。
「実際、木戸先生なら大丈夫って思ったから。助けてくれたのがあの人じゃなかったなら・・・今頃寝込んでると思うし」
「君は木戸君を信じているからね・・・ほんと、ほんの数ヶ月で変わるもんだ」
そう言われた由衣はそうですねとだけ言い、窓の方に顔を向けた。康男はそんな由衣を見て淡い微笑を浮かべた。その横顔はとても15歳の中学生には見えない。そんじょそこらのタレントなど問題にならないその美形な顔立ちは本当の恋をした事によってさらに磨きがかかったように思えてしまう。無論、性格も大きく変化した、いや、元の素直な由衣に戻ったせいもあるだろう。やりたい放題だった当時の由衣が今のようになって欲しいと思って止まなかったのが嘘のようである。彼女は周人に恋をし、そして大きく変わった。心身ともに大きく成長したのだ。
「オレは、今の君が以前に比べて凄く魅力的になったと思っているんだよ」
そう言われて由衣は窓から顔を背けて運転している康男の横顔を見た。康男はチラッと由衣の方に視線を送ったが、すぐに前を向いた。
「だから木戸君にはすごく感謝してる。あのままなら、君はろくな大人にはならないだろうって思っていたからね・・・」
「自分でも変わったなぁって思いますよ・・・」
照れくさそうにそう言う由衣に笑顔を見せた康男は由衣の家に向かう最後の曲がり角を曲がる。やがて自分の家の前で止まった車から由衣が出てきて運転席側、自宅側に回り込んだ。
「先生、ありがと」
由衣は嬉しそうにそう言うと、そのまま玄関先まで行こうとした。
「正直に言うよ。オレは君と木戸君がうまくいく事を願っている。青山さんや小川さんには悪いけど・・・君しか恵里ちゃんの幻影を消すことはできないと思ってるから」
康男のその言葉に驚いた顔をしていた由衣だったが、徐々にそれは笑顔へと変わっていく。そして大きくうなずくと大きく手を振った。康男もまた手を振り返すと車を走らせ、去っていった。車が角を曲がるまで見送った由衣は肌寒い夜の空気とは裏腹に心は暖かく、そして充実していた。
翌日は見事な秋晴れであり、約束の時間より15分早めに着いた周人は待ち合わせ場所の大きな柱の下でゆったりとタバコの煙を揺らせていた。とりあえずこの後は映画を見て、それからは恵が行きたいと言っていたショッピングモールへ行く予定となっている。待ち合わせ時間までタバコを吸っていた周人がそれをもみ消した直後、目の前の人垣から恵がやってきた。赤いジャケットに白いタイトスカートといった恵には珍しいスタイルで現れ、おはようと元気良く挨拶をする。周人も笑顔で挨拶を返すとまずは映画館へと向かった。午前中の映画を見た後に昼食を取る事にしている2人はまずセンター街を歩いてそこに向かうことにしたのだ。恵には一昨日の事件は知らされていないようで、一切その話題を振ってこなかったために周人はどこか安堵していた。おそらくは康男も新城もそれを口外することはないだろう。周人もそれについて話をすることもなく、他愛もない会話をしつつ人混みの多いセンター街をブラブラと歩いていた。
「そうそう、亜佐美、何ともなかった。ありがとうね・・・・」
嬉しそうにそう言う恵に、周人も顔をほころばせた。どうやら危惧していた妊娠の事や、写真等も問題はなかったようである。当の本人である亜佐美は相変わらず同じ高校の男友達と遊びに行ったりしているが以前のような無断外泊も無くなり、遅くとも10時には帰宅するようになっていた。素行に至ってもここの所はそれなりに今時の女子高生をしてはいるものの、以前と比べて随分大人しくなったと言う。それを聞いた周人はあの事件がよっぽど堪えたらしいと思い、苦笑しながらもよく似た感じで真面目になっている由衣の事を頭に浮かべていた。ここ最近はいろいろ振り回される発言も多かったが、いかんせん会うことが少ないために今はどういった様子でいるのかがわからない。それでも以前に比べて随分女らしくなり、時々はドキッとさせられる事もある。そんな事を考えながら、周人は恵の話を聞いていた。やがて映画館に着いた2人だったが、今日見る予定の映画の人気が高いせいか、チケット売り場からかなり離れた入り口付近まで長蛇の列が出来上がっていた。時間的に10時を回ったとはいえ、休日の朝ならばそれなりに空いているだろうとふんでいた2人にとってこれは大きな誤算であった。フロア内では混雑を詫びるアナウンスや、すでに売り切れ寸前のチケットなどを案内する係員の声が響き渡っている。仕方なく列の最後尾に並び、ひたすら順番を待つしかない。
「しっかし・・・・混んでるなぁ」
「うぅん・・・・・参ったね」
2人とも呆然としながら順番を待つが、果たして目当ての上映時間でチケットを買えるかどうかは疑問である。よしんば買えたとしても鑑賞するのにつらい態勢では2時間以上あるこの映画は疲れてしまう。そういう事を思案した恵はある提案を周人に持ちかけた。
「ねぇ、もし駄目なら夕方のを取って、先にショッピングモールに行こうか?」
これに関しては異議があるはずもなく、周人は即座にOKした。その後15分ほど並んでようやくチケットカウンターに辿り着いた2人だったが、やはり目当てとする11時からの分は完売となってしまっていた。そこでさっき取り決めた予定通り夕方の席を確保し、そのままショッピングモールへと向かった。そこはビルの谷間をジェットコースターが走り、また、屋上には大きな観覧車まであるアミューズメント施設とショッピングセンターが1つに融合した新しい形のスポットとなっていた。だが、出来た当初こそ人出も多かったのだが、2年経った今では赤字経営となっており、ショッピングをする人はいても簡易遊園地で遊ぶ人は少なくなっていることが原因だった。比較的値段も高めな店舗も多く、それが人気に翳りを見せた原因とも指摘されていた。とにかくそこへ向かった2人はビルの上から生えたようなシンボル的な赤い観覧車を見上げた。
「ねぇ、高いところは平気?」
「え?あー、平気だけど」
周人はそれに乗る気がなかったかのような曖昧な返事を返し、恵はその返事に内心がっかりしていたのだがそれでも無理矢理乗る気にはなっていた。とりあえず中の店舗を見て回る事にしていた恵は周人をリードする形であちこちの店へと渡り歩いた。以前と違って最近では少し派手目な服を着こなすようになっていた恵にやや驚きつつも、周人は自分なりにどういった服が恵に似合うのかを一緒に考えた。結局恵は何も買わなかったのだが、それなりに満足した様子だった。下の階から上の階へと上がっていったせいもあり、自然と最上階にある観覧車のチケット売り場を兼ねた乗降口までやってきた2人はそう人が並んでいない事に少し驚いた。実際経営にかげりが見え始めた頃でも日曜日ともなれば普段以上に人自体は多かったのだが、何故かここ最近ではそれもなく、飲食店が何軒かつぶれている実状もあって完全に赤字経営だという噂の真実味を露呈していた。
「・・・乗る?」
何気なしという感じで探るようにそう聞いてくる恵に、周人はただうなずくだけの返事を返した。どうやら窓とも言える高い天井から床まであるガラス張りの向こうに展開されている観覧車に釘付けになっている様子だ。どこか子供っぽい顔でそれ見ている周人を可愛いと思いながらもチケットを買いに行く。値段も1周700円と高めのせいで赤字になっているのではと思いつつも、2人はチケットを購入した。ほどなくして順番が回ってきたため、2人は1周わずか数分のそれに乗り込んだ。狭い中身であったもののシートは柔らかく、座り心地は良い。ビル自体の高さが地上10階ということもあって、それより高い位置に上がる観覧車から見える景色はそれなりに見晴らしも良く、桜ノ宮周辺一体を一望できる造りになっている。
「思っていたより、凄いカモ」
恵は2つのビルの隙間にはめ込むようにして作られているこの観覧車に感心していた。今ではビルの屋上が見える所まで上がっており、駅周辺や近隣のビル街が一望できるまでになっていた。高架を行く電車の天井も見える高さともなれば、それなりに感動が待っていた。
「桜町やさくら谷の方まで見えるのかなぁ?」
「う~ん・・・それは無理でしょう」
ちょうど恵の真後ろが桜町方面であり、さらにその奥がさくら谷にあたるのだが、そこまで見えるかどうかは疑問であった。一番真上まではまだ時間がかかる。恵はこの密室を利用してずっと聞きたかった事を聞くことにした。だがその前に、どうしても言っておかなくてはならない事を思い出し、質問を後回しにして先にその事を口にした。
「木戸クン、あのね、恵里さんの事・・・・塾長から聞いちゃったの」
「知ってる、一昨日用事があって西校に行った時に、塾長から聞いたから」
怖々聞いた恵がバカらしくなるほどあっけらかんとそう言う向かい側の周人はちょっとすねたような顔をしている恵に小さな笑顔を見せた。その笑顔を見て少し顔を赤らめた恵だったが、今度こそ聞きたかった事を口に出した。
「1つ、いいかな?」
「うん?」
「なんで、この街にしたの?」
言っている意味がよく理解できなかった周人だったが、それが実家を出ることになった際にどうしてこの街に行き先を決めたのかという質問だと解釈し、答えを返す。
「う~ん・・・・雑誌で見たんだよ。綺麗な街だなってその時思ってさ・・・・どうしても実家から離れたかったし、それがきっかけで何度か足を運んだり、インターネットで調べたりしてこっちで家を探したわけ。まぁ以前世話になった塾長がこっちに来てるって聞いてたし、会ったのは偶然だったんだけどね」
少し恵から視線を外しながらそう言うと、周人は外の景色に目をやった。そんな周人を見ながら次の質問をためらう恵だったが、これでは今のまま何も進展しないと思い、心の中で気合いを入れて意を決した。
「じゃぁ、恋愛する気は・・・・もうない?」
唐突なその質問に周人は呆けた顔をしながら恵を見やった。恵は緊張からか膝の上に拳を作ってギュッと握りしめながら、それでもしっかりした目で周人を見つめている。そんな恵を見てから少し小さなため息をついた周人は再度窓の外の景色に目をやると、遠くを見たまま口を開いた。
「そりゃ、全く無いわけじゃないよ・・・むしろ誰かを好きにならなきゃ駄目だって思ってる・・・・でも・・・・オレは・・・・」
目を伏せる周人の脳裏に浮かぶのは亡き恋人の顔。それは笑顔であり、2度と目覚めない眠りについた顔でもあった。
「怖いんだ、また失うことが・・・・・・・喧嘩したりして別れる事がじゃないんだ・・・死に別れるのがね、怖いんだよ」
そう言って弱々しい笑みを浮かべる周人はおもむろにてっぺんだとつぶやき、周りの景色を見渡した。かなり遠くまでが見えるその景色の良さを堪能しながらも恵の心は暗く沈んでいた。ここで私は死なないからと言っても説得力もない。人間がいつ死ぬかなど誰にもわからないのだ。今この瞬間にも観覧車が倒れてしまえばどうなるかはわからないのだから。
「結局、怖いから逃げてるだけなんだ・・・オレは」
自虐的に笑いながら言うその言葉にもはや何も言えなくなってしまった恵は胸が痛み、もはや周人を直視できずに窓の外を見るしかなかった。彼の中から『恵里』の存在を消すことは出来たとしても、恋人の遺体を発見した恐怖を消してあげることは出来ないのだ。そんな事を考える恵はもはやこのまま周人を想い続けることを少々重荷に感じてしまったのだった。
結局その後はほとんど会話もなく観覧車を降りた2人は昼食を取りにこのショッピングモールの中にあるレストランへと向かった。ランチバイキングとなっているこの店は多くの人で賑わっているのだが、他の店舗は昼時だというのに空席もかなり目立っている。ともかく席を確保した2人は自分の好きな物を取りに行き、2人が揃ったところで食事となった。だが、やはりさっきの会話のせいかどこか重苦しい空気が漂っている。この空気がさっきの自分のせいだと思った周人は何かと話題を振って場を盛り上げようとし、恵もこのままでは駄目だと思ったのか会話を弾ませた。だが、周人はともかく、恵の心にはしこりが残っており、最後まで暗い空気が晴れることはなかった。そしてそれは映画を見た後でも変わることがなく、2人にとってぎくしゃくした時間が怠惰に流れていくだけとなった。喫茶店に入っても恵はどこか暗い表情をしたままであまり口数も多くなかった。それでもあれこれ話しかけていた周人もやや精神的に疲れを感じ始めていた。かつて『恵里』を亡くした周人に対して気を利かせた哲生がミカの友達を誘って4人で出かけた時もこんなだったなと思う周人は結局あれから何も進歩がない自分を疎ましく思い始めていた。周人を気遣うあまり痛々しいほどに明るく振る舞う哲生たちにどう接していいかわからなくなった事があったのだ。無駄だとわかっていながら『恵里』を追い、その幻影を求めてさまよう周人の心の闇は深い。さくら西塾に来て恵や新城、由衣や美佐に会って少しは変われたと思っていたのだが、どうやらそれも錯覚のようだ。そう思う周人はもはや何を話していいかわからなくなり、ついに2人は黙り込んだままただドリンクを飲むだけの状態へとなってしまったのだった。こうしてすっきりしないまま1日が終わろうとしている。夕食時もそれなりに会話は弾んだのだが、やはり恵に元気がなく、周人は少し疲れを感じながらも暗い雰囲気だけは何とかしようと懸命に努力した。だが、やはり暗い空気を吹き飛ばすことはとうとう出来ずじまいだった。そのせいか時間も早い内からもう帰る事になり、周人は彼女を車で送っていくと切り出した。大通り沿いの道にはカップルなどが多く見られたが、みな楽しそうにしているその横をとぼとぼした足取りで歩く周人と恵はやはり会話もなくただ前へと並んで歩いているだけの状態にあった。
「・・・・少し、ほんの少しだけ、話、いいかな?」
大通りを脇に抜けるような暗めの道、駐車場へと向かうその道の途中で恵はそう言うと、市営の地下駐車場までの間にある小さな公園へと周人を誘った。人気のない公園には薄暗い街灯しかなく、ネオンがきらめく繁華街にあってここだけがどこか取り残されたような錯覚を埋め込ませる。木で出来た小さなベンチに腰掛けた2人は大通りを行く車の音を遠くに聞きながらただ黙って座っているのみであった。だが、さすがに誘った本人である恵が一大決心をして言葉を発する。
「正直、私は木戸クンが好きなの・・・・優しいところ、見たり感じたりして・・・ずっと前から」
その言葉を聞いてもあまり驚かない周人に表情を曇らせる恵だっがが、周人は恵を見つめると薄い笑みを浮かべた。
「知ってる・・・というか、気付いてた」
酔っぱらって寝てしまった恵本人から寝言で告白を受けているとは言えない周人はそう返すと視線を地面に向けた。
「そう、なんだ・・・・なぁんだ・・・バレバレかぁ」
苦笑混じりにそう言う恵は同じように視線を落として地面を見やる。人工物で埋め尽くされたこの街にあって唯一自然のまま土が残っている地面はどこか温かさを感じさせた。
「でもね、恵里さんの話を聞いたとき、自信がなくなったんだ・・・・・私じゃ代わりになれそうもないなぁって・・・・」
その言葉、『恵里』という単語に周人は顔を上げて恵を見た。恵もまたゆっくりと顔を上げて周人を見つめた。左頬の傷がいやに目につく。しばらくの間見つめ合っていた2人だったが、沈黙は恵によって破られた。
「でも、それでも代わりになりたい!木戸クンのそばにいたい、ずっと!」
力強くそう言う恵を見ている周人の顔には表情はなかった。もはや心臓が破裂しそうなほど鼓動が激しい恵だったが、周人から決して視線を外さなかった。今ここで告白する事がどれだけタイミングの悪いことかはわかっている。だが、だからこそ、今しかないとも思えていたのだ。『恵里』を意識して1日過ごした今日だからこそ意味があるのだと恵は考えたのだ。
「だから・・・・私を彼女にしてほしいの・・・私が、木戸クンを癒してあげるから・・・恵里さんの代わりになるからっ」
顔をやや紅潮させながらそう告白をした恵に、周人はしばらく何かを考え込むような仕草をとった。さっきまでのドキドキが嘘のように、今は冷静にその返事を待っている。恵を見つめたままだった周人は一瞬地面へと視線を落とし、そしてすぐに視線を戻すとゆっくりと口を開いた。
「正直、オレなんかを好きなってくれてすごく嬉しいよ。でも・・・・やっぱり駄目だよ。オレは君とは付き合えない・・・」
しっかりと恵の目を見たままそう答える周人に、恵は予想していた答えであったとはいえ、愕然となった。
「どうして?何が駄目なの?」
「オレが欲して止まないのは『恵里』なんだ。それは代わりじゃなく『恵里』本人・・・・でも『恵里』はもういない・・・それはわかってるんだ・・・・」
苦々しい顔をしながらそう言う周人はさらに言葉を続ける。
「『恵里』はもういない、そして『代わり』もいらない。所詮代わりは偽物だからね・・・・オレが今欲しいのは恵里を忘れさせてくれるほどの人なんだ。オレが恵里を忘れるほど好きになった人じゃないと駄目なんだ」
「私を・・・・好きじゃないのね?」
確認するようにつぶやく恵に、周人は目を閉じてつらそうな表情を浮かべて見せた。
「好きは好きだ・・・でもそれは愛情の好きじゃぁないんだ・・・」
予想していたとはいえ、やはりフラれるのはつらい。完全にうつむいてしまった恵は自分では周人を変えられないと思った。『恵里』の存在から抜け出そうとしているのは理解できる。だが、それを大きく引きずっている彼が誰かを好きになることなどありえるのかが疑問であり、自分ではそれができないことをあらためて強く思った。痛む心は心臓の動きを加速させ、その動きが痛みを加速させる。
「そっか、そうだよね・・・・」
そうとだけ言うと恵は立ち上がった。苦々しい顔をして見上げる周人に笑顔を返すとそのままくるりと背中を向けた。
「私、電車で帰るね。じゃぁ!」
そう言うと、周人の返事も聞かずに走り去ってしまった。思わず立ち上がり、後を追おうとした周人だったが、結局それは出来なかった。
「・・・・・・・結局、オレがバカなんだ・・・最低だ」
自分自身が許せない周人は吐き捨てるようにそう言うと、1人とぼとぼと駐車場へと向かう。重い足取りは恵の気持ちを断った事のみならず、来週デートする由衣のことも関与していた。由衣の好意を感じているがためにまた同じように告白されれば同じように断るしかないだろう。だが、そこで周人はふと何かを感じたかのような表情を浮かべて立ち止まった。確かに好かれているのは理解できる。そしてかつて助けることが出来なかった『恵里』の代わりに彼女を救えたことによってどこか彼女を『恵里』と重ねている部分があった。しかし、実際由衣と接している時はそんな事も忘れてしまっている。単に由衣のペースに巻き込まれてしまい、『恵里』のことなど考える余裕がなかったのもまた事実だ。それでもやはり恵の時にはない解放感を感じていることは否定できない。だからといって告白されてOKするかと言われれば、それは違う。恵同様彼女を好きにはなっていないからだ。自分から誰かを好きにならない限り前に進めないことは重々承知しているのである。だからこそ今、恵をフったのだ。大きなため息をついた周人はさっき同様重い足取りで地下駐車場へ続く階段を下りていくのだった。薄暗い、コンクリートで固められた冷たい閉鎖空間の階段を下りる周人は自分への苛立ちをどうすることも出来ないまま、壁に拳をぶつけるしかなかった。
そう混んでもいない電車に揺られながら、恵はぼんやりとさっきまでの事を思い出していた。告白のタイミングが悪かったと知りながら、どうしても気持ちを伝えたくなってしまった自分を抑えられなくなってしまったのだ。もはや何も考える気にはなれない恵はただぼーっと向かい側の窓から見える景色を眺めているにすぎなかった。不思議と涙は出てこない。その替わりというべき大きなため息を何度もつきながら、結局周人の中の『恵里』を消せなかった、好きにさせられなかった自分を責めた。何のために康男が『恵里』の事を話してくれたのかを理解できなかったのだ。『恵里』のことを悪い方向へと向けてしまった自分の焦りを責めた。だが、もう時間は元に戻らない。電車を降りて駅を出て、とぼとぼと薄暗い街灯の照らすアスファルトの道路を歩く恵の頬を知らず知らずのうちに涙が伝う。自分でも気付かないうちに流れ出た涙は涸れることなく、家に着いて自室に入ってからも止まる事はなかった。
部屋の電気を点けた周人は倒れ込むようにベッドに寝ころぶと、そのまま枕に顔を埋めた。恋愛に関して決して晴れることのない心はどんよりと曇りきったままである。結局前向きになろうとしたところで『恵里』の幻影は常に周人の中にあって、それを振り払えない自分に苛立ちすら感じてしまう。結果的にただ恵を傷つけただけの今日、それをはっきり認識した周人は自分に対してどうしようもない怒りを感じたのだ。さらに、次の日曜日に遊びに行く事になっている由衣の事を考えるとまた気が重くなる。同じようにまた傷つけてしまうのならいっそのこと早々と彼女をフった方がいいのではないのかと思ったが、彼女から好意は感じてもはっきり好きだと言われていない。気のないそぶりを見せようにも由衣に関してはそれすらおかまいなしであろう。告白をしてくれた美佐には断ることが可能だが、由衣にはそれが通じるかどうかもわからない。大きなため息をついた周人がもうどうしていいかわからずに頭をかきむしりながら身を起こした瞬間、家の電話が鳴り響いた。何故かこの電話に出る事すら気が重くなっていた周人は出ようか出まいが迷ったのだが、結局受話器を上げた。受話器の向こうの声は男であり、その人物が名乗った名前を聞いた周人はさっきまでの重たい気分はどこへやら、思わず姿勢を正してしまった。
「しゃ、社長!?」
「木戸君、久しぶりだねぇ」
思いも寄らぬその人物はカムイモータース社長の菅生要であった。あの夏の日以降では、電話で就職を希望した時以来であり、社長自らが電話をしてくることなど想像もしていなかった周人は驚きと戸惑いで身が引き締まるのを感じていた。
「木戸君、パスポートは持っているかい?」
「はぁ・・・・いえ、持っていませんが・・・」
唐突な質問を受けて戸惑いながらもそう答えを返す。実際海外旅行をしたことがない周人はパスポートという物に全く興味すらなかった。その返事を聞いた菅生は少し何かを考えているような声を発すると、すぐに言葉を続けた。
「そうか・・・まぁ電話ではなんだし、この週末空いてるかな?」
「日曜日以外なら・・・金曜日はバイト入ってますけど」
「よし、じゃぁ土曜日の夜に食事でもどうだい?」
唐突にそう言われた周人だったが、別に予定もないためにOKした。とりあえず午後6時に迎えをよこすと言われた周人は戸惑いつつもそれを承諾したのだった。
「じゃぁそれでよろしく頼むよ」
そう言い残し、菅生は電話を切った。少し困ったような顔をしながら受話器を置いた周人はため息をついてベッドに座り直した。今日はいろいろあって疲れてしまった周人はとりあえず浴槽にお湯を張りに行く。だがその足取りはやはり重く、作業を終えるとすぐにベッドに横になった。もう何を考えていいやらわからなくなり、とりあえず目を閉じて意識を宙に漂わせる。眠気は襲ってこなかったが公園での恵の顔がいやにはっきり思い出されてきた。寝そべったまま膝を抱えるようにしてうずくまる周人は何も考えないようにしながらもどうしていいかわからずに頭を抱えるのだった。




