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くもりのち、はれ  作者: 夏みかん
第四章
23/127

心の裏側(4)

その日、いつもより早めの時間に呼び出された周人たち西校のメイン講師たちは9月から新しく入ることになったアルバイトの2人を紹介されていた。すでに今は9月15日、周人がさくら校に戻るまでもうあと半月と迫っていた。これからは新城と恵が中学三年生をメインに授業を行い、その新しいバイト講師が中学一年及び二年生を受け持つことになるのだ。1人は恵と同じ大学に通う二十歳の奥田かすみであり、学部が違うため恵とは面識がなかった。彼女は英語に長けており、その為担当教科もすんなりと決まった。長い黒髪も艶やかであり、赤縁の眼鏡をかけた知的な女性で、しかも恵に負けず劣らずの美人であった。もう1人は桜谷郊外に住む大木雅史。大学一年生であり、浪人して入ったために年齢は皆と同じ20歳であった。外見はざんばらで無意味に見える長髪に無精ひげといったいかにも浪人生をしていましたというべき風貌であった。やや内向的なのか声にも張りがなかったが、理系に突出した才能をもっており、そこを見込んでの採用となったのだ。とりあえず先輩たる3人と簡単な挨拶を交わした後、大木は早速今日から中学生をみることになっていた。周人は三年生の数学があり、恵と新城は受験に向けてのカリキュラムの説明と打ち合わせのため引き続き残ることになった。とりあえず新入りたる大木と奥田は久しぶりにやって来た米澤の指導の元で授業を行うことになった。2人はとりあえず上に向かい、今日授業がないかすみも挨拶をしに二年生の待つ教室に足を運ぶ。実質今日を含めてあと3回の授業しかここで行わない周人は気を引き締めて教室に向かった。由衣が大人しくなったせいか、他の新城ファンクラブのメンバーも静かに授業を受けており、ようやく落ち着いた環境で授業ができるようになったところでもう撤収である。そういう事を考えて少し寂しい気持ちになりながらも、今日の授業に集中して授業を始めるのだった。


康男の予想通り、そのテンポのいい授業内容とは裏腹に大木は不人気であった。やはり新城の容姿や周人の明るさ、そして他のバイトもそれなりの容姿をしているせいだろう。だが物を教えることに関しては文句の付けようがない事から、容姿に関してはすぐに慣れるだろうと思いながら康男は送りのバスを出すために駐車場へと向かった。その間、由衣は一番最後まで教室に残り、1人でホワイトボードを消したり片づけをしている周人に近づいた。さすがに背中を向けていても人の気配は感じている周人はそれでもかまわずに片づけを続ける。由衣は1番前の長机に腰掛けると、教材を整理している周人に話しかけた。


「ねぇ先生、あっちに帰る前に私とデートしない?」


突拍子もない提案に思わず手を止めて由衣を見やった。眉を曇らせ、その真意を確かめるような目をした周人に、由衣はケラケラと笑顔を見せた。


「青山先生とはできて私とはできないなんて理由はないよねぇ?」


いたずらな笑みを浮かべる由衣をあえて無視し、周人は教材をトントンと教壇の上で整えるとため息をついて由衣を見た。


「誘う相手を間違えてんじゃないのか?」


表情を曇らせたままそう言う周人はさっさと出て行けとばかりに手を振ってゼスチャーをした。それをあえて無視した由衣は机から飛び下りるようにして教壇の周囲をぐるっと回り、教材を脇に抱える周人の前に立ちはだかった。


「間違えてないよ・・・・・先生とデートがしたいの」


その言葉を聞いてがっくりと肩を落とし、周人は由衣の心理を分析するように目を細めると頭の中で必死その意図を考えたのだが、結局何もわからなかった。そんな周人の様子を見た由衣はニヤッと笑ってから言葉を続けた。


「もう向こうに帰ったら会えないわけじゃん?寂しいでしょぉ?だ・か・ら!記念よ、記念!そう深く考えないでさ、パァーっと行こうぜ!」


その言葉に顔を上げた周人は困った顔をしながらもジッと由衣を見つめて思案を続けた。


「はぁ・・・・わぁったよ・・・・で、いつがいい?」


さすがに根負けしたのか、手の平をひらひらさせてそう言う周人は満面の笑みを浮かべる由衣を見て苦笑を漏らしてしまった。もはやその真意はどうでもいい、記念というならそれはそれでいいと判断したのだ。


「9月最後の日曜日の24日、デートの詳細は先生任せ。行く場所は先生が決めてね?」

「・・・・待ち合わせは?」

「ん~・・・そうだなぁ~・・・10時に家まで迎えに来てよ、いい?」


あっけらかんとそう言う由衣に閉口しつつ、周人はそれを承諾した。由衣は忘れないようにと念を押すと文字通り教室を飛び出していった。もはや何度目かわからないため息をついて戸締まりを確認し、最後にドアに鍵をかけて階段を下りた。すでにバスは出てきており、生徒たちが乗り込んでいる。一旦職員室に戻った周人は机の上に教材を置くと再び外に出て、いつも通り階段に腰掛けてたばこを取りだした。そこから新城と由衣が何やら話しているのが見て取れる。いつものやつだと思いながら火を点けた周人だったが、2人の妙な雰囲気に眉をひそめた。ここからは距離があるために2人の会話は全く聞こえないが、明らかに困った顔をした新城が頭を掻いている。由衣は胸の前で手を組み、まるで神に祈るかのような仕草で新城の顔を真剣に見つめていた。口から煙をはき出しながらその様子を見ていた周人はアゴに手をやってじっとその様子をうかがうように見ていた。その後新城が何かをつぶやくように言葉を発し、由衣はそれに対して何度かうなずいている。そして由衣は顔を俯き気味にしていたが、やがて顔を上げ、何か言葉を新城に投げている。今度は新城がうなずき、その後由衣は新城を振り返る事なくそそくさとバスに乗り込んだ。その様子から何かあったのだと判断した周人だったが、あえて知らないフリをしてたばこの煙を揺らせた。


「先生?」


新城と由衣のやりとりに気を取られていたせいか、周人は突然手すり越しにそう声をかけられて飛び上がらんばかりに驚いた。くわえていたタバコを落とさずに済んだが、胸が痛いくらい心拍数が上がっている自分を落ち着かせながらその声の主の方へと頭を向けた。


「な、なんだ・・・小川さんか・・・・ボーッとしてたからビックリしちまったよ」


苦笑しながらそう言う周人はくわえていたタバコを手にする。周人の反応の方に驚いた美佐は胸の前で手を組んだまま固まったようにして立っていた。周人はそんな美佐を見て小さく笑うとよいしょとばかりに立ち上がった。4段上がった所に立ったせいか、完全に美佐を見下ろした状態となっている為に周人は階段を下りて美佐の立つ手すり側に向かった。


「どうした?」

「あの・・・向こうへ帰っちゃったら・・・もうこっちへは来ないんですか?」


消え入りそうな言葉だが、周人の耳にははっきりと聞こえた。周人はさっきまでとは違う優しい微笑を浮かべると、携帯の灰皿にタバコをもみ消した。


「物を運んだりするだろうから、完全に来なくなるわけじゃないよ」


その言葉を聞いても表情を曇らせたままの美佐は組んでいる手にさらに力を込めた。その証拠に手の皮膚の色が変化しているのがわかる。


「まぁ、小川さんが会いたくないって思っても、会うことになるかもね」

「そ、そんなことないです!会いたくないなんて、思わないです!」


笑いを交えてそう言う周人にさっきまでとは違う力強い口調と顔つきでそうはっきり言う美佐に驚く周人だったが、小さな笑みをかき消すことなく美佐の頭にポンと手を乗せた。


「なら、会えるさ。塾を辞めるわけじゃないしね」


その言葉に安心したのか、はにかんだ笑みを見せた美佐は体の力を抜きながらクラクションを鳴らす康男の合図にバスの方を振り仰いだ。


「さ、呼んでるぞ・・・気を付けて帰れよな」


美佐は元気良くうなずくとにっこり笑ってポニーテールを激しく揺らしながら周人に大きく頭を下げ、何度か振り返りながらバスへと走っていった。美佐を最後に全員が乗り込んだバスに向かって手を振って見送る新城と周人を残し、バスは大通りに消えた。2人はバスの姿が完全に消えたのを確認してからタバコをもう1本取りだし、その場で火を点けた。しばらく暗い表情の新城を見ていたが、何かを考えるようにしている新城にゆっくり近づくと、もう根本近くまで灰に変わったタバコを捨てた。


「新入りさん、どうだったんだろうかね?」

「ん?さぁな・・・この後の酒の席で聞けるさ」


この後は康男と米澤を含めた4人で晩ご飯を食べに行くことになっていた。職員室では米澤が2人の資料を整理しているのだろうか、見送りの際にも姿を現さなかった。


「そうだな」


そう言い残して職員室に向かう周人を、不意に新城が呼び止めた。


「この間、青山さんに告白した」


これまた唐突に切り出された告白に、周人は呆気に取られる以外になかった。一瞬動きを止めた周人がゆっくり振り返るそこには大通りを見たまま立っている新城の姿がある。言葉もなく呆然と立ちつくす周人の方へと顔を向けて自虐的な笑みを浮かべた新城は歩み寄りながらさらに言葉を続けた。


「その上、ついさっきだけど・・・吾妻さんから好きだと言われた・・・」


もはや驚くことばかりで何の言葉も出てこない周人は顔を引きつらせ、へたり込みそうになりながらもまっすぐに新城を見つめた。


「青山さんには好きな人がいると断られたよ。んで、吾妻さんには・・・好きな人がいると断った・・・フラれても好きなんだから・・・しょうがないよな?」


新城のその言葉に、周人はただ黙ってうなずくことしかできなかった。ここへきて急展開を見せる状況に、もはや驚くことしかできない。


「青山さんとはこのままの関係で、まだ諦めずに努力しようと思う。無理だとはわかっているんだけどね」

「そうだな、そのほうがいいかもな」


やっと絞り出すようにそう相づちを打った周人はもう1本タバコを取りだした。どうやらこれが手持ちの最後の1本であるらしく、空になった包みを握りつぶす。


「吾妻さんは・・・・なんだか意外にあっさりしてた」


苦笑しながらそう言う新城を見ながら、周人は由衣の真意を図りかねていた。あれほど好きだった新城に断られてあっさり引き下がるのも解せないが、告白の前に自分とのデートを約束させた意図もまたわからない。眉をひそめるしかない周人を見やる新城は、タバコを消すとバンと大きく周人の背中を叩いた。タバコは手に持っていたため落とすことは免れたが、背中をさすりながら新城を睨む。新城は意味ありげな笑みを浮かべると職員室の方へと向き直った。


「ひとつだけ言っといてやるよ・・・吾妻さん、気持ちに整理をつけたかったからこの結果に満足してると言っていた。おそらく・・・・・本当に好きな人は他にいるんだと気付いたのだろうな」


険しい表情を浮かべる周人を振り返ることなくそう意味ありげ言い放ち、新城は職員室に戻っていった。残された周人は地面に落ちる灰に気付かないでただ呆然と立ちつくしていた。気持ちの整理、そして自分との約束。周人は由衣が本当に好きな人が自分で無いことを祈りつつ、タバコをもみ消して新城の後に続いて職員室に戻っていくのだった。


「まぁ、教え方には問題はない。奥田さんは来週の授業を見てみないとわからないが、おそらく大丈夫だろうと思うよ」

米澤のその言葉を聞きながら、3人は同時にうなずいた。生徒たちにわかりやすく授業を進めていった大木に関しては授業そのものには問題はなく、問題があるとすればその容姿からくる人気の低さだろう。だが、実際学校の教師とは違い、塾の講師としては教え方がよければそれでいいのだ。


「木戸君にはいろいろ迷惑をかけたが、どうやらこれで予定通り、今月いっぱいで向こうに専念してもらうことになった、ありがとう」


康男は大げさに両手をテーブルについて頭を下げた。


「本当にいろいろ世話になった・・・・いろいろありがとう」


そう言ってもう一度深々と頭を下げる康男に、周人もまた頭を下げた。最後の言葉が意味するところに由衣の事も入っていると悟った周人はちょっと不思議そうにしている新城を無視して笑顔を見せていた。


「今後は新城君に負担をかけてしまうが、よろしく頼んます」


そう言われた新城も軽く頭を下げた。4人は今後の塾の発展を願って再び乾杯をした。そうして小一時間ばかりで程良く酔いが回ってきた4人は何故か話の流れ的に恵の話題へと移行していった。というのも、康男が周人、新城、恵の3人のうちで誰か1人でもいいからこのまま残って就職し、経営を手伝って欲しいと提案を投げた事が発端であった。さらに出来ることなら美人な恵がいいという男性としての心理を暴露したこともあった。


「彼女目当ての生徒も多く入ってくれればいいし・・・・実際青山さんは人気が高いしね、いろいろと」


またも最後の言葉に別の意味を込めた康男に新城は気まずい顔をしたが、周人は平然とした様子でビールを飲んでいる。


「でも、やっさん、正直言って講師の中で一番人気があるのは誰なんだい?」


米澤のその言葉に腕組みをしながらしばらく考え込むようにしていた康男は難しい顔をしながらその質問に答えた。周人と新城も食い入る形で康男に注目している。


「男子生徒には青山さん、女子生徒には新城君・・・小学生には木戸君と、まぁ見事にはっきりわかれているが・・・総合的には・・・やっぱオレかな?」


胸を張ってそう言う康男を無視して3人は追加の注文を行った。


「最初から無視されるのはわかっていたけどね・・・・でも青山さんは、オレもファンだからね。だから青山さんということで」


康男はちびちびとビールを飲みながら少しいじけたようにそう言った。さすがに笑うしかない3人は皆一緒に吹き出すようにして笑った。


「でもうちの塾は生徒も講師も質が高いよ。青山さんに新人の奥田さんなんてモデルクラス、そのうえ新城君に木戸君も男前だ。さらに生徒では吾妻さんや小川さんなんかも将来有望だよ」


米澤は運ばれてきた焼きそばを拾い上げながらそう言った。康男もそれに賛同し、新城はうなずきながら焼き鳥を頬張る。周人のみがあまり興味がないといった風にずっと枝豆を食べていた。


「確かに、吾妻さんなんてとても15歳には見えないし、小川さんも隠れた美人だ」

「最近は吾妻さんも随分変わったし、将来的には芸能界にデビューなんてこともありうるかもな」


米澤と康男の会話を聞きながら、新城は横目で周人を見やった。普段と変わりない顔をしたまま焼きそばを食べているのみで、表情にも何ら変化はない。


「でも、なんでまたあんなに急に変わったんでしょうね?」


わざとそう話題を振った新城は由衣と周人の間にあった真実を康男ならば知っているとにらみ、そう質問を投げたのだ。だがやはり周人はさっきと同じく関心なさげに焼きそばを食べているのみだ。康男は少しの間何かを考えていたが、逆に新城に対して質問を投げかけた。


「それはそうと、今日は吾妻さんと何があったんだい?何かかなり真剣に話をしていたみたいだけど・・・でもバスの中でも帰る時でも吾妻さんはいつもと変わらなかったなぁ・・・」


やぶ蛇だったと後悔しながら、新たに注文したビールを口にしていかにうまく弁明するかを思案した。


「告白されたそうですよ」


焼きそばを終えて手羽先を頬張っていた周人が全く高揚の無い感じでさらりとそう言い切った。その言葉に新城は口にしていたビールを吹き出し、焼きそばの残りを食べていた康男と米澤はむせかえった。


「お前、誰がそんな報告をしろって言ったよ!」

「え?別に口止めされてないし・・・・いいんじゃない?断ったんだしさ」


何気なくさらに暴露を続ける周人を睨み付けるが、あとの祭りだった。米澤と康男はその話題に食いつき、生き生きとした輝く瞳で新城を見つめている。そんな2人を後目に周人は平然とビールを口にしていた。


「そうだったんだ・・・・やっぱ断ったか・・・・。いや、米澤さんは告白されたら受けると言っていたんだけど、オレは断ると思っていたね!」

「あの子は将来もっと美人になるから、付き合うんじゃないかって思ったんだけどなぁ・・・」


当の本人を無視して無責任に話を続ける2人を後目に、新城はそうなればと周人に対する復讐を開始した。


「でも、心の整理をつけるためだとかで別に普通でしたよ・・・実際、本当に好きな人が別にいるみたいですね」


新城はそう言うと意味ありげに横目で周人を見た。だが周人は追加で頼んだチューハイを飲んでいるのみでその視線を受けても何の反応も見せなかった。そこで新城はあることに気付いた。ここへ来てすでに1時間を超えているとはいえ、ビール中ジョッキ4杯、そして今飲んでいるチューハイである。いつもの周人にしてはかなりハイペースであり、なおかつ酔っているのかどうかわからないが目はどこか虚ろである。


「木戸君だ・・・・」


康男と米澤はにやけた顔で同時に周人を見やった。だがその視線を受けても尚、周人は平然とチューハイを飲み干している。


「木戸かどうかはわからないですけど、ここ最近の様子からしてオレもそうじゃないかと思うんですよね」


ようやく元の話題に戻す事ができた新城はホッとしながらも3人の様子をうかがった。だがやはりこの話題になると康男も米澤も間を置いて言葉を探るようにしている。これは必ず何かあると睨み、誘導尋問をかけようとした矢先、意外にも周人が口を開いた。


「まぁなぁ・・・・でも、あの子が変わったのは自分本来の姿を見つめ直すきっかけがあったからで、元々はああいった素直な子だったってことだろ・・・」


空になったチューハイのコップを見つめながらそう言う周人に、新城以外の2人は小学生の頃の素直な由衣を知っているだけに同意してうなずいた。だが、あれだけ嫌っていた周人に好意的になったそのきっかけが知りたい新城はそのまま周人に対して質問を浴びせることにした。


「でもなんでまた急に?しかもお前に対して態度を一変させたんだ?」

「ま、いろいろあってな・・・ひょんな事からあの子を変なやつらから助けてやったんだ。それから何があったか知らないが、素直にオレに謝ってきたってわけ、ただそれだけだ・・・心境の変化については知らねぇよ」


康男は核心に触れながらもうまく話をかわした周人に感心しながら、チラッと新城を見やった。だいたいの真相を知ることができた新城にとって、その答えは満足がいくものであった。しかもここは酒の席。この話は普段では厳禁であることは十分に承知している。


「酒の席の話だし、これ以上は聞かないし、誰にも言わない。だから聞かせて欲しい。もし、あの子に告白されたら、どうする?」


3人はただ黙って周人の返答を待った。長いようで短い沈黙が流れた後、周人は顔を上げて3人を見渡すと、口の端に笑みを浮かべた。


「お前と同じだ、断るよ・・・・今は誰とも付き合う気はない」


その言葉に新城は納得したようにうなずき、米澤は薄い笑みを浮かべた。そして康男は落胆した表情を浮かべたがすぐにビールを口にして表情を変えるのだった。誰とも付き合う気がないという周人の言葉から、恵の想いが伝わらないであろう事に少し心が痛んだが、自分にチャンスがまだあるという事に喜ばしいと思う複雑な心境を同じようにビールを口にして自分自身をごまかす新城だった。


かなり酔った新城と周人は、今日の所は康男の家に泊まることになった。酔っているため、湯船には浸からず簡単にシャワーをした後、客室として設けられている6畳ほどの和室に2組の布団が敷かれた状態で横になった。酒に弱い新城は酔いのせいですぐに眠りについたが、周人はいつもよりも酔っているにもかかわらず何故か眠くならなかったため、表に出てさっき買っておいた新しいタバコの封を開けて1本取り出すと火をつけた。薄い雲が月の周囲にあるのみで、星が綺麗に輝いている。9月半ばとはいえまだまだ暑い夜だったが、真夏に比べれば随分過ごしやすくなっている。ぼんやり月の浮かぶ空を眺めていた周人の横に、草履の音を響かせて康男がやって来た。裏口からやって来たようでパジャマ姿であった。


「隣、いいかな?」


同じく玄関先に座りながらそう言う康男にうなずくだけの周人はチラッとだけ視線を向けた。


「新城君は夢の中かい?」

「ええ、デカイいびきで寝てますよ」


周人は少し笑いを含んだ声でそう言いながら月を見上げる。対照的に康男は玄関前の砂利道をぼんやりと眺めていた。時刻はすでに午前1時半になっている。澄んだ空気が風を運び、蒸し暑い夜にささやかながらの癒しをもたらす。


「まさかこんなに早く吾妻さんが告白するなんて、正直驚いた」


康男はそうつぶやいたが、実際には告白するのは新城にではなく周人の方にだろうと思っていたという事は表現しなかった。


「でも、あのあっけらかんとした様子からして、本人が言ったように気持ちの整理をつけるためだったのかもしれんな。フラれること、相手にされていない事はわかっていたわけだからね」


康男は無言のままタバコを差し出した周人に礼を言うと、一本拝借し、火を点けてもらった。満足そうに煙を揺らしながら今度は空を見上げる。


「もし、本当に君に告白してきたら、さっき言っていたように断るのかい?」


視線を周人に移しながらそう問いかける康男に対し、顔を下げて目も伏せた周人はしばらく黙り込んでしまった。康男は何も言わずにただ返事を待った。そしてしばらくして、ゆっくりと周人がその本音を口にし始めた。


「正直、あの子が『恵里』に見えることが度々あるんです・・・多分、あの事件があったせいでしょうけどね・・・全然、似てないのに・・・」


康男はタバコを手に持ち、うなずいた。今この塾で『恵里』と周人の事を知っているのは康男と米澤以外にはいない。いや、この桜町にすら数人しかいないのだ。そして『恵里』という少女をよく知っている康男にとって、それがどれだけ周人の心の中で大きな存在となっているかも知っている。それだけに、由衣が『恵里』に似ていないという言葉にもうなずくことが出来た。


「でも、実際、どちらかといえば性格的には小川さんが近いくらいですしね」

「・・・そうだな、彼女は大人しい子だったからね・・・」


よくしゃべるものの、どちらかといえば活発的ではなかった『恵里』を思い出しながら、康男は悲しげな微笑をともなってそう答えた。持っている雰囲気は確かに由衣に似ている。だが性格や容姿は似ても似つかないのだ。


「今、正直、吾妻さんが気になりだしています。でもそれが恵里を重ねているのかどうかもわからない。それに・・・・オレが心の中で求めているのは、『恵里の代わり』なのかもしれない。それが間違いなのはわかっているんですけどね・・・・」


酔いのせいか、はたまた気の知れた康男だからか、周人は正直に自分の胸の内を吐きだした。


「だから、付き合えないし、誰も好きにはなれない・・・」


康男はその言葉にただうなずく事しかできなかった。風が2人の髪を優しく撫でていく。しばらくその場で言葉もなく座っていた2人が家の中に消えたのは、午前2時を過ぎたあたりであった。


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