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くもりのち、はれ  作者: 夏みかん
第四章
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心の裏側(5)

周人が西校を受け持つのもあと2回と迫った週の日曜日、自宅に思いがけない電話が鳴り響いた。相手はあの千早兄弟の弟、赤い髪の芳樹であった。電話帳に番号を載せていない周人の家の電話番号をどうやって調べたのかはわからない。だが、その電話を取った周人の表情から芳樹からもたらされた話がただごとではない事を物語っていた。言葉少なげに電話を切り、戸締まりもそこそこに駐車場に向かうと芳樹に指定された場所へと車を飛ばした。15分ほど走った河川敷の砂利道に明らかに改造車とわかる赤いオープンカーが派手な音楽を大音量で鳴らしながら止まっている。周人はその車の後ろに自分の車を止めるとオープンカーの運転席に向かった。砂利を踏みしめながら近づく周人に気付いたのか、助手席の男が音を小さくして運転席の横に立った周人を睨むようにしながら見上げた。そのニット帽にアゴひげの男を一瞬見つめ、すぐに運転席の芳樹に目をやった。相変わらず短く刈り込んだ髪は赤く、この暑いのに大きく胸が開いた皮のジャケットを着込んでいる。


「連絡のあった事は本当か?」


周人はこの間とうって変わった凄みのある声でそう問いかける。芳樹は真剣な目をしたまま1枚の写真を取り出して周人に手渡した。それを見た周人の表情がみるみる険しくなっていった。その写真には、全裸で両手を鎖で繋がれた少女の姿が写っていた。その少女は顔を少し腫らしているが、間違いなくあの亜佐美である事がわかる。大きくため息をついた周人は写真を投げるようにして芳樹に返すと、腰に手をやって困った表情を浮かべた。


「昨日、ウチの者が持ってきたんです・・・2ヶ月ほど前にウチのチームを抜けた浅田ってヤツから貰ったと。ビデオもあるとか言ってました」

「・・・で、なんでオレに?」

「以前あなたが浅田とやり合ってるのをウチの者がたまたま見ていたんです。その状況から・・・・」

「なるほど・・・で、この写真はいつ撮られたもんだ?」

「昨日です。監禁されている場所は、話からここだと」


そう言うと、芳樹は用意してあったこの桜町近辺の地図に印を入れた。そこは郊外にあるすでに破棄された廃工場であり、芳樹のチームと敵対する暴走族のたまり場となっている事でも有名であった。


「俺たちが手を出すと、そいつらと大きな戦争になるんですが・・・・この際、手を貸しますよ」

「いや、いらない」


そう言うと周人はあっさり踵を返した。さすがにその態度に苛立ちを募らせた助手席の男は車から飛び下りると周人を呼び止めた。


「あんた、何様だか知らねーけど、ウチの頭にその態度は何?」


その言葉に、周人は睨むようにして振り返る。そこから発せられる微弱な鬼気に男は気付いていない。芳樹はゆっくりと車から降りると、男を制して周人に頭を下げた。


「相手はおそらく30人程度、皆かなり強いです・・・気をつけてください」


その言葉を聞いてもなお背中を向けると、早々と乗り込んだ車をUターンさせて勢いよく走らせた。あっという間に見えなくなった車を睨むようにしていた男の肩に、芳樹はポンと手を置いた。


「どうやら、これで敵が1つなくなるだろう・・・・・さて、じゃぁ俺たちも行くぞ」


そう言って運転席に乗り込む芳樹に対し、男は明らかに不快を表す表情をしながらもそれに従って助手席に座った。芳樹はタイヤを軋ます音を響かせながら豪快に車をUターンさせると、ゆっくりと車を前に進める。


「あいつ、そんなに強いんですか?」


男はまだ不貞腐れたようにそう言う。芳樹はチームに入ってかなり長いこの男ですら周人を知らない事に苦笑しながら、それも仕方が無いことだと自分に言い聞かせた。


「行けばわかるさ・・・」


芳樹は轟音を立てて進む車を快調に運転しながら廃工場を目指して速度を上げていくのだった。


朝送られてきた写真を見た恵はただただ震える事しかできなかった。突然家にやってきた金髪の男から渡された写真には無惨な姿にされた昨日から帰っていない妹の姿が写っていたのだ。幸いというべきか、両親は朝早くから外出しており、今はいない。金髪の男は妹を引き取りに来て欲しいと言い、おそらく目を覆うような内容が記録されているであろうDVDをちらつかせた。そのDVD自体を見ることすらできない恵は自分の身すら危険にさらされるのを承知の上で男についていった。家の前に止められた車には誰も乗っていないことから、男が1人で来たことがうかがい知れた。そして男の目的が妹の解放という名目で自分も同じ目に遭わせようとしている事もわかっていたのだが、来なければDVDと写真をバラまくと脅され、震える体をおして車に乗り込んだ。男は轟音を立てて車を走らせると、運転中ずっと恵の太股に手を当ててさするようにしていた。だが何故かそれ以上は何もせず、時たま下卑た笑みを浮かべて恵を見やるのみであった。その目的も、何故亜佐美がこういった目にあっているのかも説明がないまま郊外にある古びた、今はもう使われていないいかにも不良たちのたまり場という風な廃工場へとたどり着いた。男は大きな鉄の扉の前にある数台の車の横に車を止めると恵に下りるよう命じた。恐怖から震える体をなんとか奮い立たせ、自力で車から降りる。男はそんな恵を抱き寄せるようにして胸に手をやろうとした。体を硬直させることしかできない恵はより一層震えながら胸を守るように手をやるのが精一杯だった。だが、次の瞬間、男は突然白目を剥いて倒れ込んでしまった。倒れる男をただ怯えた目で見るしかない恵は目の前に立っているジーンズ姿の男に目をやり、歓喜の涙を流した。そこに立っていたのは周人であり、どうやら男を倒したのも彼であるらしかった。どうして周人がここにいるのかはわからないが、この状況から男の一味ではないことは明らかである。顔をくしゃくしゃにしながら周人に抱きつき、全身を震わせながら嗚咽を漏らす恵をそっと優しく抱きしめるとそのまま廃工場の周りを囲む崩れかけた壁の窪みに置いてある自分の車の所まで連れて行った。そのまま恵を助手席に乗せると、何もせずにここで待つようにとだけ告げた。いろいろな疑問が頭をよぎったが、今は周人の言うことに従うと決めて黙ってうなずいた。それを見た周人は笑顔を見せてドアを閉めると車を言葉でロックした。そしてそのままさっきの扉の方に向かっていくのだった。


錆びた鉄が軋む音を響かせながらゆっくりと左右に扉が開いていった。その音に薄暗い中にいた男たちが一斉にドアの方を向く。薄暗いというかもはや暗いといえるその空間、壊れた窓から漏れる光は倉庫とおぼしきその空間全てを照らすことは出来ていない。開かれた扉から一筋の光が広がり、その中心に黒い人影が存在していることが確認できる。だが皆が待っていた男はそこにはおらず、ましてや連れてくるはずの新たな女もいない。Tシャツにジーンズ姿の優男がゆっくりと前に進んでくるのみであった。中にはいかつい容姿をした男たちがざっと見ただけで20名はいるだろう。皆奇妙な服装と髪型をし、手にはナイフや鉄パイプが握られていた。中には上半身が裸の者や、下着だけの男、さらには全裸の男までいる。周人は男たちを見渡し、その一番奥にある黒い檻に目を留めた。どこから持ってきたのか、猛獣ショーなどでよく見られるその檻の中では天上から両手を鎖で繋がれた全裸の少女、亜佐美が弱々しい目で周人を見ていた。と、その檻にもたれるようにようにしているあの時駐車場で亜佐美をさらおうとした長髪の男がゆっくりと立ち上がる。浅田と言われたその男の脇にはこの間駐車場で周人がのした2人組の姿も見えた。


「なるほど、ねーちゃんをさらいに行ってあんたが来たってわけか?ちょうどいいや・・・・あんたには死んで貰おうと思っていたから・・・」


浅田はニヤついた笑いを含みながら大げさな動作でそう高らかに吠えた。だが周人は全く意に介さず、それを無視して黙ったまま檻の方へと近づいていく。座っていた数人の男たちがそれを取り囲み、周人の行く手をさえぎった。


「あんた、『なりきり魔獣』だろ?」


浅田は笑いながらそう言い、周囲の男たちも数名笑い声をあげた。


「3年前、圧倒的強さでヤンキー狩りをしていた魔獣には頬に傷がある。だから、それを真似るヤツも多かった。あんたのように。魔獣の傷は右頬だ。だが、噂では左頬。だから左頬に自分で傷を入れて魔獣を名乗るヤツも出た。そういう勘違いなヤツをなりきり魔獣って言うんだよ」


言い終わってゲラゲラと笑う。


「お前は魔獣に会ったのか?」


目で男たちをけん制しつつ周人がそうたずねる。


「ないよ。でも、俺の尊敬する人が会った。その人は右頬に傷がある男に負けたんだ。本物の魔獣に」

「そうか、ま、いい・・・・・死にたいヤツはかかってこい」


一旦立ち止まった周人はそう言うと再び檻に向かって歩み始めた。それを見た2人の男が左右からナイフを突き出す。だが、周人はその2つのナイフを腕ごとほぼ左右同時に蹴り上げるとそのまま2人に肘打ちと正拳を叩き込んだ。倒れ込む男たちの顔面をさらに蹴り上げると、2人の男は上体を跳ね上げるようにして地面に倒れ込んだままビクビクと体を痙攣させた。


「今日はちょっと虫の居所が悪い、悪いけど手加減なしだ」


そう怒りに満ちた顔と口調で言うと次々と襲いかかってくる男たちに向かっていった。


ついさっきまで大音量を流していたカーステレオの音を完全に消し、低いエンジン音のみを響かせたオープンカーが1台、周人の車の横に止まった。正面の入り口である鉄扉から死角になるその場所に止め、エンジンを切る。と、正面の方にバイクが数台止まる音が聞こえてきた。どうやらその車とは逆方向からやってきたようで、今止まったこの車の存在には全く気付いていないようだった。周人の車の中から心配そうに横付けされた赤いオープンカーを見ていた恵は、下りてきた赤い髪の男を見て震え上がり、両足を抱え込むようにして身を固まらせた。だが、意外にも男は恵を見て人なつっこい笑みを漏らすと、何やら助手席にいる男に様子を探ってこいといったゼスチャーを見せていた。助手席を降りた男は一旦恵の方を見た後、身をかがませて廃工場の正面へと向かって行いった。その様子を見やった赤い髪の男は周囲を見渡すようにした後、恵に待てという風に手の平を向ける。状況がよく飲み込めない恵はとりあえずうなずくと、震える体を抱きしめるようにしてただ周人が早く戻ってくるのを願って待った。赤い髪の男がさっき周人がやっつけた男とは違うことがわかったせいか、少しだけだが落ち着きを取り戻しつつあったが、それでも震える体を押さえることは出来なかった。


周人がいなくなって30分ほどが過ぎた頃、恵の横で2人の男が何かを話し始めた。すると赤い髪の男が車の中にいる恵に聞こえるように、窓越しに大声を発した。


「もういいぞ、出てこい!」


赤い髪の男を残してもう1人の男が正面に駆けていった。それを見た恵は意を決し、ロックを解除してドアを開いた。強引に連れ出されるのを覚悟していた恵は、予想に反して丁寧にドアを開けてくれた赤い髪の男の態度に戸惑った。恵の背中に触れることなく手を回し、少し前に進める仕草も心なしか丁寧である。周人の車のドアを閉めた男は立ったまま今の状況を説明し始めた。


「あんたの妹は無事だが・・・まぁ、無事とは言い難いたいか・・・けど、とにかく助かった。木戸周人を知ってるな?あの人が全部片づけてくれた、彼に感謝するんだな」


知らず知らずのうちにこぼれる涙を拭いもせずに、ただうなずくだけの恵に芳樹はさらに言葉を続けた。


「今回の事は妹さんの元彼氏が仕組んだんだ。写真とビデオは俺たちが責任を持って処理する。必ず約束する。木戸さんの意志でもあるしな」


芳樹のその言葉を信じるしかない恵は再度うなずき、芳樹にうながされてゆっくりと工場の正面の方へと移動していった。心臓が痛いくらいに大きくうずき、息も苦しくなる。そして半分開かれた鉄扉をくぐった恵が目にしたものは想像を絶する凄まじいまでの光景であった。そこに倒れている男の数は軽く2、30人はいるだろう。何人かはうめき声を漏らしているが、ほとんどの人間がピクリとも動かないで倒れ込んでいる。しかも皆顔から血を流し、足や手があり得ない方向に曲げられている者が大半である。土と埃にまみれ、男たちが血を垂れ流すその光景はまさに地獄絵図である。全裸で痣だらけの者や腕を逆に曲げた状態で白目を剥く男たちを見やる恵は膝がガクガク震えるのを堪えるのが精一杯だった。そして奥にある黒い檻に目をやった恵は芳樹に背中を押され、膝が震えるせいかかなりゆっくりとそこへと向かう。倒れ込む男たちを避けてゆっくり進む恵の目に飛び込んできたのは、古びた毛布にくるまれて周人の腕の中で震えている妹の姿であった。顔にはいくつも青い痣が出来、所々少し腫れ上がっていた。毛布から見える膝から下もすりむいて血を流していることから、おそらく全身も同じ事になっている可能性が高いと思えた。もはや言葉もなくただ見下ろすだけの恵を見上げた周人は口から少し血を流した痕が見えるのみの怪我だったが、その口元には笑みを浮かべていた。


「少々痛々しいけど、命に別状はなさそうだ。発見が早くてな、この2人にも感謝してくれ」


そう言うと、弱々しい顔をしている亜佐美を抱きかかえて立ち上がった。よく見れば周人のTシャツはボロボロで、腕からも少し血が流れている。それでもしっかりした足取りで扉をくぐると、そのまま車の方へと移動した。芳樹は男に扉を閉めるよう指示すると周人と恵から距離を開けてその後に続いた。車の前まで来た周人は片手で亜佐美を抱いたまま器用に助手席のシートを倒して後部座席に亜佐美をそっと横たえた。そのまますぐにシートを元に戻すと、やって来た芳樹に向き直った。


「後の処理は任せていいかな?オレはこれから滝先生の所に行ってくる。彼女の手当と、妊娠とかの事もあるしな」


妊娠という言葉に身を固まらせた恵だったが、それも仕方のないことと自分に言い聞かせた。全身の震えは幾分収まってはいるものの、やはりまだ恐怖心が胸を締め付ける。無惨な姿となった妹や、周人の怪我の具合、そして倒れる大勢の男たち。一度にこれだけのショックは今までに経験したこともなかった。


「浅田をシメてビデオと写真は全て回収します。まぁ、死にかけてますけどね・・・とにかく、チームの名に賭けて必ず約束します」


芳樹はそう言うと、スマホを取りだしてどこかへ連絡し始めた。周人は恵に車に乗るようにうながすと、連れの男に伝言を頼んだ。


「いくら遅くなってもいいからその後の報告を必ずくれと、芳樹にそう言っておいてくれ」


言いながら車に乗り込む周人にわかりましたと姿勢を正して返事をする男は、初めて顔を合わせた時とは違いやや緊張した様子で直立した。周人は手を挙げて電話をしている芳樹に軽く挨拶すると車を走らせた。連れの男はそれを見送ると、電話を切った芳樹に詰め寄った。


「あの人、何者なんです?」


走り去っていく車を見ながらそう問いかける男は同じく車を見送っている芳樹の横へと立った。


「かつて『魔獣』と呼ばれた人だ・・・・伝説にして最強の男。けど、少しは弱くなったんじゃないかと思っていたんだが・・・・やっぱ強いな」


感心したようにそう言いながらも、最後の言葉だけには力がこもっていた。ミレニアムに属している者なら知らぬ者はいない『魔獣』という人物の名を聞いた男は唾を飲み込むと、さっき見た凄まじい光景を思い出していた。簡単に見ただけだが、ざっと30人の男たちが皆重傷で今でも横たわっているのだ。特に今回の事件の首謀者の浅田の状態はざっとみただけでも両手両足の骨折に加えて鼻もありえない方向に曲がって顔自体も腫れ上がっているほどの重傷だ。そしてその傷を負わせた本人の傷はそう大したことはなさそうなのである。ミレニアムの敵として、浅田のチームと組織的抗争になれば勝てると言っていた芳樹の言葉を思い出す男は、これを見た目からして弱そうな男がたった1人で、しかも短時間で叩きつぶしたという事実に戦慄を覚えた。武器を手にした男たちを相手に、わずかな時間でそれに致命傷を負わせた腕前からして1対1での戦いならおそらくは負けはしないだろう。まさに伝説をまざまざと見せつけられた男がすでに見えなくなった周人の車が走り去った後をじっと見ているのを見た芳樹は2度ほど肩を叩き、正面の扉の方に歩き始めた。


「今度やれば勝てると思ってたんだけどな・・・・甘いか・・・・」


そう苦笑を混じらせたつぶやきを漏らす芳樹に、男は少し興奮した口調で返事を返す。


「芳樹さんなら勝てますよ!」


その言葉に目を伏せ、薄い笑いを浮かべた芳樹は扉を人が1人通れる程度に開くと外から中の様子を見た。薄暗いとはいえ、何人かがうごめくように身体を動かしているのがわかるが、それでも大半はまだ全く動けないでいるようだった。ゾクリとしたものが背中を走るのを感じる。


「怒らせなければ、本気にさせなければ、勝てるかもしれないけどな」


それでは意味がないと思いつつ少し身震いしながらそう言う芳樹に、うなずくことしかできない男はもう1度大きく唾を飲み込みながらその光景を目に焼き付けるのだった。


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