見えない気持ち(4)
急に授業が入れ替わり、久しぶりに由衣たち三年生を担当した新城を除いた恵と周人はさっさと帰り支度を整えていた。夕方の小学生をみた2人にとって今日のアルバイトはもう終わりなのだ。8月中旬現在、盆休み前とあって康男は授業を少し入れ替えて修正をしたのだ。腕の怪我も随分良くなった周人はバイクによる通勤に戻している。暑い日差しも幾分和らぐこの夕方から夜にかけては風が心地良かった。黒い小さめのリュックを背負い、バイクのキーを取り出しながら、周人は同じようにバッグに荷物をつめている恵を見やった。今日の恵はどこか落ち着きが無く、そわそわした様子が多く見られた。そのせいかはわからないがいつものような会話もほとんどなくなっている。その妙な雰囲気を感じながらもあえて何も言わない周人は先に部屋を出ようとドアに向かった。もう少しすれば康男がやってくるため、戸締まりの必要はない。近くのバス停からバスに乗って電車の駅に向かう事にしている恵に後を任せようと思ったのだ。だが、ドアに手をかけようとした矢先、急に恵に声をかけられて少し驚いた周人は掴みかけたドアノブを空振りさせてしまった。それも結構大きな声だったために変な雰囲気と相まって余計に周人を驚かせたのだ。振り向いたそこには声の主である恵が立っており、やや俯きがちに周人を見ている。やはり落ち着きがなく、妙にそわそわした様子がありありと見て取れるほどであった。
「あのさ・・・・今月中なら半額になるディナーチケットを貰ったんだけど・・・よかったらどうかな?」
少し聞き取りにくい部分もあったが言いたいことは十分に伝わった。だが周人が口を開く前に恵はさらに言葉を続けた。
「いや、その、イヤなら言ってね・・・他の人が都合つかないようなんで、木戸クンどうかなぁって・・・でも、暇そうだからとか思ったわけじゃないのよ?」
まるでたたみかけるように早口でそうまくしたてると、顔を紅潮させながら何故か息を切らすように肩を上下させた。どうやらこれが今日の違和感の原因かと悟った周人は苦笑気味な笑みを浮かべて恵を見た。
「今月中か・・・・いいよ。都合のいい日教えて?なんなら電話くれればいいから。予定はいつでも空いてるよ、暇だからさ」
嫌味のない笑顔でそう言われた恵はホッと胸を撫で下ろした。この事を聞くために今日は塾に来てからずっと緊張しっぱなしで落ち着かなかったのだった。その理由はもし断られたらという気持ちが常にまとわりついていたためだ。
「じゃぁ、今週中には連絡するわね、じゃぁ、よろしくね」
すっかり安心し、落ち着いた恵は嬉しそうにそう言うとはにかむような笑顔を向けて手を振った。周人もまた手を挙げてばいばいと言うと、そのまま振り返ることなく外へと出ていった。もはや飛び上がりそうな気持ちを押さえて喜びを噛みしめている恵は入れ替わりに入ってきた康男にも気付かずににんまりした顔でガッツポーズを取っていた。
「どうした?」
その声にハッと我に返った恵は今のやりとりを聞かれていたのではと顔を真っ赤にしたが、平静を装って何でもないですと答えて部屋を出た。康男は周人との間で何か進展があったなと感じながらもそっとしておこうと誓い、すぐに自分の席に向かうのだった。
盆休みが明けた最初の水曜日、周人と恵、新城は久々の顔合わせに職員室で和やかに談話をしていた。19時からは周人は中学三年生、新城は中学二年生をそれぞれ通常通り担当する。恵はもうすでに夕方の小学生の授業を終えているためにあとは帰るのみであった。そうこうしているとそろそろ時間が迫り、先程バスが着いたのはわかっているため生徒たちはすでに教室に揃っているはずだ。先に新城が上に向かい、それに続こうと周人が外へ出ようと靴に履き替えた時、恵がここぞとばかりに声をかけた。
「あの・・・・28日の夜7時、でいいかな?」
一瞬何のことかわからなかったがすぐさま理解し、いいよと返事を返した。だが、外で今の会話を新城が聞いていなかったかどうかが気になった周人はそれ以上何も言えずに黙り込んでしまった。もしバレればそれこそ殺されかねない。周人は今更ながらその相手に新城を推薦してやればよかったと少し思っていたが、これはこれで招待を受けようと心に決めた。どうせならこういった話は外部に情報が漏れにくい電話でのやりとりが望ましかったのだが、肝心の恵が新城の気持ちに全く気付いてないのでは仕方がないと妥協していたのだった。もっとも、周人も恵の気持ちに気付いていないのだが。
「待ち合わせとか、また電話するよ。ほんじゃ気を付けてな」
「うん、よろしくね!バイバイ」
照れた笑顔で見送られながら外へ出る。幸い新城はもう教室に入ったらしく、階段に人はいなかった。ホッと胸を撫で下ろしながら階段を上がり3階へと向かう。由衣たちの授業は2週間ぶりになるためにちょっと緊張しながらも教室に入った。結局元通りの髪型にしているために女子生徒から騒がれることはなかったが、あの一件から皆授業を真面目に受けるようになっていた。由衣ももちろん怖いぐらいに大人しい。周人の授業に真剣に耳を貸すようになったのはあの事件以来であるが、それでも由衣の変わり様は評価できるものであった。授業が終われば、バスを待っている間はいつも通り新城にべったりではあるが、最近は新城の近くにいる周人ともそれなりに会話をするようになっていた。やりやすくなった教室の雰囲気を壊さぬよう、慎重に授業を進める周人はこのバイトに対する愛着を感じながらもカムイに対する気持ちに揺れているのだった。
良い雰囲気で授業を終えた周人はバスを待つ生徒を見やりながら階段に腰掛け、ゆったりとタバコをふかせていた。相変わらず新城の人気は高く、三年生のみならず二年生の女子にも囲まれていた。そんな光景を別にうらやむ様子もなくぼんやり見やる周人の横に、手すり越しに由衣が話しかけてきた。めずらしく新城のそばに行かない由衣をらしくないと思いながらも彼女を見やる。そんじょそこらのアイドルに負けないその容姿は15歳には見えない程大人びた顔であり、ジッと自分を見つめてくるその視線を受けたならまず普通の男であれば多少なりとも気になってしまうところだ。周人だからこそ何も感じずにその視線を受け止められると言えよう。
「何だよ?」
半分笑いながらそう言う周人に、由衣はフンと鼻を鳴らしてそっぽを向いてみせた。
「あの髪型、カッコ良かったのにさ・・・」
そう言いながら腰の後ろに手をやって手すりにもたれる態勢を取った。階段に座る周人からは由衣の後ろ姿しか見えず、どういう表情でそう言ったかはわからない。あの日以来周人はあの髪型をしていなかった。
「ま、オレがあの髪型にすると新城の人気が落ちるからな。遠慮してるのさ」
そう冗談を口にしながら煙を揺らす。つっかかって来ると思いそう言った周人だが、返ってきた答えが意外だったために目を丸くする結果となった。
「・・・そうね、そう思うよ」
「はは・・・冗談うまいな・・・・」
「本気だとしたら?」
顔だけを向けて自分を見つめながらそう言う由衣を見ることなく、視線はずっと新城に向けている。遠くを見やるような物静かな表情に、何故か由衣の胸が高鳴った。そんな自分を否定するかのように怒ったような顔をしながらプイッと周人から顔を背けた。一人で怒った感じの由衣を横目にとらえた周人は小さな笑みを浮かべる。
「オレに惚れたか?」
サラッとそう言われた由衣だが、何故かますますドキッとしてしまった。
「なっ!んなわけないじゃん!バッカじゃないのぉ?」
自分に顔を向けながら明らかに動揺してそう言い放つ由衣に苦笑を漏らす周人はタバコをくわえたままおもむろに立ち上がった。ポケットから取り出した携帯の灰皿にたばこもみ消して捨てると、大きな背伸びをする。そんな周人を見上げる由衣はいまだにドキドキしている胸を落ち着かせようと新城の方を見やった。
「わかってるよ、冗談だ」
周人は笑いながらそう言うと、ポケットに手を突っ込んで階段を飛ぶようにしながら下りると星のまたたく夜空を見上げた。月の輝きを見て小さな笑みを浮かべたのも一瞬だった。頬の傷が何故か疼く。その意味を否定し、別のことを考えたのは『彼女』に対する罪悪感からか。今日もまた熱帯夜だろう。そんな周人を後ろからバスのライトが照らし出した。冗談と言われてどこか寂しさを感じた由衣はその感情を真っ向から否定し、周人を睨むようにした。
「腕の怪我・・・もういいの?」
早く乗れという合図か、クラクションを鳴らすバスの音と由衣の言葉が重なったが、周人はちゃんとその言葉を聞いていた。
「治った」
素っ気なくそう言うと、怪我をしている右手で由衣の背中をバンと叩いた。ちょっと前につんのめりながらも周人を睨む由衣の口元はその目つきとは裏腹にほころんでいた。
「じゃぁな、襲われないよう気を付けて帰れよ」
周人はそう言うと怪我をしていた右手を挙げて見送った。それを見た由衣は2、3歩進んで立ち止まると周人を振り返った。まだバスに乗り込んでいない生徒は由衣を含めてもうわずかしかいない。
「そん時はまた助けてもらうから!」
由衣は笑顔をたたえながらそう言うと大きく手を振ってバスに乗り込んだ。そんな由衣を見てやれやれといった表情を浮かべながらも手を振ってそれに応えた周人はそのまま見送りをしている新城の横に立った。
「いやに仲が良いじゃないか?」
「まぁ、な。和解したからこんなもんだろ」
周人は軽くそう答えながら角を曲がって大通りに出ていくバスを見送った。と、新城が二本指を立てて周人に差し出すと、それをクイクイと2、3度前後に揺らす。周人はイヤな顔を見せながらもポケットからたばこの箱を取り出し、それを揺するようにして1本飛び出させるとその箱を新城に差し出した。新城は相撲取りのように手刀を切って礼をするとそれを取ってくわえる。周人は使い捨てライターでたばこに火を点けてやるとそのまま職員室に向かった。
「こいつは貸しだからな?」
「今度ちゃんと返すよ」
顔を見合わせる事なく親友同士のような会話を交わし、その場に残る新城と職員室に向かう周人は二手に別れるのだった。
「最近木戸といやに親しいじゃん?」
由衣が座る背もたれの上にアゴを付きながら御堂あやが見下ろしていた。茶髪をパーマし、肌も黒いあやは今時のイケイケ少女の典型だった。塾に来ているのも学校よりは楽しいからという理由であり、だからといってちゃんと来ているかと言えばそうではなく、滅多に来ることがないほどであった。親も放任主義らしい。
「話はするけど、嫌味言ってるだけだよ」
「そりゃ新城先生の方がいいに決まってるもんねぇ?木戸はさ、なんか頼りなさそうだしぃ、危なそうだしぃ~」
「危ないって?」
由衣はあやを見上げるようにして上を振り仰ぐ。今日は用事でお休みの美佐がいないせいか、横に座ってる島田聡子もまた同じよう見上げながらあやを見やった。
「2人きりになると襲われそうじゃん?で、逆に私とかが誰かに襲われたりしたらさ、さっさと金でも渡して自分だけ逃げ出しそうだしぃ」
そのあやの発言に聡子も笑いながら同意してうなずいた。大声で笑いあう2人を見ながら由衣はわかってないなと心の中でつぶやいた。実際周人の家で2人きりになったが、襲われそうという危機感は全く感じなかった。それどころか逆に安心してしまったほどだ。それに圧倒的な強さを誇る周人も知っている由衣にとってはその2人が周人をバカにしあう光景は滑稽でしかない。だがついこの間まで自分も同じようにそうやってバカにしていた事を思い出した由衣は今まで自分が何も知らなかった事をあらためて認識させられた。あの事件が無ければいまだに同じようにバカにして笑いあっていただろう。
「その点新城先生はかっこいいしぃ、絶対強いだろうし、何よりカッコイイから!最高だね!」
「そうだね」
由衣は感情のこもらぬ声でそう答えるだけで本当の周人はこうなんだとは言わなかった。それを知っている人間が自分だけだという優越感に浸っていたかったからだ。たしかに新城は格好が良い、腕っぷしも強いかもしれない。だがあれだけの強さを見せつけられたあとではそこまで強くはないと思えてならないのだ。それに本当は新城にも劣らない容姿をしている事も知っている。
『オレに惚れたか?』
急にさっき言われた言葉が頭をよぎる。首を大きく左右に振ってそれをうち消すと、頭の中から周人のイメージをかき消した。
「んなわけないじゃん」
小さくそうつぶやく由衣だが、冷静に考えてふと思い当たった。最近妙に周人をイメージする事が多い。新城と話もするのだが、時たま1人でいる周人に対して妙に近づきたくなってしまうのだ。それが何故だかはわからない。現に今日、気付いていた時にはもうそうしていたのだ。
「でもあいつ、秋にはいなくなるらしいじゃん。やっとかよって感じだよねぇ~。別に今すぐでもいいんだけど」
聡子のその言葉に、由衣もまたうなずいた。だが、心の奥底で何かがチクチク痛むのを感じる。
「って事はもうこっちにはこなくなるわけ?」
「でしょ?これで新城先生にベッタリだね!」
由衣は2人の言葉にうなずいたものの、どこかすっきりしないものを感じていた。また以前のように週2回新城に受け持ってもらえるのは嬉しいのだが、周人がいなくなると思うと何故か寂しさを感じてしまうのだった。




