見えない気持ち(3)
輝く白いボディーが夏の日差しを反射しながら高速道路を疾走している。そのまばゆいまでに輝く周人のマシンはそこそこ空いている走行車線に変更しながら快適に走行を続けていた。周りの景色は田畑が広がる田園地帯だが、行く先には小高い丘の上に大きな工場のような白い建物が確認できる。周人が目指すその工場に向かうためには2キロ先の高速の出口を下りてガラガラの一般道路をひたすらにまっすぐに進んで行けばいいのだ。その建物に到着すれば、目の前にある黒い大きな門はまるで軍事基地のような重々しさを持ち、周囲を高い壁で囲んでいる。それはまるで工場の中に入る者を拒むかのようにそびえ立っているようだ。門の内側のすぐ横にある警備事務所の中から紺色の制服に身を包んだひげ面の中年男性が姿を見せる。この暑い最中にあってもキチッとした服装に帽子といった出で立ちは見ている者にさらに暑さを倍増させる格好だ。窓を開けて身分証明書を見せた周人はそれを確認して門を開ける警備員にミネラルウォーターの缶を投げ渡した。
「小倉さん、お疲れさまです!」
その言葉にひげ面の男、小倉がパソコンを操作すれば機械仕掛けの門が開ききり、車1台がゆうに通れる隙間が出来上がった。缶を受け取った小倉は口ひげを吊り上げるように笑みを浮かべると、それをかざすようにして周人に見せた。
「すまんなぁ、助かるよ。お前さんこそ暑い中ご苦労さん」
通りすがりに手を挙げてそれに応えた周人は笑顔で小倉に頭を下げた。小倉は周人の車が入ったのを確認すると事務所に戻り、ドアを閉めるスイッチを押した後、内線電話でどこかの部署に周人が来たことを告げるのだった。時速30キロほどのスピードでゆっくりと走る周人の両脇は芝生が敷き詰められた庭のようであった。あちこちにまばらに工場の建物があるのだが、敷地自体はかなり広い。周人が向かった施設は一番奥にあった。そこは車の工場のようになっており、パッと見た目は町工場とさほどかわらぬ建物となっている。ただ、町工場とは違う点はその規模の大きさと設備の凄さだ。シャッターが開けられ、中には周人の車に似たグレーの車がエンジンをむき出しにした状態で2台ほど並んでいたが、実際あと3台は横に並べられるほどに広いのだ。その中には油が付いて汚れてしまった白い整備服に帽子をかぶった人間が5、6人おり、それらのマシンをいじっていた。その中の1人が近づいてくる周人の車に気付いて手を挙げた。合図を返すかのように周人はライトを明滅させる。一番右端のスペースを指さした整備員はそのままそちらに向かい、周人も指定されたそのスペースへとに向かう。ちょうどタイヤがはまるほどのレールのような窪みにタイヤを当て、そのままゆっくりと前に進む。建物の中に車体が綺麗に収まった瞬間、ガコンという音が鳴り響いた後、レールがせり上がって4つのタイヤ全てがロックされ、車は停止した。完全にロックされたのを確認した周人はエンジンを切って中から出た。
「大神さん、ごぶさたしてます」
出てくるなりそう挨拶した周人に笑みを浮かべながら大神は帽子を取って挨拶をした。
「ご苦労さん、じゃぁさっそく取りかかるわ。ソフトは?」
そう言われた周人は助手席に置いてあったディスクを大神に手渡す。周人の車には2人ほど整備員がやって来てボンネットを開いたりしていた。軽々とボディーからカウルを取り外すその光景はさながらF1マシンのピット作業、エンジンをむき出しにしたりする作業に似ていた。見たところ30歳半ばぐらいの年齢である大神はボンネットの中にある機器に青のコード2本を差し込んだ上で、ハンドルの真横にあるスリットにケーブルを差し込むとそれと繋げたノートパソコンを立ち上げる。他の若い2人もまた運転席に潜り込んでいろいろなコードをはめ込んだり、カーナビの画面に何かを表示させたりしていた。その様子を見ていた周人は大神の横に立ってパソコンの画面を覗き込んだ。
「相変わらず凄いな、君は・・・・マネージメントプログラムも完璧だよ」
心底感心した様子でそう言うと周人の方を振り仰いだ。
「ダブルワンの性能がいいですからね、張り切ってやってます」
周人は嬉しそうにそう言うと、もはや裸のようにエンジンや機器がむき出しにされた愛車を見やった。
「2ヶ月に1度、この日が楽しみでなぁ。何よりお前さんのソフトをチェックするのがね」
「この車のモニターやらしてもらっているんですから・・・これぐらいはしておきたくて」
「ダブルワンもいい人に当たったもんだよ。そう考えればうちの社長は見る目がある」
笑いながらそう会話する2人は知り合ってからすでに7ヶ月が経っている。ひょんな事からこのマシンのモニターを頼まれた周人は2ヶ月に1度、組み込まれたソフトのチェックと機体の整備の為にここに通っているのだった。また、パソコンに長けた周人は独自に運転しやすい様にプログラムを組んでいるのだ。国内で1、2を争う大手自動車メーカーのカムイモータースの池谷工場、そこの整備開発主任である大神が太鼓判を押す周人のプログラミングはもはや素人のものではない。それを認める大神はこの工場内ではトップクラスの腕前を持ち、本社でもその実力が認められているほどの人物なのだ。
「今すぐにでもウチに来て欲しい人材だよ、君は。オレが口を聞いてやるから卒業したらすぐに入社しろ」
「その必要はないよ、大神君」
周人を口説く口調もやや熱くなっていた大神はそう言われて怪訝な顔をしながら声のした方向を振り向いた。だがその相手を見た瞬間、椅子をひっくり返す勢いで立ち上がると直立不動の姿勢で固まってしまった。作業中の整備士も皆同じように手を止めて起立をしている。周人もその人物の方を向いて頭を下げた。グレーのスーツを着たオールバックの男は片手を挙げて皆を制すると、そのままコツコツと靴音を鳴らしながら周人の前までやって来た。後には美人女優かモデルかといった容姿をした美女がシックな色合いのスーツを着てハンドバックを手にたたずんでいる。
「警備の小倉さんから君の来訪を聞いたものでね、ちょっと顔を出しに来たんだ。みんな、すまんな、突然来てしまって」
「いや、ホント驚きましたよ・・・社長がここへ来られるなんて滅多にないことですから」
暑さの汗なのかどうかもわからない変な汗を拭きながら大神が苦笑いを含めてそう言った。
「どうしても木戸君と話がしたくてな。すまない」
もう1度謝った社長に恐縮したままの大神は苦笑しながらもういいですからと返した。あまりの大神のうろたえように思わず笑ってしまった周人を引き金に笑いが波のように巻き起こる。だがそれもすぐおさまると社長は周人の肩に手を置いた。
「ここのナンバーワン技師自らの推薦もある、私も以前から言っているように君には是非来て欲しい。来年は就職だろう?君なら試験なしに合格にするから、この際どうだい?」
社長と呼ぶにはまだ若い、30代後半と思われる容姿をしたスーツ姿の男は力強い口調で周人を勧誘した。知らぬ者はいないこのカムイモータースの社長自ら懇願されて首を横に振る者は周人しかいない。それがわかっているだけに社長の口調も強くなっているのだった。すでに勧誘はこれで3度目である。だが、やはり周人は首を横に振った。
「う~ん・・・僕程度の学歴ならまず間違いなく試験を受けても落とされるここの会社で・・・それはイヤすぎますよ・・・コネだとすぐにわかるし、そのコネにもほどがあります。やるなら正々堂々と受けたいです」
「なら我が社を正々堂々受ければいいじゃないか」
「試験用紙を白紙で出しても合格にしちゃうでしょう?菅生社長ならやりかねない・・・」
心を見透かすようにそう言われて返す言葉を失った菅生は苦笑いを浮かべるしかなかった。
「でもね、木戸ちゃん。君のその頭なら是非欲しいと思うのはオレも一緒だよ。普通に受けても君なら合格で即戦力だ。ウチは再来年にF1進出も決めているし、その戦力として君の力が是非欲しいところなんだ」
思わぬ所で大神の助け船を得て息を吹き返した社長もまたうんうんとうなずいている。その光景を見やる秘書や他の整備員も苦笑を浮かべた。まるで大神の方が社長のような話っぷりなのだ。その言葉にしばらくうつむいていた周人は顔を上げた。真剣な目で菅生を見るとゆっくりと口を開いた。
「社長や主任にそこまで言って貰えることはすごく光栄です。でも、即答はできません・・・前向きに考えていきたいとは思います。すみませんがもう少し時間を下さい。できれば今月いっぱいほど」
その答えに大神も菅生も顔をほころばせて喜んだ。今までは決して首を縦に振ろうとはしなかった周人が前向きに考慮し始めているのだ。これは大きな前進といえる。F1進出のノウハウを得て、現在はマシンの試作機を開発中である。元々ラリーレースやツーリングカーレースには参入しており、今、周人がモニターを務めているエスペランサ系はそのツーリングレースマシンなのだ。前年度に導入したエスペランサEF-01《ゼロワン》は苦戦していることもあって、そのフルモデルチェンジがダブルワンであり、4機の試作マシンを全国のサーキットでテストしている状態であった。周人の乗るダブルワンは最初の試作機であり、どちらかといえばソフトウェア開発用のマシンである。レース仕様ではなく、あくまでも市販車ベースとして公道を走れるように改造した試作機の中でも異端の存在だった。そのせいか、形状はエスペランサが元にしたシュヴァルベに似ている。
「よーしよし!これでF1の話を含めて煮詰めて行けるぞ」
周人の返事を聞いて腕組みをして何度もうなずく菅生は満足そうな笑みを浮かべていた。そんな菅生に対し、背後から秘書が何かを耳打ちすると、腕時計を見やって時間を確認した。
「じゃぁすまんが私はこれで。木戸君、今度食事でも一緒にしよう。じゃぁみんな、頑張ってくれ」
さすがに社長だけあって忙しいのか、そう言うと片手を挙げて足早に去っていった。秘書もまた頭を下げてその後に続いた。その後ろ姿を見送り、大神が周人の肩に手を置くのだった。
「ま、ゆっくり考えろ。ウチはかなり給料もいい。この不況にあってもなんとか黒字を保ってはいる。それにF1スタッフに抜擢されれば世界を回れるんだぞ?」
その言葉に少し顔を俯かせて考える周人を見やった大神はその仕草から何かを感じ取ったかのように耳元に口を寄せて小声でささやいた。
「なんだ・・・彼女と離れるのがイヤなのか?」
まだ入社もしていない周人の配属先まで心配するような、意味がよくわからない事を言われた周人は怪訝な顔をしてみせる。その表情から大神はさらに言葉を続ける。
「彼女が『離れたくない』とか何とか言ってるからウチに来ることを渋っているんじゃないのか?」
「大神さん・・・僕にはまず彼女がいませんし、いたとしても僕の問題です・・・そんな事関係ないですよ、まったく・・・」
疲れたような口調でそう言うと、タイヤすら外されて丸裸のようにされている愛車の姿を見やった。整備員はすでに作業の続きに取りかかっている。そう言われてはさすがにもう何も言えなくなってしまった大神は鼻でため息をつくとパソコンに向き直ってソフトの修正に取りかかった。周人もまた大神の横にある空いた椅子に腰掛け、勉強を兼ねてその手伝いを行うのだった。
さっきまでの天気からは想像も出来ないような激しい夕立が雷を伴って町に襲いかかっていた。真っ暗な空は夏の午後5時にしては異様な暗さを演出し、その不気味さをより一層強調している。さっきまでの快晴が嘘のようなこの大雨に皆逃げまどうようにして雨宿りをすべく駆けずり回っていた。もちろん、傘など持っている者などいない。交差点横の軒先で何とかこの激しい雨をしのいでいる恵は途方に暮れた様子でまだまだ止みそうもない黒い空を見上げるしかなかった。買ったばかりの服を入れた包みを濡れないように隠しながら大きなため息をつく。駅まではまだ距離がある上に周りには雨宿りができそうな店や軒先もないのだ。自分が濡れるのは構わないが、買ったばかりの服が濡れてしまう事だけは避けたい。目の前を走る車が水しぶきを上げながら通り過ぎていくのをぼんやり見ていた恵は、その内の1台が自分の前で速度を落としながら止まるのを不思議そうな目で見やった。どこか見慣れた車だと思いながらその車を見ていた矢先、自分の方向にある助手席の窓が開いて中から新城が顔を覗かせた。
「乗って!」
言いながらドアを少しだけ開ける。これ幸いとばかりに素早く乗り込んだ恵は持っていた荷物を抱きかかえるようにしながらドアを閉めた。気を利かせてくれたのか軒先ぎりぎりに止めてくれた為、ほとんど濡れずに済んだ恵はあらためて新城に礼を言った。ワイパーが滝のような雨をかき分けるようにしている。幾分かはましになった雨足だが、それでもまだ雷鳴をかき消すほどの音を響かせながら車体に叩きつけていた。
「たまたま信号待ちしてたら青山さんの姿が見えたもんでね、家まで送るよ」
その申し入れをありがたく思った恵は素直にOKし、家まで送ってもらうことになった。強い雨のために視界が極端に悪く、そうそうスピードが出せない為にいつもより時間はかかってしまうが濡れて帰るよりはましだった。
「正直助かっちゃった。もうどうしようって思ってたから・・・ごめんね?」
小首を傾げるようなその可愛らしい仕草に新城は心が躍るような爽快感に襲われていた。偶然とはいえこの夕立がもたらしたこの鉢合わせに感謝しながらも浮かれた顔を見せずに、あくまでクールに車を運転し続けた。隣に座る恵がつけているコロンのせいか、車の芳香剤とはまた違った甘い香りが鼻をくすぐる。好きな人とかわす他愛のない会話も新城には喜びであり、新鮮であり、そしてどんなにつまらない話でも満足できるものであった。
「ところでさ、新城クンは就職とかはどうするの?」
現在大学二年生の2人にとって就職というのはまだ先の事なのだが、一応それなりに考えてはいる恵はそう話を切り出してきた。恵とは対照的にそういう事など全く考えてもいない新城は素直にまだ何もと答えると恵の答えを待った。雨は少し小降りになってきている。
「私、このバイトやってて思ったんだけど、先生になりたいなぁって。別にこのまま塾でも、どこかの学校でもいいんだけどね」
カーステレオからは軽快な夏を思わせる歌が流れてきている。西の空は随分明るくなっており、雨が止むのも時間の問題であろう。だが今の新城にはその音楽も、外の景色もそう気にならない。恵のことばかりが頭の中にあり、そして何とか運転に集中している状態にあった。恵の将来の夢ともいえる考えを聞かされた新城は自分が何も考えていない事に少し恥ずかしさを感じていた。
「ただ単に始めたバイトだけど、子供に教えている自分が好きだし、充実しているなぁって感じたんだぁ」
確かに塾での恵しか知らないのだが、生き生きとしているのはよくわかっている。教師という職が向いているとも感じられる。
「たしかに充実してるみたいだもんなぁ・・・オレも考えておかないとなぁ」
「そうよ。でも木戸クンって就職どうするんだろう?」
恵たちより一足早く来年春には社会人となる周人だが、就職活動をしている風には見えない。頻繁にバイトを入れているせいか、このままさくら塾に就職しそうな雰囲気も持っている。
「あいつは・・・よくわからない所が多いからな・・・オレが思うにあいつって実は裕福な家の息子じゃないかなぁって思うんだ」
前を向いてハンドルの上に腕を置くような格好を見せながら赤色の信号を見据えるようにしている新城はそう静かに話を始めた。だが実際に周人の家に行ったことがある恵はそれがとても裕福な家の子供の住む家ではなかった事を思い出していた。
「そうかなぁ・・・部屋にもそう荷物とかなかったし、ワンルームマンションだったし、とてもそうは思えなかったなぁ」
思い出すようにそう言う恵に対し、やや嫉妬心が起きあがって来るのを感じつつ新城は思い当たる節があると話を続けた。
「じゃぁ、あの車は?あれはこの車より1つ上のグレードで、レースマシンにもなっているエスペランサ。価格もおそらくあの中身からして600万か、もしくは700万はくだらない国内でも最高の車だぜ?それをあいつは『貰った』と言ったんだ。しかもカスタムメイドされた中身からして・・・次世代車の試作モデルに違いないな」
男としてそれなりに車に詳しい新城にそう言われた恵は周人の車を頭に思い浮かべた。1度実際に乗ってみたが少なくともそんじょそこらに売っている車とはわけが違う事ははっきりと見て取れる。なにより音声で持ち主を認識したり、かなり複雑な機器が並ぶその内部など、普通の車にはありえないのだ。
「貰ったって事はおそらく試作モデルのモニターだろう・・・カムイの最新型試作モデルのモニターを何故あいつがするのか、そして世に出たばかりのES―01の次世代車のモニターということは、カムイという会社と何らかの関係があると見て間違いないなぁ」
車の事は今ひとつわからない恵だが、あの車の装備からして新城の言っている事には納得できた。もしかすれば、周人はカムイの御曹司か、はたまた重役の息子なのかとも思えてくる。
「車はそうかもしれないわね・・・でも、独り暮らしは自分の力のみでやれって感じなのかなぁ?車は親のおかげ・・・でも普通なら車よりも生活を援助すると思うんだけど・・・」
そこまで言ってハッと何かを思い出したような顔をした恵を横目で見やりながら車を進める新城。雨はもう止んでおり、夜の薄暗さの中にもそれなりに明るさが戻ってきていた。恵の家まであと少しの距離であるが帰宅ラッシュのせいかやや渋滞気味になってきた道に少々うんざりさせられる。
「そう言えば・・・・私も一人暮らしがしたいなぁって言ったら・・・家族とは一緒の方がいいって言ってたなぁ」
アゴに人差し指を置きながらそう言う恵の言葉に、何か複雑な事情があるのだろうと察した新城はそれ以上詮索するような会話を止めた。それに本人が何も語りたがらない以上、自分たちの想像だけではどうしてもそこが限界になってしまう。恵もそれを感じてか、それ以上は周人の話をしなかった。やがて恵の家の前に止められた新城の車の中では荷物を整えている恵を横に、新城が彼女の家を見上げていた。結構大きな一軒家であり、見た目洋風な造りになっている。煉瓦の壁で囲まれた門や茶系で統一された家の外観も洋館といった風な印象を受ける。屋根にも窓があり、日の光をふんだんに取り入れられる構造になっているようだった。マンション住まいの新城にとってまさに夢に出てくる家といった印象を、毎回送ってくるたびに受けていた。
「今日はありがとう、助かっちゃった。今度お礼を兼ねて何かおごるわ」
雨はもうほとんど降っていないせいか、恵は車を降りて運転席側に回ると窓越しにそう言った。新城は別にいいよと言いかけたが、これはチャンスとばかりにデートに誘うことにした。
「じゃぁ、今度、いつでもいいから映画でも見に行こうぜ!来月には今CMしまくってるアクション映画もあるしさ」
ダメ元でそう言ったが、恵はあっさりといいわよ、と返事を返した。まったく予想していなかったとは言えないが、予想外の返事であったために思わず固まってしまった新城だったが、徐々にそれを噛みしめるかのような満面の笑みを浮かべてみせるのだった。
「じゃぁまた塾ででも打ち合わせしよう、ほんじゃ!」
もはや感情は限界に達しつつ喜びを表面に出さないように何とか押さえ込み、平静を装って右手を挙げる。恵はばいばいと笑顔で手を振って車から離れた。濡れた車体から滴を垂らしながら低いエンジン音を響かせて新城は去っていった。今、車内では大声で喜びの雄叫びを上げている事など露も知らない恵は角を曲がった車を見送ってから門に手をかける。と、玄関先に立っている少女に目を留め、小首を傾げた。少女はいやらしい笑いを浮かべてドアにもたれかかり、両腕をお尻にやって恵を見ている。
「お姉ぇも結構やるじゃん!あんな上物と付き合ってるなんてさ」
「亜佐美、あんたはもうすぐそれだ・・・・残念ながら付き合ってないわよ、バイトの友達」
少しげんなりした口調と表情でそう答えた恵は3段しかない玄関の階段を上がり、亜佐美の肩に手をかけてドアの前から引き剥がすようにしてみせた。
「なぁんだ、もったいない・・・・でもいい雰囲気だったわよぉ・・・少なくとも向こうはお姉ぇに惚れてるわね!」
新城にしてみれば気の毒だが、亜佐美のその鋭いつっこみすら全く気にせず無視をして中に入った恵を追うようにして亜佐美もまた中へと入った。靴を脱ぐ恵の横をすり抜けるようにして下履きのスリッパを脱いで先に上がる。
「急な夕立で困ってたら、偶然前を通りかかったみたいで、んで送ってもらったのよ」
めんどくさそうにそう言うと、靴をちゃんとしまう。ついでに亜佐美が脱ぎ散らかしたスリッパも元通りに綺麗に揃えた。
「ホントに偶然かなぁ?ま、とりあえずいい男だしぃ、いい車持ってるしぃ・・・付き合っちゃえば?」
「遠慮」
「本命は別にあり、ってか?」
「そうね」
軽く亜佐美をあしらった恵は玄関脇の階段を上がっていった。その後ろ姿を見送った亜佐美はつまらなさそうな顔をしてみせたが、すぐに何かをひらめいたような顔をして2階へと駆け上がって行くと自分の部屋へとすっ飛んで行くのだった。
部屋に戻った恵は部屋着に使っているゆったりしたズボンに履き替えると買ってきた服を3点全てベッドの上に広げて見せた。7月分の給料の半分をはたいて買った物だが、安い値段を感じさせない雰囲気が気に入っていた。さっそく着てみようと上着を脱ぎかけたその時、ドアをノックする音と共に亜佐美の声が聞こえてきた。
「お姉ぇ、入るよ?」
まだ返事も聞かないうちに入ってきた亜佐美はベッドの上に広げられた服を見て露骨に嫌な顔をして見せた。
「相変わらず趣味悪ぅ~・・・・」
元々派手好きな亜佐美とシックな色が好みの恵とは服の好みは全く異なっていた。現役女子高生の亜佐美は夏という季節もあってか露出度の高い服装を好んでいる。短いスカートに小さめのTシャツなどは当たり前なのだ。その為、ベッドの上に置かれている地味目の服に拒否反応を起こしたのだった。
「もう!で、何よ」
明らかに不機嫌な顔と口調でそう言うと、立ち上がって怒ったポーズとばかりに腰に手をやった。
「んな地味な服でどうするのさ?派手にして中学生を悩殺しちゃえば?」
「だ・か・ら、用事は?」
さらに低い声できつくそう言われた亜佐美はやれやれといったポーズを取ると広げられた服を踏まないように気をつけながらベッドに腰掛けた。
「さっきのいい男が本命ではないお姉さま、本命とはどこまで進んでいます?」
いきなり変わった話題に対しても冷静な表情を崩さない姉のこの反応は予想通りなものであった。そこで亜佐美は後ろに隠しておいた紙切れをヒラヒラさせながら顔の前へと持っていく行為で恵の気を引く作戦に着手した。この作戦は見事に成功し、恵が怪訝な顔をしながらもその紙切れが何なのか興味を引かれている様子がありありと見て取れた亜佐美は心の中でほくそ笑んだ。
「有名レストランの半額チケット、予約制だからちゃんと予約しなさいね?ペアでご招待だから本命誘っちゃえ!」
そう言って紙切れを手渡す。たしかに夜景が綺麗な事でも有名なレストランの半額ペアチケットだった。これならば高いコースを頼んだとしても2人で1万円ほどで済むだろう。
「どうしたの、これ?」
「んん~、そこでバイトしてる男子にもらったんだ・・・・誘われたんだけど、そいつ、私の好みじゃないからねぇ・・・チケットだけもらったの。しがない姉の為に一肌脱いであ・げ・る!」
そう言いながらウィンクされた恵だが、どうしたものかと思案するしかなかった。確かに周人を誘う絶好のチャンスなのだが、こういった事に奥手な恵にとってこれは大きな冒険になってしまう。考え込む姉を見やりながら何かを企んでいるような笑みを浮かべた亜佐美はおもむろに立ち上がるとドアの方に進んだ。
「それ、今月いっぱいまでだから・・・予約はお早めにぃ~!」
そう言うと手の平をひらひらさせて部屋を出ていった。恵はそんな妹を見てからまたすぐにチケットに視線を戻した。部屋を出てドアを閉めた亜佐美はこみ上げてくる笑いを押し殺しながら自分の部屋に向かって小走りにドアをくぐった。
「お姉ぇの本命、しっかり見させてもうらからねぇ」
自室でそう独りつぶやいた亜佐美は携帯を手に取るとどこかへ電話をかけるのだった。




