見えない気持ち(2)
塾のそばの空き地の脇に止められている周人の車に目を留めた新城は珍しいなと思いながらそのすぐ後ろに車を止めた。同じメーカーの同系列の車だが、周人の車の方がグレードが上で値段も上である。しかも何か複雑な機器が占領しているいわば飛行機のコックピットのような運転席からしてこの車が特別に作られた物であることは容易に想像できた。周人がどういう経緯でこの車を手に入れたかはわからないが、これがただの車でないことは一目瞭然だった。テールランプの形状がシュヴァルベやエスペランサとは違い、角張っているのを見やった新城はその車を眺めつつ職員室の方へ向かった。今は18時40分、恵が2階で小学生を相手に授業を行っている時間である。職員室に入った新城はそこにいた周人に挨拶をし、席につこうとして妙な違和感を覚えた。そしてその違和感の元である周人の方をまじまじと見やる。いつも通りの白に濃い緑の線が入った長袖のTシャツにジーンズ姿なのだが、その雰囲気がまるで違うのはいつもと明らかに違う髪型のせいであった。前髪を右から左に流し、全体的にボリュームをのせたまま後方に流している。かなり今風でスタイリッシュな髪型は周人とマッチしており、何ともいえぬかっこよさをかもし出していた。ぽかーんと口を開けたまま、自分を見て動かない新城に眉をひそめながら、そのまま新城を無視して周人は予習に専念した。そうこうしているうちに恵が授業を終えて下りてくる。席にはついているが周人を見たまま呆然としている新城を見た恵はくすりと笑うと自分の席に向かった。
「どう?木戸クンの髪型、かっこいいでしょ?」
「ああ・・・・・・・・というか・・・随分と感じが変わるもんだなぁ・・・」
言われている本人である周人は予習に必死であまり関心がないのか顔すら上げない。
「私のセンス抜群!木戸クンは元がいいからこういう髪型が似合うって前から思っていたのよねぇ~」
その言葉に新城の心臓の鼓動が一瞬大きくなった。今の言葉からすれば恵が周人の髪型をセットしたというのは誰にでも理解できた。だが恵が周人の髪型をセットしたというからには問題はその場所である。重苦しい胸の鼓動を抑えるように念じながら、新城はゆっくりとそれに関しての質問を投げかけた。
「それって、ここでしたわけ?」
「ううん・・・今日木戸クン家に行ったんだけど、その時にね」
別段口調も変えることなく普通にそう言うその言葉は新城の中の何かを崩壊させた。ここでしたならまだしも、周人の家でしたということは恵の言うとおり家に行ったということになる。周人が1人暮らしであることは知っている新城なだけに、その胸中は穏やかであるはずがなかった。いろいろな事が頭を駆けめぐる。まず、何故周人の家に行ったかをたずねようとしていた矢先、突然入り口脇の壁に設置されている白い内線電話が鳴り響き、近くに座っていた恵が立ち上がってそれに応対した。そこで仕方なく周人の耳元でその質問を投げかけた新城は落ち着き無く体を動かしながら返事を待つ。
「何でって・・・・ここんとこ立て続けに休んだろう?んで心配になって来てくれたんだ」
「それで、何もなかったわけだな?」
真剣な目でそう聞く新城の様子からさすがに全てを悟った周人は思わずニヤけそうになりつつもそれを何とか踏ん張ってこらえ、落ち着きはらった口調で淡々と言葉を発した。
「そりゃぁ、お前・・・1つ屋根の下に男女がっつったら・・・わかるだろ?」
やらしい目をしてそう言う周人の言葉に、ついに新城の中で何か大きく爆発した。あらぬ妄想が妄想を呼び、思わず立ち上がって大声を上げてしまった。
「お前ぇ!いったい何をしたぁ!」
勢いで周人の胸ぐらを掴み上げたが、周人はその手を左手で掴んで新城を制した。
「もう、何なのよ!びっくりするじゃない!聞こえないから静かにして!」
今の大声で電話が聞き取りにくかったのか、受話器を押さえた恵が2人を怒鳴りつけた。その声にさすがに冷静さを取り戻した新城は胸ぐらを掴んでいた手を放すと周人を睨み付ける。
「ったく、冗談の通じないヤツ。まぁそれが恋する男の悲しいサガってやつなのかねぇ」
小さな声でそうささやくと、最後の言葉だけは大げさに茶化しながらそう言った。だが不信感がいまだ拭えない新城は興奮冷め止まぬ状態で自分を見下ろしている。
「心配すんな・・・何もないよ。信じろ・・・つっても無理かもしれないけどな・・・本当に何もないよ。話をしただけだ」
「どんな?」
「まぁ、いろいろだ。軽い世間話をな」
まるで落ち着けとばかりにポンポンと肩を叩かれた新城はそれでもまだ周人を疑っている。
「信じてやれよ。オレを、じゃなしに・・・彼女をな」
目だけを恵に向けてそう言い残した周人はトイレに向かう。やがて入れ替わりに電話を終えた恵が新城の横である自分の席に戻ってきた。トイレに入った周人を苦々しい表情で見やりながらも隣で何かをメモし始めた恵に視線を走らせた。恵は視線を感じたのかチラッと自分を見つめている新城を見て、またすぐにメモを書く。そんな恵を見て何も聞けなくなった新城だったが、恵には片想いの相手がいると言っていた合宿の時の話を思い出し、その事がどうしても気になってしまう。もし、彼女の好きな相手が周人だったらならばという疑念が頭を埋めていく。少なからずライバル意識を持ってしまう周人がその意中の人だったなら、さすがに自分は行動を起こさねばならない。
「木戸の家ってどんなだった?」
さりげなくそうたずねたが、恵はペンを走らせていて顔を見ようともしない。その仕草にやや苛立ちを感じつつ、それを表には出さずに冷静な表情を浮かべてみせた。
「ん~、男性の1人暮らしの部屋にしてはすごく綺麗だったなぁ・・・」
そう言い終わり、メモの内容を確認して満足そうな顔をしてみせた。別段表情に変化もなければ口調もおかしいことはない。トイレから周人が出てきてもそちらを見ることもしなかった。思い過ごしだと自分をなんとか納得させた新城は時計を見てそろそろ時間だとつぶやきながら職員室を出る。それに続いて周人も外へ出た。恵はもう授業は終わりだが、まだ帰る様子はなかった。ドアを閉めた周人は階段を上りかけて立ち止まっている新城を見上げた。
「思い過ごしだったみたいだ・・・すまなかった」
ぶっきらぼうにそう謝る新城のすぐ下まで階段を上り、その目を見た。まだどこか疑ってはいるものの、何もなかったということを納得させた感じが見て取れた。
「オレも急に来たもんだからあわてたよ・・・でもマジで何もなかった。それだけは間違いないから」
周人は中にいる恵に会話が聞こえないように小さな声でそう言いながらも、その言葉ははっきりさせた。
「信じるよ。お前じゃなく、彼女をな」
階段で新城を追い抜きながら今の返事に満足げな表情を浮かべた周人に対し、新城はあえて質問をぶつけることにした。
「お前、好きな人はいないのか?」
そう聞かれても足を止めることなく3階に向かう周人はその質問に簡単な答えを返した。
「いないよ」
あまりにあっさりそう言われた新城はそれが本当かどうかもわからぬまま、ただ去りゆく背中を見送る事しかできなかった。
久々の授業でやや緊張気味の周人はドアの前で深呼吸をする。今日の由衣の訪問で2人の間のわだかまりは解けたのだが、やはり新城を好いており、しかもファンクラブの仲間がいる状態でどういう態度に出るかは全く未知数である。だがいつまでもこうしているわけにはいかずに意を決し、ドアを開いた。いつも通りの飄々とした感じで教壇に立った周人はやはり後ろの方に座っている女子生徒たちを見やって少し驚いた。自分を見て、何か興奮したような感じで声を上げている。前に座っている男子生徒はただ周人を見ているのみで何の変化もない。とりあえず挨拶をして用意したプリントを配った。その最中も女子は騒ぎ、由衣は唖然とした表情を浮かべていた。
「先生、今日の髪型どうしたの?」
1人の女子生徒がそう質問する。周人は騒いでいる原因がこの髪型にあると気づき、恵にしてもらったことを言いかけて、あわてて言葉を飲み込んだ。ここで変に誤解を招くように取られては新城に殺されかねない。しかも、恵が家に来た事は由衣も知っているだけに余計な事を新城に吹き込まれたくなかった。さっきの冗談ですら過敏に反応した新城を見ている周人はここは軽く流すことにした。
「たまには、な。んじゃ始めるぞ」
早々にその話題を変えて授業に入る。髪型のせいなのか、はたまた今日家に来たことが影響しているせいか、終始大人しかった由衣のせいなのかはわからないが、授業は意外なほどスムーズに進んだのだった。あっという間に2時間が過ぎ、気が付けばもう程良い時間になっている。周人が授業を終え、全員に外に出るよううながした時は20時58分過ぎだった。全ての生徒たちを外にやり、部屋に鍵をかける。そして降りようとした階段の下では由衣や美佐を含めた女子生徒たちが数名、自分を見上げて待っていた。普段ではありえない事に戸惑いつつも職員室に向かうためにはそこしかない階段を下りた。そしてドアの前で女子生徒たちに囲まれた周人は一方的な質問を浴びせられた。どこでその髪型をしたのかやら、どうして今日はその髪型なのか、そしてどうしていつもそういう風にしないのかなどである。結局髪型1つで大きく変化したこと、そしてこの髪型にセットしてくれた恵のセンスに感心しながらドアを開けて逃げ込むように中へと入った周人は大きなため息をついた。
「いや、参った・・・しかし青山さんのセンス抜群だね」
表の騒ぎが中にまで聞こえている事が分かっているせいか、そう言いながら席についた周人は簡単に机の上を片づけ始めた。
「でしょう?いつもそういう髪型だったらいいのにって思っていたのよねー。新城クンは元々キチッとしてるからさらにカッコいいんだけど、木戸クンは・・・・ちょっとね」
かっこいいと言われた新城はほくそ笑み、それを見やる周人は前髪を掻き上げた。
「別にどうでもいいんだけどね、髪型なんて・・・かっこよく見えなくてもさ」
「でもキャーキャー言われて気分良かったでしょ?吾妻さんもビックリしてたでしょう?」
そう言われた周人だが、珍しく美佐が瞳を輝かせてあれこれ質問してきたが、逆に由衣は何の反応も示さなかった事を思い出していた。
「ん~、まぁ悪い気はしなかったけど・・・・吾妻さんは意外と普通だったなぁ」
由衣は授業中も黙々と話を聞いていた。いつものように嫌味を言うこともなければ無視をするといった風な事もなかった。かわりに普段ほとんど目立たない美佐の方に落ち着きがなかった事が目に付いたほどだ。
「まぁ、なるべくその髪型にする事ね。教えてあげた通りにすればいいから」
言いながらバッグを手に職員室を出た。恵もバスで駅まで送ってもらうためだ。つられるように残った2人も外へ向かう。すでにバスには何人かが乗り込んでいた。恵もバスに乗り込むのを見ながら周人はたばこを取り出して火を付ける。横からその火をもらった新城も煙をふかして壁にもたれかかった。
「今日は疲れた・・・」
「わいわい騒がれてか?」
最後の生徒がバスに乗り込み、扉が閉まった。窓側の生徒が2人に手を振っているのが見えた為、手を振り返す。
「まぁ、な」
余計な事は言わないようにそう答えたが、実際疲れた原因は由衣と恵の突然の訪問にあった。まるで二股をかけている男のような心境になった事を思い出し、1人苦笑する。
「木戸、今日はもう帰るのか?」
「ああ、明日はちと朝から出かけなくちゃならないもんで・・・」
「青山さんとデート・・・・じゃないだろうな?」
「違うよ・・・お前さんもしつこいねぇ・・・」
熱帯夜で蒸し暑いため、ジッとしていても汗が流れてくる。たばこもそこそこに新城を残し、クーラーのきいた部屋に戻った周人は簡単に荷物をまとめると車のキーをくるくる回しながらすぐに出てきた。
「あの車、いったいいくらぐらいしたんだ?」
似た車が2台並んでいる場所に向かう周人の背中にそう質問を投げる。一旦立ち止まり、振り返った周人は新城が予想だにしていなかった答えを返した。
「貰ったんだよ」
そう言うとまた歩き出し、左手を振りながら車に乗り込むと低いエンジン音が空気を振動させる音を残して早々と去っていった。
「貰ったって・・・・誰に?」
残された新城はつぶやくようにそう言いながらその赤いテールランプが消え去るまで見ていたのだった。
少しぬるめのお湯が張られた湯船につかる由衣は髪をアップにして満足げな表情を浮かべていた。皆周人の変わりように驚いていたのだが、昼間周人の家で普段と違う一面を見ている由衣にとってはさほど驚くべき事柄ではなかった。確かにあの髪型に関しては驚いたと言えるが、逆にみんなの驚く様を見て優越感に浸っていた由衣は周人の優しさ、強さを知っているのが自分だけなんだと冷静な目で友達に接していた。確かに昼間部屋で見た周人とは変わっていたが、それでも周人のかっこよさにはみんなよりも先に気付いているのだ。そして自分を守ってくれた時に見せた圧倒的な強さも、怪我をしているにも関わらず怯える自分を気遣ってくれた優しさをも知っている自分が嬉しくて湯船に浸かりながら微笑みを隠しきれないでいた。
「たしかに新城先生に追いつくぐらいな感じだったなぁ・・・」
以前に康男が言った言葉を思い出してそうつぶやいてみせたが、急にハッとなってそれでも新城の方がかっこいいと首を横に振った。その後、口を湯につけてぶくぶくと泡を吐き出す。だが、今は不思議と新城の顔がはっきり浮かんでこない。由衣は湯船から上がると浴槽の横の壁に取り付けられている全身を見ることが可能な鏡の前に立った。全裸の自分を映し出すその鏡の中で新城が横に立っている姿をイメージする。だが、それはすぐに周人に変わってしまった。
「アイツの家に行ったせいで・・・・ヤバくなってる?」
鏡の中の自分に首を傾げながらそう問いかけた由衣だが、もちろん返事は返ってこない。由衣はそのまま小さく自分に微笑むと軽くシャワーを浴びてから風呂場を後にするのだった。




