君の中の永遠(5)
「な・・・七百万円?」
すっとんきょうな声を上げた由衣はきょろきょろ周囲をうかがうようにしながらバツが悪そうな顔をした。やれやれといった顔をする周人は温かいココアを口にしながら恥ずかしそうにしている由衣を見て苦笑している。
「そ、そんなに貯金あったんだ・・・」
「まぁでも、ここんとこ三宅夫婦との食事会やクリスマスやらで貯金は出来なかったけど、冬のボーナスで回復できるし、そんなもんだよ。婚約指輪代も貯金額には入ってるから、差し引いてそんなもの」
「じ、じゃぁ結構使ってそれだけ残ったってこと?」
もはや驚くしかない由衣は頭の中で周人が最近使ったお金を概算ながら計算する。クリスマスで七、八万円は軽く使ったはずだろう。光二と恵との食事会でも五万円近く使っていたのは知っている。それにあの婚約指輪である。あれが本当に百万円したのなら、軽く八百万円程度の貯金があったということになるのだ。
「周人って給料確か四十二万円だよね」
「残業付いての先月の手取りがな。だからまぁ平均して四十万ってとこか」
「で、勤めて・・・・・八年?年間百万円の貯金ってことは・・・・・」
「月だいたい十万円程度ってとこだ」
「でも付き合いだした頃って二十七、八万でしょ?」
「話が逸れてる・・・・いいか、式に二百万かかるのはさっき話聞いたよな?さらに家財道具に旅行代、家代・・・・そんだけあってもあっという間になくなっちまうんだ」
ついさっきまで式場探しに回っていた二人はだいたいどこのホテルでもそれぐらいはかかると言われてきた。招待客を五十人としての計算だが、人数が増えればさらに料金は上がるのだ。新居に関しては由衣の実家から少し離れた西桜花南町にできた新しい住宅地の一軒家を購入することにしている。日当たりもよく、それなりに広い庭もついていて由衣の夢が叶う物件だった。ローンもカムイに勤めている周人からすれば十分払える金額でもある。そして現在はローンの申請をしている状態にあった。今現在建てられているその家が完成するのが半年後のため、2人は結婚式をそれに合わせた半年後にしようと決めていたのだが、やはりオーソドックスなホテルでの挙式はやや抵抗がある。海外での挙式も考えたが、出来るなら日本でしたいと思うが故になかなか決まらないのだ。結局4件の式場を巡って疲れた挙句にこの喫茶店で休憩をとっているのだった。
「三宅君や十牙がしたようなアットホームなのがいいよなぁ・・・」
「なら、いい場所があるよ、お二人さん」
何気なしにそうつぶやいた周人はその声のした方をあわてて振り返る。由衣は驚いた顔をしつつも中腰になっておじぎをし、周人は立ち上がって挨拶をした。
「喫茶店でそうされると注目を浴びてカッコ悪いじゃないか・・・相席、いいかな?」
そう言ってウィンクする菅生に自分が座っている横の椅子を引いて勧めた周人は恐縮しきりな様子を全開にしていた。しばらく菅生とは会っていなかった由衣だが、四十代も半ばを超えて五十代を迎えようとしているとは思えない若々しい容姿に時の流れを感じることは無かった。
「最近出来たホテル『プロメテウス』を知っているかい?」
雑誌やテレビで大々的に宣伝をしているそのプロメテウスは東京赤坂に出来た高層ホテルであり、かなりの大きさと規模をもった超豪華ホテルとして有名だった。そしてそのあまりの豪華さから周人たちの式場リストからは抹消されてもいる。
「そこにチャペルがあって結婚式も可能だ。それに自分たちがこうしたいという案も取り入れてくれるそうだ。どうだい?値段は私に任せておきなさい」
「社長・・・そのホテルとどういうご関係なんですか?」
「そこのオーナーとは幼なじみでね。ブライダル関係者も私が挙式したときの者がそこで働いている。元々、建設時に少々お金も貸しているから融通は利くよ」
「でも、本当にいいんですか、お願いしても」
「このまま業績を落とさずにいてくれることを見込んでの話しだし、何より、ファンとして僕は由衣ちゃんのウェディングドレス姿を見たいからね」
そう言ってにこやかに微笑む菅生にはにかむような笑みを見せる由衣だが、今話題の超豪華ホテルで挙式披露宴ともなればいくら安くなるとはいっても予算をオーバーしてしまうだろう。
「ま、ここで一息ついたらとりあえず一緒に行ってみないか?」
「それは別に構わないですけど・・・社長は何故ここに?」
通りかかったウェイトレスにアメリカンコーヒーをオーダーしてタバコを取り出す菅生に対し、真新しいジッポライターに火をつけながら近づける周人に目で礼を言う菅生はゆったりと煙を吐き出してからその答えを口にした。
「さわやかな一月の土曜日だってのにさっきまで打ち合わせしてたんだが・・・あまりに退屈なんで逃げてきたんだ。ここは結構よく来る店なもんでね」
大企業の社長が打ち合わせが退屈だからと逃げてきていいのかと思うが、これこそが菅生要という人物であると思える2人はお互いに顔を見合わせて小さく笑いあったのだった。
地上32階、地下4階からなる大型の豪華ホテルという触れ込みは嘘ではなかった。コの字型を描くその造りはかなり大きく、赤坂の新名所としては申し分ない広さを誇っている。ロビーは広々とし、4階までが吹き抜けとなって照明設備として巨大なシャンデリアが4つもぶら下がっており、ロビーの中に大きな噴水や日本庭園まであってその見た目通りの豪華さを強調していた。それゆえに1泊の料金も高いのだが、すでに有名芸能人たちが泊まったとされ、外国人旅行客やスポーツマンなども多く利用していた。そのホテルの3階にブライダルサロンがあり、菅生を筆頭に周人と由衣が並んで座っていた。しかも3人が座っているのは単なる受付や相談をする窓口ではない。その奥にある応接室に通されているのだ。そして目の前にはかっぷくのいい中年男性と、三十代半ばとおぼしき女性の姿があった。周人と由衣は2人に自分たちがやりたい結婚式をイメージしてその男性に伝えると、男性がメモを取りながらそれに対する資料を探して提示してくれ、また由衣の質問には女性が丁寧な物腰でしっかりと答えを返してくれる。そしてある程度のプランが固まったところでだいたいの費用が計上され、2人に告げられる事となった。
「このプランで・・・約260万円ですが、そうですね・・・諸費用込みで200万円でいかがでしょうか」
そう言った中年男性、滝川は今提示した金額でいいかという視線を2人に向けた。自分たちのしたいようにしたプランで、しかもこのホテルでそこまで値段を下げてもらえれば何も言うことはない。披露宴の会場も広い場所を取ってくれたのだ、これ以上の望みはない。とりあえず仮にということでここに決めた2人は菅生共々チャペルと会場を見に行った。三十階にある空中庭園には芝生が敷かれ、日本庭園をイメージした造りながら白い小さめの教会が建てられていた。説明によれば、ここで式を挙げた後に庭園で招待客との写真撮影などゆったりとした時間が過ごせるという。教会の中も真新しいせいかかなり綺麗であリ、南向きのステンドグラスが日の光をうけてキラキラと輝いていた。そして次に28階にある3つの大広間のうち、中型サイズの『太陽の間』へと案内された2人はその大きさに驚きの声を上げた。そこは五百人が収容できる大型スペースであり、7つのシャンデリアがドーム型の天井から釣り下がっている。ふかふかの絨毯も敷かれ、大きな3つの入り口の正面には高砂席が3段の段差をおいて設置されていた。周人たちの招待客はざっと見積もって最大七十人程度からして、ここではあまりに広すぎると感じてしまうほどであった。そこで一番小さい『大海の間』に行ってみた二人だが、さっきの『太陽の間』よりも小型とはいえ、それでも二百人は収容できるスペースがそこには広がっていた。招待客用のテーブルを広い間隔で取ったとしても十分余りあるほどのスペースに、2人はここに変更してもらうよう訴え、滝川はそれを承諾した。そして最後にブライダルサロンにあるウェディングドレスが並べられた部屋へと向かった3人はここでも感嘆の声を上げた。かなりの広さを持つ空間の四方の壁が全てクローゼットとなっており、色とりどりのドレスに純白のドレスと数え切れないほどのドレスがずらっと並べられているのだ。しかもここだけではなく、直営の店舗3つからも好きなドレスを選べるというのだ。もはや子供のように瞳を輝かす由衣に周人の顔も自然とほころび、結婚するということをあらためて実感してしまうほどであった。もはやこれ以上の場所はないと判断した2人はここを紹介し、なおかつ料金を下げる要因ともなった菅生に深く感謝した。菅生はその見返りとして自分を招待することと、絶対に素晴らしい結婚披露宴にしてくれとの要望を返したのだった。こうして周人と由衣の結婚式場も無事決まり、いよいよ本格的に結婚に向けて進み始めたのだった。そしてこの2ヵ月後に互いの両親との顔合わせを行い、秀雄と源斗は緊張しながらも共通の話題である釣りの話で盛り上がり、周人を絶賛する実那子と由衣を可愛がっている静佳も会話を弾ませた。その後会場であるホテルを視察し、周人と由衣の振る舞いでレストラン『ミレニアム』で食事会を行ったのだった。
*
なにやらぶつくさ言いながらスクリーンセーバーとなっている画面をそのままに一生懸命書類のようなものをめくっている周人にそっと近づいた理紗は無造作に入れたてのコーヒーを差し出した。挙式一ヶ月前ともなれば式の準備も佳境であり、新婚旅行で十日間抜ける業務の整理もあって公私共に忙しい毎日を送っていた。招待客からの返事も順調に返ってきており、席の振り分けなどの細かい作業や披露宴の流れなども決めなくてはならないのだ。夜の九時になっても会社で仕事と式の事で頭を悩ませる周人は理紗のその心遣いに感謝して礼を言うと、一旦椅子にもたれかかって背伸びをしてからコーヒーを口にした。
「大変そうですね・・・披露宴の進行表ですか?」
「ん~、まぁね・・・・でも、彼女の方が大変だろうけど。花嫁が主役なだけにね」
その言葉に理紗はうなずきながら自分も手に持っているコーヒーを一口すする。確かに結婚式は花嫁が主役だ、それゆえにいろいろあって大変なのは想像にたやすいし、自分ならこうしたいというイメージも女性である理紗には十分理解できた。
「でもまさか私まで招待されるとは思ってもいませんでした」
「君はお世話になってるし、なにより頼りになる部下だからね」
そう言って微笑む周人に照れた微笑を返す理紗だが、それは周人を好きでいた時の笑みではない。頼りになると言われてのことであり、すでに周人のことはふっきっている。
「それに参考になるんじゃないか?里中との将来に向けて」
「いくらなんでもまだ早いですよ・・・付き合ってもないのに」
ため息混じりにそう言うが、そうまんざらでもない様子が見て取れる。ここ最近理紗は龍馬との仲を深め、よく映画に行ったり食事に行ったりするようになっていた。だがまだお互いに気になる存在止まりであり、ようやく本格的な恋愛感情が芽生え始めてきた頃にすぎなかった。
「ま、里中はともかく、いつかのためにってことで」
「木戸さんの晴れ姿を楽しみしておきますから」
「期待されると弱いタイプなんだけどね、励まされたからには頑張るよ」
そう言って苦笑する周人に笑みを見せる理紗はこの人を好きになってよかったと思っていた。優しさに溢れた広い心を持ち、思いやりの心も頼りがいもある。今までこんな感じの人を好きにならなかった自分が初めて惹かれた男性であり、その経験があっていつもクールで冷たい感じがする龍馬の繊細で目に見えない優しさにも気付くことができたのだ。心からおめでとうを言える自分が嬉しい理紗はあの時、少し変わった形ながらも告白できたことを満足に感じながら新婚旅行で仕事を抜ける周人を引き継いでやる仕事の整理を再開するのだった。
*
そしてついにその日がやって来た。挙式は午後一時から、披露宴は午後三時からとなっていた。かなりの広さを持つブライダルサロンの受付場所には周人と由衣が二人で作ったウェルカムボードが置かれていた。由衣が書いた二人の可愛らしい似顔絵は二人のブライダル担当者も絶賛の出来栄えである。午前九時に一足早く二人だけでやってきたわけだが、由衣はすぐさま支度に入り、周人はまだ着替えるのにも早いためにサロンのロビーでくつろぎながらコーヒーを飲んでいた。結局由衣は銀行を辞めずに共働きを選び、そんな由衣をできるだけフォローすると約束した隆弘は成海の猛烈なアタックに陥落寸前となっていた。新居には家具も揃い、いつでも生活ができる準備は万全の体勢で今日と言う日を迎えたのだった。
「木戸さん!」
不意に後ろから声をかけられた周人は飲みかけたコーヒーの入ったカップを置くと振り返ってにんまり笑った。そこにはビシッとスーツ姿も決まった光二と、黒を基調としたフォーマルスーツを着込んだ恵の姿があった。
「この度はおめでとうございます」
光二の言葉に合わせて恵も頭を下げ、恐縮しながら周人も礼を返した。
「すまないな・・・まだ十時前なのに」
「受付としての打ち合わせもありますからね、全然かまわないです」
「そうそう、それに早めに来てここからの眺めを堪能しようと思ったし」
子供を実家に預けてきた恵のその言葉に周人はにこやかに微笑んだ。式の受付を本来であれば哲生夫妻に依頼しようと思ったのだが、お金を預かるということもあって超天然なミカがいるだけに不安となった哲生がそれとなく断り、その哲生の推薦もあって信頼のおける三宅夫妻に依頼をしたのだった。
「周人」
二人と話し込んでいる周人に声をかけてきたのは源斗であった。その後ろには静佳と鳳命、さらには故郷にいる仲間たちの顔も見える。どうやらN県からのメンバーはみんな一緒にやってきたようだった。光二と恵は源斗と静佳にお祝いの挨拶をし、周人は二人を紹介した。
「由衣ちゃんは支度中?」
静佳の言葉にうなずく周人を見て一目散に鳳命がその支度部屋へと向かっていった。そんな鳳命の動きを視線を送ることで金縛りにした静佳は不思議そうにしている光二と恵に愛想笑いを浮かべるのだった。
「先に由衣っちに挨拶してこよっか?」
「そうね・・・由衣ちゃんのドレス姿を見たいしね」
名字が柳生に変わった千里の言葉に、戎と名字の変わったさとみが相槌をうった。その言葉によって女性陣たちは皆由衣の支度部屋へと向かい、残った男性陣たちは周人にひやかしと激励、そして祝いの言葉をかけていく。源斗はロビーに置いてあるスポーツ新聞を開いてくつろぎ、そんな面々の様子を見た光二は恵を伴って最上階にある喫茶店へと誘った。だが、恵は先にトイレに向かい、残された光二は仕方なくその場で待つことにした。チラッと横目で周人の方を見ればかつて『キングの軍団』と死闘を繰り広げた仲間たちの姿が見える。かつて無敵を誇った五人もいまや全員が結婚である。しかも由衣の支度部屋へと向かったその妻たちの顔ぶれもみな美人ぞろいだ。笑いあい、楽しそうに会話しているその素振りからはとても全員が強いようには見えない光二は、今や自分もそうかもしれないと苦笑を浮かべた。
「三宅光二君、だったわね?」
不意にそう声をかけられた光二は思わず立ち上がり、声をかけてきた人物である目の前に立つ着物の女性静佳に対してやや緊張した面持ちで挨拶をした。にこやかに微笑む静佳は見た目通り落ち着いた雰囲気をかもしだしながらすぐそこのソファへと光二を勧め、自分はその隣に腰掛けた。着物がソファにこすれる音もまた優雅であり、静佳に似合っているという印象を受ける。
「去年は周人が凄くお世話になりました、ありがとう」
これまた見た目通り実に柔らかいものの言い方をする静佳に恐縮しながら頭を下げる光二に、静佳は小さな微笑を浮かべて見せた。由衣から聞いている最強の能力を持つこの女性を前に、さすがの光二も自分の能力を発動させないように心がけ、その結果緊張がありありの表情を見せていた。
「そう緊張しなくてもいいのに・・・でもいい顔をしています。さすが、というべき人ですね」
「いえ、そんな、めっそうも無い・・・・」
「人とは異なる力を持ちながらそれを悪用しないあなたは立派ですよ」
全てをお見通しなのか、はたまた由衣か周人が何かを言ったのかはわからないが、『変異種』であることを見抜かれているために思いっきり動揺する光二に向かって静佳はその耳元にそっと顔を近づけた。
「奥さんだけの心が読めないのは、あなたが心の奥底でそれを否定しているからよ。彼女の心を読みたくない、知りたくないと心の奥底で思っているからそれが力をセーブしているの。でもそれは正解。知らないからこそ上手くいくことがあるからね」
耳元でそうささやき、顔を離した静佳は優しく微笑むと立ち上がった。コロンの香りが鼻をくすぐる中、もはやぽかーんとするしかない光二はそんな静佳に呆けた顔を向けたまま、何も考えられずにただその場に座っていた。
「知ってしまえば幻滅することもある、知らなくても何の支障もないこともある。あなたの潜在意識はすごく正しいと思うわ。あなたはまっすぐで心の綺麗な人間です。その心で、周人と由衣ちゃんの二人と、これからも仲良く接してやってください」
そう言って頭を下げた静佳を見て我に返った光二はあわてて立ち上がると自分も頭を下げた。静佳は微笑をたたえたまま由衣の支度部屋へと向かって歩いていく。いまだに立ち尽くしている鳳命に手を差し伸べれば鳳命はようやくそこで動き始め、静佳と一緒に大人しく歩き出した。その向こうからやってきた恵とすれ違いざまに軽く挨拶を交わし、静佳は廊下の角を曲がって姿を消してしまった。
「どうしたの、ぼけっとして」
いまだに呆けた顔をしている光二に不思議そうな顔を向ける恵だったが、光二はゆっくりと恵を見たのみで何も答えようとはしなかった。
「なに?」
あまりに黙ったまま自分をじっと見つめている夫に怪訝な顔をする恵の口調はやや怒ったようになっていた。
「いや、木戸さんのお母さんって凄いやって思って・・・ホント、最強かも」
「はぁ?」
ようやく開いた口から出た言葉も意味不明なため、ますます不機嫌になる恵をなだめようとした矢先に周人が二人を呼んだため、二人の険悪なムードはひとまず終息を向かえた。周人は故郷の仲間たちに光二と恵を紹介しようというのだ。ちょうど今やってきた哲生とミカからも佐々木流の師範として紹介された光二にみんなが興味をもち、十牙などは初対面にもかかわらず試合を申し込むほどに解け合っていく夫を見ながら、普段は弱っちい光二が本当に強いことをここで初めて認識した恵はさっきの不機嫌さもどこへやら、嬉しそうな顔を見せながら会話に混ざっていくのだった。
*
受付が開始され、周人は式用の服装に着替えて控え室を出ると由衣がいる支度部屋へと向かっていた。濃い紫を基調としたジャケットにグレーのズボンを履き、金色のネクタイをしている。髪形もパーマでボリュームを持たせた髪を流すようにしており、いつもとは違うその雰囲気に千里やミカたち、恵などもその姿に惚れ惚れするほどであった。先導した係りの女性がドアをノックし、ゆっくりとドアが開かれる。緊張した顔を見せながら部屋に足を踏み入れた周人は既に支度を終えて座っている由衣を見て思わず言葉を失った。絨毯の敷かれた床に広がるようにしているドレスの裾も、豊かな胸元をやや強調したその姿も、何より茶色く染めてパーマの当たったボリュームのある髪形も素晴らしく、また今までに世間でも見たことがないほどに綺麗な姿でそこにいるのだった。何より、そう濃くない化粧にピンクにきらめくルージュも鮮やかな由衣は光をまとったような神々しさをもって周人の想像を圧倒的に超える美しさをもっていた。呆然としている周人はにこやかに微笑む由衣に胸の高鳴りは最高潮となり、係りの女性にうながされて椅子に座りつつも由衣の姿に釘付けとなっていた。
「どう?」
言いながら髪を掻き揚げる仕草を取る笑顔の由衣だが、実際に髪には触れていない。髪形が乱れるためにそういうフリをしているだけだった。容姿は見違えるほど、いや、普段も美人だがそれを遥かに上回る美しい姿をしている由衣だが、中身は変わっていないことにあたりまえながら苦笑を漏らした。
「綺麗だよ・・・凄く・・・・」
そう搾り出すのがやっとの周人に、由衣だけでなくメイクを担当した若い女性スタッフも苦笑を漏らした。
「ではまず読み上げる電報を十通程度選んでいただきます」
二人の担当者が電報がずっしり入った紙袋を差し出す。由衣は周人に一任すると言って何もせず、周人はかなりの数がある電報をパラパラめくるようにしてその十通をより選んでいった。秋田や会社の同僚たち、そして海外出張のため泣く泣く欠席をした遠藤の名前も見える。さらに驚いたことにあの赤瀬未来からの電報も届いているのだった。そして残りが五通程度となったところでその手が一旦止まる。周人は名前だけを確認しただけでなく、その電報に関しては何か思い当たるらしくゆっくりとその電報を開き、書かれている文字を頭の中で読んでいった。
『ご結婚おめでとうございます。あなたの新たな門出を祝福するとともにあなたの未来に幸多からんことを祈ります。そして、私に本当の幸せをくれたあなたの度量に感謝しています』
そこに書かれている一風変わった文面を見た後、表紙にある福山千江美という名前に周人の口元に淡い笑みが浮かぶ。あれから何の接触も無い千江美だったが、彼女の持つネットワークを駆使すれば周人の結婚やその日時、会場までを知ることなどは造作もないことだろう。周人は電報を閉じると残りをめくっていった。
「誰?」
さっきの動きに疑問をもった由衣を一瞬チラッと見た周人は選んだ十通を担当に渡してから顔を見やる。そこには秋田に未来など、著名人や世話になった人物、会社関係などを選んでいた。
「古い友人だよ・・・まさか電報が来るとは思ってなかったから驚いたんだ」
その言葉に納得したのか、由衣は担当者が確認している電報を覗き込むようにしてみせた。だが電報は全て輪ゴムで止められ、すぐに最終打ち合わせに入ってしまったために周人が誰を選んだのかは結局披露宴までおあずけとなってしまった。
*
教会には親族に加え、厳選された友人知人のみが静粛に座っていた。親族が座る前の方、その真後ろには康男に米澤、菅生はもちろんのこと、龍馬と理紗の姿も見える。そこから少し下がった真ん中あたりには哲生を始め仲間たち夫婦、そして後方には派手な髪の色も目立つ千早兄弟の姿もあり、まさに多種多様のメンバーとなっていた。周人は正面右側に立ち、花嫁の入場を待っている状態となっていたが、その表情は緊張も無く実に落ち着いたものだった。やがて式の開始と花嫁の入場を告げるアナウンスが響き渡り、皆一斉に立ち上がると後方の入り口を凝視していた。カメラを構える者も多く、ビデオカメラを持った者も数名いた。そしてオルガンの奏でる結婚行進曲が鳴り響き、ゆっくりと花嫁が姿を現した。純白のドレスはその裾が大きく開き、きゅっとしまったウエストに反して胸元が大きく見えるよう、しかしそれでいてやらしさを感じない清楚で神々しい姿を見せていた。手にしたブーケも似合う花嫁は長いベールを引きずるようにしているために顔は良く見えないがそのピンクのルージュはベール越しにも栄えて見えるほどだった。一斉にため息にも似た歓声があがり、緊張の極限状態にある父秀雄にエスコートされた由衣は実に落ちついたゆっくりとした足取りで確実に周人の待つその場所へと近づいていった。自分の時よりも綺麗に見える由衣を前に嫉妬の心も無く、千里やミカは一斉にフラッシュをたき、光二や哲生たちはただただ見とれるばかりであった。背中も大胆に開いて肌を露出したドレスだが、元々スタイルのいい由衣には似合っていると思えるほどだ。やがて秀雄のもとから周人の横へと移動した由衣は腕を絡めつつ微笑み合うと神父の方へと向き直った。ステンドグラスが午後の日差しを受けてきらめき、その手前にある白い十字架も神々しく輝いて見えるほどであった。そして式が開始され、神父の祝福の言葉や賛美歌等が終わり、二人が夫婦になる瞬間が近づいてくる。やがて神父が二人に誓いの言葉を投げかけ、周人も由衣も、お互いの永遠の愛を高らかに宣言した。そしてお互いに指輪を交換する。左手の白い手袋を外した周人がその薬指にそっと指輪を差し込んだ瞬間、由衣の心に熱いものがこみあげてくる。由衣もまた周人の左手の薬指に指輪を通すと、2人はベール越しながら小さく微笑みあった。
「では、誓いの口づけを」
その言葉を合図に2人は向き合い、優しい手つきでベールを上げて由衣の顔を露出させた。薄化粧ながらも綺麗な顔はまるで結婚式のモデルのようであり、そんじょそこらの芸能人の花嫁姿よりも綺麗だと全員が思えるほどであった。一旦見詰め合ったまま小さく微笑み合う2人の顔がゆっくりと近づいてくる。そして軽くだが、2人の唇は確かに重なり合ったのだった。一斉にフラッシュがたかれ、感嘆の吐息がもれる。唇を離した周人は照れ笑いを浮かべ、由衣ははにかんだように笑うと肩をすくめる可愛い仕草をとった。神父は高らかに二人が夫婦になったことを宣言し、こうして結婚式は無事幕を下ろしたのだった。
「うらやましい・・・うらやましすぎる・・・しかも可愛すぎる・・・うらやましい・・・」
夢遊病者のようにそうぶつぶつ言う十牙の足を高いヒールで思いっきり踏みつけたのは千里だった。持っていたライスシャワーならぬフラワーシャワーといえる花を一足早く撒き散らしながら悶絶する十牙に、そこにいた仲間たちは自業自得だと無視を決め込んだ。
「でも確かに綺麗だった・・・最高の花嫁だよ」
「今思えばだけど、あの吾妻さんが木戸君の花嫁さん・・・当時の彼らが知ったら悶絶だろうさ」
二人が出てくる教会の入り口を見ながらそう言う康男と米澤は感慨深い思いを胸に当時の記憶を呼び覚ましていた。容姿と財産で男の価値を決め、それでいいと思っていた少女。亡き恋人を想い続け、新たなる恋を拒否した青年。絶対に交わることが無いと思われた二人が今日、結婚したということは定められた運命だったのか、はたまた運命のいたずらだったのか。
「きっと恵里ちゃんも喜んでいるよ」
そう言って雲1つ無い澄んだすがすがしい青空を見上げる康男はそこに麦わら帽子をかぶった夏の似合う少女の笑顔を映し出していた。周人に真の愛を教え、そして図らずも悲しみと絶望をも教えた少女は今日という日をどう思っているのだろうか。
「塾の講師に勧誘した時に、木戸君に聞いたことがあるんですよ」
康男は米澤の視線を感じつつもそちらを向かずに入り口の方へと顔を向けたままそう言った。だが米澤は何も言わずに同じように入り口の方を見ているのみである。
「新しい恋をしようとは思わないのかって・・・そしたら彼はこう言ったんです」
そこで一旦言葉を切った康男は目を閉じ、その時のことを鮮明に思い出しながらゆっくりと口を開いていく。
「『僕は恵里のみを追い求めています、今でもずっと・・・きっと、永遠に捜し続けるんだと思います』とね」
その言葉を口にした周人が今それに関してどう思うのかを知りたいと思う二人は、この後本人にその答えを聞いてみようと考えていた。そう思った瞬間、二人の正装した男性によって扉が開かれ、中から新郎新婦が姿を現した。金色の鐘が都会のビル群に響き渡る中、拍手と歓声をBGMに祝福の花が舞い降りる。多くの祝福や賛辞を受けながら満面の笑みでそれに応える二人はお似合いの夫婦であり、幸せをその全身であらわしているようだった。段差の上に敷かれた赤い絨毯を降りた二人は緑も美しい庭園をバックにポーズを決めるように立ち、無数に切られるカメラのシャッター音に笑顔を振り撒いた。そしてそれぞれ両親や親族、招待客たちとの写真撮影も行われた。哲生は周人と由衣に挟まれる形で意外にも普通に立ち、光二と恵は新郎新婦の両脇にそれぞれ並び、康男は由衣に腕を組まれて照れた笑みを浮かべていた。源斗は緊張しきった顔をし、秀雄は嬉しさと悲しさの涙に暮れていた。千里は由衣共々セクシーポーズをとり、ミカは周人の腕に自らの手を絡めてみせた。芳樹は柄にも無く緊張でガチガチとなり、茂樹は周人を羽交い絞めにした。菅生は由衣からその頬にキスをされて舞い上がり、米澤はただにこやかに微笑を浮かべていた。鳳命は静佳によって動きを止められて不自然なほど直立不動となり、その静佳は2人に腕を絡ませて嬉しそうに微笑んだ。実那子は周人に抱きついて由衣に怒られ、理紗は周人と由衣の肩に手を回し、その横で龍馬は真面目に立っているのみだった。二人が思い描いたアットホームで優しい空気を持つ結婚式に全員が満足し、ずっと笑顔が耐えなかった。やがて最後に二人で何かしらのポーズを決めるということになり、そのポーズを思案している二人に哲生から声が飛んだ。
「お二人さん!あのプリクラだよ!」
その言葉の意味を理解できたミカたちもにんまりし、知らず知らずのうちに『プリクラ』の大合唱が始まった。全く何のことやらわからない連中からもその大合唱が巻き起こり、その言葉の意味を理解している二人は顔を赤くしてお互いに顔を見合わせて照れた笑いを浮かべると、おもむろに周人は由衣をお姫様抱っこしてみせた。その瞬間歓声が巻き起こり、次々とひやかしの声と口笛が飛びつつカメラのシャッターが切られていく。
「超恥ずい・・・」
珍しく照れる由衣は周人の首に腕を回し、抱き上げている周人はそんな由衣の言葉に苦笑してみせた。
「確かに・・・でも悪くないよ」
「うん、そうかも」
そう言ってくすくす笑いあう2人に周囲のひやかしも大きくなる。
「オレさ、やっと見つけたんだ」
「何を?」
「恵里の代わりを、ずっと捜してた・・・ちゃんとした言い方をすれば、恵里を愛したのと同じぐらい愛せる人をね」
「嘘つき・・・恵里さんの代わりだけを探してたくせにぃ」
そう言われては立つ瀬が無かったが、周人は苦笑しながらも由衣から視線を外さなかった。
「まぁ、最初はな・・・でも、代わりじゃダメなことはわかっていたんだ。だからこそ、ジレンマ抱えて永遠に捜しつづけるはずだったんだ・・・その人をね」
「で、見つかった?」
「あぁ、君の中にあったんだ・・・『それ』はね」
その言葉に、由衣は小さく微笑むと周人の頬に顔を近づけてそっと優しいキスをした。多数のひやかしの声と一人からの怒声が青空に舞う。初めてのデートで由衣の悪乗りから撮ったプリクラは、今、幸せと愛に満ちた誓いのキスとなって再現された。あれほど嫌って止まなかった存在を好きになり、今日、永遠の愛を誓い合った。亡き恋人の幻影を追いつづけ、その相手には絶対になりえない存在を好きになり、今日、永遠の愛を誓い合った。周人がずっと捜しつづけた永遠の恋人は由衣の中にいた。そして由衣こそが周人にとって永遠に愛することが出来る存在であった。初夏の日差しが差し込む六月の午後、梅雨空すら吹き飛ばした二人を柔らかな午後の日差しが祝福の光をもって幸福の待つ未来を指し示している。そんな空を仰ぐ周人の目に、かつて愛した少女の姿はそこにはなかった。そう、なぜならば捜しつづけた『永遠の少女』は今、自分が抱き上げている愛しき妻の中にいるのだから。
*
満天の星空とはまさにこのことを言うのだと、由衣は24年生きてきて初めてそれを実感していた。爪のような形を見せている月の他には数える程度の星しか知らなかった由衣にとって、そこはまるで宇宙のように見えた。空全体を埋め尽くす星の光が降り注ぐ夜空を見上げながら、ただその空を見ているだけなのにジーンとした感動が体中を駆け巡るのがわかる。今座っているかなり大きな石の他には何も無い大平原もまた日本では考えられない光景だった。月と星の光しかないにも関わらず、空と大地の境界線がわかるほどに明るいこともまた信じられないことであった。新婚旅行としてヨーロッパの国々を周り、周人の仕事も兼ねてやってきたこのアメリカの大地で、周人はかつて一緒に仕事をしていた仲間たちから車を借りてこの大平原へとやってきたのだ。あの雪の中の告白を経て周人が由衣と別れて三年間過ごしたアメリカにあるカムイのF1工場から五キロ離れたこの場所は周人が当時から気に入っている場所であり、よくここでこうして夜空を見上げていたのだった。由衣はベッドよりも大きいこの平べったい石の上に寝転がってみた。体全体で上を向いたせいか目に見えるものは星で埋め尽くされた夜空だけとなり、まるで自分が宇宙空間を漂っているかのような錯覚に見舞われる。空を覆い尽くすほどの星のまたたきは優しく、月の光もまた優しい光をもって由衣に降り注いでいた。見せたい夜空があると付き合いだした頃に言われていた由衣だが、ここへ来るまでそのことを忘れてしまっていた。イタリアやドイツの町並みやスイスの山々も美しかったが、この夜空には到底叶わないと思える。周人は夜景も綺麗に録画できる買ったばかりのビデオでその夜空を撮影しており、由衣は体を芋虫のように動かして座っている周人の膝を枕にして自分の頭を置いた。
「綺麗だね・・・」
「だろう?これは絶対に見せてやりたいって思ってたんだ」
「ありがと・・・すっごい感動してるよ」
「オレの心遣いに?」
「夜空に」
そう言うと思っていただけにその答えに苦笑しつつ、周人は一旦ビデオの録画を止めて足下にそれを置いた。由衣の頬を撫でながら自分もまた夜空を見上げるようにしてみせる。見慣れていたはずのその夜空も懐かしいというよりは新鮮だった。
「いつか子供が出来たら、見せてあげたいね」
「そうだな、その時はまたここに来よう」
由衣はのっそりと起き上がると、そのまま石から飛ぶようにして草の上へと降り立って夜空を見上げ、周人は石の上に片足を上げて座り直すとその膝の上に腕を乗せてリラックスした体勢をとりながら同じように夜空を見上げた。無限に広がる宇宙の一部を切り取ったかのようなその星空を見ながら言葉には出さず、この星のまたたき同様永遠に変わらぬ愛を誓い合う2人は何となしにお互いに目を合わせた。さくら西塾の鉄製の階段に腰かけてタバコを吸っていた周人の横に立って言葉を交わしていたことを思い出す由衣。その頃と似ているこの状況にどちらともなく小さな笑みが浮かぶ。お互いの心に分厚い雲がかかっていたあの頃と違って今の2人の心には雲などなく、この星空のように澄んだ状態となっていた。もちろん、それはこれから先、長い人生においても変わりは無いだろう。見つめあった二人がもう1度見上げた空を、一筋の光がその大空を横切るようにして流れていった。その流れ星に願うのはただ1つ、この幸せが未来永劫死ぬまで、いや、死んでもなお永遠に続きますように・・・