あなただけを・・・(20)
夕闇が辺りを覆う頃、チラチラと闇に映える白い雪が舞い落ちてきた。聖なる夜に舞い降りる天使の羽のようなその雪は、淡く白い光を発しているかのように舞い落ちて桜町の夜空に華を添えた。それでもまだ本当にチラホラ舞う程度であり、積もるというまでにはほど遠い上にホワイトクリスマスという言葉すら違っているように思えた。ネオンがきらめく眼下の町並みを見ながらうっとりとした顔をしている恵を見やる光二は、この後待ち受ける今日のメインイベントのせいか、緊張を隠しきれないでそわそわするのだった。ここは桜ノ宮駅と連結している駅ビルの十二階にあるカニ料理専門店であった。3年前にオープンしたこのお店は全国チェーンの老舗であり、年中を通して美味しいカニの料理が堪能できるようになっていた。値段もやや高めに設定されているのだが、主婦層を狙ったリーズナブルなランチが人気を呼んでおり、こういったクリスマスなどの時期には予約なしでは入れない状態となっていた。それを見越して十一月頭に予約をいれておいた光二のおかげか、見晴らしの良い座敷の個室に案内されて今ここに座っているのだ。恵の入院や純一郎の騒ぎ、果ては忍の事などがあって活躍した光二には康男からみんなにはない特別ボーナスが支給されていた。光二はそれを丁重に断ったのだが、それをがんとして受け入れようとはしない康男によってもたらされたその特別ボーナスをこのクリスマスで使い切ってもいいと判断した光二はかなり高めのコースを注文して恵を心配させた。やがて数々のカニづくし料理が運ばれてくる中、2人のお酒の量も徐々に増えてきていた。そしてメインであるカニの鍋が登場した頃にはそのテンションも最高に盛り上がり、2人は見つめ合ってにんまり笑うと会話も少な目にその料理に没頭した。そんなメインを堪能した2人は満足そうな顔をしながら一息つく。恵はさっきよりもやや多めに舞い落ちてきた雪に視線をやりながらそこから見える夜景を堪能していた。そんな恵の横顔を見ながら綺麗だと思う光二の視線を感じてか、恵は光二を振り返った後おもむろにバッグの中身をあさりはじめた。チェック柄のブランド物のバッグから小さな白い箱を取り出した恵は何だろうと思いながらジッと見ている光二にそれを差し出す。何も言わずに差し出されたその箱は白い包みに赤いハートのシールが貼られており、明らかにクリスマスプレゼントであることが一目でわかった。
「これ、クリスマスの・・・まぁ、それ以外にもすごくお世話になったし、そのお礼も兼ねてるけどね」
照れ隠しなのか、あえて素っ気ない言い方をした恵はジッとその箱から視線を外さなかった。そんな恵の可愛い一面を見て小さく微笑む光二は開けていいかを聞き、恵はそれを了承した。がさがさ音を鳴らしながらも丁寧な仕草で包みを開いていく光二の手の中で、濃いブルーの箱が姿を表す。一旦そこで恵を見やるが何も言わないためにその箱の蓋をそっと開けてみた。その中から姿を表したのは腕時計であった。シルバーのベルトと縁に対して紺色の板が同じくシルバーの針を浮き上がらせるようにして時を刻んでいる。透明なプラスチックの入れ物から時計自体を取り出した光二はまじまじとそれを見つめ、照れくさそうに笑って見せた。
「男の人にプレゼントなんてした事ないから・・・何買っていいかわかんなくて・・・」
恥ずかしいのか、やや斜めに光二を見ながらそう言う恵ににこやかな表情を向けた光二ははにかみながらもありがとうと礼を言った。そしてその時計を左腕にはめると、恵にかざしてみせる。恵は1つうなずいて小さく微笑むと、嬉しそうに何度も腕を見ている光二に胸がきゅんとなるのを感じていた。
「でも、意外ですよ。青山さんなら誰かにプレゼントした事ぐらいあるんだと思ってました」
「・・・高校の頃に付き合った人とも、結局すぐに別れちゃったし・・・こういうの、結構夢見てた時期もあったんだけどね。でも、喜んでもらえて嬉しいわ」
周人には何かを贈っていたんじゃないかと思っていた光二だったが、恵がそう言うのだ、間違いないと思えた。たとえ心が読めなくとも、恵の口から出る言葉に嘘偽りがないと信じられる。照れた顔をしながら窓の外に見える景色に顔を向けた恵を愛おしく思う光二は自分の鞄を引き寄せるとその中からさっき恵が渡した箱と同等の大きさの物を取りだし、そっと恵の目の前に置いた。窓の方からテーブルの上に置かれたその箱に視線を落とした恵は目をぱちくりさせながら微笑む光二を見やった。
「クリスマスだから・・・それに・・・・・・・・ま、とりあえず受け取ってください」
思わず告白しそうになりながらも何とかそれをこらえた光二にうながされ、やや困った顔をしながらも丁寧な指さばきで包みを開いていく。
「僕も、女性にプレゼントしたことなんてないから・・・何を買っていいかわからなかったけど・・・」
こちらも照れた顔でそう言う光二にすまなさそうな顔をする恵の顔がみるみる驚きのそれへと変貌していく。箱の中から姿を現したのは、白い丸形の物体に巻かれるようにしてきらめくシルバーのブレスレットだった。チェーン状になっているその一部分にはプレートがはめ込まれており、プレートとチェーンを結ぶ部分は星形のアクセサリーがくっついていた。
「星じゃなくてクロスもあったんだけど、それじゃ赤瀬未来の真似みたいだから」
未来がしている十字架のピアスの影響か、若者たちの間で徐々にだがクロスが流行りつつあった。だが、あえてそれを選ばなかった光二は星に願いを込めるといった意味も含めてこちらの物を選んだのだった。恵は嬉しさが限界を超えて胸の奥からこみ上げてくるものを抑えつつ、そっとのそのブレスレットを右手の手首に巻いて見せた。
「どう、かなぁ?」
「似合いますよ・・・やっぱり、思った通りです。青山さんにはコレが似合うと思ってたから」
そう言って照れた笑いを浮かべながら、光二はこのブレスレットを選んだ事を嬉しく思っていた。そっとブレスレットを左手で包むようにしてみせた恵のはにかんだ笑顔を見る光二は徐々に心拍数が上がっていくのを感じながら何とも言えない心地の良い空気に満足するのだった。
まさか本当にVIPルームに案内されると思っていなかった周人は丸テーブルに掛けられている清潔感いっぱいの白いテーブルクロスのど真ん中に立てられている薄いブルーのキャンドルを見ながら由衣に苦笑して見せた。由衣もまたこういった所へ案内されると予想もしていなかったのだろう、スープを口にしながらもどこか緊張した顔を崩せなかった。つい先日、茂樹が指定してきた予約時間は午後七時であり、ちょうどその時間にやって来た2人はオーナーである茂樹自らの案内でこの店にある1つしかないVIPルームと呼ばれる完全な個室へと連れて行かれたのだ。この部屋に入るだけでも相当なお金がかかることをインターネットで調べて知っていた周人にしてみれば、たとえ半額になっているとはいえ予定していた以上の料金を覚悟せざるを得なかった。しかも出てくる料理、シャンペンは超一級の物ばかりである。部屋の内部を飾るオブジェも高そうな壺や精巧なガラス細工で出来た獅子など様々であり、かなり場違いな場所に来ているとしか思えない状態となっていた。まず前菜とスープを終えた2人は顔を見合わせて苦笑いしてみせたが、そこから見える景色は普段店から見える夜景とは別角度なせいか、自分たちの住むさくら谷の方まで見渡せそうな美しさを誇っていた。
「凄く綺麗・・・雪も、多くなってきてるし・・・・・最高だよ」
そう言われて自分の左側一面のガラス張りの向こうに見える夜景に目をやった周人も口元を緩ませた。色とりどりのネオンに車のライトが作り出す川、そして、遙か遠くのビルが明滅させる赤い光が幻想的にきらめく様はこの聖なる夜にはピッタリの演出を行っているようだった。やがてメインである周人の肉料理と由衣の魚料理が運ばれてくる。かなり丁寧な動きでそれらを並べたウェイターはテーブルの上で常に冷やされているシャンペンを2人につぎ足すと一礼をして部屋を去っていく。そんなウェイターに軽く会釈していた由衣はぎこちない笑みを見せながらシャンペングラスを手に取ると、夜景を見ながらそっとグラスに口をつけた。舞い落ちる雪は確実にその数を増やしつつある。
「こういう夜景と雪を見ると、あの時を思い出すの」
そっと優しい口調でそう言う由衣の言葉には決して忘れる事の出来ない大切な想いが乗せられている。その意味を誰よりも理解できる周人も微笑を見せながら景色を見つめる由衣の横顔を優しい目で見つめた。
「周人がいない3年間で、1度だけこんなに雪が降った事があったんだけど・・・その時も思い出したんだ・・・・・・ちょっとブルーになりながらね」
照れた顔を周人に向けた由衣の顔が赤いのはアルコールのせいだけではないようだ。
「オレも、あの時の事を忘れた事はないよ・・・離れていた時も、今もね」
「アレがあるから、私、頑張れる・・・周人を信じられるんだ」
そう言ってにっこりする由衣を見て嬉しい顔をする周人はおそらく、どんなに年を取ろうともこうまで自分を信じ、愛し、そしてまっすぐに見つめてくれる人には出会わないだろうと思えた。この世の中にあってただ1人、この由衣だけが自分をしっかりと受け止めてくれると、そう思えた。そんな周人は持ってきていた小さめのバッグから赤い紙でラッピングされた箱形の物を取りだし、まるでチキンのように見える揚げられた魚がトッピングされたお皿の横にそれを置いた。
「クリスマスプレゼントだよ・・・開けてみて」
そう言われた由衣は嬉々としてそれを開いていく。急ぎながらも丁寧に紙をはがす由衣の顔を見ながら、周人はシャンペンを口にしてその表情をジッと観察した。
「え?」
中から姿を現したのは、触り心地も何とも言えない白い箱である。だが、普通の箱ではなく、蓋の部分が小さな山のように優雅なカーブを描くそれの中身を感じ取った由衣は、何故か震える手でそっと蓋を開いて見せた。中には2つの指輪、1つはシルバーに翡翠色した宝石がはめこめれた小さな物、もう1つはやや大きく、太めながらシンプルな形状をした指輪であった。
「これって、ペアリング・・・」
つぶやく由衣が顔を上げると、にこやかに微笑む周人の顔がそこにあった。
「2つの箱にするよりも、こっちの方がいいかなってね・・・・いつも一緒って事で」
そう言う周人は照れながらも自分の右手を差し出してみせた。
「左手の薬指は空けておこうな?いつか、大事な指輪をはめる日まで」
その言葉にうっすら涙を浮かべる由衣は大きいサイズの指輪を取り出すとそっとその指に指輪をはめる。今度は周人が箱を手に取ると翡翠のはめこまれた指輪を取りだし、差し出された由衣の右手をそっと掴みながら慎重にその薬指に指輪をはめ込んだ。きちんと指におさまったその指輪を見つめている由衣は照れた笑顔を浮かべながら右手をそっと周人にかざした。同じように右手をかざす周人に、由衣は心底嬉しそうな顔をしながらかすれる声でありがとうと告げる。やや赤い顔の周人はそんな由衣を見て微笑み返した。
「ありがとう、大好きだよ!」
「あぁ、オレもだ」
そういって笑い合う2人はメインディッシュを食べながら何度も見つめ合い、その度に照れた微笑みを浮かべてみせるのだった。
舞い落ちる雪がその濃さを増していく。薄く雪化粧に染まり始めた街並みを見下ろせるそこは桜ノ宮の北にある大きな公園であった。小高い丘の斜面に面したこの場所は展望台の役目も果たしており、そこから見下ろせる夜景は絶景となってカップルたちの聖域とされていた。果てしなく広がる美しい夜景を見ながら白い息が風に舞う。雪のせいかそう風はないものの、やはり寒さは格別で厚着をしてきた恵でさえ少し寒さをきつめに感じる程だった。酔い覚ましにここまで歩くこと二十分あまり、ちらほらカップルが見える公園内を進んでこの展望台に来た光二と恵は、ただ言葉もなくその素晴らしい夜景に見入っていた。神様の粋な演出が雪という形を取ったせいか、聖なる夜にふさわしい夜景を眼下に見ながら、恵は手袋をはめた手をうっすら雪の積もった手すりの上に置いた。
「昔、由衣が木戸クンに告白した時も、こういう状況だったらしいわ」
一言一言言葉を出すたびに白い息が宙を舞う。
「あの子が十五歳の時、塾長の計らいで木戸クンとディナーにでかけたの」
その話は以前康男から聞いて知っている。そして華麗にドレスアップした当時の由衣の写真を見て思わずドキドキしてしまったほどだ。とても十五歳には見えないその美しい姿を周人のためにした由衣だったが、好き同士にもかかわらず別れてしまった事も聞いていた光二は黙ってうなずきながら風のせいで垂れ下がった恵のマフラーをそっと直してあげた。
「そして、夜景の綺麗な山の展望台で、雪の中の告白をした・・・結果は知ってるよね?」
恵は夜景から顔を背けてやや斜め後方に立つ光二を見やった。そう聞かれた光二はうなずきながら恵の真横に並ぶと、キラキラきらめくネオンの海を見下ろしながら白い息を吐き続けた。
「入院した時、言ったよね?私はまだ木戸クンが好きって」
夜景へと視線を戻してそう言う恵を見ながら、光二は何も言わずにうなずいた。
「木戸クン以外の、優しい彼以上の人なんて、絶対にいないと思ってた」
「・・・男の僕から見ても、木戸さんは凄い人です」
その言葉に嬉しそうに笑う恵を見て胸にチクチク小さな痛みを感じつつある光二は、ここで告白しようと決めていた心がグラグラ揺れているのを感じながら恵の言葉を待った。
「・・・確かに、彼以上の人はいなかったわ」
その言葉に光二の中の何かが崩れていく気がした。自分がその周人以上の人だと言われる事を心のどこかで期待していたせいかもしれないが、光二はガックリした心を隠すように夜景を睨み付けるようにしてみせる。
「だって、彼はきっと、最高なんだもの・・・上なんているはずがない」
その言葉が、光二の中の何かを完全に破壊した。それを自覚した瞬間、光二は恵の方へと体を向けると、やや険しい顔をしながらジッと恵を見つめた。さすがに勢いよく自分の方を向き、なおかつやや怖い顔をしている光二の方を見やった恵は少し驚いた顔をしながらジッと光二を見つめ返した。
「い、いつかは、木戸さん以上の男になってみせます!いや、なれるように努力します!あの人は僕の目標で、あの人のようになりたいから。でも、いつか、あの人を越えたい!強さも、優しさも、心の大きさも・・・・・」
そこまでで激しく息を切らすようにする光二の口から規則正しく白い息が風に舞う。始めこそ何を言い出すのかといった顔をしていた恵だったが、今は実に冷静な目で光二を見上げていた。
「それまで待てないと言うのなら、僕はもうあきらめます。でも、チャンスが残されているのであれば、僕にその素質を見いだせるのであれば・・・・・」
そこで一旦間を置いたのは次の言葉が重要だからか、はたまた、言いにくい言葉だからか。ゆっくりと大きく息を吸い込む光二を全く表情を変えずに見つめ続ける恵から視線を外さない光二は、目に決意の光を宿しながらその言葉を口にした。
「僕と一緒に歩いてください・・・僕と、付き合ってください・・・あなたが好きだから・・・一生かけて絶対に、必ず守ってみせるから」
真剣そのものの目でそう言った光二だったが、それは何度もシュミレーションを重ねた告白の言葉とはまるで違ったものだった。もっとロマンティックな言葉を用意していたはずなのに、勢いに任せた今の言葉は恵の心にどう響いたのか、告白していやに冷静になった光二は今頃になってドキドキして痛いほど高鳴る胸の鼓動に寒さを感じる暇もなくただ目の前に立つ恵を見つめることしかできなかった。やがてそんな恵が小さく笑い出した。笑うような事など言っていないはずなのに、予想外の反応を見せるその姿に光二の心臓はこれまでの人生において最速の鼓動をうち続けている。もはや絶望が胸を支配していく中、恵は1歩詰め寄るようにすると首を折り曲げておでこを光二の胸に当てた。そんな恵の行動に最速記録をさらに更新する心臓はもはや限界を超えていたのかもしれない。
「あ、あの・・・」
絞り出せる精一杯の言葉がそれなのか、光二はもうどうしていいかわからずに体を直立させたまま恵の後頭部を見下ろすのが精一杯だった。
「今の、告白の言葉じゃないよね?・・・・・あれって、どっちかというとプロポーズの言葉、だよね」
おでこを胸に当てて顔を伏せたままそうつぶやくように言う恵の言葉に、光二は顔だけでなく耳まで真っ赤にしながら限界を超えて動き続ける心臓の音が恵に伝わっている事も忘れて指まで硬直させていた。やがて光二の背中にそっと腕を回しながら顔を上げた恵は聖母のような微笑みを浮かべており、今度は限界を超えた赤みを帯びた光二はどうしていいかわからずにその顔を見ながら可愛いと思うどこか冷静な自分に気付いた。
「付き合っても、いいよ・・・・・・」
はにかみながらそう言う恵の言葉に目をぱちくりさせることしか出来ない光二がようやくその意味を飲み込んで表情をゆるめようとした矢先、恵はいたずらな顔をして言葉を続けた。
「た・だ・し・・・・本当に木戸クン以上になること、そして・・・・」
「そ、そして?」
「いつの日か、今さっき以上の言葉でプロポーズしてくれること」
そう言って頬をバラ色に染めながら嬉しそうに笑う恵は呆然と自分を見下ろす光二に対し、つま先立ちになるとそっと唇を重ね合わせた。ひんやりした感じが優しく触れられただけの唇に、鮮明にその柔らかい感触を記憶として残していた。いまだに呆然としたままの光二の鼻をつまみながらさらにはにかんだ笑みを見せた恵はギュッと光二を抱きしめると目を閉じ、その温もりを感じて嬉しそうな表情をしてみせた。
「ホントはね、夏以降、ずっと好きだったの」
入院してから自分を気遣い、助け、励ましてくれた光二を、恵はいつのまにか気にするようになっていたのだった。さりげない優しさを見せびらかすことなく、かといってわざとらしくもないその優しさを、恵はちゃんと見ていたのだ。そして自分を傷つけた純一郎に立ち向かった光二を男と意識し、デートを重ねるうちに最上級の優しさと評価した周人のそれと同等のものを感じていたのだ。好きだと認識したのはつい最近の事だが、思えばその頃から気になっていた、好きになっていたと言えるだろう。由衣の話を聞いていつの日か自分もこういった幻想的なシーンで告白をしたい、受けたいと思っていた恵の願いは、こうしてクリスマスイブという聖なる夜に実現された。ようやく緊張も解けた光二がそっと恵を抱きしめ、見詰め合った2人が再びキスを交わすまで、そう時間はかからなかった。かつてお互いに想いを寄せながら別れを選んだ男女の気持ちを覆い隠したまっ白な雪は、今、想いを繋げた男女を祝福するように、しんしんと降り続けるのだった。
暖冬と言われながら一月二月は平年を上回る寒さをもたらした冬は終わりを告げ、突然暖かくなった3月の末にはすでに桜がそのピンクの彩りを全開にしていた。さくら谷にある大きな公園にも桜の花びらが風に舞い、周囲ではそんな桜を酒の肴に大いに盛り上がっている声が聞こえていた。公園のあちこち、とくに歩道際に植えられた満開のさくらの木の下ではカラオケマシンを脇に大音量にしながらご機嫌でへたくそな歌を近所にまで響かせるおじさんたちの集団や、禁止されている焼き肉で大いに盛り上がる大家族軍団の姿が数多く見られた。そんな桜並木から外れた場所にあるのは大きな池であり、その池の手前にある大きな年老いた桜の木がそのやつれた枝に申し訳程度の花を咲かせているにすぎなかった。そのせいか、この池の周囲に人はいない。いるのはカラフルな犬がデザインされたイラストが描かれた敷物を敷いた上に寝そべっているカップルのみである。さっき食べた一緒にいる女性が作ってきたお弁当箱が入ったバスケットを脇に置き、頭の後ろに手を回してぼんやりとしながら青空をバックに浮かび上がるような桜の花を見上げている男性の脇腹あたりを枕にしながら小さな寝息を立てているのはその女性であった。長袖に薄手の上着を着込み、ジーンズ姿で眠る女性を胸に感じながら、黒いTシャツに白いシャツを羽織った男性は柔らかくて暖かい風に揺れる花を見ながら口元に淡い微笑を浮かべてみせる。頭の下に枕代わりに置いた手のうち、右手を引き抜いて太陽にかざす男性は指と指の間に桜の花が入るようにすると、ややまぶしげにそれを見上げた。その右手の薬指にきらめくシルバーの指輪を見て嬉しそうに微笑むその男性、周人は小さな寝息を立てている由衣の顔を首だけを器用に使ってそっと見やった。由衣のお腹の上に置かれた右手には翡翠が輝きながら光を放つシルバーの指輪が見て取れる。老木のおかげて影になった部分に寝そべる周人は今のこの幸せを噛みしめながら、ずっとこのままこの幸せを守り続ける事をあらためて誓った。
「君だけを見続けると誓うよ・・・ずっとね」
そう言ってからそっと由衣の髪を撫でて目を閉じた周人の頭の中にはかつて愛した女性の姿が一瞬駆け抜けたが、すぐにそれは由衣のものへと変化した。光二が言った由衣の守護神、その亡き恋人が今愛する女性を守ってくれている事を嬉しく思いながら、周人も徐々に夢の中へといざなわれていくのだった。
「私も・・・周人だけを見続けるよ・・・・ずっとね」
規則正しく上下を始める自分の枕の温もりを感じながら、由衣は口元を緩めて目を閉じたままそうつぶやくように言葉を発した。やがて春の陽気に導かれるように、いつの日か実現するであろう純白のドレスを着た自分と、それを迎えてくれる愛しい人の姿を思い浮かべながら再び心地良い眠りへと落ちていくのだった。
「私たちも、ああしようか?」
少し離れた場所を歩く恵が池のそばに立つ老いた桜の木の下でT字を描くようにして寝そべっている仲むつまじいカップルを目にしてそう言うと、隣を歩く光二は一瞬困ったような顔をしてみせた。花見に来てみたはいいが、その人の多さから逃れてここへ来てみれば偶然にも見慣れたカップルの姿があるではないか。
「でも、シートないし」
困ったようにそう言う光二を見ながら小さく微笑む恵は繋いでいる手にキュッと力を込めると絡ませた指の位置を少しずらしてみせた。
「でも・・・いつかはああなりたいですね」
そう言って眠る2人を見る光二の顔から見る見る笑顔が広がっていく。そんな愛しい人を見上げる恵はクスッと小さく笑うと、その顔をカップルの方へと向けた。
「そうだね・・・でも、いつかは超えてやろうよ、あの2人のラブラブ具合をさ」
そう言って満面の笑顔を見せる恵を見やる光二は澄み切った春の空を見上げた。まだ幾分風は冷たいが、確実に春はやって来ている。
「超えましょう・・・必ずね」
そう言って微笑み返す光二にそっと寄り添う恵は嫌がる光二をせかすようにしていまだに眠っているカップルの方へと歩き出すのだった。
ようやく春は来たのだ。
長い長い冬を越え、恵の心に、今、春が。




