素直さの価値(4)
抜糸を終えた周人は暑い日差しを受けながらもブラブラと歩きながら病院から塾へと帰る途中だった。とりあえず経過は良好だがまだ無理はしないようにと念を押されたが、字を書いたり車を運転したりする事は許可された。だが、やはりバイクの運転は止められてしまった上に激しい運動も禁止とされた。お風呂にも右腕は浸けることはできないし、まだ痛みも多少ながら残っている。周人は暑い日差しを降り注ぐ太陽を見上げてげんなりしながらも、まだ田舎の風情を残す田畑の広がったあぜ道を歩いていった。塾から大通りを西に向いた方向にある病院の近辺はまだ田畑が多くあり、農家がポツポツと建っている程度の田舎道がほとんどであった。Tシャツから見える右腕に巻かれた包帯が暑さを倍増させる。今日は米澤しか塾にはいないため、包帯を巻いた腕を隠す必要はなかった。だがいつ生徒に遭遇するかわからないため、薄手の上着を右の小脇に抱えていつでもカムフラージュ出来るようにしているのもまた余計な暑さを感じさせる原因となっていた。3年前までは季節の中では夏が好きで暑さもさほど苦にならない周人だったが、今年の暑さには参っていた。例年を遙かに上回る今年の暑さは異常気象に近いものがあったからである。あまり汗をかかない体質の周人でさえ、拭いても拭いても汗が流れ出て来る。そうしながら少し広めの通りに出た周人は目の前に3台の原付きバイクがエンジンをかけたまま止まっている姿を目に留めた。そのマシンに跨ったままで周人睨んでいる少年は鼻の頭に大きな絆創膏を張り付け、右肩は負傷しているのか首から吊されて固定されている。そして周人の姿を見てマシンを降りた金髪と黒髪のまだら模様の髪をした少年は額に包帯を巻き、右手には鉄パイプが握られていた。そしてその後ろから姿を現したバンダナの少年は右腕をギブスで固めて首から吊し、やはり鼻の頭に大きな絆創膏を貼り付けていた。
「懲りないヤツらだこって・・・」
ため息混じりにそう言いながらあきれる周人を後目に、まだら模様の髪の男とバンダナの男が並んで立ちはだかる。そしてマシンに乗った少年の後からかなり体躯のいい少年が姿を現した。由衣を襲った時にはいなかったその少年は短く刈り込まれた髪を真っ赤に染めていた。いくつも連なった大きな金のピアスが夏の日差しを受けてまぶしく反射している。立ちはだかっている2人を押しのけて周人の前に立った少年は周人よりも大きかった。180センチ以上はあるだろう。その自信に満ちた堂々とした態度からしてもおそらく3人組の親玉でケンカも相当強いのだろうというのがうかがい知れる。この間完膚無きまでにやられ、まだ傷も痛々しい姿にも関わらず3人からは余裕が見て取れる事からもそれは明白であった。つまり3人を簡単にのした周人でも勝てないと思っているのだろう。だからこそ真っ昼間にこうして堂々と姿を現したのだ。ニヤつく3人は周人が地面を這いつくばる姿を想像していた。だが、その想像はあっけなく崩れ去ってしまうのだった。なんと、赤い髪の少年は周人に頭を下げたのだ。バンダナの男の話を聞き、必ずぶちのめして仇を取ってやると言い切っていたにもかかわらずである。そしてその少年は3人の目の前で信じられない言葉を発したのだ。
「お久しぶりです、木戸さん」
「久しぶり・・・相変わらずの赤髪だなぁ・・・・しかし、こんなところで会うなんて、な」
苦笑気味にそう言う周人は顔を上げてにんまりと笑う赤髪の少年を見やった。その異様な風貌からは少年というイメージではないが、顔つきはまだ子供らしさを残している。ワル独特の細い眉毛ながら目は大きく二重だった。とりわけ美形でもないが、キリッとした顔は大人びていた。
「まさかあいつらの言う男が木戸さんだったなんて・・・ビックリですよ」
少年は後ろの3人を振り返ってそう言うと、包帯が巻かれた周人の右腕を見やった。そしてそのまま周人の顔を見やる赤髪の少年は怪訝な顔をして見せた。どうやら相手に怪我を負わせたことは聞いていないらしい。それを察した周人は表情を変えることなくいつもの口調で言葉を発した。
「あ、これ?こないだバイクですっころんでなぁ・・・情けないよ・・・で?先日のお礼参りなわけ?」
そう言いながら視線を浴びせられた3人は途方に暮れた様子で2人のやりとりを黙って見ている。明らかに動揺した様子に加えて暑さからくるものではない汗を背中に感じていた。周人の言葉を聞いた赤髪の少年はばつが悪そうに頭を掻くと小さいながらもうなずいた。
「因縁つけられてボコられたって言うもんだから・・・・ま、相手が木戸さんって事だから・・・違うみたいですけどね」
そう言いながら少々睨むようにして3人を振り返る。
「意外とそうかもよ?」
「まさか・・・・木戸さんが意味もなくするわけないッスから・・・・」
「参ったね、どうも・・・・」
はっきりそう言い切る赤髪の男はにんまりした笑みを浮かべ、周人はそれに対して苦笑いを浮かべた。後ろの3人は怪しくなってきた雲行きを察し、ますますそわそわと落ち着きが無くなっていった。
「まぁ、とりあえずあの3人と話をさせてくれる?」
周人のその言葉に、赤髪の少年は何も言わず、道を空けるようにスッと横に移動した。周人は小さく笑みを見せてからそのままやや怯えている3人の前に歩いていった。鉄パイプを握る手には滑るほどの汗をかき、暑さも手伝ってか全身にまとわりつくように汗が噴き出していた。さっきは何を思って『バイクで転んだ怪我だ』と言ったかは分からないが、かなりの傷を負わせたその右腕は見た目も痛々しそうだが、片腕が使えなくてもその強さは身をもって体験済みだ。その上怪我の度合いも3人の方が大きい。周人の右腕が使えない事など何のハンデにもならないのだ。3人は緊張した顔つきでもはや逃げることも睨むことも出来ずに怯えきった目をしていた。
「芳樹の知り合い・・・いや、舎弟かな?どっちにしても知り合いならもう少し痛めつけておくんだったぜ・・・あとあと面倒だからって手加減しちまったからな」
意外な言葉を投げかけ、周人はやれやれといった風にため息をついた。
「まぁ、今度あの子に何かしたら・・・あの子だけじゃない、他の子からもお前らに何かされたって聞かされた時は、たとえそれが嘘であっても、最低1ヶ月は入院してもらうからな」
思ったより軽い口調でさらっとそう言い流す周人の言葉には一切の怒気が含まれていなかった。だが3人はその軽い口調から言いしれない恐怖を感じ、まるで金縛りにでもあったかのように指一本動かせない状態となっていた。
「ほんじゃ、暑いし、もう帰るわ」
芳樹と言われた赤い髪の少年にそう言うと、周人は3人の横をすり抜けて立ち去ろうとした。
「兄貴によろしくな・・・・あまり警察のやっかいにならないよう言っといてくれ」
前を向いたまま左手を挙げてそう言った周人はそのまま熱気で揺らめくアスファルトの道路へ向かってまっすぐに進んで行くのだった。芳樹は苦笑いを浮かべながらその背中を見送ると、いまだ動けないでいる3人の元に体を揺すりながらゆっくりと歩み寄った。さらに緊張感を増す3人の肩に手を回しながら、恐ろしく低い声で一番近くにいるバンダナの男の耳元にささやいた。
「お前ら、最悪だな・・・オレに恥かかせやがって。お前らとは幼なじみだからってわざわざここまで来てやったんだがよ、来て損したぜ。しかも、あの人の知り合いにちょっかいかけたわけだ・・・しかもそれを黙って嘘つきやがって・・・」
もはや言い訳すら出来ずに震える3人は押し黙ったままうつむく事しかできなかった。
「まぁあの人を怒らせてその程度で済んだことを奇跡に思え・・・オレなんか一週間も寝たきりで入院だった・・・」
桜町のみならず関東では知らぬ者はいない千早兄弟、その弟芳樹は兄である茂樹がチームを組んでいる日本最強の暴走族集団『ミレニアム』の特攻隊長として有名だった。50人をたった1人で、しかも素手で叩きのめしたその強さは今や伝説にもなっているほどなのだ。そして兄の茂樹は芳樹のさらに上を行く全国的にも有名な男であり、いろんなヤクザからも組入りを希望されるほどの実力の持ち主で、彼1人を押さえ込むのに機動隊数十名が出動したという過去まで持っているほどなのである。そんな芳樹を完膚無きまでに叩きのめしたという周人の強さを聞かされた3人はもう見えなくなってしまった周人が去った方向を無意識のうちに振り返った。
「聞いたことあるかもしれないが、あの人には兄貴も倒されてるんだぜ?まぁ兄貴は本来10日の入院だったんだが無理矢理3日で退院したけどな・・・兄貴相手にあばら3本程度の骨折で済んだあの人はまさに化け物だ・・・オレたちが負けた唯一の男・・・伝説の『魔獣』・・・」
思い出すようにそう言う芳樹は何故か嬉しそうであった。しかし無敵の存在で自分たちが尊敬する芳樹を倒したという周人を怒らせた事実は重くのしかかってきた。その上、自分たちがいかに手加減されていたのかを思い知らせれ、愕然となる。そんな3人を苦笑混じりに見やると、芳樹はバンダナの男のバイクの後ろに座った。
「まぁ何にせよこの辺で問題を起こすな・・・あの人の怒りに火を点けたらチームすら潰されかねないからよ・・・。問題を起こした時点で卒業後のチーム入りは無効だ、いいな!」
引退した兄に代わって今ではチームを率いる立場である芳樹の言葉は彼らにとって絶対である。さっきまでとはうってかわってドスの効いた声を張り上げた芳樹はねめつけるように3人を見やるとバイクを出すように命じた。
「あの腕の怪我は木戸さんの言葉に免じて見逃してやる・・・」
やはり周人の言葉を真に受けていなかったのか、芳樹は薄い笑みを見せながらそう言った。怪我を負わせた縞模様の髪の男は気まずそうに視線を宙に漂わせながら流れ落ちる汗を拭うことも出来なかった。
「しかし、雰囲気は変わったけど、相変わらず面白い人だ」
芳樹は目を閉じて嬉しそうにそうつぶやくと、走り出すバイクが運んで来る風を気持ちよさそうに受けるのだった。
すでに薄暗くなってきた夕闇の迫る中を疾走するバスの中はかなり静かで、皆疲れからか眠りについている者が多かった。新城も美形を台無しにするほど大口を開けて眠っており、窓に頭をつけて眠る美佐に寄り添う様にして由衣も眠っている。運転をしている康男のすぐ後に腰掛けた恵は保養所を出る前に買っておいた缶コーヒーを康男に手渡した。あと1時間は運転しなければならない康男を、恵は気遣ったのだ。この合宿で両校の女子生徒とも仲良くなった貴史は一番後のシートで3人の女子と静かな声で話をしていた。その貴史たちを除いては皆眠っているか、スマホなどでゲームをしているかぐらいであった。
「疲れたろ?」
運転に集中しているのか、前を見たままそう言う康男はちゃんと蓋を開けて手渡された缶コーヒーをすすり飲んだ。恵は前から流れてくる景色をぼんやり見ているのみで、飲み物は持っていない。トイレが近くなるのを嫌ったせいである。
「疲れましたけど、楽しかったほうが大きいですね。生徒たちといろいろ話もできたたし」
「新城君とも?」
昨夜見回りに行ったきりなかなか帰ってこなかった2人だったが、結局新城1人が戻ってきたのみであった。見回りにしては少々時間がかかりすぎた事もあり、康男は新城と恵がどこかで話でもしていたのだろうと推測していた。もっとも、恵に気がある貴史はかなり気にしていたようだったが。
「そうですね・・・ま、いろいろ」
恵は困ったような顔をしたが、すぐに明るい口調でそう答えた。
「告白でもされたかい?」
何気なくそう聞いた康男だったが、それはないです、ときっぱり言い切られてしまい苦笑した。心の中では、新城君ご愁傷様とつぶやく。
「木戸クン・・・・吾妻さんと何かあったんですか?」
かなりの小声で康男に顔を近づけてそう聞いてきた恵からはどことなくせわしさを感じた。これでは昨夜いろいろ話をした新城がどこまで心の距離を詰められたかは疑問である。
「いきなり唐突に来たなぁ」
康男はそう言うと苦笑し、ミラー越しに恵を見やった。そこから恵がやや俯き加減で自分を見ているのを確認する。
「昨日の朝の事かな?」
「まぁ、そうですけど・・・全体的になんとなく、いつもと様子が違っていたから」
「謝っていたみたいだよ?今までのことをね。彼女の中で何か変わってきたんだろう」
「じゃぁ、やっぱり木戸クンが変えたんだ・・・・」
さすがに周人を好きで、いつも彼を見ている恵は鋭いと思いながらもうまくごまかす方法を模索する康男はこのまま黙っていることはマズイと思い、とにかく会話を順調に続けることにした。
「そうとも限らないんじゃないか?」
「だって・・・新城クンがいるのにすぐにプールにも入らなかったし・・・それにあれほど嫌いな人間にそうそうあんな風に謝ったりしませんよ・・・・」
珍しく少し怒気を含んだ口調でそう言う恵に、康男はやや押され気味だった。恋する乙女の強さをまざまざと見せつけられた康男は本当に困った表情を浮かべながら緩やかなカーブを曲がるバスのハンドルをやや強めに握りしめた。やがて景色は広大に広がる田畑を見せ始めていた。さっきまで景色を占めていた山の緑はすでに遠くなってしまっている。
「でも、あの子が新城君を好きな気持ちは変わっていないよ。それは合宿を見ていればわかっただろう?」
由衣はプールではそうでもなかったものの、それ以外では結構新城にべったりだった。食事の時は必ず毎回横を陣取り、自由時間も新城の傍にいた。授業も一番前で受けていたほどである。恵にとってもそれは十分に理解していた。だが、頭の中で何かが警鐘を鳴らしている、胸の中で何かがドス黒く渦巻いているのだ。それが何を意味しているかは自分でもよくわかっていない。だがあの時、周人と話をしている由衣に何かを感じたのは確かである。そして周人の雰囲気もいつも以上に穏やかであった。考えすぎなのはわかっていても、やはり気になって仕方がないのだ。
「それはそうなんですけど・・・・」
そう言ったきり、恵は黙り込んでしまった。康男は恋する女性の鋭さを見せつけられたような気がして苦笑するしかなかった。かといって由衣が男たちに襲われ、それを周人が救ったという真相を話しすることはできない。もし、それを話せば由衣のショックを大きくするばかりか、誰よりも周人の怒りに触れる事になるだろう。平気な顔をしているもののプールでの事や昨日の朝に周人と接しているその姿からして少なからず由衣の心に傷があるのはわかっている。だからこそ、水着をさらせずにプールにも入れず、しばらく離れた場所にいたのだ。康男が由衣の変化を感じ取っているのと同様、恵もまた康男とは違った感じながら同じように違和感というべき変化を感じ取っていた。そしておそらく、他にもそれに気付いている人間がいるはずだ。だが、次回以降の周人の授業の際に由衣がどういった態度を取るか次第でそれも変化していくだろう。そう思いながら車を走らせる康男はややぬるくなってしまったコーヒーを飲み干すと目の前の運転に集中するのだった。
塾には到着予定時間ちょうどに着き、そこにはすでに何人かの生徒たちの保護者が迎えに来ていた。バスが着いた西校ですぐに解散となったが、塾から遠くの地域に自宅がある生徒や保護者が迎えに来ていない生徒はここからさらにバスに揺られて送ってもらわねばならないのだ。さくら校の生徒は別途ワンボックスカーにて送迎があるため、乗り換える必要もある。康男はその場にいる保護者に簡単な挨拶をすると残った数名の生徒たちを乗せてバスを発車させた。美佐と由衣もまたバスに乗り込んでいる。家は塾から近い方という事もあって、保護者は迎えに来なかったのだ。新城と恵は塾で一旦バスを降り、最寄りの駅であるさくら谷駅まで合宿に参加せずに塾に残っていた八塚に送ってもらった。塾では現在中学二年生を相手に米澤が授業を行っており、周人はさくら校へと戻っていた。とにかく夏のメインイベントである強化合宿を終えた康男は安堵の表情を浮かべながら最後の一仕事をこなすのであった。




