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くもりのち、はれ  作者: 夏みかん
第二章
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素直さの価値(5)

その日は金曜日であり、さくら西校へのバイトがある周人はいつも通りバイクで出かけようとしていた。腕の傷も抜糸から数日経っており、痛みも随分引いているためバイクの運転も可能になっていた。康男が大事をとらせて腕が良くなるまで西校の授業を代行してくれていたため、合宿の日以来西校へ行くのは今日が初めてだった。そうして出かける1時間ほど前、部屋で友達から借りていたテレビゲームのソフトをしていた周人の携帯電話が鳴り響いた。最近はやかましいほど音がいい着メロが横行しているためにあえて普通の着信音にしている携帯を見ると、相手が康男であるのが表示からわかった。一応血で汚れたその携帯は濡れティッシュで拭いたのだが、もちろん綺麗に取れるわけもなくそのまま使い続けている。さすがにこうなっては替え時だと思っている周人は近々機種を変更する予定である。ともかく、電話に出た周人に向かってせっぱ詰まった感じの康男の声が聞こえてきた。どうやらバスが故障してしまい、送り迎えがワンボックスカー1台しか出せなくなってしまったと言うのだ。人数的にその車では何回も往復しなくてはならないために大幅に時間をロスしてしまう。一旦今日は塾を休みにしようかと考えたが受験生にそれはまずいと考え直した。そこで今日授業を担当する新城と周人に車を出して欲しいという依頼の電話だったのだ。元々車で通っている新城は即座にOKしてくれ、既にこちらに向かっているという康男の話を聞いた周人はそういうことならばと自分も車を出すことにした。だが新城も周人も車の車種からして3人しか乗せることは出来ない。そこで何回かに分けるという事で話を煮詰め、電話を切った周人はゲームを終えて戸締まりをするとすぐに外に出た。時間的に今から西塾へ向かい、それから送迎までを考えればぎりぎりの時間である。まずは塾に向かうことになっていた周人は近くに借りている立体の駐車場に向かった。綺麗にアスファルトで整備され、太い鉄骨で組まれた2階建てでちゃんと屋根もあった。ホームセンターなどによくある駐車場に似ているといった方がいいか。26台が駐車可能なその駐車場の2階の奥に周人の車は置かれていた。すぐ横はマンションの駐車場になっており、緑色したフェンスが張られている。1メートル50センチほどの高さがある壁の向こうのマンションは高級な感じがする色合いで、実際に値段も高かった。周人は真夏の太陽を浴びてひときわ輝きを増している自分の車に近づいていった。スポーツカーらしい洗練されたデザインは新城のマシンであるシュヴァルベR―99をさらにシャープにしたイメージがある。レーシングマシンを思わせるリアウィング、タイヤのラインに沿って設置されているライトなどはまさにそれに近い。


「アンロック」


周人がそう言うとゴスッという低い音を立ててドアロックが外れる。キーを差すことなく、それどころかキー自体をポケットから出す事もせずに音声のみでロックを外したその車は果たしてどういう機能を持っているのか。近づくだけでロックが外れる機構とはまた違ったものだ。周人は車の真横に来て初めてキーを取り出し、そのまま何もせずにドアを開けると黒いシートに腰掛けた。乗った瞬間車体が一瞬沈み、また戻る。普通のシートではなく、人の形が成されたそのシートの前には青いハンドルが輝いている。真夏のせいで車内の温度はとてつもなく高くなっており、周人はドアを開けたまま手に持っている金色のキーをハンドルの右側にあるスリットに差し込んだ。そしてキーを回さずにその上にある赤いボタンを押せば、ボボンというエンジンがかかる音が響き、車が低いうなりを上げた。そのままボボボボとエンジンがアイドリングを始める。ドアを閉め、まず普通の車にはありえないすぐ目の前にある複雑なボタン配列の機器や画面がいくつも並んでいるパネルを見やった。ハンドルの裏側に取り付けられたまるでピストルの引き金のような物が左右に飛び出し、ギアの前にもいくつかボタンが並んだ機器が飛び出ていた。カーナビであろう画面の下には小さめのキーボードのような物まである。その画面の下の赤いスイッチを押すとボタンの上にある細長い黒い部分にデジタルで現在の車内温度とエアコンの設定温度が表示され、心地よい風が車内を駆け抜けた。フロントガラスの下は助手席まで何かしらの画面がある。周人は車のエンジンが暖まるのを待って赤いシートベルトを着用した。そしてカーナビの画面の下にある黒い色をした真四角の電源スイッチを押した。


「サテライトシステムオンライン。『さ・く・ら・に・し・じゅ・く』までアクセス、状況表示開始」


画面には『S・O・L・S』と表示された後、今いる場所の地図が立体的に、しかも事細かく表示された。そしていつも通っている西校までの道程が赤いラインで示された。やがてそれは徐々に道を追いながら青いラインに変化していく。それを確認した周人はクラッチを踏み込み、ギアを入れた。白い車体に所々ブルーのストライプが入っている。そのブルーもよく見れば通常の青と水色の2色に分かれていた。1階へ向かう急カーブとなっている駐車場の坂を下りれば、車が出てくる事を通行人や駐車場の中にいる人に示す黄色い警報灯が回り、さらに機械的な女性の声で通行人たちに注意をうながすアナウンスが響いた。慎重に車を進めた周人は通行人の有無を確認すると、低いエンジン音を響かせて駐車場を後にするのだった。


塾の前にはワンボックスカーが止まっていて既に何人かの生徒たちが階段を上がって行く姿が確認できた。軽快に車を飛ばしてきた周人はワンボックスカーの隣に車を止めると、窓を開けて車から出てきた康男に声をかけた。


「悪いな木戸君!さっそく行って欲しい。小川さんと酒井さん、そして吾妻さんだ。全部で20分ってところかな・・・場所は各自が待ち合わせるバス停だけど、分かるかい?」


康男は窓が開けられたドアに肘を置きながらそう告げた。その言葉に周人はうなずき返すのみで何も言わない。そんな2人のやりとりを周人の車に興味津々の男子生徒数名も取り囲むようにして見入っていた。


「それ1回きりだけで?」

「ああ、あとは今出てる新城君が戻り次第もう1回オレが行くから。親御さん含めた本人たちには連絡済みだ・・・すまんがよろしく頼む」


康男はそう言うと笑みを浮かべ、周人の右肩をポンと叩いた。すでにその3人の待ち合わせ場所を知っている周人は意味ありげな康男の笑顔に困った顔をしながらも車の前で車体を眺めている生徒にどくよううながしてから、大通りに向かって走り去った。いつもバイクの周人が想像とは全く違う車で現れたせいか、生徒たちは騒然となり、康男に詰め寄った。周人が車を所持していることにも驚く者が多かったが、しかもその車は新城に匹敵するほどの物なのである。


「あれってエスペランサES―01だよね?でもちょっと違うような・・・」


最近、市販車をレースに出すといったゲームが大人気を博し、新城の『アール』や、今その生徒が言った国内ではスポーツカーで最も定評のあるカムイモータースの最新高級車エスペランサES―01などは最強のマシンとしてゲーム内でも人気が集中していた。値段は1000万はくだらないそのマシンをまだ学生の周人が持っているのだから驚くのも無理はない。康男は本人が帰ってきたら聞くといいと言うと、早く教室に入るようにうながした。だが、このゲームのおかげで車に興味を持っていた柳生雅也はそれがES―01とは少し形状が違うことに気がついていた。その為、どんどん質問を投げかけてくる柳生をとりあえず無視する事に決めた康男は一旦ワンボックスをバスのいない駐車場に止めた。故障したバスは行きつけの工場に預けているために駐車スペースはガラ空きである。


「すまない・・・・君が嫌がることをさせてしまったな・・・・」


康男は階段を上がりながら周人が消えた大通りの方を見ながらそうつぶやくと、ため息混じりに曇った表情を浮かべるのだった。


塾から一番近い酒井由美の自宅近くのバス停に向かった周人はすでにそこで待っていた由美の姿に目を留めた。小柄な由美はいつも到着時間の5分前に来ているほどきっちりした性格をしており、三つ編みにした髪の毛をいじりながら近づいて来る周人の車をぼんやり見ていた。まさかこういう車で来ることなど全く予想をしていなかったのだろう。周人が車を真横に着けると不審そうな顔をしながら数歩後に下がった。低いエンジン音をならすその車から出てきたのが周人だとわかると、完全に驚いた顔をして車と周人とを何度も交互に見やった。


「相変わらず早いなぁ・・・時間より早く来たのにちょっと焦ったよ」


助手席のドアを開け、シートを前に倒して後部座席に乗り込めるようにしながらそう言う周人は苦笑を混じらせていた。それでも呆然としている由美をうながし、後部座席に乗せる。スポーツカーなので狭いのだが、窮屈という所まではいかないといった感じの後部座席に座った由美は乗り込む周人の前に並ぶ複雑な機器に当然ながら目が行く。こんな車は乗ったことがない由美は心なしか緊張していた。


「次は・・・・・小川さんだな」


運転席と助手席の隙間から見える正面に位置している立体的な地図を表示した画面を見ながらそうつぶやく周人はゆっくり車を発進させた。バス停を出て左折し、幹線道路をひたすら走ること約5分、美佐との待ち合わせ場所である交差点が徐々に見えてきた。予定よりも早い時間のせいかまだ美佐の姿は見えなかった。そこに行くまで由美は車の中を見渡すばかりで、何も話そうとはしなかった。交差点を少し進んだ場所で邪魔にならないよう車を停車させ、ハザードランプを点けて美佐を待つことにした周人は由美にそのまま待つように告げ、車の外に出ていった。身を乗り出すようにして普通の車にはありえない機器を興味深げに見やる由美は車の前に立つ周人へと目をやった。持っているのは軽自動車というイメージがあった周人がこういう車種に乗っている事が信じられない上に明らかに通常の車とは違う内装にただただ驚くばかりである。そしてそれはやってきた美佐も同じであった。美佐を見つけ、片手を挙げる周人の背後にある車は自分が想像していた車とはまるで違っていたのだ。新城の車と似た形状をしているが、こちらの方がかっこよく見える。


「すみません、待ちました?」


今時の中学生とは思えない丁寧な言葉でそう言う美佐を、周人は笑顔で出迎えた。


「うんにゃ、こっちが早かっただけだから・・・さ、乗って」


笑みを交えながら軽い口調でそう言う周人は再度助手席のシートを倒した。既に奥にいる由美の顔を見て笑みを浮かべる美佐は少し狭い車の中に入っていった。美佐がしっかり座った事を確認してシートを戻し、ドアを閉めた周人は運転席に座ると地図を表示している画面を見て何やらボタンを操作した。その操作によって地図はやや広範囲を表示すると青いラインで道のりを示す。その状態を確認した周人はギアを入れ、赤信号になっている交差点の手前に車を進ませた。


「ナビシステムオフ、エアロモード・フェイズ2」


美佐や由美にはわからない意味不明な言葉を発すると、信号が青に変わったのを見て車を走らせた。いつの間にか地図を表示していた画面は真っ暗になっていて何も映ってはいない。心なしかさっきよりはエンジン音が静かになったような気がした由美は恐る恐る周人に声をかけた。


「先生、今の何?なんか静かになったみたいだけど・・・」

「ん?あー、走行システムを変化させたんだ。市街地を走るときは静かな方がいいし燃費もよくなるからね」


前を向いたままそう言うと、交差点を左に曲がった。そろそろ由衣の待つバス停に着く頃合いだ。やがて車は坂の多い住宅地、とりわけ一軒家の多いその町並みを見ながらバス停にたどり着いた。やはり予定より5分近く早めに着いたため、美佐の時同様に由衣の姿はまだなかった。だが先日の一件もあってか、周人はすぐに車を降りると周囲を探るように見渡した。だが、複雑に道が入り組むこの住宅地ではどこで何が起きていようが全く分からない状態になっている。日も傾き、幾分暑さは和らいでいるものの、傷を隠すために着ている長袖のTシャツは着ているだけで暑い上にまだ巻かれている包帯もそれに上乗せされている。そして約束の時間になった時、道を曲がって由衣が姿を現した。赤とピンクのチェックの長袖Tシャツにジーパン姿で現れた由衣は周人の顔を見るとこれみよがしな大きなため息をついてみせた。合宿の朝以来顔を合わせていなかった周人だったが、以前と変わりない由衣のその態度に何故か安心していた。あの事件の後、会ったのは合宿出発前であり、その時の由衣はショックからか少し情緒不安定で涙を流していたせいもある。だからこそこの自分を嫌がるような態度を取るいつもの由衣の姿を見てホッとしていたのだ。おそらく事件のショックは癒えてはいないだろう。だが、少なくとも少しは癒されているという気がしていた。


「時間通りだな。さて、君で最後だ、乗ってくれ」


そう言って助手席を開ける周人の車を見やった由衣は呆気に取られた顔をしながらも駆け寄り、マジマジと車を眺めた。


「これ先生の?ね?うっそー、マジで?」


新城のマシンに勝るとも劣らないその車を見やる由衣の目は輝いていた。周人はため息を深々とつくと再度早く乗るようにうながした。嬉しそうに飛び込むがごとく助手席に乗り込んだ由衣は中身の凄さにも圧倒され、後ろに乗っている美佐や由美に軽い挨拶だけをすると目の前に並んでいる見たこともないそれらの機器に見入っていた。


「よし、んじゃぁ戻るか・・・・吾妻さん、その辺のは触らないようにな」


由衣に少しきつめの注意をうながした周人はシートベルトを着けた。いまだに落ち着き無くキョロキョロしている由衣にもそれを着けさせると、ややペースを上げながら車を発進させるのだった。


結局塾にたどり着くまでの間、周人は由衣の質問責めにあっていた。この車の車種、値段、手に入れた経緯など細かいところまでを聞いていたのだ。全てにおいてとぼけてみせた周人に対して由衣が苛立ちを募らせた頃、ちょうど塾に到着したのだった。新城のマシンは既にいつもの場所に止められており、それを見た周人はその真後ろに車を止めた。生徒たち3人は車から降りると前に止まっている新城の車と周人の車を見比べた。大きくは形状が似ているものの、細部では結構違いが見て取れる。新城のシュヴァルベの運転席の窓から車中を見てもそれは一目瞭然であった。新城の車には周人の車の様なまるで飛行機のコックピットの中にあるような機器はなく、普通の車よりはやや複雑なカーステレオやカーナビが取り付けられているのみである。もはや車に見入っている3人を教室に入るようにうながし、自分も車を降りた周人は職員室から出てきた康男に軽く頭を下げた。


「ロック」


自分の車の横を通りながらそう言う周人の言葉に反応してか、ドアロックがされる音と車体の下あたりからカチッという音も聞こえてきた。ドアがロックされた事を確認することなく康男の元へ進む周人を追って3人もやってきた。


「すまない、ありがとう」

「いえ、楽勝でした」


そう答える周人の横に3人も並び、塾長である康男に挨拶をした。そのまま教室に向かう美佐と由美を残し、由衣は車の話を聞こうと周人に尚も詰め寄ってきた。


「先生、あの車の事教えてよぉ」

「あー、また今度な」


素っ気なくそう答えると、周人は授業の準備をしなくてはならない為に素早く職員室に入ろうとした。だがどうしても話が聞きたい由衣はドアノブを掴んだ周人の右腕を掴んで引き留めようとした。まともに傷口を押さえられた痛みに顔を苦痛で歪める周人にすら気付かない由衣の腕を掴み、周人から引き離したのは康男であった。周人はすぐに苦痛の表情をこらえ、すました顔をしてみせた。だが、康男の方は怒りに満ちた目で由衣を見ている。


「君がオレの彼女になったその時、詳しく教えてやるよ」


そう素っ気なく言い残すと、周人は何事もなかったかのように職員室の中へと入っていった。その言葉に憮然とした態度を見せた由衣は掴まれている腕を振りほどこうと機嫌悪そうな顔をしながら自分の腕を掴んで離さない康男を見上げた。だが康男は黙ったまま決して掴んだ手を放そうとはしなかった。徐々に掴まれている手首が痛くなってくる由衣は苦痛に満ちた顔をしながらも康男を睨み続けた。


「ちょっと、先生、痛いんだけど・・・・」


より強く睨み付け、振りほどこうとする由衣の腕を離した康男はそのままジッと睨んでくる由衣を逆に上から睨み付けた。


「どうやら全く気付いていないようだな?」

「はぁ?何がよ?」

「君は今、彼の右腕を掴んだんだ・・・」

「それで?」


掴まれていた腕をさするようにしている由衣の表情がさらに生意気なものに変化するのを見た康男は再度その腕を掴み上げると、強引に引きずるようにして由衣を誰もいなくなった駐輪場まで連れて行った。授業開始まであと10分はある。それに教室からここは死角になるため、誰にも邪魔されずにゆっくり話が出来るのだ。


「君は少し変わったと思っていた・・・だが結局一緒だ・・・何も変わらない、はっきり言って失望したよ」


康男は由衣の腕から手を離すとそのまま腕組みし、やや俯き加減ながら生意気そうな目で自分を見ている由衣を一層強く睨むようにしてそう言った。康男の声はトーンも低く、明らかに怒っているのが分かる由衣は反抗的な目をしながらも黙ることしかできなかった。


「彼が君を助けたのは教師としての義務だ。だが君を気遣って、あれほどの怪我すら、痛みすらなかったように振る舞う彼を見て何も感じなかったのか?義務を越えた優しさを、何も感じなかったのか?」


そう言われた由衣の頭の中で、男たちを撃退する周人の姿が、腕から血を流しながらも自分を気遣う周人の姿が思い出された。そこでようやく周人の右腕の怪我を思い出したが、それでも由衣は今さっき自分のしたことの意味をよく理解できておらず、ふてぶてしい態度を取り続けている。失望も限度を超えた康男はもう由衣を見放すことを決めた。


「オレは、彼はちゃんとすれば新城君にも劣らない容姿を持っていると思っている。そして彼ならば新城君よりモテるとも思っている。いつか君がそれに気付いたとしても、彼は君など相手にしないだろうがね」


康男はそう言うと俯き加減で睨む由衣に背を向けた。


「今の君は最低だ・・・そして、未来の君はもっと最低だろうさ」


そう言い残すと、康男は大股で職員室に戻っていった。しばらくそこでじっとしていた由衣だったが、その後ろ姿を睨みながらフンと鼻息をならすとこちらも大股で教室に向かうのだった。


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