文乃からの依頼 ―2―
「なにか?」
文乃の様子に、花音は首を傾げた。
「私もそこの奥さま――菜摘さんとは出産予定日が近いということもあって、親しくしているのだけど……」
晴れない表情のまま、文乃が続けた。
「武雄くんも親しいみたいだし、妊娠のことも知っているみたいだから、一応伝えておいたほうがいいかな、と思って」
「なんですか?」
慎重な物言いをする文乃を、花音はジッと見据えた。
「――実は、さっき菜摘さん本人から直接聞いたのだけど……」
キョロキョロと辺りを見回し、
「流産されたらしいの」
声をひそめ、告げた。
「流産?」
その言葉の持つインパクトに、花音は思わず聞き返した。
ええ、と文乃は神妙な面持ちで頷く。
「今日、産院からの帰り際、偶然、菜摘さんにお会いしたの。そのときお聞きして」
文乃はそう言って目を伏せた。
「そうなんですか……それは残念でしたね」
花音もそう口にし、目を伏せる。
――でも、なぜ、そんなデリケートな話をわざわざ文乃さんに伝えたのだろう?
疑問が頭の中に浮かび上がった。
文乃と菜摘は産院で知り合った、妊娠という共通項を通しての関係だ。
その共通項がなくなった今、関係を継続することは難しいだろう。
わざわざ『流産』という情報を伝えずとも、ひっそりとフェードアウトしていけば、お互いの関わりはなくなっていく。ネガティブな情報を知らせる必要はないのだ。
なのに、菜摘はあえて『流産した』という事実を伝えた。
なぜ伝える必要のない情報を文乃に伝えたのか――
「だからね」
そこまで考え至ったとき、文乃の声で現実に引き戻される。
「武雄くんがその話題に触れないよう、念のため」
「わかりました。わざわざ教えていただき、ありがとうございます」
花音は視線を文乃に戻し、ニコリと微笑んだ。
「――ところで、奥さまのご様子はいかがでしたか?」
菜摘の意図に触れようと、彼女の様子を尋ねてみる。
「それが意外と元気そうだったの」
文乃はさっきまでの重苦しい空気を振り払うように嬉しそうに笑った。
「それはよかったですね」
「ええ、本当に。お会いしたときは、お庭のお手入れをされていたらしくて」
「お庭のお手入れですか。それなら、お身体の方はもう大丈夫なのですね」
そうみたい、と文乃はうなずいた。
「逆に心配されてしまったわ。『お身体に気をつけてね』って」
「そうですか」
話を聞いた印象では、菜摘は文乃のことを気遣っているようだ。つまり、今後も妊娠とは別に友人関係を続けていきたい、という意向なのかもしれない。そうであれば、流産の話をしたのも納得がいく。
「ああ、そういえば」
文乃が思い出したように言った。
「菜摘さん、ちょうどニラを収穫したところだったみたいで」
「ニラ、ですか?」
花音は首を傾げた。そんな花音に「ええ、ニラ」と文乃が答え、クスッと笑った。
「家庭菜園で作られているそうよ」
「家庭菜園で、ですか?」
花音はパチパチと目を瞬かせた。
「ええ。他にもいろいろお野菜を作られているそうだけど。ニラは妊婦さんに良いからっていただいたの」
「しかし、匂いが強いものなので、つわりにはあまり良くないのでは?」
「よく知ってるわね」
文乃は花音の妊娠に対する知識に感心する。
「でも大丈夫。匂いの少ないニラなの。実際、嗅いでみたけど、匂いを感じなかったわ」
「匂いがない?」
花音は顔をしかめた。
「文乃さん、そのニラ見せてもらってもいいですか?」
「ええ、構わないけど……」
文乃は怪訝そうな表情を浮かべ、トートバックの中を探った。
「これよ」と新聞紙の包みを取り出し、花音の前に置く。
花音はその包みを広げた。
青々とした新鮮そうな細長い葉が一握りほど包まれていた。その中の一つをつまみ上げ、花音はジッと見つめる。
やがて花音はユルユルと首を振った。
「これ、ニラじゃないですよ」
「……ニラじゃない?」
驚いたように目を見開いた文乃に、ええ、と花音はうなずいた。
「水仙の葉ですね」
「水仙の葉?」
「はい。水仙の葉とニラってよく間違われるんです。でも、水仙の葉のほうが厚みがあって幅が広いので、よく見ると見分けがつくんです」
「そうなの?」と文乃が言い、葉を一枚取り上げた。
「私にはよくわからないけど」
「素人にはわかりづらいかもしれませんね」
花音はニコリと微笑んだ。
「だから、毎年、ニラと間違えて水仙の葉を食べてしまい、食中毒になるケースが何件かあるんです」
「食中毒?」
文乃は首を傾げた。
「はい。水仙には毒がありますから」
「毒がある……」
つぶやいて、文乃は持っていた葉をパッと離した。
「そうですね。あまり素手で触らないほうがいいかもしれません。《《汁》》でかぶれることもありますから」
ということは、と文乃は花音を見上げた。
「菜摘さんがニラと水仙を間違えたってこと?」
「そうかもしれませんね」
「それなら、教えてあげたほうがいいわね」
そう言って、スマホを取り出す。
「文乃さん、できれば菜摘さんとは直接お会いして、お話ししたいのですが」
花音の言葉に、文乃はハタと手を止め、彼を見つめる。真剣な眼差しに、何かを感じとったようだ。
「そうね。連絡を取ってみるわ」と頷いた。
「ありがとうございます」
花音は頭を下げた。
とはいったものの、元カノと二人で出かけるとなると変な誤解を生むかもしれない。
花音はどうしたものか、と喫茶店をグルリと見渡した。その先にいた咲と視線が合う。
花音は席を立ち、咲に近寄り、「咲ちゃん、今日って暇だったよね」と話しかけた。




