四・ガウス二世男爵領
シャリスはクェイストの領地を出て、ガウス二世の領地に入っていた。
クェイストの領地がガウス二世の領地と辺境にしか面していないのに比べ、ガウス二世の領地は辺境とクェイストの領地の他に王が統治する王土、ジュッタン子爵の領地、カスターニ伯爵の領地と面していて、かなり気を使う場所にあった。
だが、ガウス二世は好人物で人と分け隔て無く付き合う社交性のある男だった為、そういう場所でも全く気にせずに統治する事が出来た。歳は35でまだ若いが、皆から愛される領主としてこの地を守っている。
シャリスはその城にかなり近い小川で水に入っていた。この小川の周りは多少木々も生えていて、美しい風景を作っている。が、そのぶん野獣も多く危険性も高い。彼はそこで十日程の旅で汚れた体を素っ裸で洗っていたのだ。そして彼の愛馬はその上流で水を飲んでいる。
日は傾き掛け、しかし日が暮れる前には城に着く予定である。それで彼は少し油断して剣と衣服を小川の縁に置いていた。旅のベテランでも、心に隙は出来るものである。それでガサッと草木が揺れる微かな音にシャリスと馬のカスタスがビクッとして、シャリスは「しまった。」と呟いた。そして慌ててバシャバシャと水飛沫を上げて剣を取ろうとした。と、そこに白い馬がシャリスの前に立ちはだかり、シャリスが剣を取ろうとするのを阻止した。シャリスは思わず素手で構えて後ろに二・三歩下がる。とその上に乗っていたサラサラの金髪の女性が剣を向けていた。
「あ…、あの、怪しい者では…。」
シャリスは相手が人間だったので思わず下手に出た。女性は銀色に輝く体にピッタリした鎧を着ていてプロポーションが良く、整った顔立ちをしていた。目は青色で唇は薄っすらと紅を塗っているのか、その紅色が白い肌に浮き立つ。シャリスは思わず鼻の下を伸ばして、卑らしく笑った。
「いや、本当に怪しい者では…。ただ川で体を洗っていただけです。剣をおしまいになって下さいな。」
手と手を擦りあわせて腰を低くする。女性はその姿を見てクスッと笑った。その笑顔は艶やかでしかし、少女の面影を少し残していた。
「見苦しい物が丸見えですわよ。」
彼女はそう言うと剣をしまう。シャリスは自分の一物が丸見えなのに気付いて、両手でそれを隠す。
「クスクス…。」
女性はまた笑って、そして馬を操って方向を変えると、チラッともう一度シャリスを見ると、楽しそうな笑い声を上げて走り去ってしまった。
「な…。」
シャリスは思わずそこで立ち尽くし、しかしすぐにハッとしてカスタスの方を見る。カスタスは今の女に敵意が無かったのに気付いていたのか、知らん振りをして水を飲み続けていた。
「な、何だったんだ一体…。でも、まあ良い女だったな…。」
シャリスはまた鼻の下を伸ばして呟いた。しかしすぐに首を横に振り雑念を払うと真面目な顔をして、服の所に戻る。そして服を着て剣を腰に帯び、また鼻の下を伸ばしよだれを垂らした。
「やっぱ良い女だったな…。いや、そうじゃなくて…。カスタス、行くぞ。」
シャリスはカスタスの上に乗ると鼻の下を伸ばしたり、真面目な顔をしたりと繰り返して、そして城の方へと向った。
ガウス二世の城。シャリスはこの城主ともまた友人で、城の前に来ると中に入る為に見張りの男に声を上げた。と、門番は頷きすぐに門を開ける。これにはシャリスが驚いた。
「不用心な城だな。俺がもし敵だったらどうするつもりだ?」
しかし、中に入ると兵の一人が笑顔で待っていて、彼に告げる。
「シャリオン様ですね。私はガウス様の御衛兵のチェッキと申します。あなたのお噂の数々は私の耳にも入っていますが、その話しは後でさせてもらうとして…。ガウス様がお待ちしています。こちらへどうぞ。」
シャリスはなるほどと頷いた。どうやら自分がこちらに向っているという情報が入っていて、近付いてくる人影をガウス自身が窓から見ていたのだな。
「そうか。それじゃ、案内してくれ。っと、その前に俺の事はシャリスと呼んでな。今はそう名乗ってるから。」
「畏まりました。」
兵はそう言うと、他の兵を一人呼んで、シャリスの馬をその兵に預けさせ、彼はシャリスを案内してガウスの所に連れていった。
ガウスは茶色の髪の毛をオールバックにしている精悍な顔つきの男だ。体も大柄で現役の戦士を意識しているのか、動きやすい藍の服に装飾の多い大型の剣を腰に帯びていた。そして執務室の端から端へと歩き回り、シャリスが現れるのを今か今かと待ちわびていた。そこにノックが鳴り響き兵士とシャリスが入ってくる。すると、大喜びで彼に駆寄り抱き付いた。
「しばらくだな!シャリオン!」
ガウスはそう言うと戸惑っているシャリスの背中をバンバンッと叩き、そして離れた。
「俺は男に抱き付かれるのは嫌なのだが…。」
シャリスが顔を顰めて言う。それでガウスはまた大喜びした。
「相変わらずだな。全然変わってない。お前の情報が入った時から俺の所に来ると思ってずっと待ってたんだ。とりあえず乾杯といこう。」
ガウスは机に用意していた銀のグラスをシャリスに手渡すと、酒の樽を持ちそれを注ぐ。そして自分のグラスにも注ぐと樽を置いた。
「相変わらずの男に乾杯。」
何の乾杯だか…。シャリスはそう思ったが、グラスを前に出すとその酒を一気に飲み干した。
「プハーッ…。あまり良い酒じゃないな…。」
「お前に良い酒を出したら全部飲まれちまうからな。不味い酒を出した。」
「相変わらずのせこさだな。まあ、酒を飲みに来たわけじゃないからそれは良いが…。」
シャリスは苦笑いをした。
「クククッ…。話しは聞いているぞ。お前クェイスト男爵の左腕を切り落としたんだってな。俺の腕は切らないでくれよ。」
「な、何で知ってる?」
ガウスは懐から紙を取り出す。
「これだ。クェイスト男爵からの手紙。これに色々と詳細が書かれている。」
シャリスは思わず黙った。なるほど、それで良い酒を出さなかったんだな。ロベルトの所で散々良い酒を飲み干したから。シャリスが顔を歪めていると、ガウスは真剣な顔つきになりシャリスを見詰める。
「これに書かれているエリックだが…。奴の事は俺も知っている。そして、お前の事も中央から手紙が来た。」
ガウスはもう一枚手紙を取出し、シャリスに手渡した。それには王の代理を勤めているケンゼンの署名でこう書かれていた。
“クェイスト男爵の死に一人の男が関わっている。その男、シャリスと名乗り中背の筋肉質で、細身の剣を所持。剣技は強と思われる。この男と思われる人物が現れし時は、直ちに中央情報局に連絡を…。”
「なるほど、確かに俺だ。どういう事だ?」
「まあ、エリックはケンゼン氏の奥方、カリディアナの知人であるとは誰もが知っている。そしてケンゼン氏は奥方の言いなりってのも最近では周知の事実だ。恐らくエリックがお前を殺したくて、カリディアナに泣き付いたと見るのがあっていると思うが…。」
「なるほど…。しかし、俺の方はエリックの事を調べる為に中央に向っているんだ。エリックがロベルトを殺したがっていたのは、ロベルトを襲ったカルバ族の族長から聞き出した事実だ。エリックがロベルトの後釜につきたい為にというのは何となく分かるからそれは良いとして、何で俺を狙う?」
ガウスは肩を揺らして首を傾げた。
「それが分れば中央に行く必要は無いのだろう?それに、クェイストが殺されたという誤報を信じ、さらにお前がシャリオンと分かっていない事で、自ずと敵の姿が見えてくるってものだ。何せ、シャリオン相手に戦いを挑む奴が、この国にいるとも思えんからな。」
「それはどうかな…。まあ、それはともかく…。すると俺の事を知らないエリックとカリディアナが単独で俺を狙っているって事か?」
「ま、カリディアナがどうかは知らないが、お前、ケンゼン氏とも仲は良く無かったろう?そういう風に見ていったら、敵なんて一杯出てくるさ。調べる前に想像で敵を作るなよ。」
ケンゼンとは仲が悪かったと言うより、面識が無かったんだってば…。シャリスはそう思い片眉を上げて、惚けた顔をした。
「まあ、お前の言う事ももっともだ。それでお前はどうする?お前の立場では中央の命令に刃向かう訳には行かないだろう?」
「友人を売るなんて事を俺がするわけが無いだろう。惚けて誤魔化すさ。」
ガウスはそう言ってニヤリと笑った。シャリスもまた肩を揺らして笑う。
「とにかく、今日はゆっくりして行けよ。もう、隣の部屋にご馳走が出来ている頃だ。」
「用意の良いこって。酒は上等の物を頼むぜ。」
「そう言うと思って、あっちには秘蔵の物を出しておいた。味わって飲もうぜ。」
ガウスはシャリスの肩に手を置くと、隣の部屋への扉に歩いていった。
隣の部屋に入るとは大きなテーブルが有り、そこには豪華な食事が用意してあった。ガウスはその最奥に座り、その側面にシャリスを座らせる。シャリスは思わず舌なめずりをしてその料理に向かう。
「ちょっと待ってくれ。今、娘もここに来るから。」
「お、おい、お預けかよ。俺はもう三日も食べてないんだぜ。」
「娘もお前に会えるのを楽しみにしていたんだ。少し位待てってば…。」
ガウスが呆れ口調でそう言うと、シャリスは小さく溜息を吐いた。そしてハッと気付く。
「お前の娘って、確かいつも本を読んでいたひ弱なそばかすの?…たしか、ミランって名だったか…。」
「おお、覚えていてくれたか。あいつももう十七で良い女になったぞ。」
「親ばかだね。あの素材で良い女になんかになれる訳が無い。想像出来て怖いぞ。」
シャリスのその言葉にガウスがムッとする。
「人の娘をつかまえて、お前は言い過ぎなんだよ。しかし、まあ本当に良い女に成長したぞ。どうだ?お前の嫁に。」
「勘弁してくれよ。俺は面食いだし、お前をお父さんなんて言う気は無いぜ。」
「そうか?いや、しかしそうだな。あのじゃじゃ馬をお前にあてがうのは少し酷か…。五年前は大人しい子だったのに…。」
ガウスの言葉にシャリスが興味を示した。
「何だ?あの本の虫が、今はじゃじゃ馬?クククッ、お前俺をからかっているのか?」
「嘘じゃないぞ。今じゃ、俺の兵の中でも一・ニを争う剣士だし、統率力もあって兵士長なんてのもやってるんだ。」
シャリスはそれで驚きの表情を浮かべた。
「嘘だろう?あのひ弱なガキがか?」
「五年前にお前が苛めたろう。本を読んでいたミランを無理矢理中庭に連れ込んで、剣を持たし、特訓するとか言って…。」
シャリスは思い出す。そう言えば、あの日はあまりに退屈だったので、そんな事もしたかもしれない。
「あれから本も読まなくなって、毎日剣を振ってな…。まあ、俺としては体の弱いあの子に良い傾向だと思って放って置いたのだが。まさかあれほどになるとはな。御陰で十七になっても未だ恋人も作らん。」
「でも、あの時ずっと嫌がって泣いていたぞ。剣を嫌いになるならともかく、何で毎日剣を振るようになるんだよ。それに恋人が出来ないのは素材の所為じゃないのか?何でも俺の所為にするなよな。」
シャリスがそう言うと、後ろで気配がして女性の声が響いた。
「あら、私はシャリオン様の所為だなんて一言も言った覚えは有りませんわよ。」
その声は凛として、そして透き通った声をしていた。シャリスはその声で後ろを振り返り、そしてたまげた。
「ミランだ。美人になったろう?」
ガウスがニヤケて言う。ミランはたまげた表情のシャリスに向って上品な白いドレスのスカートの裾を少し上げ、頭を下げた。
「ミランです。お久しぶりですシャリオン様。」
そこに立っていたのは、柔らかなストレートの金髪を後ろで束ねて奇麗にセットして、白い肌に青い目、赤い唇をした美しい女性であった。そしてその女性は城の近くの小川で会ったあの女性である。
「あ…。」
シャリスは言葉が出ずに、ただ頷く。
「先程は失礼しました。野獣が潜んでいると思って思わず剣を向けてしまい…。」
ミランはニコリと笑う。その整った顔が笑顔になるとそれはまさに美の化身とも思えた。
「シャリオン、何を呆けている。一応貴婦人としても挨拶をしているのだぞ、俺の娘は。」
シャリスはそれでハッとした。
「あ、これは失礼。いや、本当に驚いた。これがあのミランとはな。久しぶりだ…。」
シャリスは驚きのまま思い付いた言葉をそのまま吐いた。それでミランはクスッと笑ってテーブルを周り、シャリスの正面に座った。
「あ、俺の事はシャリスって呼んでくれよ。今はそう名乗っているんだ。」
「あら、そうですの?私はシャリオン様に勝って名を上げたいのですが。」
ミランはそう言うとまたニコリと笑った。
「俺に?いやあ、勝てる勝てる。だって俺、今凄く弱いもの。」
「良く言いますわ。辺境に名を轟かせたあのカルバ族の族長ゲシャグを倒したのはいつの事ですか?」
辺境の事情に詳しいのはやはり辺境に面した領地だからか。
「何でそれを知っている?」
シャリスは思わずガウスを睨んだ。ガウスは惚けた顔をして、そして首を横に振る。
「辺境に面する領地の兵は、その手の情報に敏感なのですわ。私も一兵士として、その手の噂は耳に入ります。私はこれでもガウス兵の兵長ですのよ。」
「それはガウスに聞いたが…。」
シャリスは少しムッとした。自分の情報がこうも広まるのは彼にとってやりにくい事である。
「まあ、話しはそれくらいにして、食事にしよう。ほれ、スープが冷めてしまったではないか。」
ガウスが笑いながらそう言うと、シャリスは腹が空いているのを思い出し、頷いた。
「そうだな。ここで飯をたらふく食わなくては、明日旅立つ時に、動けないなんて事になってしまうかもしれんからな。」
シャリスはそう言うと、サジを手にして下品な動作でその料理を食べ始めた。
「あ、明日?明日発つのですか?」
ミランが驚きの表情を浮かべて聞く。そしてガウスもまた同じような顔をした。
「そうだよ。俺は急いでいるんだ。俺を待っている女がいるからな。」
女とはティーナの事で、他意は無い。
「何だと?お前、特定の女がいるのか?」
ガウスが聞く。彼の知っているシャリスは特定の女を作らずに、一夜の女だけを相手にしていた。
「なんだよ。いけないか?」
「別にいいが…。まあ、そうだな。そういう歳だしな…。」
ガウスは完全に勘違いしていたが、勿論シャリスはそんな事知った事では無い。
「シャリオン様…。」
ミランが何故か怒りの形相をシャリスに向けていた。それでシャリスは豪快に肉を頬張りながらミランに視線を移す。
「食事が済んだら、一手お相手お願いします。私はあなたを倒す為だけに剣を訓練してきました。後生ですから…私の願いを聞き入れ下さい。」
シャリスはもぐもぐと口に入った肉を噛み、そしてそれが無くなると頷いた。
「いいよ。でもがっかりするぞ。俺はそれほど強くないから。ゲシャグに勝ったのも偶然だし。」
シャリスの言葉を聞いてミランは立ち上がった。そして一口も料理を食べずにそのまま部屋の扉に歩く。
「それではシャリオン様、中庭で待っています。一時間後にお願いします。」
ミランは振り返ってシャリスに言うと、扉を開けて外に出ていった。そしてバタンッと乱暴に扉が閉まるとシャリスはまた口に肉を頬張り、そしてモグモグとさせながら呟く。
「シャリスだってのに…。」
ガウスは大きく溜息を吐いて、料理に口を付け始めた。
「…やっぱりお前の嫁には無理だな。ミランは小さな頃にお前に苛められた怨みだけで生きている様だ。あーあ…。」
「そうなのか?」
シャリスは呟くと、それはすぐに忘れて食事に集中した。そしてあっと言う間に全てを平らげてしまった。
「よし、腹は一杯になった。今度は酒だな。」
シャリスはそう言うと、今度は用意してあった酒の瓶にそのまま口を付ける。それをまだゆっくりと食べていたガウスが呆れた顔をして見ていた。
「おい、これから娘の相手をするのだろう?酒なんか飲んで大丈夫か?」
「大丈夫大丈夫。たかが練習試合のお相手じゃないか。お、これは良い酒だ。」
シャリスは美味そうにグビグビとそれをやる。
「言っておくが、さっきも言ったとおり娘はこの城でも一・ニを争う剣士だぞ。なめてかかるとお前でも怪我をする。」
「気にするな。俺は怪我をしてもお前の所為にはしないよ。」
怪我覚悟なのか。と、ガウスはますます呆れた顔をした。
「それにしてもミランは美人になったな。知らずにいたらきっと口説きにかかっていたよ。それで笑い者にされたんじゃ、たまったものじゃない。まあ、知ってしまえば昔を知っているだけに食指も動かんがな。」
「ま、お前はそういう奴だよ。待っている女がいないのなら、無理にでもお前とくっつけてしまうって手もあったんだが…。もっとも、あの子はお前を憎んでいる様だがな。」
シャリスは肩を揺らして笑った。
「美人に刺があるのは当然として、しかしあの気性の激しさでは中々恋人が出来んな。男は案外精神的には弱い生き物だから。」
「そうでも無いのだぞ。あの子はあれでも優しくて、城の兵士からは慕われているんだ。あんな態度に出たのはお前にだけだぞ。まあ、恋人を作らないのはそういうのに興味が無いだけだと思うがな。親としては複雑な心境だよ。」
ガウスの言葉にシャリスが苦笑いした。子を持たない彼にはそんな感情は分からない。
「それより、お前の女房はどうした?あの美人の…。」
「美人ね…。マイナが聞いたら喜ぶよ。お前を弟の様に思っているからな、あいつは。実は今、カスターニ伯爵の城に、つまり実家に帰っているんだ。」
「なんだ、夫婦喧嘩か?みっともない。」
ガウスはその言葉に苦笑いをする。
「違う違う。義父が今病気をしていてな。それで顔を出しに行っているんだ。まあ、病気自体は大した事が無いらしいのだが…。ま、そういう事だ。」
「ふーん。」
「後、数日もすれば帰ってくるが、それまでここにおれんのか?あいつもお前に会いたがっていたから、会えないとなると残念がる。」
「悪いな。また遊びに来るよ。」
シャリスの言葉にガウスは顔を顰めた。
「前もそう言って別れたが、それから五年間、つまり今日まで全然顔を出さなかった癖に。」
「また遊びに来るとは言ったが、いつ来るとは言わなかったろう?だから五年後の今来たんだよ。」
シャリスはククククッと笑ってそう言うと、瓶に残っていた酒を一気に飲み干した。そしてガタッと立ち上がり、少し赤くなった顔で言う。
「ごちそうさん。さて、嬢ちゃんのお相手をするか…。」
少しふらついた足をしながら彼は部屋を出ていった。それでガウスは慌てて立ち上がる。
「俺も娘とシャリオンの試合を見なければ。酒に酔ってるから、もしかしたらシャリオンが負けるのを見れるかもしれん。」
ガウスは急いで部屋を出ていった。
シャリスが中庭に来ると、そこは暗闇にかがり火が焚かれていて薄暗いがそれなりの明るさを保っていた。そこの回りには沢山の兵が集まっていて、見やすい場所を確保している。その人垣で作られたコロシアムの中央に、ゆったりとした動きやすい白の訓練着を身につけたミランが立っていた。それはかがり火の光を浴びて少し透け、見事なプロポーションを映し出している。
「ヒューウ…。」
シャリスは思わず口笛を吹いた。
「へへへ、ガウスの娘でも少し悪戯したくなる体つきだな。ウーン…悪戯しちゃおう。」
シャリスがニヤニヤとして呟いた。それを見てミランが眉をつり上げて言う。
「シャリオン様。剣を御抜き下さい。真剣での勝負をお願いします。」
「ククッ…、怒っている顔もまた奇麗だね。これがあのミランとは…。」
シャリスはそう言うと、人垣に近寄り、一人の兵が持っていた訓練用の木製の剣を奪い取る。ミランの近くの兵もまたその木製の剣を持っている所を見ると、それは恐らく試合の為に用意された剣だった。
「し、真剣での勝負を…。」
ミランが焦って言った。が、シャリスはその木製の剣をブンブンと振るとニヤケながら言う。
「ハンデだ。お前は真剣でいいよ。」
「そ、それを負けた理由にするつもりか…。シャリオン様の何て情けない御姿っ。」
ミランは憤慨して、吐き捨てるように言った。それで彼女は腰に帯びていた剣を抜き、シャリスに切りかかる。歓声がドッとわき、ガンッと音がした。シャリスがミランの剣を木の剣で受けた音だった。
「お前の剣は俺の剣と同じで切るタイプだが、木の剣でも受けどころさえ間違えなければこうやって受けられるんだぜ。」
シャリスが笑って言う。二人は剣の根元同士で押し合っていて、力も互角だ。ただ、目一杯の力を出しているミランに比べ、シャリスは余裕の顔である。
人垣の後ろでそれを見ていたガウスは小さく溜息を吐いた。
「やはり、ミランではまだシャリオンには勝てぬか…。遊ばれておるわ。」
シャリスがやられる所を見れるかと少し期待して来たのだが、ガウスは軽く首を振ると部屋に戻っていってしまった。
シャリスはミランを軽く押すようにして、間を開ける。と、ミランはそれで一回深呼吸をして上段に構えた。そしてシャリスを睨む。また兵士達の歓声が上がり、シャリスはそれで周りを見渡して溜息を吐いた。
「俺はこういうのが嫌いなんだよな。何でこんな事になっちゃうんだろう…。」
その時、ミランの目が光る。その隙を見逃すほど彼女は愚かでは無い。彼女の真剣がキラリと閃光を放ち、シャリスの首を襲う。それはまさに殺そうとする一撃で、普通なら首が飛んでいただろう一撃だった。しかしシャリスはスッとしゃがみ、彼女の胸元に入り込んだ。
「うーん…。この胸は大した物だ。」
シャリスはその胸元で彼女の胸を揉みしだいた。それでミランはパっと離れて剣をシャリスに向ける。顔を怒りのあまり真赤に染め、形相は鬼の様になっていた。それでシャリスは苦笑いをする。一瞬歓声が止まっていたが、すぐに一段と大きな歓声が上がった。
「ははは、そんな顔するなよ。良い女がだいなしだぜ。」
「愚弄するか!」
ミランは叫んでシャリスに切りかかる。シャリスは木製の剣を肩に担いだ格好で彼女の剣をフワフワと躱し、そして少し笑いながら言う。
「感情に支配されるようではまだまだだな。」
ミランは更に怒りの形相を強め、殺気立てて力一杯の一撃をシャリスに向けた。そのスピードは今までの物とは桁違いに早く、そして力強い。シャリスはハッと真面目な顔をして、そしてミランの目の前から消えた。
「フカフカ。本当に良い女になったな。」
シャリスはミランの胸の谷間に顔を埋めていた。また歓声が上がり、ミランは悔し涙を目に浮かべてシャリスをはがそうとする。しかし、シャリスの力はミランを身動きさせなかった。
「クッ…。」
ミランはやっと動く腕を振り上げ、その最上で剣を持ち帰るとそのままシャリスの背中に向けて刺しに行く。しかし、シャリスの片手が彼女の腕の根元を掴んで、それをとめた。そして全く動かない状態で、ミランはシャリスを睨む。シャリスは彼女の胸から顔を外し、その近い距離でミランの顔をまじまじと見る。
「アップで見ても美人だぞ。そんな怖い顔をするより笑顔を見せてみろ。」
ミランはこの屈辱に耐え切れなかった。それで思わずポロポロと目から涙を流し、鳴咽した。
「イッ?」
シャリスは焦った。絶対に涙など流さない気の強い女だと思っていたからだ。その声に周りの兵士達もシーンとしてしまい、シャリスは思わずその手を放して一歩下がった。と、彼女はそのまま地に泣き崩れていしまう。
「お、おい…。」
シャリスは困り果ててしまう。これではまるでいじめっ子では無いか。しかも、ミランの泣き顔はまるで子供の様で、先程までの女性とはまるで別人の様であった。
「お、おい、行こうぜ…。」
兵士達が気を使ってそこから去り始める。その間もミランは泣き続け、シャリスは立ち去れずに困り果ててしまった。やがて誰もいなくなり、シャリスと泣いているミランだけがそこに残された。それでシャリスは戸惑った顔のまま、声を掛けようとする。と、ミランは急に泣くのを止めてスクッと立ち上がった。
「シャリオン様。お相手ありがとうございました。私の剣の未熟さが良く分かり、とても勉強になりました。」
ミランは真っ赤な目をして、シャリスにお辞儀をした。
「い、いや…。俺も悪ふざけが過ぎた。ミランがあまりにも変わったから、苛めてやろうと思ったんだが…。苛めすぎたかな?」
ミランは首を横に振る。
「いえ。シャリオン様と剣を交えるのが私の念願でしたから…。でも、真面目にやっていただけなかったのは私がまだまだ未熟なしるし。もっと精進したいと思います。」
「そんな真面目に考えなくても…。」
シャリスは苦笑いして言う。するとミランはニコリと笑う。
「本当にありがとうございました。お休みなさい。」
彼女はすっきりした顔でシャリスに背を向けるとそのまま建物の中に走って去っていった。シャリスは小さく溜息を吐くと、呟く。
「負けてやれば良かったかな…。あれ以上強くなると嫁の貰い手が無いぞ…。」
シャリスは顔を顰めて、そして自分もまた建物に入っていった。
次の日。シャリスは日が出ると同時に城を出た。愛馬のカスタスに沢山の食料を積んで、一路首都カチアへ。シャリスはゆっくりと馬を歩ませて、城を振り返る。そして小さくなったその城壁に囲まれた城を見て呟く。
「ウーン…。結局ずっとシャリオンと呼ばれ続けたな。俺はシャリスだってのに。」
「分かりました。シャリス様と御呼びすればよろしいのですね?」
シャリスはギョッとした。そしてその声の方をパっと見る。と、そこには馬に乗ったミランがいた。旅用の軽い革の胸当てをして、下には旅用の丈夫な服。ただし女性用の短いスカートの物で、彼女は太股を露にしていた。腰に剣を帯びているものの装飾類は全くしておらず、馬も茶色の丈夫な種に乗っている。見た目は美人の旅人と言う所か。
「な…、いつからそこにいた…?」
「いつからってずっといましたよ。気付いていなかったのですか?」
シャリスは全く気付いていなかった。何せ眠く、ほとんど目を開けずに馬に乗っていたから。しかも殺気がある訳では無く、彼女の馬の音にも気付いていなかったのだ。
「ふ、不覚だ…。で、見送りに来てくれたのか?ミラン。」
「あら、見送りなんて…。私、修行の旅に出る事にしましたの。まだまだ修行が足りない事に昨日気付きまして。」
ミランはニコリと笑った。
「おい、女が一人で旅に出るなんてこの地を甘く見過ぎているぞ。幾ら剣に自信があっても、それだけでは死にに行く様なものだ。しかもお前みたいな顔立ちの奇麗な女は穴だらけにされて売られるのが関の山だ。」
「あら、奇麗な女だなんて…、それは誉めてくれているのですか?」
シャリスはそれで怒りの形相をした。
「ふざけるのもいい加減にしろ。大体ガウスがそれを許す訳が無いだろう。」
「大丈夫ですわ。だって私、一人で旅に出る訳では無いですもの。はい。」
メリスはそう言うと胸元から一枚の紙を取出して、シャリスに渡す。
「何だ?」
シャリスはそれを受け取ると早速目を通す。そして顔色が変わった。
“娘をよろしく。もし、見捨てたらお前の情報を各地に流してやるからな。”
それは乱暴な字体で書かれたガウスからの手紙だった。
「ホホホッ、お父様にお願いして書いてもらいましたの。よろしくお願いしますね、シャリス様。」
シャリスはその言葉を聞いて、ガウスの心情が良く分かった。恐らくこのミランはガウスを脅したか泣き落としたかでこの手紙を書かせたに違いない。じゃ無ければ、こんな乱暴な手紙をガウスが書くはずが無かったし、そして愛娘を危険な旅に出すわけが無かった。
「お、お前を連れて行かなくてはならないのか…。」
シャリスは顔を顰めて、しかし、その手紙の通りにするしか無かった。今、自分の情報がばれたら首都に潜入する事も難しくなってしまう。顔出しのつもりでガウスの城に来たが、とんだお荷物を背負う事になってしまった。シャリスは泣きたくなる感情を抑えて俯いて馬を歩ませ始めた。
「あら、待って下さいな。」
それにミランは笑顔でついていった。




