三・辺境の蛮族
朝日が射す頃、シャリスはティーナの寝ている部屋の床で酔いつぶれていた。もう十日もこんな調子で、ティーナは目が覚めると、まず酔いつぶれているとシャリスの姿を見て、そこにいつも通りシャリスがいる事に安心した。そしてベットを降りると、シャリスの体を揺らし、そしてその匂いに鼻を抓む。
「また、お酒臭い…。」
ティーナは気持ち良く床に寝ているシャリスを放っておいて、寝間着で裸足のまま扉を出ていった。そして廊下を歩いて城の中を歩き出す。と、すぐに歩いている侍女に出合った。彼女はここ最近ティーナの相手をしている侍女で、彼女は片手にバスケットを持ってティーナを見付けると笑顔を向ける。
「ティーナちゃん。シャリス様はまだ寝ているの?」
ティーナは少しオドオドとして頷いた。すると侍女は少し考えて、ティーナの前にしゃがみ、そして聞く。
「どう?今日は天気良いし、私、今から少し暇なんだけど、中庭に花畑があるの。見に行く?」
「お花?」
ティーナの質問に侍女が頷く。するとティーナは嬉しそうな表情をして飛び上がった。
「お花があるの?見たい見たい。」
「それじゃ、お姉さんと見に行きましょう。っとその前に着替えてからね。」
侍女は立ち上がって嬉しそうな笑顔のティーナと手を繋ぐと着替えの為に衣装室に歩いていった。
その二時間後にシャリスが目を覚ます。
彼はズキズキする頭痛を耐えながら床から立ち上がると、ベットを見た。そこに寝ているはずのティーナがいないのに驚き、しかしあまりにも頭痛が酷くて何も考えられない。
「ティーナ…。ちきしょう…、何処に行ったんだ?」
シャリスは呟いてとりあえずふらつきながら部屋の外に出た。そしてとりあえずは階段を降りていき食堂に入った。彼は好きな時に飯を食べるので、時間通りに食べるロベルトと一緒に食事をせず、この食堂には良く来るのだ。しかし、今回はご飯を食べに来たわけでは無い。彼は余りの頭痛に水が飲みたかったのだ。それでシャリスはカウンターの中で働いている太っている料理人に水を所望した。料理人はコップに水を入れて彼によこすと、大笑いした。
「あんた、毎日毎日、よくそんなに酒が飲めるな。ロベルト様が大事に保存していた酒をここ十日でほとんど飲んじまったって、ロベルト様の侍女達が騒いでたぜ。」
「ああ、美味い酒だった。酒ってのは飲む為にあって、大事に取っておく物じゃないからな。酒の方も飲まれて幸せだろうぜ。」
料理人は更に大笑いして言う。
「確かにあんたの言う通りだが、もっと大事に飲んで欲しかったってロベルト様が嘆いてらしたって侍女が言ってたぞ。あの高い酒をラッパ飲みで飲むんだって?」
「いいじゃんか。どう飲んだって酒は酔う為の物なんだから。それより、水をもう一杯くれよ。」
料理人は水差しでコップに水を注ぐと、思い出した様に奥に走り、そして小さな紙の包みを持ってきた。
「こいつは二日酔いに良く利く薬だ。水と一緒に流し込みな。」
シャリスはそれを受け取ると、礼も言わずに急いでそれを飲んだ。
「それにしても、あんたがロベルト様の昔の知り合いとはね。信じられんよ。兵達もそう言って、あんたの事を侮蔑していたが…。」
「はは…。そうだろうな。俺自身、あのロベルトさんと知り合いってのは信じられんからな。俺って悪党だし…。」
「ふん…。ま、悪党にしても間が抜けすぎてるな。あんた何処でロベルト様と知り合ったんだ?あんたの様な男とロベルト様が知り合うなんて、俺には信じられないが…。」
料理人はシャリスのだらしない服装と、また生えてきていた無精髭を見てそう言った。服自体はロベルトの上等の物を着ているが、ボタンをしめず、裾がだらしなくズボンから飛び出ている。そして、髪の毛はボサボサになっていた。シャリスは辛そうな表情でグラスを彼に渡すと言う。
「さて、いつだったかな…。それより水と薬をありがとうな。」
「どうだい?朝飯を食べる食欲はあるかい?まあ、時間的にはもう昼飯なんだが…。」
「いや、今はいい。それより俺のつれを見なかったかい?部屋からいなくなったんだ。」
「あんたの娘さんだね。ここでは見なかったが、侍女達にでも聞いたらどうだい?」
シャリスは自分の娘と言われて、鼻で笑った。しかし、否定するのも面倒なので、そのままそれは無視して話しを続ける。
「侍女達は何処にいるんだよ。」
「そうだな。皆仕事をしている訳だから、城の何処かにいるだろうよ。ま、がんばって探しなさいな。」
シャリスは大きく深呼吸をして料理人に背を向けた。
「あんた。あんな可愛い娘がいるのだから、もっとしっかりしなよ。」
シャリスは料理人の言葉を背中で聞いて、それに手を振って食堂を出ていった。そしてまた城の中を頭痛を堪えて徘徊していった。
「おい、あれロベルト様の客人のシャリスって男じゃないか?」
シャリスが城内にある広い室内訓練場を通りかかると、それを見た若い兵士が彼を指差した。そこには剣を振り回し訓練している兵士達が数十名かいて、シャリスはその入り口の前をフラフラと通り過ぎようとしている所だった。
「本当だな。何か気に入らない奴だぜ。幾らロベルト様の客人でも、毎日酒に酔いつぶれて、侍女達にチョッカイをだしているっていうからな。」
もう一人がそう言うと二人は顔を見合わせた。そして何か思い付いたように大声を出す。
「おい!みんな…。」
皆が集まり、そして何やらヒソヒソと話して、その中の一人が廊下に飛び出た。
「シャリスさん!」
その声にシャリスは顔を顰めて振り向く。そこには笑顔の若い兵士がいて、彼を手招きしている。シャリスはその手招きに応じる様にフラフラと彼に近付いていった。
「何だい?」
シャリスはなるべく笑顔を作るが、その顔には脂汗がにじみ出る。
「どうです。酔い覚ましに体を動かしませんか?」
兵士が言う。それでシャリスは訓練場の様子をチラッと見ると、そこには数十名の兵士らがわざとらしく一生懸命に訓練をしていた。
「いや…。俺のつれがいないので探している途中だ。遠慮しておくよ。」
「え?お嬢さんなら侍女と一緒にいましたよ。心配は要りません。どうぞ汗を流していって下さい。」
シャリスは訓練場の中に嫌な雰囲気を感じた。
「しかし…。俺はもう何年も剣を振るってないんだ。君達の訓練の邪魔になると思うから。」
「大丈夫ですって。手加減しますから。」
その兵士はそう言うとシャリスの腕を取って中に引き込んだ。それを見計らって他の者がその入り口の扉を閉ざす。そして訓練をしていた兵士達が一斉に場を空けた。
“何か企んでやがるな…。”
シャリスはそう思ったが、逃げる訳にもいかず、その真ん中に立ち尽くした。
「どうぞ。」
兵士の一人が木製の訓練用の剣をシャリスに渡す。シャリスはそれを二・三度振って、そして胸を抑えた。
“うっ…。気持ち悪い…。吐きそうだ…。”
シャリスの体調など全く無視して、いや、むしろ喜びの顔を浮かべてそれを囲んでいる兵士達が盛り上がる。そしてその中からかなり大柄な男が前に出てきた。それはその兵士達の中でも特別筋肉が盛り上がり、戦士として生まれてきたとしか思えない男であった。
「私はグランゼル兵長です。お相手をお願いしますよ。」
シャリスは思わず逃げようとした。この体調の悪い時にこんな化け物と戦ってたまるか。そう思いシャリスが周りを見ると、そこに逃げ道は全く無く、兵士達が盛り上がった雰囲気でシャリスがやられるのを期待した目で見ていた。
「まあ、手加減はしますから、軽く体を動かす程度で…。」
男がそう言うと木の剣を構える。それでシャリスも仕方無しに剣を構えた。やがてグランゼルはジリジリとシャリスに近寄り、そして初めの一撃をシャリスに向けた。
ガツッ!と鈍い音が響き、シャリスが後ろに転がる。グランゼルの攻撃を何とかシャリスは剣で避けたのだが、その威力は凄まじく彼を後ろに飛ばしたのだ。回りの兵士から歓声が上がり、シャリスはヨロヨロと立ち上がった。
「ったく…。兵士ってのはいつのこうだな…。」
シャリスが呟く。しかし、彼にもこの兵士達の気持ちが良く分かった。戦いの場が全ての兵士は、力でしか他を認めようとしない。指揮官でさえも指揮能力だけでは認めないというのがこの国の兵士達の考えだ。シャリスも昔、兵士だった事が有り、やはり自分も上に立つものをこうして試したものだった。指揮官は指揮能力とそして武力が優れていなければ彼らの上には立つ事が出来ず、そうして上に立っているロベルトやダッケンベルなどが、いかに優れた能力者かという事が分かる。
「しかし、俺はこいつらの上に立つつもりは無い。何で試されなくちゃならないんだ?」
シャリスは呟いた。ただ単に気に入らないからという理由が彼には思い付かなかったのだ。そうしている間にもグランゼルの攻撃が続く。その攻撃は凄まじく、シャリスはやっとの事で剣で受け止め、そして何度も倒れそうになった。
「はははっ、どうした!どうした!貴様の体力はそこまでかっ!」
グランゼルは力いっぱいシャリスを攻める。どう見ても手加減をしているとは思えない。ガキッ、ガッ、ガキッと音が響き、熱気のこもった歓声が響く。シャリスは何度も剣でそれを受け止め、汗だくになっている。と、グランゼルの攻撃が更に凄まじくなり、シャリスはその幾つかを体に受けてしまった。
「ウゲッ…。」
シャリスはその攻撃にそのまま跪くとそのままドタッとうつ伏せに倒れてしまった。歓声は笑い声に代わり、誰もがシャリスの事を指差してけなした。
「何をしておるかっ!!!」
訓練場に厳しい声が響いた。兵士達が一斉にその声の方を見て敬礼する。そこに立っていたのはダッケンベルで、彼は兵士の作る人垣の隙間から倒れているシャリスの姿を見付けた。
「貴様ら!客人に何を!」
「け、剣を教えていましたっ!」
ダッケンベルは目を見開いて、怒りの形相のままその人垣を掻き分けシャリスの所に行く。そしてその様子を見て、さらなる怒りを兵士達にぶつけた。
「ロベルト様の大事な客人に何という事を…。貴様らはそれでも男爵の忠実なる兵かっ!」
この場合、カチア神聖王国の兵士か!か、レイファ国王の名誉有る兵士か!と怒鳴る場面である。男爵の私兵では無い以上、そうなるはずなのだ。しかし、ここにいる兵士達は確かにカチア神聖王国の兵となっているが、実質は男爵の私兵と変わらなかった。何故なら彼らの本質は傭兵に近く、国に忠誠を立てている者は数少なかったからだ。最前線に近い場所での兵士は、安全な場所で暮らしている王の命令より、自分達と一緒に行動する身近な指揮官の命令に殉ずるのだった。
ダッケンベルはシャリスの前でしゃがんで、彼の様子を見る。顔は辛そうだが、それ程の怪我は無いようだった。
「グランゼル兵長。説明を聞くぞ…。」
ダッケンベルは、汗だくでそして満足気なグランゼルにそう言うと、他の兵にシャリスを彼の部屋に運ばせる命令をした。兵士達は数人でシャリスの腕を持つと引きずる様にして彼を訓練場から出した。
「どういう事で、お前までがこの騒ぎに加わった?」
グランゼルは少し考えると、当然の様な顔で言う。
「師団長は、あの男がロベルト様に張り付く寄生虫だとは思いませんか?我々兵士達は皆あの男の行動が気に入りませんでした。いくらロベルト様の客人といえど、限度が…。」
グランゼルは言葉を詰まらせた。ダッケンベルがこれ以上無いほどの怒りの形相をしていたからだ。
「貴様はロベルト様の客人が気に入らないからといって、それをどうこうする権利を持っているのか?」
「う…。」
「あの方はああ見えてもロベルト様の大事な友人。ああいう態度でもあの方は…。」
そこまで言ってダッケンベルは言葉を止める。シャリスの過去は言ってはならぬと言われていたのを思い出したのだ。
「それに、集団で囲んでリンチ状態というのも戦士として許せん行為だ。貴様はそれでも我が隊の兵長か。」
グランゼルはその大きな体をちぢ込ませて俯いた。
「し、しかし、実際に戦ったのは私とあの男だけですから…。一対一ですし、リンチという訳では…。」
「黙れ!お前は仲間で囲んで逃げ道を無くし、実際には一対一でもハンデを自分自身に加したのだ。恥をしれ!」
グランゼルはまたシュンとしてしまう。
「もし、あの方が大怪我などしていたら、貴様は…。」
ダッケンベルがそこまで言った所で、シャリスを連れていった兵士達が戻ってきた。それでダッケンベルが振り向いて、彼らに聞く。
「早いな。ちゃんと部屋まで連れて行き、寝かせたのであろうな。」
「いえ…。」
「いえ?お前達は私の命令を聞かずに、シャリス様をそこらに放ってしまったというのか?」
兵士達は顔を見合わせる。そして少し俯いて言った。
「あの…、廊下に出た途端に目を覚まし、私達の手を振り解いて元気いっぱいに歩いていってしまいました…。どうやら気絶していたのも演技かと…。」
それを聞いてグランゼルが驚きの表情をした。かなりのダメージを与えた手応えを確かに彼は感じていて、そう簡単に歩ける様な状態のはずは無いと思ったからだ。
「そ、そうか…。なるほどグランゼルも手加減をしたのだな…。」
ダッケンベルはそう言うとグランゼルの方を見て、グランゼルはハッとしてひきつった笑いをした。
「今回はシャリス様に怪我が無かったと言う事で不問にしてやる。以後、あの方に無礼な事をするでないぞ。」
「は、はあ…。」
グランゼルが歯切れの悪い返事をすると、ダッケンベルは頷いて彼に背を向けて訓練場から出ていった。
「なんです?手加減は無しだと言ってた癖に、やっぱ手加減してたんじゃないですか。」
兵士の一人がグランゼルに近付いてそう言う。そしてもう一人も近付いて怒った表情をした。
「あの男。気絶したふりをして、わざと俺達が悪いように仕向けたんだな。何て悪い性格なんだ…。兵長も、師団長にそう言って、気絶の擬態を見破ってやれば良かったんですよ。そうすれば、師団長もあいつの卑劣さを知り、考えを直すはずだったのに…。」
グランゼルはそれに答えず、その兵士達から離れて訓練場を出ていった。
「なんだ?兵長ってば、師団長に叱られたのがショックだった様だな。しかし、兵長らしくない…。」
兵士達はそう話していたが、すぐにまた訓練を始めた。
「何かあったのですか?」
ダッケンベルはロベルトの執務室に来ていた。室内訓練場から出た所で侍女が走って来て、ロベルトが呼んでいるとの連絡が入ったのだ。そして執務室に入るとロベルトの顔色の悪さにダッケンベルは驚いて聞いたのだった。ロベルトは執務室の大きな机に座っていて、心配そうにしているダッケンベルをジロリッと睨んだ。
「ここ数日の間に、辺境の蛮族の中でも一・二を争う大きな部族が攻めてくるという情報が入った。」
ダッケンベルの顔が殺気立ったものに変わる。その情報は蛮族の中で友好を持っている小さな部族からの情報だった。辺境の蛮族だからと言って、全ての部族と敵対してるわけでは無いのだ。
「そうですか。戦は半年ぶり位ですね。丁度腕もなまってきていた所です。」
「うむ…。まあ、戦い自体は別にいつもの事だが…。しかし、何故かいつもと違うのだ。」
「違う?何がです。」
ダッケンベルが首を傾げ、ロベルトは少し考える素振りをしてから答えた。
「今まで蛮族の動きは街などを襲い、食料などの強奪が主であった。しかし、今回はどうもこの城を狙っているらしい。」
「城を?どういう事です?」
ロベルトはまた考えながら言う。
「どうも後ろで手引きをしている者がいる様な気がしてな。蛮族達に城を攻める意味が有るとは思えん。あやつらが辺境以外の土地を欲しがるとも思えんし…。」
ダッケンベルが頷く。
「確かに…。しかし敵の目的がこの城であれば、街を警護しながら戦うより楽ですし、負ける事もまず有りませんから…。気にする事も無いと思いますが。」
「うむ…。わしもそう思わんでも無いがな。まあ、いずれにせよ、戦いが近いと言う事を皆に伝えて置いてくれ。そして至急非番で街に帰っている者達を呼び戻し、戦闘態勢を整えるのだ。」
「ハッ!」
ダッケンベルは敬礼すると執務室を出ようとした。
「あ、シャリスに会ったらここに来るように言ってくれ。」
ダッケンベルは振り返り、その言葉に敬礼をして扉から出ていった。
「この嫌な予感…。外れてくれれば良いのだがな。」
ロベルトは呟くと窓の外の風景を見詰めた。
中庭でティーナがはしゃいでいた。大きな放射状に咲き乱れる花。その真ん中は柔らかい芝で敷き詰められていて、周りの風景が全て花になる様に施されていた。その芝に数人の侍女達が昼食の準備をしていて、どうやらここで昼食を取ろうとしているようだ。その中にティーナもいて奇麗な花と昼食に嬉しそうだった。ティーナは三時間程前に軽い朝食をここで侍女の一人と取っていて、そのままここで侍女に本を読んでもらっていたりしてたのだが、そこに昼食を食べる侍女達が集まって来た感じだった。
「ティーナちゃん、こっちにおいでよ。」
侍女の一人が言う。昼食の準備がほとんど出来て、皆がティーナを笑顔で迎える。彼女はその声に頷いて笑顔で思いきり走ってその侍女達の所に行くと、その横に座らせられて小さなサンドイッチを手渡された。
「ティーナちゃんは一杯食べて早く大きくならなくちゃね。」
ティーナは頷いてそのサンドイッチに齧り付く。するとそれを合図に皆が食事を始めた。各々に話しを始め、そしてお茶を楽しむ。ティーナは侍女達中でかなり可愛がられていて、皆の妹の様な存在になっていた。
「美味しい?」
他の侍女の言葉にティーナが頷く。
「うん。でもティーナそんなにお腹空いてないの。」
「そう?まあ、ちょっと前に朝食を食べたばかりだけど、でもあなたパンを一切れ食べただけじゃない。無理しても食べるのよ。」
朝から一緒にいる侍女が言う。それでティーナは少し困った表情を浮かべたが、コクンと頷き、またサンドイッチに齧り付いた。
「ほら、お茶もね。」
彼女らはかわるがわるティーナの世話をする。ティーカップに程よく冷めた甘い茶を彼女にゆっくりと飲まさせる。
「ティーナちゃん焼き菓子も有るのよ。」
また他の侍女がバスケットから菓子を出し、ティーナに渡す。彼女は右手に食べかけのサンドイッチ、左手に焼き菓子という形でどちらから食べて良いのか迷ってしまった。それを見て侍女達がクスクスと笑っている。
「キャッ!」
その時端にいた侍女が食べかけの焼き菓子を放り投げて飛び上がった。皆が一斉にそちらを見る。
「うーん…。中々の手触りだ。」
それは侍女の尻をさすっているシャリスだった。彼はその尻の感触を感動的な表情を浮かべていた。
「しゃ、シャリス様!」
侍女達が一斉に言う。それでシャリスは侍女の尻から手を離し、他の侍女にウインクをした。ティーナはシャリスの姿を見ると両手に物を持っているのにも拘わらず、慌てて器用に立ち上がり彼に走り抱き付いた。シャリスはティーナを抱きかかえ彼女の持っている食べかけのサンドイッチを取り上げそれをパクッと食べてしまうと笑顔で言った。
「俺もご一緒してもよろしいかな?」
侍女達がその言葉で一斉に顔を見合わせる。が、すぐにその中の一人が笑顔で言った。
「不埒な行動をされなのでしたら構いませんわよ。」
「しゃあねえな。今は色気より食い気だし…。」
シャリスはそう言うと仕方無さそうに侍女達の中に座り、そしてその横にティーナを座らせた。
「お姉ちゃん達に迷惑掛けてなかったか?」
シャリスはティーナにそう聞くと、ティーナが頷くより早く侍女達が言う。
「シャリス様よりよっぽど手が掛かりませんよ。ティーナちゃんは。」
そして侍女の一人がサンドイッチをシャリスに渡した。彼は片眉を上げて何も言えない表情でそれを受け取り、食べ始める。
「おじちゃん。もうお酒臭くない。」
ティーナがクンクンとシャリスの匂いを嗅ぎそう言う。確かに酒臭さはもう残っていなかった。薬が効いたのかそれとも訓練場で汗を流したからか。もしくば両方の効果か。ま、どれにせよ酒が抜けて腹が減っていたシャリスだ。彼は無言のままガツガツと食べ続け、彼女らの昼食をほとんど食べてしまった。
「あらあら…。もっと持ってくれば良かったわ。」
侍女の一人がそう言う。他の侍女達は笑いながら食事の後を片し始めた。
「いやあ、本当に美味かった。悪いな、ほとんど食っちまって。」
「構いませんよ。シャリス様が来る前に私達は食べてましたから。それにしても本当に沢山食べましたね。」
呆れている。しかし、シャリスは全然気にせずに、まだ一つの焼き菓子を一生懸命に食べているティーナを見た。
「ティーナ。美味しいか?」
ティーナはシャリスを見上げて嬉しそうに頷いた。それは食べる事が嬉しいのでは無く、ここにシャリスがいる事の嬉しさだった。彼女は本当にシャリスを父親の様に感じているのだ。
「それを食べたら一緒に花を見ようか。」
ティーナはそれを聞いて、慌てて手に残っていた菓子を口に入れた。それを見てシャリスと侍女達がクスクスと笑った。
「本当に仲の良い親子の様ですわね。」
「失礼な。兄妹って言ってくれよ。俺にこんな大きな子がいると思えんだろう?」
シャリスの言葉に侍女達が一斉に首を横に振った。それは見事にまで合っていて、シャリスは思わず言葉を詰まらせた。
「本当は親子なのでは無いですか?シャリス様の様な方にこれだけなつくなんて、親子だからとしか言いようが無いですよ。」
「お、おい。シャリス様の様な方ってどういう意味だ?いい意味の様には聞えんが…。」
「そういう意味ですわ。それより、ティーナちゃんが待ってますよ。」
侍女に言われてティーナを見ると、彼女は焼き菓子を食べ終えてシャリスを見上げて待っていた。それでシャリスは立ち上がり、ティーナと手を繋いで回りに咲く花に近付いた。
侍女達はそれを見て、まさに親子の様だと思ってクスクスと笑っていたが、午後には仕事が有るのでサッサと後片づけを済ますと、一人の侍女を残しそこを散っていった。
「このお花は?」
ティーナが白と紫の花を指差す。
「カブリダリセント。このセシマ大陸の西の山に咲く花だな。山の頂上近くに群れをなして咲く花で栽培は簡単だがこの季節にしなか花は咲かない。」
「これは?」
ティーナは今度はピンクの小さな花を指す。
「エイトリング。ピンクの花の真ん中に八つのリングの様に模様があるのが特徴。こいつは元は辺境の奥地に咲いていた花だな。何十年か前に無謀な学者が辺境の奥地に入り込み、そこから命からがら戻ってこれた時に拾ってきた花だ。それが今ではカチアの一般的な花にまで繁殖してしまっている。」
一人残った侍女がそれを聞いていて思わず目を見開いていた。
「お詳しいのですね。シャリス様は植物の学者か何かなんですか?」
「こんなの常識だ。植物の知識が無いと旅なんて出来ないからな。植物は薬になり食料になりそして毒にもなる。」
侍女は少しシャリスを見直した。好人物ではあったが、ただのスケベな男だと思っていたからだ。
「ねえ、ねえ、この花は?」
ティーナは今度は少し大きな黄色い花を指差した。
「グッケンリリアだな。ティーナ、それは内緒で二・三本折って持っていろ。」
「な、何を言っているんですシャリス様。これはロベルト様の奥方ササリーナ様の大事な花畑ですよ。そんな勝手な…。それもティーナちゃんに花泥棒みたいな真似をさせるなんて…。」
「ん?そうか?それじゃやめておくか。」
シャリスの言葉にでティーナは手を止めた。それで侍女はホッと安堵の溜息を吐いて、そしてさっきシャリスを見直した事を後悔した。
「シャリス様。ここでしたか。」
後ろから声がする。それはダッケンベルで、彼は小さく溜息を吐いた。
「色々と探しましたぞ。先程のは部下が失礼しました。」
ダッケンベルは一礼して、シャリスは惚けた顔で首を横に振った。
「別に…。体を動かして酔いを覚ましただけだ。それより何の様だ?」
「え?あ、実は…、ここ数日で蛮族との戦いが始る情報が入りまして…。それで叔父上がシャリス様にお会いしたいと。」
「そうか…。何処にいる?」
「叔父上は執務室におられます。」
シャリスは頷いてから、足に抱き付いているティーナを抱きかかえた。そして彼女を後ろで控えていた侍女に渡す。
「ちょっと面倒を見ていてくれ。…君の名前は?」
侍女はティーナを渡されて抱きかかえると、笑顔で一礼した。
「セルナと申します。」
「そうか。それじゃ、よろしくなセルナ。」
シャリスはそう言うとティーナの頭を軽く撫でて、そして背を向けた。ティーナは物分かりの良い子で、すぐに現状を把握したのか何も言わずにシャリスを見送っていた。
草原から線でも引かれているように急に木々が生えていて、その境界から先は樹海だった。その樹海がいわゆる辺境と呼ばれる場所でセシマ大陸の南三分の一がそれだった。そこには百以上の蛮族と呼ばれる原始生活をしている部族と、他に類を見ない化け物じみた猛獣や爬虫類が生息していた。その辺境に面する領地を持つ領主は三人。クェイスト男爵、ガウス二世男爵、ジュッタン子爵がそれで、彼らは十二人の領主の中でも戦いに関する力はずば抜けていて、この辺境から蛮族や獣達の侵入を阻止するのも重要な役目であった。
その辺境にある蛮族の中でも一・二を争う人数を要し、そして一・二を争う攻撃性を持つ部族がゲシャグという名の族長率いるカルバ族であった。彼らは普段は辺境の奥深くにその部落を置いていたが、何故か今は辺境の浅い場所に移動してきていた。
そのカルバ族の木の皮で編んだ簡素な小屋に、数人の男がいた。彼らはカルバの民を刺激しないように数少ない人数で入ってきていた、エリック達であった。
外の光りが漏れて、薄明かりを確保しているこの小屋に、カルバの族長ゲシャグとエリックが対峙していた。ゲシャグは蛮族の中で唯一カチアの言葉が話せる族長だった。もちろん数多いる蛮族にはカチアの言葉が分かる者も結構いる。しかし、族長でカチアの言葉を話せるのは今の所このゲシャグしかいなかった。彼は頭が良く顔つきも蛮族のものでは無い。話しでは子供の頃辺境に迷い込んで、そして前の族長に拾われ育てられたのだと聞いた。エリックがこのゲシャグと組もうと思ったのは彼が幼い頃に話していたカチアの言葉を忘れずに流暢に話せるという所にあった。勿論、その武力も頭にあったが、一番の要因は族長と直接話せる事だった。通訳を挟むと、細かな言葉のニュアンスが伝わらず、計画が失敗する可能性があったからだ。
ゲシャグは日に焼けた肌に赤や青の刺青をしていた。上半身は裸で下半身は獣の毛皮を巻いている。手に大きな槍を持ち、黒い髪の毛を後ろに束ねて木の台に座っていた。
「話しはすでに聞いている。我々はあの城にある食料や酒、そして塩を戴ければ良い。城自体に何の興味も無いし、お前達の言うこの辺境を出て暮す事も我々はしない。」
「私はあの城の城主の首とそしてある男と娘の命が欲しいだけだ。あの城にいる人間達を皆殺しにして戴ければ、あの城にある食料や酒、そして塩の他にも私個人からお礼はする。」
エリックはそう言うと手を出した。
「我々に握手の習慣は無い。お前との契約は確実に果たすであろう。ただしお前達の裏切りが有れば、我々は城など無視してお前達を殺す。もしお前達が逃げても、それは果たされるまで我が部族の者達が最後の一人になってでも続けられるだろう。」
ゲシャグはそう言うとエリック達を外に出し自分も出ていった。外にはかなりの数のカルバ族がいて、戦闘前の高まりで興奮した声をあげていた。皆こげ茶色の肌の男達で上半身の裸に刺青をしていて、大きく重そうな剣を持ち彼らはそれを軽々しく振り回していた。
「頼もしいが…。」
エリックは呟いたが、一緒に来ていた二人の部下は怯えてしまっていた。
クェイスト男爵の城の執務室ではシャリスが窓の外を見ていた。その後ろでロベルトが溜息を吐く。
「いくらお前でも、もう何年も戦場に出てなかったのだ。戦いは無理であろう。」
「俺としても世話になりっぱなしってのは嫌なんだよ。ここは一つ俺を使えや。役に立ってやるからさ。」
「何度言われても駄目だ。お前は戦いになる前にここを離れて隣のガウス男爵の領地にでも逃げろ。蛮族に城が落とされるとは思えんが、お前はあの娘を守らなくてはなるまい。万が一にでも危険な目に会わせられぬ。」
シャリスは鼻でフンッと笑うと、振り返ってロベルトを見た。
「もうそうも言ってられない様だ。この城の中にいた方が安全かもしれないな。」
「何?」
シャリスは窓の外を親指で差した。そしてそのまま歩いてその部屋の端にあるソファーにドカッと座る。ロベルトは慌てて窓から外を見ると、遥か向こうでは有るが、かなりの数の人の群れが見えた。
「…ま、まさか!敵の攻撃は数日後との事だったのに…。」
「ロベルトともあろう男が、情報を過信していたわけでも有るまいに…。」
「それはそうだが…。ん?」
ロベルトは人の群れに追われる様に砂煙を上げて走ってくる馬を見つけた。それは真っ直ぐに城の方に走ってきている。
「あれは何だ?」
シャリスはロベルトの言葉に立ち上がり、もう一度窓辺に歩き、そしてそれを見た。それは馬に乗っている二人の兵で、一人はだらりとうな垂れている。鎧のタイプはカチアの物の様だった。
「怪我をしているようだな。偵察の者か?」
シャリスが呟き、ロベルトは素早く窓から背を向けると扉の方に歩いていった。
「シャリス!もう逃がせられないが、こうなったら城の中で戦いの勝利でも祈っておけ。決して戦おうなどと思うなよ。俺はお前の様な友人を無くしたくないからな。」
ロベルトは扉の開けるとそうシャリスに言い放って出ていった。シャリスはクスッと笑って、そして彼もまた部屋を出ていった。
廊下は戦闘準備の兵士達がそして侍女達があわただしく走り回っている。シャリスはその中を一人落ち着いた足取りで部屋に戻ると、そこにはベットに腰掛けて、侍女のセルナに本を読んでもらっているティーナの姿があった。ティーナはシャリスが入ってくるとベットを飛び降り駆けてきてシャリスに抱き付く。
「おじちゃん。何か凄くうるさくなってきたよ。」
「うむ…。戦が始る様だ。」
シャリスはティーナを抱きかかえながらそう言うと、指示を待っている様なセルナに向って言う。
「ティーナの面倒、感謝する。戦が始る様だから、君も自分の仕事に戻ってくれ。」
セルナは一礼するとティーナに手を振って扉から出ていった。ティーナはセルナが出て行くと心配そうにシャリスの顔を見た。
「心配はいらないよ。蛮族如きにこの城が落とせるわけが無い。ロベルトは何か心配そうだったけどな。あいつは街を守ったり外で陣を構えての戦いは慣れているが、城を攻められる経験が無いからな。いつも通りやれば勝利は完全だ。」
ティーナは言っている事は恐らく分かっていないが、その自信のある顔に安心して頷いた。それでシャリスはティーナをベットに降ろすと、笑顔を向けて言う。
「もし何かあったらこのベットの下に隠れるんだぞ。まあ、おじちゃんが守ってやるから大丈夫だとは思うけど、おじちゃんも戦いに行かなくてはならないかもしれないからな。」
「おじちゃん…。ずっと一緒にいて…。」
それは恐らくティーナが初めて見せるわがままだった。この戦いの前の雰囲気に怖がっているのか…。シャリスは笑顔を彼女に向けた。
「おじちゃんは絶対に死なないし、絶対にお前を守ってやるよ。安心しな。」
シャリスはまるで本当の娘の様な愛しさをティーナに感じ、彼女の頭を優しく撫でた。
城壁の中に、二人の兵を乗せた馬が入ってきた。門は彼らが入ってくるとすぐに閉められ、そしてそこは外部に対する戦闘態勢が敷かれていた。兵達は皆殺気立っていて、興奮ぎみだった。
「大丈夫か?」
その兵にダッケンベルが駆けつける。馬から一人が下りてもう一人を慌てて降ろし始めた。が、もう一 人の兵士はすでに息をしていなかった。兵士は悔しそうな顔をして、ダッケンベルに向かう。
「私とこの者はガウス様の兵で、辺境に偵察に入っていた者です。あの大軍に遭遇していきなり矢を放たれ、我が盟友はここに命果てました。」
彼はそのまま泣き崩れた。
「うむ…。その友人の仇は我々が取る。お主、敵の情報は持っておらぬか。人数とか…。」
「も…、申し訳ありません。逃げるのに精一杯で…。私達は他の部族の偵察での帰りで…。」
「分かった、もう良い。お主は城のベットで休むがよい。」
ダッケンベルがそう言うと、彼は他の兵に肩を借りて城の中に入っていった。ダッケンベルもまた城内にもどり、ロベルトの執務室に向かった。
ロベルトは執務室で敵のおおよその数の報告を他の兵士から受けていた。
「うむ…。人数的には我々の方が有利ではあるな。よし、下がれ。」
ロベルトの言葉で兵士が部屋から出ていく。と、同時にダッケンベルが中に入ってきた。
「叔父上。追われていたのはガウス男爵の兵だそうです。一人は死に、一人は救護室にやりました。」
「うむ、そうか。今、情報が入り、敵の数は約三百だそうだ。こちらの数は五百。お前はどう動きたい?」
ダッケンベルはロベルトの言葉に少し考える素振りを見せて、そして慎重に言う。
「五百と言いましても、二百名の兵士は辺境に近い四つの街の警護の為に散らばっておりますし、その他にも百名の兵士が非番で街に戻っています。ですからこの城には今二百名しかおりません。散らばっている兵と非番の兵に連絡は取りましたが、それが戻ってくるのを待つのが得策かと。」
「…そうだな。敵は兵法も知らぬ蛮族で、二百で戦っても負けはせぬと思うが…。しかし、侮ると落とし穴に陥る可能性もあるか…。よし、兵が集まるまでは城で待機。」
「はっ。夜には近い街にいる兵士達が駆けつけましょう。全ての兵は無理でしょうが、それでも二百は帰ってこれるでしょう。」
ダッケンベルの言葉にロベルトが頷く。
「うむ、それでは兵が集まるまで敵の出方を見よう。所で、敵の部族の名は分かったか?」
ダッケンベルは首を横に振る。
「いいえ…。あれだけの人数を要する部族は辺境でも数が少ないと思うのですが、まだはっきりとは分かっていません。」
「そうか。敵の部族が分れば戦いやすいのだが、まあ良い。兵士達が戻ってくるまでは警戒しつつも交代で休みを取らせておけ。明日には久しぶりの大きな戦が始るのだからな。」
ロベルトの言葉にダッケンベルは一礼して、その執務室を出ていった。
「何事も無く終れば良いが…。」
ロベルトはまた外の様子を覗うように窓を開け外を見渡した。
救護室のベットで寝ていた兵士が目がパっと開いた。明かりの無い暗い部屋。彼がこの部屋のベットに寝かされて七時間程が経っていた。彼は大きな怪我が無く疲労だけだと医師に言い、鎧を着けたままそのベットで眠っていた。いや、眠っているフリをしていた。そして彼の行動の時間がやってきたのだ。日が暮れて、明かりが無くなった城内は、廊下にランプの明かりがあるだけで薄暗い。彼は真暗な救護室から、扉を開けてその薄暗い廊下に音も立てずに出ると歩き出した。そして自分の鎧の隙間から、中に忍ばせていた数本の短剣と一枚の紙を取出し、その紙に書いてある地図を見る。それは城の見取り図で、彼はそれを見てニヤリと笑った。ランプの明かりで映し出されたその顔はあのカルバ族の族長ゲシャグであった。
彼は薄明かりの静かな城内を全く音も立てずに走る。彼の目的は第一にロベルトを殺す事。第二に城壁の門を開ける事。そして第三にエリックの言っていた娘、そして男を殺す事だ。その為にこの三人の特徴は詳しく聞いていた。
彼は城内の見取り図を何度も見て、そしてたまに会う兵士から身を隠し、とうとう執務室の前に来た。彼は自分の腕に自信があり、この仕事は確実に出来ると信じていた。それで執務室の前に来ると短剣を身構えて、扉をノックした。
「入れ。」
中から声がする。それでゲシャグは堂々と中に入った。
「何だ。敵に動きがあったのか?」
ロベルトは机に向い書き物をしていて、顔も上げずにそう聞いた。ゲシャグは目標を確認をして、そして邪魔者がいないか周りを見渡す。奥の部屋で物音がしていて、どうやらロベルトの身の回りの世話をしている侍女がいるようだった。
「いいえ。外の敵に動きは有りませんが…。」
「有りませんが?」
ロベルトはそう言って、顔を上げた。と、短剣を身構えているゲシャグに気付き、ハッと顔を強張らせた。
「中には敵がもう侵入しているぜ!」
ゲシャグはそう言って短剣を彼に投げつけた。ロベルトはそれを反射的に腕で避け、短剣は彼の腕に刺さる。と、その時隣の部屋で何かをしていた侍女がお茶を持って中に入ってきた。そしてその光景を見て切り裂かれんばかりの悲鳴を上げる。
ゲシャグはニヤリと笑うとそのまま扉から飛び出していった。すぐにロベルトは追い駆けて廊下に飛び出る。
「敵が侵入したぞ!」
ロベルトの声が城内に響き渡り、その時、ロベルトはその場で倒れた。そして侍女が慌ててロベルトに駆寄りまた悲鳴をあげた。
「キャーッ!!ロベルト様!!」
ゲシャグの剣は腕にしか当たっていなかったが、ロベルトの顔は真っ青になり気を失っていた。どうやら毒が塗ってあったようだった。ゲシャグの最後の笑いは第一の目的を果たした満足の笑顔だったのだ。
「何か騒がしいな…。」
シャリスがベットで目を覚ました。暗闇でベットの横に設置してある机を手探りで探ると、そこに有る筒の中に入った火種を取り、やはり机の上にあるランプを取りそこに火を点けた。そしてそれを持ったままベットから出ようとして、衣服が引張られる。
「あれ、ティーナ。お前、自分のベットで寝ろよな…。」
横に寝ていたティーナがシャリスの服を掴んでいたのだ。ベットは二つ並んでいて、彼女は本来隣のベットに寝ているはずだった。それでシャリスは呆れた顔をして、ティーナが寝ながらにして掴む小さな手を解くと立ち上がる。と、彼女が目を覚ました。
「…おじちゃん…。」
ティーナはランプの明かりに照らされて、少し眩しそうにそして心配そうな表情を浮かべた。
「ティーナ。ちょっと見てくる。心配はいらないからゆっくり寝ておいで。」
シャリスの言葉にティーナは頷いた。それでシャリスはそのランプを机に置いて、壁に立てかけたあった自分の剣を持つとそのまま扉を出ていった。
廊下に出るとかなり騒がしい声が聞える。何かあった様だ。嫌な予感が過ぎり、駆け出した。そしてその声が響く城の上部へと階段を駆け上がる。と、向こうから兵士が駆けてきた。
「おい。何があったんだ?」
シャリスの言葉に兵士は完全に無視をして、シャリスの方へ向ってくる。その瞬間、その兵の腕が微かに動いた。シャリスは咄嗟に剣を抜き、そして剣がキンッと音を立てた。何やら弾いたようだ。
「チッ!」
その兵は舌打ちして、そのままシャリスの前でジャンプした。そしてシャリスを飛び越え一度振り向く。と、シャリスはまた剣を動かす。またキンッと音がして何か弾いた。それで兵は諦めたようにそのまま廊下を行ってしまった。
「今のは…、何だ?」
シャリスは呟き、今弾いた物を見る。それは短剣で、シャリスはそれを拾うと匂いを嗅いだ。そして蒼ざめ、彼は声のする方に全速で走った。
そこは執務室の前で、沢山の兵と侍女達が人垣を作っている。シャリスはその中を掻き分けて、そして倒れているロベルトの前に出る。彼の回りには医者と思える男が一人と、侍女が数人ロベルトの看護をしている。
ロベルトは侍女を跳ね除けてロベルトの顔色を見た。
「おい!何処をやられた!やられてからどれくらい経つ!」
シャリスの剣幕に、泣きながらロベルトの世話をしていた侍女が言う。
「う、左腕です。五分くらい経ちます。」
「五分?」
シャリスは徐に自分の剣を抜き、ロベルトの左腕をいきなり切り飛ばした。ロベルトの切られた肩口から血が吹き出る。
「な、何をする!!」
兵士達が騒ぎ剣を抜く。
「うるせー!毒だ!おい、医者!」
医者はあまりの事に呆然としていて、シャリスの言葉にハッとした。
「早く血を止めろ。おい!セルナいるか!」
「は、はい!」
侍女の後ろの方でセルナが声を出した。彼女もかなり蒼ざめている。
「庭に咲いている花の中からグッケンリリアを持ってこい。ティーナに教えていた黄色い花だ。」
「え?何故…。」
「馬鹿野郎!早く行け!十本くらい持ってこい!他の侍女は湯を沸かせ!」
「は、はい!」
セルナと侍女達が廊下を走っていく。その間に医者は何とか血を止める事が出来ていたが、兵士達は剣を抜いたまま、シャリスをどうするか迷っていた。
「お前ら!敵が侵入してきているんだ!ダッケンベルはどうした!」
「し、師団長は敵を追って…。」
「なら早く貴様らも行かんか!敵の狙いは門を開けて外の敵を中に入れる事だろう!早く行って阻止をせい!」
シャリスの一括で、兵達が慌てて走り出した。それでそこは数人の侍女しかいなくなった。その数分後にはセルナが腕に花を抱えて戻ってきて、シャリスは徐にその花を五本程口に入れかみ砕く。そしてそれを傷口に流し込み、シャリスの顔が血に染まった。
「湯はまだか!」
「ただいま!」
侍女達が鍋に入った湯を持ってきた。シャリスはその中に花を投げ込み手でそれをもむ。
「あ…。」
侍女達が驚く。その湯は熱湯だったのだから当然だ。シャリスは額に汗をかきながら、それを繰り返し、そしてその湯が少し黄色に染まって温度が下がった時に、シャリスはそれをロベルトに飲ませ、余った湯をまた傷口に流す。
「ロベルトをベットに運べ!」
驚きの表情のまま見ていた侍女がまたハッとしてその命令に従う。数人でロベルトを抱えると部屋のベットに運ぶ。シャリスもまたそれに付き添い、そしてロベルトがベットに寝かされた時、ロベルトの顔に少しだが血の気が戻ってきた。
「フーッ…、もう大丈夫だ。毒消し草が効いたな。もう少し遅かったらやばかった…。まあ腕は一本無くなっちまったが、死ぬよりはマシだろう。」
シャリスがそう言って、安堵の溜息を吐いたが、侍女達はまだ慌てていた。すでに数人が部屋の外に走っていて、すぐに冷水を持って戻ってきた。
「早く!」
侍女達はシャリスの真赤になった両手を掴みその冷水に浸す。それは何度も繰り返されそして冷えた所でその両手を医者に差し出した。医者はその手に素早く薬を塗り込む。
「この薬は火傷を癒すには最適なもの。ただれた皮膚も元に戻すほどの秘薬だ。軽い火傷ならその後も残らない。」
シャリスは大人しくそれに従って薬を塗られていたが、侍女達が皆泣いている事に気付いた。
「ありがとうございます。シャリス様…。あなたがいなければ、ロベルト様は…。」
「礼はいらないよ。ロベルトは俺にとっても大事な友人だ。死なすわけにはいかないからね。それより、俺の事はもういいから、ロベルトの傷口の消毒やら手当てやらをもっとちゃんとしてくれよ。」
シャリスの言葉に医者が笑顔で答える。
「分かってますよ。腕の切口に薬を塗りました。それも私の秘薬でして、血もちゃんと止まりましたし、消毒も完全です。後はロベルト様の体力次第ですが、ロベルト様の体力は化け物じみていますから恐らく大丈夫でしょう。あなたの御陰で助かりました。しかし、何故すぐに毒だと?」
「俺も襲われたんだよ。俺は難を逃れたが、敵の投げた剣の匂いを嗅いだらある虫から摂れる毒の匂いがあったのでな。城にグッケンリリアが咲いていて良かったよ。」
「グッケンリリア…。あの花は毒消しなのですか?」
セルナが少し驚きの表情を浮かべ聞く。
「知らなかったのか?あれはかなり高値で取り引きされる万能毒消し草だぞ。あんなに咲いて思わずよだれが出る程だ。」
「…それでティーナちゃんに二・三本取らせようとしたのですね。」
「ははは、だって高く売れるから…。ティーナ?そうだ、ティーナが一人だ。」
シャリスはハッとして立ち上がり、そしてすぐに部屋を飛び出した。
「門が開くぞ!」
ダッケンベルの声が響く。彼は敵を見失っていて、とりあえず門の開閉室の前に来ていた。しかし、その時門が開き出したのだ。門の開閉は穏かに流れる地下水脈を利用したカラクリを使っていて、開閉自体はゆっくりである。
ダッケンベルの声で兵達が門へ走る。外からの侵入を防ぐ為だ。そして兵が門の前に集まった時門は開いてしまい、その門の中で戦いが始る。
ダッケンベルは急いで門の開閉室に入るとそこで操作している男を見付けた。それはカチアの兵の鎧を着ている者だった。
「裏切りか!」
ダッケンベルは剣を抜きその兵に切りかかる。兵はパっと身軽く飛びその剣を避け、そして短剣を身構えた。
「俺は敵だよ。」
そう言うと一瞬でダッケンベルの間合いの中に入り首筋を切りにかかる。ダッケンベルはそれを辛うじて避け、反撃に。しかし、その敵はそのまま彼を飛び越えてその開閉室から飛び出した。
「待て!」
ダッケンベルは慌てて追い駆けようとするが、ハッとしてそこに留まり、門を閉める操作をした。そして部屋を飛び出す。
門の前は敵と味方が入り交じり、戦いが行なわれている。かがり火が焚いて有るが薄暗く、蛮族は夜目の利くので敵の方が有利である。門は段々に閉まりだし、そこに向かう一人の男が見えた。それは先ほどの男であった。
「あれか!」
ダッケンベルはその敵を追い駆け、その途中に進路を阻む男を数人切り裂いた。そしてその敵に追い着く寸前。
「師団長!」
後ろから彼の体を抑える者がいた。それは彼の兵で、その時敵は閉まる瞬間の門をするりとすり抜け、ダンッと音を立てて門が閉まった。ダッケンベルはそれを追い駆けていたら、閉まる門に挟まり真っ二つになっていただろう。
「クッ…。」
ダッケンベルは怒りと悔しさの表情を浮かべ、その場に立ち尽くした。
シャリスは自分の部屋に戻った。中に入るとランプが消えていて真暗闇だ。それですぐに廊下に掛けて有るランプを取り外し中に入る。ベットは空で木窓が打ち壊されている。火こそ燃えていないがランプが床に割れ、油が漏れていた。机が倒れベットのシーツが荒され切り裂かれている。
それを見てシャリスは蒼ざめた。まさかティーナは…。
「ティーナ…、ティーナ!」
声を張り上げる。一瞬シーンと静まり、そしてガタガタと音がした。
「ティーナ?」
シャリスが声を出すと、ベットの下からゴソゴソと何か出てきて、ランプを当てるとそれは這い出てくるティーナだった。ティーナはやっとの事でベットの下から這い出て来ると、立ち上がりシャリスに掛けてきて飛びついた。
「おじちゃん!!」
「ティーナ!」
シャリスは彼女を抱きしめた。ティーナはシャリスの体温を感じ、やっと安心したのか声を出して泣き出した。
「大丈夫だ。もう大丈夫だ。」
シャリスはティーナの頭を何度も何度も撫でて彼女を慰める。ティーナが声を上げて激しく泣くのは初めての事だった。どんな時にでも彼女は泣かずに我慢していたから。
「怖かったんだな。もう大丈夫だよ。」
何度もシャリスがそう言っているとティーナはやっと泣き止み、そしてシャリスに言う。
「変な人が入ってきたの。それでベットの下に。その人は何か一生懸命探してるみたいで、でも、廊下で人の声がするとガシャンって音がして、その後音はしなくなったの。」
どうやら何かを探していたが、人の気配を感じて窓から逃げたようだった。ティーナはまだ震えていたが、もう顔は笑顔を作っていた。
「ティーナは強い子だ。さて、セルナ姉ちゃんの所に行くか。あそこはもう安全だし。」
ティーナは頷き、しかしシャリスの首にしっかり腕の回して抱き付いていた。
クェイスト城壁のすぐ外にいたカルバ族はその族長が戻ってきたのを合図に、波が引くように引いていく。そして城からかなり離れた所でゲシャグにエリックが近付いた。
「どうだった。計画通りに行ったのか?」
「いいや。計画は失敗だな。」
ゲシャグはそう言いながらも表情は余裕である。
「何だと。それではクェイスト男爵もあの娘と男も殺せなかったのか?」
「いや、男爵と見られる男は殺した。しかし、娘は見つからず諦めた。」
「…完全な失敗でも無いのか…。」
エリックはどういう表情をしていいか困った。クェイスト男爵を殺すのは当初の予定であったが、今はその他にもあの二人を、いや、娘だけでも殺さねばならない。
「こちらも門の中に入り込んだ尊い仲間が三十名程死んだ。この報復はしなければなるまいな。どうせここにいれば敵も男爵を殺された報復に攻めてくるだろう。戦いになれば互角に持っていける自信はある。その時、皆殺しにすれば良い事だ。」
エリックはウーン…と唸ってしまった。何やら嫌な予感が彼の脳裏に過ぎったのだ。
「ゲシャグよ。私は正体がバレると拙い。遠くで戦況を見ているが、それでも良いか?」
「高みの見物か…。まあ、それも良いだろう。お前の部下ももう一人しかいないし、いても邪魔なだけだからな。」
彼はエリックの横にいる、鎧を脱がされてカルバ族の格好をしている男をチラッと見た。もう一人は殺して、城に潜り込む時に使ったのだ。
「それでは頼むぞ。娘だけでもちゃんと殺してくれ。」
「フンッ、任せておけよ。このゲシャグ、二度も失敗はせん。」
「目を覚まされたぞ。」
医師の声にその部屋に詰めていた兵士と侍女達がざわめいた。ダッケンベルは皆の前に出ると、今目を開けたロベルトに跪く。
「申し訳ありません。私の責任です。敵にしてやられました…。」
ロベルトは首を振る。
「いや、これはわしの油断の所為だ。まさか蛮族がこの様な策を取るとは思いもよらなかったわ。」
ロベルトはウッと顔を痛みに顰め、痛みの元を見る。そしてハッとした。
「剣に毒が塗られてまして…。」
「それで切断したのか…、まあ仕方ない。左手だけですんだのは幸いだった。」
「シャリス様の判断で…。恥ずかしい話し、私はオロオロとするばかりで…。」
「うむ…、借りが出来た。所でその後の状況はどうなっておる。」
ロベルトの言葉にダッケンベルは跪いたまま言葉を出す。
「ハッ、城内に多数の敵を侵入させてしまいましたが、全て打ち倒しました。しかしこちらも被害を受け、約五十名が死傷しております。敵はこの城より南に集結、こちらの出方を窺っていると思われます。」
ロベルトはベットから窓の外に日が昇るのを見た。
「敵に策を弄させる時間を与える必要な無い。すぐに反撃に移るべく行動を開始せよ。なお総指揮は師団長のダッケンベルに一任する。良いなっ!」
ロベルトの声に、そこにいた兵士一同が一斉に気を付けをし敬礼した。そしてダッケンベルが立ち上がり一礼するのと同時に兵達が部屋の外に飛び出していく。
「それでは叔父上。ゆっくり眠って吉報をお待ち下さい。」
ダッケンベルがそう言うとロベルトは頷き、目を閉じた。それでダッケンベルは侍女達に挨拶をしてその部屋から出ていった。と、入れ替わりにシャリスが入ってくる。
「ロベルトが目を覚ましたって?」
シャリスは侍女に聞く。彼はティーナをセルナに預けた後にここに来たのだ。
「シャリス…。」
ロベルトが目をあけ声を出した。それでシャリスはロベルトのベットに寄りその横の椅子に座る。
「あれ、案外元気そうだな。どうよ、気分は。」
ロベルトはまだ顔色が悪いが、笑顔を作った。
「左腕を切りおって、この馬鹿たれが…。これでは孫を抱きしめる事が出来んではないか。」
「ククククッ…。お前らしい言い草だ。もう少し遅けりゃ孫を見る事も出来なかったんだ。命があるだけでも儲けだと思えよ。」
侍女達がこの二人の会話で少しオロオロとした。しかし、二人の間では当たり前の会話で、本音の言葉である。
「それにしても、敵は我らの言葉を話していたぞ。心当たりは無いか?」
「あるよ。」
シャリスの言葉でロベルトがシャリスを睨んだ。シャリスは懐から短剣を取出してロベルトのベットに放り投げた。ロベルトはそれを右手で持つ。
「お前を襲った奴の剣がこれだ。塗ってあった剣の毒はもう拭ってあるが、その剣に見覚えがあるか?」
ロベルトが剣を眺めるが首を横に振る。
「そうだろうな。どこにでもある特徴の無い剣だし、俺もそれでは分らない。」
ロベルトがそれで怒りの形相をシャリスに向けた。それでシャリスは笑って言う。
「悪い悪い。別にからかったわけじゃないんだ。ただ、その剣に塗ってあった毒に特徴があってな。俺がお前の腕を切り取った理由でもあるのだが…。」
「…どういう事だ?」
「剣獣殺しっていう虫を知っているか?辺境の最奥に生息するこんな小さな虫だが…。」
「いや…。」
「やはり辺境にすむ獰猛な大型獣で剣獣という動物がいるんだが、その虫はそいつを一撃で殺して、その中で繁殖すると言われている猛毒の虫だ。その虫の毒を好んで使う部族が幾つかある。その一つだ。」
「情報では一・二を争う大きさの部族と聞いたが…。」
ロベルトが顔を顰める。
「大きさもそうだが、その一人一人の武力もまた一・二を争う…カルバ族だ。お前を襲ったのは恐らくゲシャグ。カルバ族の族長だな。」
ロベルトが驚きの表情をする。
「族長?族長が自ら乗り込んできたのか?」
「奴等には有りえる事だ。族長はその部族最強の戦士。そしてカルバのゲシャグと言えば元はカチアの人間で、その部族の中で育ったという話しだ。」
「カチアの?それで我々と同じ言葉を喋れるのか…。」
「まあ、それ以上の情報は俺ももたないが、どちらにしてもお前の部下と戦力は互角と見た方が良さそうだな。」
シャリスはそう言うと立ち上がる。
「どうした。」
「俺も、戦いに行くのさ。お前の部下だけでは荷が重過ぎる気がするのでな。あのゲシャグを倒すのにはな。」
ロベルトが顔を顰めて上半身を起した。侍女達が慌てて彼に駆寄る。それでシャリスが呆れた顔をした。
「おい、何をするつもりだ?」
「お前の様な戦いを忘れた男に手助けされるのはわしの矜持が許さん。わしも戦場で戦う。」
「勘弁してくれよ。お前の代わりにダッケンベルが戦場に出てるだろうが…。お前は早く体を治して、次の戦いからにしてくれ。今回は若者に任せておきな。」
「し、しかし…。お前は守るべき者がいるであろう。その者に申し訳が立たん。」
ロベルトは侍女達に無理矢理に、またベットに寝かされた。
「あ?俺は死なないよ。まだこの城の女を一人も抱いてないからな…。それに俺にもしもの事があったとしても、ティーナは大丈夫だよ。強い子だから…。あ、今はセルナに面倒を見てもらっているから、よろしくな。」
シャリスはそう言うとロベルトにウインクをして、ロベルトがそれ以上何かを言おうとするのを無視して部屋を出ていった。
「ちきしょう…。借りが沢山出来ちまったな…。」
ロベルトは呟いて、そして疲れたように大きく深呼吸をして、そして目を瞑った。
日は出きっているがまだ低く、クェイスト男爵の兵士とカルバ族の闘士の陰が、丈の低い草原に長く伸びている。両軍はすでに戦闘態勢は整っているが、どちらも相手の出方を伺っていた。そこにシャリスが兵士を掻き分けて最前のダッケンベルの所にやってきた。
「よう、どうよ。」
「あ、シャリス様…。敵はこちらの出方待ちの様です。こちらから仕掛けようと思うのですが…。」
シャリスはダッケンベルの言葉を無視して、最前にしゃしゃり出て腕を組み、そして向こうの最前の男を目を凝らして見た。
「やっぱりゲシャグだ。見ろよ、あの敵の最前で偉そうにしている男。」
ダッケンベルはシャリスと同じように目を凝らす。そして頷いた。
「なるほど。偉そうですね。誰です?」
「カルバ族、族長ゲシャグだよ。一年前ほど前、辺境の勢力図を塗り替えた男だ。蛮族の中では魔人と呼ばれている。」
「ゲシャグ…。聞いた事が有りますよ。数十人の戦士がいる部落に一人で乗り込んで、男も女も子供も老人も皆殺しにしたっていう…。あれですか?」
シャリスはそう言うと後ろで殺気立っている兵士達の方を向いた。
「そう。昨日この城に乗り込んできたのもあいつだ。あいつがロベルト男爵を殺そうとした張本人だ!」
シャリスは大声を張り上げた。一斉に兵士達の気が盛り上がる。
「そういう訳だ。後は指揮をちゃんとしろよ、ダッケンベル。俺も後ろで戦うからよ。」
シャリスはそう言うと後ろの兵に混じって見えなくなった。それでダッケンベルは皆に言う。
「敵が魔人だろうと猿人だろうと関係ない。我々はロベルト様を死の縁に陥れたあの男を、そしてあの敵を撃ち滅ぼす事が使命だ。皆!命のある限り敵を殺せ!」
「オーッ!!」
兵士達がダッケンベルの言葉に呼応して声を上げた。
「突撃!」
ダッケンベルが剣を抜いて走り出した。それに皆が追い駆ける様に大歓声を上げて走り出す。そしてその兵士の群れは、敵の固まっている数百からの群れへと走り込んだ。
「おじちゃんが戦ってる…。」
ティーナが呟く様に言う。何でそう感じたのかは分らないが、彼女は人一倍感が強い様だった。普段侍女達が集まって、談話やお茶などをしているこの部屋に、ティーナとセルナ以外の者はいない。皆、外で戦闘している負傷者に備えて忙しく働いているのだ。
セルナはティーナに本を読んであげていたのだが、ティーナは呟いた後に落ち着きを無くして、セルナの読み声など聞こえなくなってしまった。
「おじちゃんが戦ってるの。おじちゃんが戦ってるの…。」
ティーナは何度もそう言って、セルナを見る。表情は泣きそうで、しかし一生懸命に我慢しているようだった。
「何で分かるの?」
セルナが思わず聞く。しかし、ティーナはセルナの質問している意味が良く掴めず、首を横に振った。
「おじちゃんが戦ってるの…。ティーナおじちゃんの所に行きたい。」
ティーナはパタパタと扉の方に走った。そして扉のノブを開けようとする。それでセルナは仕方なくティーナの所に駆寄り、彼女の手を握った。ティーナはハッとしてセルナを見上げ、大きな目に涙を溜める。
「…仕方ないわね。戦いが見える所に行きましょうか…。」
セルナは溜息を吐いた。外で戦っているので城内に危険は少ないとはいえ、彼女はシャリスにティーナを任されているのだ。わずかでも危険の可能性がある以上、なるべくこの安全な部屋にいてもらいたかった。この部屋は城外にでる抜け穴も有り、いざと言うべき時には一番安全な場所だったのだ。
セルナは扉を開けて廊下に出ると、ティーナと手を繋いで戦況の見える方面の部屋を探し歩いた。廊下もまた戦場で、侍女や侍従などが忙しそうに走り回っている。それを見てティーナがセルナの顔を見上げる。
「みんな忙しそう…。」
「そうね。戦中だからね。私達も邪魔にならない場所に早く行きましょう。」
セルナはティーナを抱えて、足早にその廊下を歩いていった。そして行き着いた場所。そこは城の中で一番静かな場所だった。
「セルナか…。ティーナも一緒か…。」
「す、すみません。ロベルト様。」
その窓辺に寝ていたのはロベルトだった。ここは会議室のはずで、ロベルトがいる部屋では無いはずだ。それでセルナは慌てて謝り、外に出ようとした。
「いや…。戦況が気になるのはわしと一緒の様だな。ここで見れば良い。わしも無理を言って部屋を移動させたのだ。ここなら戦況が見れるからな。ちと体を起さねばならんが…。」
ロベルトが少し辛そうに言った。その横に医師とそしてお付きの侍女が甲斐甲斐しく世話をしている。
「は、はい、すみません…。」
セルナが畏まった態度でそう言ったが、ティーナはセルナの腕から飛び下りてロベルトのベットによじ登った。窓が高くてティーナの背では見えないのだ。
「ティ、ティーナちゃん…。」
セルナが思わず止めようとした。しかし、ロベルトは楽しそうにティーナを見る。
「この大物じみた態度は、シャリスのそれだな。本当に奴の娘に見えるぞ。どうだ?見えるか?」
「うん。ティーナ目が良いから、良く見える。」
「そうか。それではこの爺に教えてくれるか?」
ティーナはコクンと頷いた。それでセルナは困り果ててしまったが、ここはロベルトの好いようにしようと後ろで待機する。そしてお付きの侍女や医師の顔色を見た。ティーナのこの態度で嫌な顔をしていたら後で謝らなければならない。しかし、侍女も医師もティーナのその態度に笑顔で迎えていた。
「フーッ…。良かった、ティーナちゃんは誰からも好かれる様ね…。」
セルナはホッと胸をなで下ろし、その場でティーナの様子を見続けた。
「オラオラッ!!」
グランゼル兵長の剣が勢い良く敵を打ち砕く。その顔は戦いに高揚していて、楽しげでもあった。彼は全身血まみれではあったが、彼の血では無い。すでに何人もの敵を倒してきていたのだ。
「あれは!」
グランゼルは混戦の中、敵の真っ只中で剣も抜かずにいる男を見た。それはシャリスで、グランゼルは彼に向った。
シャリスは未だ剣を抜いていなかった。それは彼の剣が打ち下ろす剣では無く、切り付ける剣で、何人か切ったらその人の油で切れなくなってしまうからだった。彼の狙いはただ一つ、敵の最強戦士である族長ゲシャグであった。
それにしてもその光景は異常で、シャリスはまるで散歩でもしている様な無防備さでその戦場を歩いていた。敵がそんなシャリスを放っているわけでは無い。彼は敵の攻撃に対してまるで自然な、そしてわずかな動きでそれを躱して、敵の死角に入り敵の目を眩ませているのだ。
グランゼルは数人の敵を打殺し彼の横に立った。シャリスは彼の姿を見ると笑いかける。
「どうした?このどさくさに俺を殺しにでも来たか?」
シャリスはそう言いながらまた一人躱す。
「いいや。本当なら土下座してもあんたに対する無礼を謝罪したいと思ってな。まあ、こんな情況だ、土下座は勘弁してくれ。」
グランゼルはそう言って、敵をまた一人打ち砕いた。
「ふーん。どういう心の変化だ?」
「あんたは俺達の大将の命を救ってくれた。本当にありがとう。昨日は済まなかったな。俺はあんたを勘違いしていたようだ。」
「ロベルトを助けたのは俺の友人だからだ。別に礼を言われる筋合いはない。それにお前の勘違いでは無いぞ。俺は悪人だし嫌な男だ。」
シャリスはニヤリと笑う。
「その様だな。あの訓練場で俺の打撃に倒れた真似をして逃げるなんてな。本当に嫌な奴だ。しかし、腕は有るようだ。あんたのその体捌きを見ている限りではな。」
「体捌き?避けてるだけだが…。俺の目標は敵の親分だけだからな。チッ、お前と話してた所為で、ダッケンベルが先に奴に辿り着いたじゃないか。」
シャリスの目に敵の族長、ゲシャグに戦いを仕掛けたダッケンベルの姿が見えた。それでシャリスは悔しそうにそう言うと、足を速める。
「おい、待ってくれよ。あんたの援護をしてやるからさ!」
グランゼルはそう言うと今度は敵を殴り飛ばしてシャリスを追い駆けた。
二人がやっとの事でゲシャグの所まで来ると、ダッケンベルは額から腕から血を流していた。ゲシャグは全くの無傷で、楽しそうにダッケンベルの苦痛の表情を楽しんでいる。それでシャリスはダッケンベルに駆寄り話し掛けた。
「どうだ。代わろうか?」
その言い方はまるでゲームの交代でもしようかという風に、危機感が全く無い。
「いえ…。こいつは私の敵です。私が殺す敵です…。」
「でも、お前の腕じゃ倒せないよ。もう少し精進しなくちゃな。」
そう言うとダッケンベルは悔しそうな顔をした。そして、話している二人の前にグランゼルが出て、ゲシャグに対峙した。
「師団長の不覚は何やら理由がある事。ここは私がお相手仕る。」
シャリスは思わず呆れた。敵とこのグランゼルでは実力に天と地程の差がある。
「俺は誰でも良いぞ。どうせなら三人一緒でも一向に構わん。」
ゲシャグはそう言うと大きな剣を構える。それでグランゼルは怒りに任せて力一杯の攻撃をした。
ガキッ!
鈍い音がして、グランゼルの体はシャリスとダッケンベルの遥か後ろに飛んだ。折れたグランゼルの剣がシャリスの横に刺さる。
「生きているか?」
シャリスが聞くと、グランゼルは慌てて起上がり、しかし、そのまま膝を付いた。
「無傷では無さそうだな。だが、ただの敵とは戦えるだろう。ダッケンベルも後ろに下がって奴と一緒に敵を倒せ。こいつは俺に任せろ。」
「し、しかし…。あなたはもう何年も戦いをしていないと…。」
二人の話しを呆れ返って聞いていたゲシャグがつまらなそうに言った。
「いい加減にしてくれ。どうせお前らにあるのは死だけなのだ。誰が戦おうが関係が無い。」
シャリスは自分の剣を抜いた。そしてダッケンベルを後ろに押すと構えたままゲシャグに向う。ゲシャグはニヤリと笑って剣を構えた。
「少しはやりそうだな。名を聞いておこう。」
「ゲシャグよ。お前と戦うのは初めてじゃないんだ。前に助けてやったのを今は後悔しているよ。」
ゲシャグはその言葉に首を少し傾げた。シャリスはそのまま上段に剣を構えゲシャグに歩み寄る。そしてゲシャグはその姿にハッとした。
「シャリオン…。」
ゲシャグの目に怯えの色が見えた。
「あの時、お前の強さをみて殺すのは惜しいと思ってしまった。それがその後の惨事に繋がるとは…。」
シャリスがゆっくりとゲシャグに迫る。ゲシャグは自らの恐れを拭い去るように、わざとニヤケた。
「あ、あんたか…。俺はあんたと戦って初めて恐怖を知った。あれからあんたを倒す為に戦いの中に身を置き続け、そして人を殺す事で恐怖を捨てる事が出来た。」
「それで平和的な部族を襲い、その女子供までも惨殺したのか?フンッ、お前を殺すのは俺の仕事の様だったな。死んだ者には申し訳ないが、ここでお前を殺す事で俺の罪をあがなうか…。」
「三年前とは違うぜ。俺はあんたを越えた!」
ゲシャグが大型の剣を目にみえないほどの速さで振ると、一瞬でシャリスの後ろに回り切りかかった。ガンッ!と剣同士が響く。ゲシャグの剣はシャリスが背にもっていった剣に弾かれた。それでゲシャグは後ろにトンボをうってシャリスから離れ構えた。
「なるほど。確かに三年前とは違う様だ。」
シャリスがゆっくりゲシャグの方に振り向く。ゲシャグは今度は正面から、攻撃を仕掛けた。ゲシャグの体が上へ下へと動き、シャリスの体を襲う。ギンッガンッ!と連続した音が響き、シャリスはそれも軽く剣で弾いていた。
「はははは、やっぱりあんたは普通の人間じゃないぜ!俺の剣を軽く弾くとはな。こんなに楽しいのは初めてだ!」
ゲシャグに全く恐れは無くなっていた。過去に感じた恐怖が今は楽しさに変っていた。彼の顔には殺気と笑顔が入り交じり、それは快感に繋がっているように恍惚としている。
「俺は戦いを楽しむ趣味は無い。」
シャリスはそう呟くと、ゲシャグの剣を受けた瞬間にその剣を流し、その後シャリスの剣は流れるようにゲシャグの腹を襲う。ゲシャグはそれを紙一重で躱して後ろに下がる。そしてゲシャグは自分の腹を見て流れ出した血を見た。
「すげーぜ。さすがシャリオンだ。へへへ、エリックが話しを持ってきた時にはくだらん戦いだと思ったが、思わぬ楽しさに出合ったわ。」
ゲシャグの言葉にシャリスの表情が変わる。
「今、エリックと言ったか?」
ゲシャグはニヤリと笑う。
「ああ。あの城の城主とそして中にいる男と娘を殺せと頼まれたのさ。クククッ、城主は殺したが、男と娘はまだ見付けられなかったよ。もっとも、皆殺しにするから気にもならんがな。」
「ふん…。ロベルトは死んでないぜ。俺が助けたからな。お前の策は全て失敗したんだ。馬鹿め。」
ゲシャグの顔から笑いが消えた。
「何?あの毒で生きているはずは…。」
「剣獣殺しの毒は、お前らカルバ族の十八番だからな。俺が毒消しのグッケンリリアを使って助けた。」
ゲシャグは剣獣殺しの名とグッケンリリアの名を聞いて、シャリスの言っている事が嘘で無い事を感じた。それで表情が怒りの形相に変わる。
「貴様…、俺の策を全て駄目にしやがって…。」
「ふんっ、教えてやるよ。エリックの殺して欲しいと言っていた男というのは俺の事だ。お前は俺を殺せれば、エリックの頼みを一つだけかなえる事が出来るぞ。もっとも、お前の腕では俺は殺せんがな。」
シャリスがそう言って、剣を肩に背負い、わざと隙を見せた。ゲシャグはそれが挑発と分かっていたが、その馬鹿にした言葉と態度に怒りの頂点を越えた。
「俺をなめるな!」
ゲシャグは一瞬でシャリスの間合いに入るとその大きな刀をシャリスに突く。シャリスはその剣を素早く弾いて、しかし、ゲシャグはその剣をすでに手放していて、ゲシャグの剣は宙に飛ぶ。そしてその隙にゲシャグはシャリスの胸元に入り込みむと、腰に差してあった短剣をシャリスの首筋に。
ザクッ!
音が響いた。それはこの騒然としている戦場に、飲まれるほどの小さな音だった。シャリスとゲシャグは体を密着させていて、身動きしない。と、ゲシャグが口から大量の血を吐いた。
「グハッ…。」
シャリスの首筋に延びたゲシャグの短剣は、シャリスに躱され彼の側頭部でゲシャグの手を離れ地に落ちた。シャリスはゲシャグの血を肩口で受けていて、目を瞑っている。そのシャリスの剣はゲシャグの右横腹から切り込んでいて、腹の真ん中で止まっていた。と、シャリスがゲシャグの腹から剣を抜き、後ろに下がった。ゲシャグはそのまま地に倒れ、流れ出している大量の血が地面を染めていき…、もう息はしていなかった。
「ゲシャグは死んだぞ!」
シャリスが叫ぶ。騒然としているこの戦場に、一際大きなその声が響いた。それはカルバ族には通じない言葉であるが、その声で地に倒れているゲシャグに気付いた彼らは慌てた表情をした。そして、彼らはその動揺を全く見せず、隙も見せずに引き始めた。十分後にはそこにいるカルバ族は死体の他は全く陰も形も無くなった。
生き残った兵士達に歓声が上がる。勝利の雄たけびだ。シャリスはニヤリと笑ってその群集の中に入っていった。
「ちくしょう…。まさかあのゲシャグが殺られるとは…。あの男、何者だ…。」
遠くの岩陰でその様子を見ていたエリックが呟く。その横に、カルバ族の格好の部下が顔を強張らせた。
「エリック様…。ゲシャグが殺られた以上、ここにいるのは危険では?言葉も通じませんし…。」
部下の言葉にエリックが頷く。
「うむ…。まあ、とりあえずはクェイストは死んだのだし、私の計画は上手く行っている。…とは言え、 あの娘を殺さぬ限りカリディアナ様は許してはくれないだろうな…。」
エリックは暗い顔をして、とりあえずそこから背を向け、逃げるように走り出した。
「おじちゃんが勝ったよ。敵の人達は皆いなくなっちゃった。」
ティーナがベットに立ち窓の縁に手を掛けて声を上げた。それでロベルトは満足そうな顔をすると、そのまま目を瞑った。安堵感からか、気を失ったのだ。彼は本当なら目を開けている事も辛い程の怪我を負っているのだから。
それに気付いたセルナが慌ててティーナを抱きかかえベットから降ろすと、隣の部屋で待機している医師を呼んだ。
「おじいちゃん…大丈夫?」
ティーナがセルナに聞く。するとセルナの代わりに医師が答えた。
「大丈夫だよ、お嬢ちゃん。ロベルト様は不死身でいらっしゃるから。」
それでセルナが安堵の表情になる。が、ティーナは不死身の意味が分からず、首を傾げてセルナを見上げた。
「ティーナちゃん。ロベルと様は大丈夫だから、シャリス様を迎えに行きましょうね?」
「うんっ!」
ティーナは満面の笑顔を浮かべ、頷いた。そしてセルナは他の侍女と医師に挨拶をして、ティーナと手を繋いでその部屋から出ていった。
シャリスはダッケンベルと肩を並べ、城に入ってきた。その後から喜びの笑顔で兵士達が入ってくる。その入り口に侍女達が待っていた。そして勝利の祝福の言葉を彼らに投げかける。
「宴会の用意は整ってます。会場の方へどうぞ。」
侍女達が兵士達を先導する。城中の侍女や侍従達が彼らを祝福し、そして親しい者達は抱き合っている。
その中で、シャリスはセルナと手を繋いで自分を探すティーナを見つけた。ティーナはシャリスと目が合うと、喜びの笑顔を顔一面に浮かべ、セルナの手を振り切って走ってくるとシャリスに飛び込んだ。シャリスはティーナを胸で受け止めて、そして抱きかかえた。
「良い子にしてたか?ティーナ。」
ティーナはシャリスの首に抱き付いて、コクンと頷いた。
「ティーナ、おじちゃんが一生懸命に戦っているのを、おじいちゃんと一緒に見てたの。おじちゃんが敵の人を倒す所をちゃんと見たよ。」
「おじいちゃん?」
シャリスが首を傾げた。
「ロベルト様の事ですわ。シャリス様。」
セルナが、シャリスに近付いて言った。
「なんだ、ロベルトの所にいたのか。…それにしても、ロベルトの奴、こんな子供に戦場の様子を見せるなんて…。」
それに関してはセルナが申し分けなさそうな顔をした。
「す、すみません。それは私の責任です…。ティーナちゃんは感が鋭く、シャリス様が戦っているのを感じて、それを見たいと言いまして…。」
シャリスは呆れた。そして自分の首に抱き付いているティーナをはがして自分の前に持ってくると、少し睨んで言う。
「全然良い子じゃないじゃないか。駄目だぞ。わがままを言っては…。」
ティーナは少し悲しげな顔をして俯いた。そのティーナはシャリスに抱き付いたものだから、全身血だからけで汚れている。それでシャリスはまた呆れた。
「おじちゃんの体に付いた返り血がティーナに付いちゃったな。これじゃ酒が美味くない。先におじちゃんとお風呂に入るか?」
ティーナの表情が見る見る笑顔に変わる。
「ウンッ!入る!」
シャリスはその様子に思わず笑い、そしてティーナを抱えたまま浴場の方に歩いていく。その後をセルナが当然の様な顔で続いた。
「ん?セルナはどこに行くんだ?」
「それは勿論浴場ですよ。お背中をお流しするのに、侍女の一人でもいなくては大変でしょう?」
「うーん…別に体を洗うの位、一人で出来るが…。ま、ティーナを洗ってもらうに丁度良いか。」
シャリスは呟くと大股で歩いていき、セルナはその後を追った。
浴場には誰一人いない。兵士達は全て風呂より宴会が優先だからだ。その無人の浴場にシャリスとティーナが裸で入ってきた。その後ろからセルナが入ってくる。
「ん?何でお前まで脱いでるんだ?」
シャリスがセルナに言う。彼女はまるで当然の様な表情で、羞恥心も全く無いように裸で中に入ってきた。
「服を濡らすと、乾かすのが大変ですから…。それにお許しを戴ければ一緒に入りたいなって思いまして…。」
「わーい。ティーナ、お姉ちゃんとお風呂入る。」
ティーナの喜びの声でシャリスが少し考えて、そして頷く。
「まあ、別に構わんか。…よし、早く体を洗って湯に浸かるぞ!」
シャリスはそう言うと、自らの体を素早く洗い出した。それに合せる様にセルナがティーナを洗う。ティーナはすぐに泡だらけになって、シャリスに抱き付いた時に付いた血が洗い流された。
シャリスは体を洗いながら、少し疲れを感じていた。かなりの体力を誇っているはずだったが、昨日からほとんど寝ておらず、そして久しぶりの戦闘に身を置いた事で体は素直に疲労を訴えていた。それで彼は体をある程度洗い、血が落ちたのを見計らうとすぐに湯に浸かる。ぬるい位の湯が気持ち良く、ティーナが湯に入る頃には彼は湯船で眠ってしまっていた。
「おじちゃん、寝ちゃってる…。」
ティーナがシャリスの横でそう言う。
「あら、お疲れになっていらっしゃるのね。起さないようにして、温まりましょう。」
セルナはティーナと一緒に湯に浸かり、やはり疲れていたのかその気持ちの良さに思わずセルナとティーナもすぐにそこでウトウトとして、やがて眠ってしまった。広い湯船に湯の流れる音が静かに流れている空間で三人が体を寄せ合って、まるで三人家族の夫婦と娘の様に自然である。
やがて、ティーナの膝の上で眠っていたティーナがズルッと滑って湯に頭まで潜った。それでティーナはバタバタとして顔を上げ、そして驚いた様な表情で目を覚ました。
「あ…、まだ眠い…。」
ティーナは振り返って肩で寄り掛かりあって寝ている二人を見る。そして自分の入れる隙間が無い事に気付き、その真ん中に無理矢理入ろうとする。と、セルナがハッとして目を覚ました。
「い、いけない…。寝ちゃったわ。あ、ティーナちゃん。」
ティーナはセルナが目を覚まして空いた隙間に入り込んだ所だった。
「どうしたのティーナちゃん。」
「うんん、大丈夫。ここで寝るの。」
セルナはそれを見て笑った。本当にこの子はシャリス様の事が好きなんだ。
「そう、でももう上がりましょう。いくらぬるい湯でものぼせちゃうわよ。」
セルナがそう言うとティーナは首を横に振った。どうやらまだ相当眠いらしい。しかし、その時、シャリスがハッとする。そして首を振った。
「い、いかんいかん。寝てしまったぞ…。ん?裸の女?」
シャリスは思わず鼻の下を伸ばした。先程までは、余りの疲れで思考が周っておらず、セルナが裸でもスケベ心さえ出なかった。しかし、少し眠って、シャリスは復活した。よだれを流して、彼女に手を出そうとする。
「な、何を…。」
「うーん。いけず。俺はスケベ男だよ。そんな格好で…。」
シャリスがそう言って、セルナを襲おうとする。が、その真ん中に当たるものが…。シャリスはその邪魔なものを見た。それはティーナで、彼女は純粋な目でシャリスを見上げていた。シャリスはそれで現状を思い出し、フッと真面目な顔になる。そしてティーナを抱き上げると、湯船を出た。
「さて、風呂を出て飯だ。宴会場は汚れた兵士が宴会をしていて臭いに決まっているから、ロベルトの所に行って飯を持ってこさせよう。」
湯に焦った顔のままセルナが残され、シャリスはティーナを連れて浴場を出ていってしまった。
「……ちょっと惜しい気も…。」
そう呟いたのは真赤な顔をしているセルナである。何処の世でも強い男に憧れる女はいるものである。それがどんなに下品な男でも…。
シャリスはティーナを連れてロベルトの部屋にいた。ロベルトのベットの横にテーブルを置き、そこにご馳走を運ばせて飯を食らっていた。
「ダッケンベルの報告を聞いている。よくやってくれたな。シャリス。」
シャリスは口一杯に飯を詰め込んでいて、喋る事が出来ない。それでただ頷いた。ティーナはロベルトの部屋にいた侍女が世話をして、食べさせている。
「こちらの死者がわずか八十名ですんだのはお主の御陰だ。全滅はせぬにせよ、半数以上の死者は覚悟していたからな。明日には死者の霊を弔う式を行うが、今日は勝利の喜びを目一杯楽しもうじゃないか。」
シャリスはやっとの事で口に入っていた物を飲み込むと、呆れた顔をした。
「目一杯楽しもうじゃないか、って言われても、お前酒も飲めないんだものな…。怪我してるから…。」
ベットでシャリスが食べて飲んでいるのをロベルトは羨ましそうに見ていたのだ。
「この…。わしだって飲んで食べたいわ。だが、医師が駄目だって言うんだから…。」
「まあ、お前の代わりに俺が飲んで食ってやるから。」
シャリスは笑いながらそう言った。それでロベルトは悔しそうな表情を浮かべ、シャリスを睨む。
「…まあ良い。それにしても、お前がわざわざここで飯を食っているのは理由があるからなのだろう?早く言ってくれないか。」
「ははは、別に飯は何処でも食っても良いんだ。これはお前に意地悪をね…。」
「何?」
ロベルトがシャリスを怒りの形相で睨む。それでシャリスは思わず笑った。
「クククッ、まあ話しが有るのは確かだから、そう怒るな。」
「なら、早く言え。お前に切り取られた腕が痛くて、もう薬でも飲んで寝たい気分なんだ。」
「うーん、そりゃ痛いだろうな。切ってからまだ一日経っていないのだから…。普通なら熱にうなされ、痛みに唸っている所だ。さすがロベルトと言う所か…。」
「世辞は良い。わしだってこうやって気をまともに持っているのが不思議な位だ。熱だってあるし、この痛みは半端じゃない。早く用事を済ませて、わしに普通の人間の様に熱にうなされ痛みに唸らさせろ。」
シャリスはそれを笑って聞いて、そして真面目な顔をした。
「実はこのティーナを少しの間、預かってもらいたいんだ。俺が調べ物をして、帰ってくる間だけ…。」
その言葉にティーナが食べるのを止めてシャリスを見た。
「おじちゃん…。」
「心配するな。別にお前を捨てるという訳じゃない。」
シャリスがティーナに笑顔で言う。良く考えたら、自分の娘でも無いこの子供にそこまで義理立てる必要も無いのだが、シャリスは自分になついているこの子を見捨てる事が出来なかった。
「それは構わんが…。で?どういう事だ?」
「エリック…。」
シャリスが言う。それでロベルトが首を傾げた。
「エリックがどうした?あ、なるほど。この子の関係者かも知れないから、調べると言うのだな?」
「うむ、それもある。……しかし、俺が倒したゲシャグが、エリックに頼まれてあんたを殺したと言っていた。そして俺とティーナも殺すとな。」
ロベルトの表情が険しくなる。
「……反逆か?」
「いや、反逆なら王家を狙うさ。だが、あんたを狙った。これは裏に何かあるような気がする。」
「ケンゼンの妻カリディアナを調べるのか。あのエリックをわしに頼んだ…。」
「うむ…。エリックとどういう関係か聞き出し、エリックが単独で画策したのなら、エリックを殺す許可を得る。もし、そのカリディアナが国を損なう様な女で有れば…。」
「有れば?」
ロベルトが緊張の面持ちで聞く。が、シャリスはニカッと笑った。それで緊張した空気が柔らかくなる。
「まあ、お前にこの子を育ててもらいたい。そうだな、ダッケンベルの養子にでもしてもらい、将来的には幸せに暮せる旦那を見付けてもらってな。」
その口調は軽く、聞いていた侍女も思わず笑顔が出たが、ロベルトはますます固まった。
「王子の嫁であっても切るか…。例え反逆の汚名を着ても…。」
「ま、俺は縛られるのが嫌で城勤めを断わった人間だ。何処にいても自由にするさ。気に入らないものは気に入らないで、それが高貴の者でも切れるくらいの自由を持つ事を、俺は誇りに思っている。」
「おじちゃん…。」
ティーナが泣きそうな顔をした。その姿は侍女が世話をしているはずなのに、顔中が食べ物で汚れていて、服も汚れきっている。それでシャリスは楽しそうにティーナの頭を撫でた。
「ティーナは心配しなくても良いんだよ。お前は絶対に守ってやるって言ったろう?ここにいれば、ずっと幸せにやっていけるからな。」
ティーナは大粒の涙を目に溜め始めた。
「ティーナ、おじちゃんと一緒にいられないの?おじちゃんに捨てられちゃうの?」
シャリスは慌てて、テーブルの布巾を掴み、ティーナの目に当てる。
「ち、違うって。ちゃんと帰ってくるよ。大丈夫だってば。泣くなティーナ。泣かなければ帰ってきたらずっと一緒に寝てやるから。」
ティーナはそれで泣くのを我慢した。
「きょ、グスッ…今日は?」
「今日も一緒に寝てやる。だから泣くな。」
ティーナは下唇を噛んで、一生懸命に我慢すると、無理矢理に笑顔を作った。それでシャリスは安堵の溜息を吐く。
「頼むよ…、もう…。」
「まあ、そういう話しを子供の前でするからだな。お前は子供の心が良く分かってないな。」
「俺は独身だ。分かってたまるか。」
シャリスが言うと、ロベルトが笑う。
「だから結婚しろと言うのだ。…そうだ、この城で結婚して、俺の後を継げ。ここなら中央の命令を常時聞く必要は無いし、お前でも務まるはず。」
「勘弁してくれよ…。俺に始終城にいろと言うのか?中央での調べが終わったら、ティーナとまた旅に出るよ。まあ、この子に色々と教えるのは楽しいから退屈もせんしな。」
その言葉でティーナが良く分からないという風に首を傾げた。それでシャリスをまた頭を撫でてやる。
「ふんっ。ま、気が変わるのを気長に待つさ。それよりいい加減に飯を食い終わって出ていってくれ。大体、今回の戦いの英雄だろうお前は。皆の所に行って…。」
その時、ロベルトの部屋にノックが響いた。それでロベルトが返事をすると、中にセルナが入ってくる。
「どうしたセルナ。」
ロベルトの言葉にセルナは言いずらそうに、チラッとシャリスを見た。
「なんだ?シャリスに用事か?言ってみろ。」
「あの、ダッケンベル様や兵士の方々が、シャリス様を呼んでこいと…。それで私がよこされました…。」
ロベルトはニヤリと笑う。
「ほれ見ろ。早く行って、皆を喜ばせんか。」
それでシャリスは嫌な顔をした。が、仕方なく立ち、ティーナを見る。ティーナもすぐに椅子を飛び降りて、シャリスの手を掴んだ。
「それじゃ、嫌だけど行ってくるわ。ま、せいぜい養生してくれ。じゃあな。」
シャリスがそう言って部屋を出て行くのを笑いながらロベルトは見ていたが、扉が閉まった後、ロベルトはすぐにダラダラと汗を掻いて気を失った。侍女と医師が慌てて彼に駆寄るが、すぐに安堵の溜息を吐いた。どうやらかなり我慢していたらしく、シャリスがいなくなり張っていた気が緩んだようだった。
シャリスはティーナをセルナに預けると宴会場に足を向けた。かなり気は進まなかったが、やはり行かなかった方が良かったと後で後悔した。すでに宴会が始って四時間以上経過している。だから床には酔いつぶれて寝転んでいる者が続出していていた。侍女達はすでに避難していて、そこは男だけの嫌な光景が映し出されている。シャリスはこの雰囲気についていけず、部屋の端の机に行くとそこでチビチビと酒を飲み始めた。そこは目立たず、そしていつでも逃げられる場所で、シャリスは顔を出したという既成事実さえ出来ればすぐに逃げようと思っていた。その時、横にダッケンベルが座った。
「シャリスさん。本当にお礼の言葉も見付かりません…。本当にありがとうございました。ロベルト様の命も救ってもらて…。ここにいる皆が、あなたに感謝しています。」
その口調は冷静そうだが、かなり酒臭くそして真赤な顔をして目が座っていた。シャリスが顔を顰めて少し引くと、その反対側にドンッと兵長のグランゼルが座った。
「あんた、やるな。ほら、乾杯だ。」
彼はシャリスが持っていた小さなグラスを取り上げると、持ってきた大きな木の器になみなみと注がれた酒をシャリスに手渡す。シャリスは顔を顰めて、溜息を吐いた。
「これを俺がやるの?」
グランゼルに聞く。グランゼルは当然の様に頷き、そしてふと気づくと正面にかなりの数の兵士達が人垣を作っていて期待の目をしていた。
「仕方ないな…。」
シャリスは呟くと、それを一気に飲み干した。すると見ていた兵士達が大騒ぎをする。
「よっしゃー!次は俺の番だなっ!」
グランゼルは楽しそうにそう言うと、小型の樽に入った酒を器に注ぎ、彼もまた一気に飲んだ。それでまた兵士達が歓声を上げた。そして次々と一気を始める。
「こりゃ、付き合いきれんな…。」
シャリスが呟き、席を立った。と、ダッケンベルがその腕を掴み引っ張りまた座らせる。
「シャリス様。逃げようたってそうは行きませんよ。あなた一昨日までは死ぬほど飲んでたじゃないですか。一人で飲むより皆で飲んだ方が楽しいでしょう?」
確かにシャリスは一昨日までにロベルトの大事な酒を馬鹿みたいに飲んだ。それは量にして、大樽十本ほどで一日一本は軽く飲んでいた。しかし、彼はひねくれていて、皆が飲まない時に飲むからこそ美味いと言い切る男だった。皆が飲んでいる時には逆に冷めてしまう、そんな男なのだ。それでシャリスは思いきり嫌な顔をした。こんなのに付き合ってたら、ティーナと一緒に寝るっていう約束を破ってしまう。明日には旅立つし、二度と戻ってこれないかもしれないから、その約束だけは守っておきたい。
「悪いが、小便だ。」
シャリスがそう言うと、さすがにダッケンベルも手を放した。そしてグランゼルが言う。
「おい、必ず戻ってこいよ。明日の朝まで飲みっぱなしだ!」
楽しそうにそう言う。それでシャリスは苦笑いを浮かべて、食堂から出ていった。そして酔いを覚ます為に色々と城内を歩いて、最上階のテラスに出た。日は少し傾きかけていて、草原を照らしている。その草原では侍女達が敵味方関係なく死体を回収していて、その死体のあった場所に一輪ずつ花を置いていた。
「死んだ者達に妻や子供、恋人はいたのだろうか…。」
シャリスは物悲しくなって、少し涙を目に溜めた。そしてシャリスはそれを日が暮れるまで見ていた。
部屋の中は暗くなっていた。もう日は暮れていたし火が無ければ当然なのだが、シャリスは首を傾げた。ティーナはセルナに預けたのだから、当然まだ起きていると思ったのだ。まあ、子供の事だし眠くなって寝てしまい、セルナはもう部屋に帰ったのだとシャリスはすぐに思ってそのままティーナのベットに入った。
セリスは、窓から差し込む朝日が顔にかかり、それで目を覚ました。そして、目の前にある男の顔に息を呑む。それはシャリスの顔だった。彼女はそれをまるで信じられない物を見るような顔つきで、自分の身に何が起こったのか考えた。シャリスの手がまるで自分を抱き寄せる様に腰を抱いている。彼女は悲鳴を上げたい自分の感情を押し殺し、一生懸命に冷静を装って今の情況を考える。そして視線をシャリスから外し彼の後ろの光景を見て自分の部屋で無い事に気付き、思い出した。昨日ティーナの添い寝をしていて自分もそのまま寝てしまったのだ。
彼女はそれで何度か深呼吸をして心を落ち着かせ、シャリスが起きないようにゆっくりと体を動かすとティーナを探す。ティーナは彼女とシャリスのお腹の当たりに挟まれて幸せそうな表情を浮かべて寝ていた。
“男性とベットを共にしてしまった…。”
彼女はその事実に焦った。実際は何も無かったのだが、これが知られると自分の不名誉になってしまう。これがちゃんとした恋人ならともかく、シャリスはそういう相手では無い。確かに彼女は彼にほのかな恋愛感情を持ち掛けていたが、それとこれとは別である。それでセルナはゆっくりと自分の腰にかかっているシャリスの手をはがし、それをティーナの上に置く。そして音を立てないようにゆっくりとベットから出ると、足音を立てないように部屋から出た。
小さくパタンッと音がして、その瞬間中でガバッと起きる気配がした。それでセルナは大きく深呼吸を何度かして、その扉にノックをする。
「は、はい?」
中から声がして、セルナは扉を開けた。と、そこにはシャリスがベットで上半身を起して目を擦っていた。
「おはようございます。シャリス様…。」
「あ、おはよう…、セルナ。」
シャリスはそう言うと、ベットから出た。そしてすぐに自分の剣と荷物を持ち、セルナに対峙する。
「どうしたのセルナ。こんな朝っぱらから…。」
「いえ…。あ、そうそう、ティーナちゃんの様子を見に…。」
セルナは慌ててそう言分けした。自分が今初めてここに来たという事をシャリスに印象付けようと思っただけで、実際は何の用事も無かったからだ。
「そうか…。それじゃ、ティーナをよろしくな。世話になった。」
「え?」
シャリスの言葉にセルナが目を見開く。シャリスはニコリと笑うと彼女の頭をまるでティーナにするように撫でた。
「ティーナが起きる前にここを出る。ロベルトには話して有るのだが、大事な仕事で首都に行かねばならん。ちょっと危ないからティーナを連れて行けないんだが、まあ、二ヶ月位で引き取りに戻ってくる。ははは、何か自分の子を人に預けるみたいだな。」
「い、いきなりですね…。今日発たれる事をロベルト様は承知何ですね?」
「いいや。人に見送られるのは苦手なんだ。それに今日は昨日死んだ兵達の弔い式が有るだろう?そういうのも苦手。そういう訳だ。」
シャリスの言葉にセルナが顔を少し歪めた。しかし、すぐに仕事用の顔つきになり頭を下げる。
「お気を付けて行ってらっしゃいませ。ティーナちゃんの事は安心してお任せ下さい。」
シャリスはそれで彼女の横を通り過ぎ、扉から出た。
「帰ってきたら、デートしようね。セルナちゃん。」
シャリスの言葉にセルナは顔を真赤にさせ、シャリスを睨む。それでシャリスは扉を閉めて、外から笑い声が聞え、それはやがて小さくなっていった。セルナはそれで少し寂しさを感じ、ベットに近付くとそこに腰を掛け、眠っているティーナの頭を撫でた。
「ちゃんと帰ってくるよね。」
セルナは眠っているティーナに語り掛けて、そして幸せそうに眠っているティーナが起きた時の事を考えて、少し頭が痛くなった。
王城の中、日の当たるバルコニーでカリディアナが幼い息子、娘と一緒にお茶をしていた。白い木のテーブルに美しいティーセットが置いてあり、白い椅子に座ってそのお茶をカリディアナは美味しそうに飲んでいた。子供達は二人でじゃれ合う様にしてバルコニーの中を駆け回っていて、美しいドレスを着た彼女は日に照らされた金髪が輝き、穏かな風の中で幸せそうな貴婦人の様相であった。そこへ一人の侍女が手紙を持ってきた。侍女はすぐに下がって、彼女はその手紙の封を切る。と、今までの美しく柔らかい彼女の表情が一変して鬼を感じさせるほどの怒りの形相になった。
”クェイストの暗殺は成功したものの、娘と邪魔をした男の始末は失敗しました。”
短い文だった。しかしそれはカリディアナを憤慨さえるに十分の文であった。
「お、お母様…。」
子供がその表情に気付き、カリディアナを見詰め二人で抱き合って震えている。それでカリディアナは無理矢理笑顔を作り、そして立ち上がった。
「二人とも、悪戯をしないでここで遊んでいなさいね。母様は少し用事が出来ましたゆえ、出かけます。」
二人は震えたままコクリと頷き、カリディアナはバルコニーから部屋に入り、そして部屋を通過して廊下に出ていってしまった。
その一時間後。彼女は町娘に扮装し、怪しげな酒場にいた。まだ外は日が高く、この酒場に人はほとんどいない。しかし、酒場自体はまるで夜の店の様に暗闇にランプが灯されていた。その片隅にカリディアナが一人の男と話しをしていた。その男、黒いローブを頭からかぶり、いかにも怪しい者だった。彼はカリディアナの言う事にただ頷くだけで、決して声を発しない。
「そういう訳で、その娘とそれを守る男の暗殺を確実にこなしてもらいたい。もしや、その男、娘の母親が遣わした兵かもしれん。いや、あの母親にそんな事が出来るとは思えんが…。」
カリディアナは小さな革の袋をテーブルに置く。
「これは報酬だ。成功すればこの三倍をお前に与えよう。」
男はその革袋の中身を確めると頷く。
「元はと言えば、貴様があの娘を殺してしまっていればこんな面倒にはならなかったのだ。それを情にかられおって…。」
その時、男は初めて口を開いた。
「そうは言いますがね、あの時母親が一緒に来るなんて私は聞いてなかった。母親にはエドワード家が後の面倒を見ると言っていた以上、そこで殺す事なんて出来ないでしょう。それでエドワードの者が迎えに来るからといって草原に置き去りにしたのだ。街道からもかなり離れたあの草原で、子供が生き残るのは皆無に等しい。そしてあそこを通る人間もまた…。私の所為とはとても言えないでしょう。」
男は感情の無い口調で言う。それでカリディアナは悔しそうに頷く。母親も殺してしまえば良かったのだ。と、心の中で思ったが、あの娘の母親は城の中でも重要な場所にいて、死がしれたら調べられる可能性があり、それは止めたのだった。
「分かっている。だからこそ、もう一度報酬をお前に渡して、新しい仕事としているのだ。」
カリディアナはそう言うと立ち上がる。
「今度は確実に殺せ。分かったな。」
男は頷いて、そしてカリディアナがその店を出るのを見送ってから呟く。
「あんたは私の上客だ。その期待には応える様にしよう。」
彼はそう言うと机に小銭を何枚か置いてその店を出た。




