2.新人ディーマー
「うぇ!? ここも全部埋まってんの!?」
設置された端末の前で、エストは思わず素っ頓狂な声を上げた。近くを通りかかる人たちの注目を集めてしまい、視線を避けるようにそっと顔を伏せた。
1時間以上電車に揺られてやってきた、初めて訪れるアウェイのディーム。
ホームに比べると箱が小さいぶん利用率も比較的低めで、空いてるだろうと高を括って来たらこのザマである。
当然といえば当然だが、エストと同じようにホームで枠が取れず足を延ばしてきた人も多いのだろう。
空いていないなら意味もなく往復するしかないのだが、エストはもう一度端末に視線を向けて、苦い表情を浮かべた。
「‥‥5枠と10枠は空いてるんだよなあ」
ディームにおけるその数字は、そのままフィールドの利用時間を指している。基本的に1,3、5、10枠の4種類があり、1枠なら1時間、3枠なら3時間。そして5と10も同様だ。
あえて言うまでもないと思うが、いくら身体能力が向上していようと10時間も戦い続けるなんてマトモな人間のすることじゃない。10枠の常連は色んな意味で人間やめてる人ばかり。
5枠と10枠では特殊ルールを付与してイベントなどでよく利用されるが、個人で利用する人はあまりいない。そのため空き枠となっていることが多いが、他が空いていないからといって長時間枠で短時間の試合をするのはマナー違反だ。
もちろん結果的に短く終わることもあるし、公言はしないものの最初からそのつもりで終わらせる人もいるにはいるが、悪く言われがちだしあまり連続でやっていると炎上する。コメントは荒れるしプニッターにも変なリプが大量に来るので深刻な問題なのである。
どちらかを選ぶなら、もちろん5枠。一応5枠の参加経験はあるが、5時間という長丁場は思いの外キツく、出来ればもう入りたくないと思った記憶が蘇る。
しばらく迷って、口の端をひん曲げ、天井を見上げて首を捻り、深くため息を吐いて、仕方なく5枠で参加を申請した。
ここに来て、思っていた以上に焦っていたことを自覚した。前もって確認していれば悩む必要もなかったことだし、そもそも本当は来週辺りどこか適当にと思っていたのに。
それをわざわざこうして遠方のディームに足を運んで、気の進まない5枠なんぞに参加しようとしているのだから、まさにアンナに言われた通りじゃないかと苛立ちが募る。
参加申請を済ませると、マッチングが確定するまで他の試合でも観戦していようかととりあえずオープンスペースへ足を向けた。
いつもの箱と比べると部屋自体が少し狭いこともあってか密集度が高く、実際よりも人が多いように感じられる。同じ空間にいる人間は少なければ少ないほど良いと思っているエストにとっては、普段と違う環境なことも相まって必要以上に落ち着かない。どこを見ても知らない顔ばかりで変な汗が滲む。
他のディーマーたちから逃げるように一番隅の席に腰を下ろし、壁一面に並べて設置された各フィールドを映し出すモニターに目を向けた。
現在は全ての1枠と3枠用のフィールドで戦闘が行われており、10枠は単純に空いていて、5枠はちょうど先程まで試合が行われていて今は調整中のようだ。
机上の備え付け端末に視線を移し、画面を切り替えながら各試合を眺めていくと、ぽつぽつと配信で見たことのある顔がある。あ、この人ってこの箱がホームなんだ、という発見もありつつ流し見ていくが、やはりアウェイゆえに馴染みのない顔が多い。
今日の対戦予定を確かめてみると、エストが申請した枠はマッチング中の黒塗り状態となっていた。
相手が見つからなければキャンセルもあり得るが、せっかく来た以上そうならないことを願うばかり。場合によっては枠移動もなくはないが、今日に関してはすでに3枠がいっぱいだったので可能性はほぼゼロだ。
机に肘をついて画面を眺め、コーヒーに口を付ける。いつもの箱とは使っている豆が違うようで、やや馴染みのない香りが広がる。
暇を持て余しつつも出来ることは限られていて、このままここでダラダラと観戦を続けるのもアリだし、観戦席に移動して直接試合を観るのもいい。どうやって時間を潰すべきか。
焦りを自覚して落ち着くよう努めてはいるが、冷静さを取り戻したかというとそんなことはなく、動揺を残したままふわふわとした思考が続いている。
アンナが言った通り、焦ったところで何が変わるワケでもないのは分かっている。今日の一戦がアプデ後になったとて、特にマイナスの結果を招くことはないだろう。
だがファン数30万という大台を前にして落ち着いていろというのも、今のエストには難しい話だった。
実力は互角なのに自分よりファン数の多い人と戦ってしまったから、なおさら焦りが増す。色々と条件が違うのだから仕方ないと分かっていても、そう簡単に自分を納得させられるほどエストは器用ではなかった。
焦りの最大の原因となっている装備に関しても、発注自体はいつでも出来るが発注して即座にブツが手に入るワケではない。装備のイメージ、以前エストが考えてアンナに爆笑されたようなものを提出し、そのイメージをより具体的にするためにイラストレーター等と意見を交換し、後にそれを実体化させるために技術者と話し合って細かい調整をし、その過程を経てようやく製作が開始される。
特に問題がなければ製作に必要な時間は早くて1カ月少々。この後しばらくディームに出られないなら、むしろそちらに集中するのにちょうど良い期間になるのではないかと思ったのだ。
イベントの内容は分からないが、いつだって期待を超えてきてくれるディームだ。盛り上がることは間違いないと言っていい。
ディームが盛り上がれば、ディーマーたちの士気も上がる。ディーマーの士気が上がれば、ファンの熱量も上がる。
一時的に巻き起こるであろうその熱気。乗るしかない、このビッグウェーブに。
少しでも盛り上がっているうちに、少しでも注目度を浴びて、少しでも多くのファンを増やしたい。そうして、この険しいディーマーという道を駆け上がっていかなければならない。
そのためにはまず、今日の試合に勝つことがなによりも不可欠だった。
その重要な10勝目をアウェイで達成するというのは些か不本意ではあるが、観戦者の多くは直接ではなく配信を通じて観ている。アウェイでも問題はない、むしろ新しいファンを獲得しやすいのではないかと、都合よく解釈することにしておいた。
まあそもそも、マッチングが成立しなければどうしようもないのだが。
どうにか気持ちを落ち着けようと、ゆっくりとコーヒーのカップを傾ける。深く息を吐きだし、芳醇な香りが口腔と鼻腔を柔らかく撫でていった。
癖が弱く、すっきりした味わいで飲みやすい。わりと万人受けするタイプだろうか。
正直、ホームにある苦みの強い豆のほうが好きだと思った。今は特に、濃いコーヒーを胃に流し込みたい気分だ。家にあるお気に入りの深煎りコーヒーが少し恋しくなった。
思考がまとまらないまま漠然と試合の配信を眺めていたが、コーヒーを飲み終えるとじっとしていられなくなって席を立ち、観戦席へと移動する。
適当に目に付いた1枠のフィールドを覗き、あまり人がいないことを確認してから席のやや後ろ側に腰かけた。
広さはフィールドによって多少異なるが、ディームの基本的な形状はどこの箱でも同じ。中央に楕円形のフィールドがあり、それを取り囲むすり鉢状の観戦席。そして目の前のフィールドとは、分厚いガラスのようなスクリーンで完全に仕切られている。
観戦席はスポーツのスタジアムなどでも見られるような、備え付けの簡素な椅子が数列、等間隔に並べられたスタイル。
対面の観戦席側のスクリーンには、現在戦闘中のディーマーたちの名前とシールドが表示され、その下にはコメントが流れている。向こう側からはこちらのスクリーンに同じものが見えているはずだが、特殊な構造により裏側からは普通にフィールドを眺め下ろすことが出来る。
観戦席の上部にはいくつかのモニターが設置されており、このフィールドの映像と、音声は無いが他のフィールドの中継も表示されていた。
ちなみに、ディーム施設内であればフィールド外であっても、ごくわずかながら魔力の行使が可能だ。ゆえに観戦席等でもディーマーの姿を保つことが出来、その辺りをディーマーらしき人がうろついていることも珍しくない。
だが今のエストは戦乙女の姿を解いて、元の姿に戻っていた。
理由は無論、知らない人に声をかけられたくないからである。
エストは椅子に深く腰掛け、フィールド上で繰り広げられている戦闘に目を向けた。
戦っているのは、初めて見る顔のふたり。名前を見ても見覚えはなく、コメントの流れを見る限りどうやら新人ディーマーのようだ。見ていても実際、戦闘にあまり華を見出せないし戦い方も不慣れが目立つ。
痛みはないといっても、戦闘という行為は言ってしまえば殴り合いなのだ。恐怖を抱くのは当たり前のこと。ディーマーとしてやっていくうえで最初の壁のひとつが、その恐怖を乗り越えることだと言ってもいい。
それを乗り越えたうえで華やかに戦い、勝ち、評価を得て、そこでようやく、同じように勝ち上がってきた人たちと共にスタートラインに立つことが出来る。
強いのは当たり前、華やかなのは当たり前、そのうえで個性を伸ばして誰よりも注目を浴びなければならない。
ディーマーは魅力的で憧れの存在ではあるが、現実は色鮮やかなばかりではないのだ。
エストも今はどうにか中堅ディーマーと呼ばれる程度まで成長し活動を続けているが、ここに至るまでは決して楽な道のりではなかった。もう一度無名の新人からやり直せと言われたら、今の環境では正直生き残れないのではないだろうか。
「‥‥‥‥」
一生懸命に戦う新人を眺めながら、エストの胸中で焦りとは別の、何かの感情がざわついていた。
先日のティーナとの試合の時と同じだ。それが何なのかはやはりよく分からないが、少なくとも明るい感情ではなさそうだった。
理解しがたい感情に翻弄されるエストのポケットの中で、スマホが通知のバイブを鳴らした。確認すると、どうやら無事マッチングが決まったらしい。
対戦相手は‥‥知らない人だった。
名前は最近どこかで聞いたことがある気もするが、どうやら新人のようだ。プロフィールを見る限り対戦数も多くないし、勝率も低い。
何かしらの理由で10枠から移動してきたようで、マッチングの確認を求めるポップアップが開く。拒否する理由はなく、OKを連打すると他の確認も立て続けに承認してしまった。多分特殊ルールに関する同意だろうが、なんでもいいやと思って気にしないことにした。
基本的には実力差がある相手とはマッチングしないようになっているが、実際のところ、例外的なマッチングは少なくない。特に人気が上昇中のディーマーは格上の相手と当たりやすくなる。だから今回の相手も多分、エストが知らないだけで新人の中では有望なのだろう。
エストが承認してしばらく、マッチングが完了すると観戦席にいた数人のスマホが鳴り、通知を確認してわずかにざわめく声が響いた。
ファン登録をしていると、そのディーマーが枠を確保した時や試合が始まる時に見逃さないよう、通知を受け取れるようになっている。
トップレベルには遠く及ばないエストといえど、30万弱というファン数は決して小さな数字ではない。自分の通知の影響を確認する機会などあまりなかったが、目の前で自分の話をされるのは何ともむず痒いものだ。
なんにせよ、とりあえず枠が確保出来たのでひと安心。そして相手が新人であることにも、正直ホッとしている。あまり慢心しすぎるのは良くないが、負ける可能性は低いはずだ。
新人相手に10勝目を上げるのはズルい気もしなくもないが、とにかく映える戦いを心掛けて雑な勝ち方をしなければ大丈夫か。5枠なので難しいところだが、どこかで1発はエストカリバーを使っておきたい。最後とか、絵的に一番良いところを狙えればいいのだが、いかんせんその時まで魔力が残っているか怪しいものだ。
利用者の少ない5枠ということで、当日枠でもいつものような待ち時間はほとんどない。少しくらい相手について予習しておくべきなのだろうが、下手に焦ってこれ以上気持ちを乱したくはないし、少しだけ疲れを感じていて今はあまり頭を使いたくなかった。
やがて時間が近づいてくるとそっと観戦席を抜け、控室へと移動した。
控室はどこの箱でもほとんど変わらない、白い簡素な部屋。目立つものと言えばウォーターサーバーと上部のモニターくらいだろうか。
荷物を置いて深く息を吐き、棚についた自身の手を見下ろすと、小さく震えているのに気が付いた。
不可解な感情に乱されているから――とか、そういうのじゃない。単純に、緊張しているのだ。知らない人と対面することに。
ダっサ。と自分のことながら思わずにはいられない。
ゆっくりと深呼吸をして、少し気持ちを落ち着かせる。震える手と収まらない心拍を強引に押さえつけるようにしながら、エストは試合の準備を始めた。
そのままスポーツジムにでも行けそうなラフな服装に着替え、壁に備えられたパネルを操作して自身のIDカードをスキャンさせる。
――エストの全身を淡い光が覆い、光が形を成して弾けるように消えた次の瞬間、そこに現れたエストは青銀の鎧を身に纏っていた。
何の変哲もなかった棒きれも、同時に細身の瀟洒な剣へと変化を遂げる。
軽く頭を振って髪を揺らすと、平凡な黒髪は清流が湧きだすように輝く銀髪へと変わり、肩にかかる程度だったそれは腰まで届く長髪となった。
閉じていた眼を開くと、そこにあるのは宝石のように輝くエメラルド色の瞳。メガネを外していても、魔力のレンズが疑似的に視力を回復させてくれている。
それが『エスト』というディーマーを象徴する姿。エスト自身が作り上げた、『エスト』という存在。
どこにでもいる平凡な一般人でしかなかった彼女は、瞬く間に『戦乙女』エストへと変貌を遂げた。
戦士として相応しい引き締まった口元と、意志の宿った鋭い瞳。変化した見た目に追随するように手の震えは収まり、鼓動も少し落ち着きを取り戻していた。
先程までより伸びた背筋で椅子に腰かけていると、やがて準備が整ったことを知らせるブザーが鳴り、目の前の扉が開く。
視線が向けられるのは、その先にある勝利と栄光。真っすぐにそれを見据えて、エストは扉の向こう側へと足を踏み出した。
いつもと違う箱の、初めて踏み入れるフィールド。何が違うと言えるほど大きな違いがあるワケではないけれど、認識できない程度の細かい違いが違和感となって少しだけ不安を助長させる。
少し聞きなれない実況の声を聞きながら、エストはいつもと同じようにドローンに向けて笑顔で手を振って歩みを進めた。
記念すべき10連勝目を飾るかもしれない重要な試合。ファンのコメントも突然のアウェイへの登場に驚きながらも、期待を膨らませるものが多く流れていた。
不安と緊張。興奮と期待。様々な感情が入り混じってエストの心が乱されているのを悟られないよう、胸を張ってキュッと唇を引き結ぶ。
そして、エストに続いて向かい側から現れる対戦相手。実況による紹介を聞きながら、エストはぱちぱちと気の抜けた瞬きを繰り返した。
――可愛い子だ。
エストが最初に抱いたのは、そんな安直な感想だった。
現れたのは、ひとりの女の子。背はあまり高くなく、恐らくエストとほぼ変わらない。瞳は恒星のようにぴかぴか輝くアメジスト。胸辺りまで伸びる艶やかな髪は淡いピンク色。色とりどりのヘアピンがバッテンを作っており、細かな部分のカワイイにも余念がない。
髪色と同じ淡いピンクのシャツの上に柔らかそうな白いセーターを羽織り、ひらひらいっぱいの膝丈スカートの下にはタイツを履いていてガードも硬い。足元はカジュアルな黒いブーツで、胸元には大きなリボン。全体的にふわふわとしていて、のんびりとした印象を受ける女の子。
彼女はとても楽しそうな表情を浮かべて観客に手を振っている。そのままエストの目の前までやって来ると、深くゆっくりと頭を下げた。
「初めまして、新人ディーマーの歪宮ルナです。よろしくお願いしますッ」
にこにこと柔らかな笑みを浮かべたまま、彼女が手を差し出してくる。一瞬だけ戸惑うも、エストはぎこちない笑顔を返して握手を交わした。
「どうも、歪宮さん。エストです」
ディーマーの挨拶は大事。公式サイトにもそう書かれている。
「今日は『戦乙女』のエスト様と戦えるって分かって、わたしすっっっごく嬉しくて! 始まるまでずっとワクワクしてたんです!」
「あっ、そう、なんですか。ありがとうございます、へへ」
「わたしまだ二つ名もない新人なので、二つ名持ちの人と戦うの初めてなんですけど、遠慮なく全力でお願いしますッ!」
「あっ、はい、頑張ります‥‥」
うわぁ、めっちゃ真っすぐ目を見て話してくるんだけど。ヤダ、眩しすぎてツラい。そんなキラキラした瞳を向けられるとどこを見ればいいのか分からなくて、視線が泳ぎまくってしまうじゃないか。
いやコメント、『不利属性来たな』『まさにアウェイ』『こうかはばつぐんだ』とか言うのヤメロ。『エストさんは人と話すのがあまり得意ではないので――』とか長文でガチの説明もヤメロ。そっちのほうが傷付くわ。
たとえ『エスト』であっても、苦手なものは苦手であることに変わりはない。試合前の雑談は早めに切り上げさせてもらって、試合開始を促した。
少し強引に会話を切ってしまったかなと思ったが、戦いを促された歪宮は一瞬だけ瞳を見開いて、むしろ歓喜を抑えられないようにさえ見えた。
嵐の前のような静寂が訪れ、エストは戦闘へと意識を集中させてゆく。
確かに知らない人は苦手だが、試合が始まればやるべきことはひとつだ。
目を閉じて、ゆっくりと息を吐く。目を開ける。
試合開始のブザーが鳴った。
長い長い、5時間という耐久戦の幕開けだ。
まずは歪宮の出方を窺って待ちで構えると、歪宮は格上であるはずの『戦乙女』に気後れすることなく、胸を張って一歩踏み出した。
戦闘が始まれば途端に纏う空気が変わるなんてこともなく、歪宮は先程までと同じ自然体。楽しそうな表情を崩すことなく、真っすぐに腕を前に伸ばす。
――突如、歪宮の周囲に大量の短剣が出現した。
視界を埋め尽くすほどおびただしい量の、魔力の短剣。あまりに予想外の攻撃に一瞬頬を引きつらせながらも、剣に魔力を集中させて大振りで振り下ろす。巻き起こる突風が飛来した短剣を吹き飛ばし、それらの短剣がエストにダメージを与えることはかなわなかった。
「あは、スゴいッ!」
歪宮はそれを見て、焦るどころか笑みをさらに深くする。コメントも同様に盛り上がりを見せ、『つよい』『やるわね』『さすエス』といつも通り雑な賞賛が流れてゆく。
攻撃は防いだものの、今のは焦って魔力を無駄に使いすぎたか。長期戦であれば魔力消費は控えめにと思っていたが、咄嗟の対応が出来ていないなと反省する。
だが、魔力消費の多さは向こうも同じはず。ていうか、5枠の初手でこの戦い方はなんだ。
ディーマーの武器はエストが持っている片手剣のように、使えるものはひとつだけ。最近は二刀流など特殊な装備を扱う人も増えているが、どのような形状であれ必ずワンセットのみだ。
だから今のような武器を出現させる場合、それは全て魔力によって生み出されるもの。所持している武器と比べて、それらは明らかに魔力の効率が悪い。
もちろん普通の攻撃よりも汎用性が高いので、戦術の幅が広いことは間違いない。とはいえ、あんな手当たり次第使いまくるなんて普通はしない。あるとすれば1枠の短期決戦くらいのもの。5枠でいきなりゲートオブ○ビロンなんて狂気の沙汰だ。
歪宮は攻撃を完全に防がれたことなど歯牙にもかけず、何を考えているのか真っすぐに突っ込んで来る。
新人とはいえ、二つ名持ちのエストに臆している様子はない。今の攻撃は小手調べといったところか。だとしたら、舐められたものだ。
エストが剣に魔力を込めて構えると、歪宮は嬉しそうに笑みを深くする。そして――再び大量の短剣を自身の周囲に出現させた。
――嘘でしょ!? 何考えてんの!?
想定外の攻撃に虚を突かれるも、同じ攻撃というなら対処法はすでに考えてある。
短剣が放たれると同時、今度はそれに向かって真っすぐ突っ込んでいった。身体を前傾させて当たり判定を小さくさせながら剣を薙ぎ、必要最低限の攻撃を弾く。わずか数本の短剣を弾いただけで、残りは何にも当たることなくエストの横を流れていった。そしてその攻撃の勢いのままに、風の剣戟をお見舞いする。
魔力を集中させた刺突は隙だらけになっていた歪宮を完璧に捉え、その華奢な体はフィールドの壁に思い切り激突し、崩れ落ちた。
視線を少し上へ向けると、歪宮のシールドはその耐久値を大きく減らしていた。
やっぱり、新人は新人だ。別に強いワケじゃない。戦い方に華や意外性はあるものの、逆にそれしかないとも言える。ワケの分からない無茶な攻撃も、作戦ではなく経験不足からくるものだったようだ。
そう思った瞬間、歪宮の手が動き、パキンと乾いた音がフィールドに響いた。
その音に応えるように――歪宮のシールドが全快近くまで回復する。
「‥‥ビックリした! 危なかったぁ!」
顔を上げた歪宮は、変わることのない満面の笑み。いやむしろ、先程までよりも楽しそうですらある。
ていうか、回復。そうか、回復か。マジか。
ディームでは、戦闘中に使うことが出来るアイテムがふたつある。ひとつはシステム上の数値に変更を加えることで、疑似的に魔力を増強させることが出来るバフアイテム。そしてもうひとつが今彼女が使ってみせた、シールド耐久値の回復アイテム。
シールド回復薬は一応課金アイテムではあるが、イベントだったり公式サイトのログインボーナスだったりと入手難度は非常に低いため、敢えて購入する必要もなく大抵の人がそれなりの数を保有している。
エストもいくらか持っているが、努めて集めていたわけではないのでログボを逃すこともあり、保有数はそこまで多くないはずだ。
回復薬の使用に上限などは設けられていないが、さすがに使いすぎは煙たがられる。そのあたりは予めルールで縛ったり話し合いで決められたり、暗黙の了解的な部分が大きい。
1枠と3枠ではあまり使う機会がないが、5枠であれば確かに、ある程度は回復も使うことが前提となるだろう。
回復はシステム上のものなので、使用は腕に取り付けている専用端末からとなる。場合によってはエストも使わねばならないことを覚悟して、歪宮の姿を視界に収めたまま所持数を確認した。
――あ、思ったよりいっぱい持ってたかも。いっぱい‥‥いや、ていうか‥‥なんか、めちゃくちゃ多くない?
数十個ほど持っていたはずだが、改めて確認すると余裕で三桁を越えている。
え、なんで? と、思わず歪宮から視線を外してルールを確認し――
「なん‥‥だと‥‥」
――『特殊ルール・回復薬の所持数10倍』
いったいいつから、特殊ルールが適用されていないと錯覚していた――?
いやでも、特殊ルールを適用する時は予め確認があるはず――
が、すぐにエストは思い出す。そういえばマッチングが決まった際、連打で何かの確認を飛ばしてしまったことを。
「なん‥‥だと‥‥」
己の失態に気が付き、思わず同じ台詞を繰り返す。
ウソでしょ。えっ、じゃあもしかして、一気に削りきるまで一生終わらない‥‥?
い、いやだあああ、めんどくさいいいいい、と態度には出さないように胸中で号泣するも、すでに試合は始まってしまっている。
10倍所持に同意したということは、それだけ大量に使うことに同意したと同義。ここでやっぱりナシなんて言うのは、あまりにも自分勝手が過ぎるというものだ。
エストが顔を引きつらせているのを見て、歪宮は可愛らしく小首を傾げた。なんだコイツ、こっちの気も知らずに可愛い顔しやがって。
歪宮はそんなことを気にする様子もなく立ち上がると、再び大量の短剣を出現させる。
回復も厄介だが、この攻撃も厄介だ。防ぐこと自体は難しくないが、繰り返されればそれだけ疲れるし、圧迫感から来る精神の消耗も少なくない。
ていうか、なんなんだよこの子、魔力無尽蔵かよ。
魔力の運用に長けているとも思えない。こんな攻撃、どう考えても全力で魔力の無駄遣いだ。それでも疲れた様子が見えないのがむしろ恐ろしい。
だがどう言ったところで、根本的に経験値が足りていない。どれだけ強引な攻撃続けようと、逆転の一手にはなり得ない。
気は重いが、負ける要素はないはずだ。
攻撃が放たれ、今度は全て正面からではなく一部は弧を描いて飛来し、エストの周囲を大量の短剣が取り囲む。思わず「時よ止まれ!」と叫びたくなるが、仮に言ったところで時は無慈悲に流れ続け、そもそもこの状況だと時を止めるのはエストではない。
時間の波に乗って、エストに降り注ぐ数多の短剣。魔力の消耗とダメージどちらを取るかを考えるも、やはり見栄えを考慮して半端に攻撃を受けるべきではないと判断する。
剣を持っていない手を正面にかざすと、エストの周囲を魔力の風が取り囲んだ。己の白銀の髪を巻き上げながら激しく風が爆ぜ、周囲の短剣を吹き飛ばす。歪宮の動きが止まっている隙に距離を詰め、再び風の剣戟を叩き込む。
何度か攻撃を繰り返してシールドが半分近くまで減ると、歪宮は即座に回復薬を使った。
めんどくせええええ!と叫びたくなるのを必死に堪えながら、エストはどうにか落ち着いて最適なタイミングを窺うことに集中する。
同じことを繰り返してもエストの優勢は変わらない。だが、歪宮は焦らない。そのことにむしろ、エストが焦れている。
いつも通りの戦い方じゃダメだ。5枠には5枠の戦い方がある。経験という名の檻に囚われて柔軟さを忘れていてはいけない。
一瞬の隙を突く、なんて難しいことを考える必要はない。探すまでもなく、歪宮はずっと隙だらけだから。
同じ攻撃、同じ動き。その隙が最も大きくなったその瞬間に、エストは動いた。
迫るエストに向けて繰り出される大量の短剣。エストは前傾姿勢になり、跳んだ。
そのまま、前方に向けて魔力を乗せた刺突を放つ。魔力による衝撃が短剣を吹き飛ばし、ぽっかりと道が開かれる。魔力を抑えすぎたか、弾き切れなかった数本の短剣がエストを掠める。だが削れたシールドはほんのわずか。
一気に距離が縮まり、驚きに目を見開く歪宮。袈裟切り、返す剣で横薙ぎ、そして突風吹き荒れる刺突。息もつかせぬ三連撃をまともに受けて歪宮の身体は軽々とフィールドの壁に叩きつけられる。
ちらりと視線を上に向けると、歪宮のシールドは手応えに反してそれほど削れていない。
ある程度試合を長引かせるため、5枠でのシールド値は普段のそれよりも高く設定されている。それゆえの感覚のズレにもどかしさを覚えながらも、勢いを緩めることなく歪宮との距離を詰めた。
ここがディームであればこそ、歪宮の身体が地面に落ちるよりも早く、エストは人間離れした凄まじい速度で歪宮の眼前に迫る。
再び風の剣戟を繰り出し、壁に縫い付けられるように歪宮の落下が止まる。そしてそのまま反撃の隙など与えず、壁に叩きつけるような連撃を放った。
『ヴァルハラがァ! 捕まえてェ! ヴァルハラがァ! 画面端ィ!』と騒がしくなり始めた実況の声を聞きながら、ヴァルハラって誰だよとツッコむ間も惜しんでひたすらに空中コンボを繋いでゆく。
――連撃の途中、歪宮の眼がギラリと怪しく光った。
瞬間、エストの周囲を幾本かの短剣が取り囲む。だが即座に風の魔力を解き放ち、それらを全て吹き飛ばす。反撃読んで、まだハメる。
時間にして、わずか十数秒にも満たなかっただろう。怒涛の連撃に為す術もなく、歪宮のシールドは一気にゼロまで削られた。
どしゃり、と歪宮の身体がようやく地面に触れ、最後まで気を抜かず倒れた彼女を注視する。
そうして聞こえてくるのは歪宮の回復薬の使用音――ではなく、『ヴァルハラが決めたああァァァッ!』とやかましい実況の声と試合終了を告げるブザー音。
勝敗が決すると同時に『うおおおおお』『やったああああ』『さすエスうううう』『さすヴァルうううう』と盛り上がるコメントにエストは安堵の息を吐いて、高く拳を掲げてみせた。ドローンが素早く正面に回り込み、エストのドヤ顔が上部のモニターいっぱいに映し出される。
色々驚きはしたけれど、番狂わせが起こるようなことはなく。結果は大方の予想通りエストの勝利となった。
ばたんきゅーと倒れ伏していた歪宮はむくりと起き上がり、楽しそうな、いやむしろ嬉しそうに瞳を輝かせながら拳を握りしめてエストの下へと駆け寄った。
「スゴいッ! やっぱり、今まで戦った誰よりも強いです! さすが『戦乙女』って感じです! それじゃあ――もういっかいやりましょうッ!」
‥‥まあ、そうなるよな。
ちらりと時間を確認すると、開始からまだ1時間も経っていない。時間が余った場合、枠の時間内で何戦したって構わない。連戦する場合は、最終的な勝利数が多い方が今枠での勝者となる。
体調が悪くなったとか、急遽予定が入ってしまったというのなら早めに切り上げることもあるが、残念ながら本日の予定はなにもなく、身体は健康そのものだ。
連戦を覚悟するなら最初の1勝は非常に重要である。勝敗判定において比重が大きいというのもあるし、敗北は疲労としてのしかかる。
残り時間を少しでも楽に戦うために、初戦は少し無理をしてでも勝っておく必要があった。だから先程は少々ゴリ押しで戦ったのだが――
‥‥ただ、この子の場合はどうだろう。
いるんだよなあ、強い相手を前にして、ワクワクすっぞになる戦闘民族みたいな人。
エストは再戦要求に堂々とベテランの風格を示しながら「アッハイいいですよ」と、か細い声で答え、次の試合に備えて小休憩が挟まれた。
それぞれフィールドの端にある休憩ゾーンに座り、水分補給などもしつつスクリーンを見上げると、『エスト様強い』『その調子やぞ』『やっぱ安定してるな』『さすエス』とエストを応援するコメントが多くを占めている。
だがそれらの中に『まだ始まったばかり』『歪宮は初戦遊ぶからな』など、なんだか不穏なコメントも混じっているのが見え、ずしりとお腹の中の空気が重くなったような気がした。
歪宮に目を向けると、ちょこんと椅子に腰かけてお上品にお茶を飲みながら、次の試合が待ち切れないというようにそわそわと身体を揺らしている。
試合が始まる前から思っていたが、歪宮は新人とは思えないほど余裕と貫禄がある。まるで彼女には勝利以外の何かが見えているように。
気持ちが落ち着かないまま短い休憩が終わると、エストは再び歪宮と向かい合う。
彼女は相変わらず楽しそうな可愛らしい笑顔を浮かべていて、先程みせた脳筋な戦闘が嘘のようだ。
だが第2試合開始の合図と共に、歪宮は再び周囲に大量の短剣を出現させた。
どう考えても策があるとは思えない、初手全力。豪快な戦い方に少々驚かされるも、何度も同じ手は通用しない。
先程までと同じように、攻撃に飛び込むようにしながら剣を薙ぐ。歪宮はさすがに戦い方を変え、エストを迎え撃つその手に握られているのは、魔力の斧。ぐるぐると回転しながら投擲されたそれを、即座に足を止め蹴り上げる。次いで、魔力の槍が投げ込まれる。身体を捻って回避すると、さらに数本の魔力の矢が扇状に放たれる。避け切れず攻撃が掠めるが、シールドの減少は誤差の範囲。ダメージを気にせず反撃に出ると、歪宮はあっさりとエストの攻撃を受けてシールドが大きく削られた。
だが歪宮はまるで臆する様子を見せることなく、真っすぐに突っ込んできたかと思うと大きく腕を振り上げた。
――途端、巨大な影がエストに覆いかぶさり、照明の光を遮った。
虚を突かれて、顔を上げる。そこには口角を吊り上げて目ン玉を見開き、エストを見下ろす歪宮の姿。そしてその手に握られているのは――巨大な黒い剣。
巨大な、なんて簡単な言葉で済ませるのも躊躇われるような、剣と言うにはあまりに大きすぎる、禍々しさを放つ重々しい塊。血肉を吸ったかのように赤黒いソレの柄に嵌められた鈍く光る赤い宝玉は、まるで悪魔の目玉にさえ見える。
鈍器のように叩き下ろされたソレを、少し大げさな動作で後ろに跳んで回避した。
地面を叩き割る勢いで振り下ろされた大剣を手に、歪宮がゆらりと顔を上げる。
もったいつけるようになかなか見せなかった彼女の武器、そのシルエット。
全身可愛らしいファッションで固めておきながら、選んだ武器はソレなのか。ギャップと呼ぶには落差が激しすぎて、あわや転落死してしまいそうだ。
赤黒い塊を手に、歪宮が地を蹴った。
魔力で具現化された武器には見た目通りの重さはないが、巨大な剣を軽々と振り回す様はディームという特殊な環境にあってなお、異様に映る。そのあまりの迫力ゆえに、まるで意志を持った剣が歪宮を操り突き動かしているかのようだ。
身体ごとぶん投げるように、巨大な剣がエスト目掛けて空気を引き裂く。
インパクトはあれど、遅い。振りが大きすぎて軌道が読みやすい。当たれば大ダメージは免れないだろうが、当たらなければどうということはない。
所詮は経験の浅い新人。冷静に歪宮の動きを見て避け、カウンターの一撃を叩き込む。歪宮は大きくダメージを受けるが、やはり気にした様子もなくすぐに正面から攻撃を続けた。
攻撃しては回復され、距離を取れば大量の魔力の武器を放たれ、変わり映えのない耐久戦を強いられるも、歪宮の攻撃は単純。消耗戦というにはいくらなんでも歪宮の消耗が激しすぎる。回復薬は無限に近いほど使えるかもしれないが、体力は無限ではないはずだ。
歪宮とは対照的に、エストは慎重に魔力の消費を抑えつつ機を見計らう。歪宮の回復が間に合わずシールドが大きく減った瞬間、エストは動いた。
初戦の再現のように、刺突を起点として繰り出される怒涛の連撃。回避も防御もまるで間に合わず、為す術のない歪宮のシールドは再びゼロとなった。
エストは最後の一撃を決めた姿勢のまま肩を揺らして息を整え、深く息を吐いてから顔を上げる。
そこにあるのは――歓喜に瞳を輝かせて身体を起こす、歪宮の笑顔だった。
「あはっ、やっぱりスゴいッ! なんでこんなに強いんだろう! どうすればいいか、全然分からなかったです! もういっかい、いいですかッ!?」
さっきまで明らかに全力を出していた彼女から、欠片も疲れた様子を見せることなく同じテンションで再戦を申し込まれる。
エストはクールにやれやれだぜと嘆息しながら、胸中でそう思う。
――え~~~~~何この子、怖~~~~~。
正直、歪宮からはあまり戦闘のセンスを感じられない。無闇に突っ込んで来るばかりだし、魔力の無駄遣いも多すぎる。しぶとく回復を繰り返すばかりで、反撃の糸口などほとんど見えていなかったじゃないか。
にもかかわらず、なんだこの笑顔は。一方的にボコボコにされて、何がそんなに楽しいんだ。
これ以上繰り返して何かが変わるとも思えない。いい加減疲れてきたし、もう帰りたい。帰って温かいシャワー浴びてオヤツ食べてオフトゥンと仲良ししたい。
けれど5枠というこのフィールドと歪宮がそれを許してはくれない。エストは内心ヤダヤダと泣き叫びながら、ベテランという枷に縛られた涼しい顔で再戦を承諾した。
だが3戦目も歪宮は相変わらず正面から突っ込んで来るだけで、何も変わっちゃいないし何も分かっちゃいない。「ヨシ! 次は避けれるかも!」と拳を握る彼女を同じように突き飛ばしてやると、「全然ヨシじゃなかったかも!」と満面の笑みで起き上がる。
コメントを見ていても、もちろんファンたちの好意的なコメントが多いのだが、次第に『もう終われ』『センスなさすぎ』『少しは頭使えよ』など、他にも許容しがたい悪意のコメントも散見され始める。誹謗中傷は論外としても、やはりこの単調な戦いに苛立ちを感じる人も増えつつあるのだろう。
それでも歪宮は倒されるたびに起き上がり、変わらぬ笑顔で「もういっかい」を言い続けた。
心を折ってしまおうと完全試合を決めたところで、歪宮はむしろ嬉しそうに起き上がって再戦を求める。意地になっているワケでもなく、ただひたすらに同じ遊びを繰り返す子供のように、心の底から楽しそうに。
――心の奥で燻っていた感情が、少しずつ重みを増してエストを蝕んでいくのを感じていた。
時間を確認すると、まだ終了には少し遠い。精神だけではない。肉体的にも少しずつ限界が近付いている。
ジョギングや柔軟のようなちょっとした体力作りは続けているが、こんな勢いで長時間戦い続けるのはさすがにキツい。少しずつ、足元が怪しくなり始めている。
それに比べてなんだこの子は。マジで無尽蔵じゃん。フィジカルオバケだし、マジカルオバケだ。
魔力というのは精神力のようなもの。勉強だろうとゲームだろうと長時間続けているのは厳しいように、魔力を使い続ければ肉体とは別の部分で疲労が溜まる。
それなのに歪宮は、これだけ無茶な戦い方をしておきながら全く疲れた様子が見られない。それどころか、時が経つにつれて勢いを増しているようにさえ感じる。
それに、経験が浅いと思っていた歪宮だが、この戦闘中に着実に成長を続けていた。最初は全く反応できていなかったはずの攻撃にも、少しずつ対応出来るようになってきている。
遅々とした歩みだが、決して足を止めることなく確実に迫ってきている。
それでも、エストとの間にある隔たりは大きい。エストの優勢はいまだ崩れない。
そのはずなのに、なぜかエストのほうが精神的に追い詰められている。
まるで対照的な歪宮は楽しそうにエストの視界に割り込んできて巨大な剣を振り回し、「それっ、それっ!」とボール遊びをする子供のような気軽さで魔力の武器を投擲し続ける。
エストはそれを出来る限り最小の動きで弾き飛ばし、弾き切れなかった数本を身体に掠めさせながら、相変わらず隙だらけの歪宮に苛立ち混じりの攻撃を叩き込む。
5枠に入るのは初めてではないが、5時間というのはこんなにも長かっただろうか。ディームというのは、こんなにもツラいものだっただろうか。
当たり前のように倒され当たり前のように起き上がり当たり前のように笑顔で再戦を要求しようとする歪宮。
エストもそれなりにシールドを削られながらも何度目かの勝利を収めた時、そこでついに、歪宮が少しだけ不満そうなため息を漏らした。
「‥‥やっぱり5時間じゃ、ちょっと物足りないですね」
――ようやく、終わりの時間が近付いていた。
そういえばこの人、10枠から降りてきたんだったっけ。まさかとは思うが、何かしら理由があって10枠を選んだワケじゃなくて、ただ普通に長時間枠を好んでいる変態なのだろうか。5枠が短いとか、どう考えても常人と時間の流れ方が違うだろ。怖すぎる。そもそもこっちに同意を求めるな。ツラすぎて足が生まれたての小鹿みたいになってるよ。
内心では様々な愚痴のようなものが渦巻いているが、思った通りの言葉を口に出来るはずもなく。実際に口を付いて出るのは「あっいえまあ」という呻き声のようなナニかだった。
「じゃあ、次で最後にしましょうか。いいですか?」
「‥‥もちろんです」
その言葉に、エストはひどく安堵を覚えた。時間が近づいてきているのは分かっていたが、実際に言葉にされると気の持ちようが変わってくるものだ。
足元を怪しくさせながら休憩スペースに座り込み、深く息を吐きだす。
いい加減本当に体力も魔力も限界だが、これで最後というなら全てを振り絞って絶対に全勝する。ここまできて負けるなんて、カッコ悪すぎるだろ。
正確な数字はもう分からないが、少なくとも歪宮の勝利数がゼロであることは間違いない。現時点で、この枠でのエストの勝利は確定している。10連勝という大記録は実質達成済みだ。
――それでも絶対に、最後まで負けられない。こっちにも意地ってものがあるんだ。
ゼリー飲料をぎゅむぎゅむと吸い込んで、絞り出すための意地を胃の中に落とし込んだ。
休憩が終わり、エストは今にも倒れそうな身体に喝を入れて背筋を伸ばし、長い息を吐いて剣を握る手に力を込め、歪宮に向かい合う。
柄の部分に剣と羽が重なるようなデザインの国章が刻まれた、光を反射して輝くシンプルだが美しい細身の西洋剣。
見た目に分かりやすく趣向を凝らす人が多いなか、あえて飾り気の少ないデザインにすることで騎士っぽさだとか、伝統や気品のありそうな雰囲気をイメージして発注したその剣は、エストが初めて手に入れた自分専用の剣だ。
これまでエストが手にしてきた勝利と栄光に縋るように剣の柄を指先で撫で、キッと鋭い視線を歪宮に向けた。
「‥‥‥‥歪宮さん、私、絶対に勝ちますから」
意地と共に吐き出したその言葉に、歪宮は歓喜を抑えきれないように笑みを深くして、輝く紫色の瞳をぶわっとさらに輝かせた。
「はいっ、わたしも絶対に負けませんッ!」
――その歪宮の態度に、エストは奥歯を嚙みしめる。
試合開始のブザーが鳴り、最終ラウンドが幕を開けた。
歪宮はやはり何も考えていないように正面から攻め込んで、そして相も変わらず疲れの見えない笑顔で巨大な剣を振り回した。
歪宮はエストの攻撃に慣れつつあるが、当然エストも歪宮の攻撃に慣れきっている。最小の動きで、魔力で、それらを防ぎきる。
――防ぎきったはずなのに、わずかにシールドが削られる。
歪宮は同じように戦っているようで、ほんの少しづつ変化し続けている。
それは成長と呼ぶべきものかもしれないが、一歩一歩踏みしめるような歩みの遅さゆえに、そのわずかな変化を認識するのが難しい。
いや、いつものエストであればその程度、さほど問題ではなかったかもしれない。だが今の冷静さを欠いているエストには、それはどうしようもないほどに厄介な変化だった。
徐々に自分が優勢を掴み始めていることを実感しているのか、歪宮は嬉々として同じ攻撃を繰り返す。
ようやく見つけた攻略法とでも思っているのかもしれないが、これは戦略だとかそんなモノじゃない。こんなものは単なるゴリ押しだ。
そんな子供だましみたいな戦い方で――『戦乙女』の私が負けるわけないだろッ!
苛立ちにまかせるように、一気に距離を詰めてもう何度目になるか分からない刺突技、風の剣戟を繰り出す。
今日まで数えきれないほど使い込んできたこの攻撃。圧倒的に熟練度が高く体力も魔力も最も効率よく扱えるゆえ、威力のブレも少ない。疲労が限界に近付いている今こそ、最大限に効果を発揮してくれる。
歪宮はあっさりと突き飛ばされるが、即座に体勢を立て直しつつシールドを回復し、再び距離を詰める。
攻撃をするたびに歪宮のリカバリーは早くなってきていて、逆にエストの疲労は増し、休む時間は減っていく。
疲労と焦りで視界が揺らぐ。だがこんなところで倒れるワケにはいかないと、強引に目を見開いて歪宮の動きに集中した。
歪宮が大剣での攻撃に頼り魔力の武器を生み出す頻度が下がったのは、疲労と見るべきか。だが彼女の瞳の輝きを見る限り、まだまだ元気は有り余っているように見える。単に、テンションが上がりすぎて思考がより単調になっているだけかもしれない。試合に慣れていない新人にはよくあることだ。それは付け入る隙になり得るだろうか。
必死に頭を動かしながら、新人相手にこんなにも必死になっているという状況にさえ苛立ちが募る。
隙はいくらでもある。攻撃を決めるだけなら簡単だ。だが今必要なのは、回復される前に一気に、確実に削りきること。体力と魔力の消費を最小限に抑えながら、だ。
決して無理難題ではない。身体は重いが、歪宮の動きは十分に見えている。
正面から振り下ろされる大剣を、一歩横に動いて避ける。そのまま一撃を加えるも、すぐに距離を取られてしまう。だが深追いはしない。
――焦るな、冷静になれ、機を見誤るな。
歪宮はちらりと自身のシールドに視線を向けて、まだ余裕があることを確かめるとすぐにエストに向き直る。
戦いに集中し始めると、歪宮はしばしば自身のシールドから意識が逸れがちだ。
だから狙うべきは、歪宮のシールドが減っていて彼女がそれを認識していない瞬間。
難しい話じゃない。今日もすでに、何度も同じことがあった。
エストは今の隙に、歪宮に比べるとややぎこちない動きでシールドを回復する。今まで回復なんてほとんどしたことがなかったが、エストも回復を余儀なくされる場面が増えてきており、少しだけ使うのに慣れつつあった。
歪宮は相変わらず真っすぐに突っ込んできて、笑顔で飛び跳ねるように巨大な剣を振り回す。
注視するのは、その瞳。歪宮がエストに集中し、真ん丸な眼がエストから離れなくなった時。
その機を逃すまいと真っすぐに見つめる彼女の瞳は、喜色に満ちて輝いていて――
――――もう、負けが決まってるくせに!
思わず溢れ出た感情に任せた一撃は甘く、無用な反撃を貰ってしまう。エストは舌打ちをこぼしそうになりながら、さらに攻め込もうとしてくる歪宮の攻撃をかわして一撃を入れる。
エストは必死に、自らの感情を握り潰すように抑えつけ、嬉々として振るわれる歪宮の大剣を弾き返した。
歪宮が攻撃し、エストが迎撃する。拮抗し始めた戦況に、荒れ気味だったコメントも再び熱気を取り戻しつつあった。歪宮に対する批判の多かったはずのコメントが、気付けばふたりに対する声援の量さえも拮抗し始めていた。
歪宮に向けられる声援に気圧されそうになって、けれど歯を食い縛って地面を踏みしめ、勝利に向けて腕を伸ばす。
――勝ちたい。勝たなくちゃいけない。勝てなかったら、ダメなんだ。
何の捻りもない正面からの大振りを受け止めきれず、バランスを崩す。抑えきれない悪態を吐きながら、慌てて身体を起こした。
体力以上に精神をすり減らしながら剣を振るい、少しずつ、互いのシールドがゼロへと近付いてゆく。
焦燥の募る一進一退の攻防の末、エストはついにその瞬間を見出した。
歪宮のシールドは、残りわずか。テンションの上がり切った歪宮は輝くような笑顔で真っすぐにエストを見つめていて、シールドから意識が外れている。
――これで、終わりだッ!
エストは瞳孔を押し開いて、全ての神経を歪宮に集中させた。
最後といえど、エストカリバーを放つ余力など残ってはいない。繰り出すのは風の剣戟。剣先に魔力を集中させると、途端に腕が重量を増す。だが少しくらい威力が落ちようと、十分なタイミング。5枠のシールド特性は今日一日で十分把握した。
そのまま剣を突き出し――
――こふっ、とわずかに息が漏れた。
何があったというワケではない。シンプルに、疲労がのしかかってきただけ。
そう、それはとてもシンプルな話。エストは歪宮の動きに意識を集中させすぎていたあまり――自身の疲労という根本的な問題から意識が外れてしまっていただけだ。
想像をはるかに超えて力の抜けてしまった風の剣戟は、狙い違わず歪宮に命中した。
――足りない。
攻撃を受けた歪宮はそれまでのように突き飛ばされることなく、踏み留まる。視線を少し上にやれば、そこにあるのはわずかに残る、歪宮のシールド。
そして――同じくわずかにしか残されていない、エストのシールド。
後のことなどまるで考えていなかったエストは、この瞬間、完全に隙をみせてしまっていた。
歪宮にとってはきっと、今日初めて見つけた最大の隙。それを決して逃すまいと、全力の一撃を叩き込むべく大きく腕を振り上げた。
巨大な黒い影が、エストを覆い尽くす。
柄の赤い宝玉がエストを睨み下ろすように鈍く光を反射し、歪宮の表情をより立体的に映し出した。
愛らしい歪宮の笑顔がひときわ輝き、まん丸の目が恐ろしいまでにカッと見開かれた。
歓喜、恍惚、安堵、それから達成感や充足感。
狂喜と狂気が混じり合って美しく溶け合い、歪宮ルナという少女を形作る。どれだけ感情を無秩序にかき混ぜてもそれは昏く濁ることなく、無限に輝きを増し続ける。
どうして――!
喜びに満ち溢れて揺らめく瞳に、悲痛な表情が映し込まれていた。
可愛らしい顔にあまりにも不釣り合いな禍々しい武器が、全体重を乗せてエストの脳天に振り下ろされ――
――――衝撃。
痛みは無い。ただ肺の中の空気がまとめて押し出されて、視界が一瞬だけ暗転した。
気付けばエストは地面に倒れ伏していて、慌てて身を起こして自身のシールドを確認する。
スクリーンに表示された、エストの名前とシールド耐久値。そこにあるのは――空っぽのゲージ。
湧き上がる歓声と、『やったあああああ』『おめでとおおおおお』『すげえええええ』『マジかよやりやがった!』『ナイスゥ!』と爆速で流れて壁を埋め尽くす、歪宮を祝福するコメント。
――その瞬間、エストの世界から音と色が消えた。モノクロの世界で、無様に地面に這いつくばる自分。唯一鮮やかに輝き彩られた歪宮が、満面の笑みを浮かべて自らの勝利を祝福している。
――負けた。
そのことを理解するのに、少し時間が必要だった。
自分は二つ名持ちで、相手は新人で、負ける要素なんてどこにもないと、思っていたはずなのに。最後までずっと、自分の優勢は崩されていなかったはずなのに。
呆然とするエストに、手が差し伸べられる。ハッと我に返って反射的に手を取り、身を起こした。
小さくて、柔らかくて、興奮のせいか少し火照っている可愛い手。けれどエストと繋がっていない方の手には、その愛らしさに似つかわしくない巨大な黒い剣が握られていた。
「エスト様、本当にありがとうございました。最後にやっと勝てて、すっごく嬉しいですッ!」
言葉通り、心から嬉しそうな笑みを浮かべて礼を述べる歪宮。つい先ほどまで猛る獣のような眼をしていたのが嘘のように、穏やかで可愛らしい笑みだった。
エストは半ば放心状態のまま大きく肩で息をして、最低限の言葉を返したように思う。自分でもそこでどんな言葉を交わしたのか、覚えていなかった。
気付けば試合は終わって、着替えを終えたエストは項垂れるように配信室の椅子に腰かけていた。
なにも毎回欠かさず配信をしているワケじゃない。疲れてるから今日はナシにしてもいいはずだ。
けれどエストは何かに縋るように、いつもと同じように感想配信を開始していた。
「どうもお疲れ様で~す。いや~、なんていうか‥‥スゴかったね、歪宮さん。ホントもう、うん、なんか色々、新人とは思えないくらいスゴかった。どれくらいスゴかったかって言うと、語彙力が死ぬくらい。あはは‥‥」
エストの耳に届くのは空虚な自身の声と、エストが選んだいつもの穏やかなBGM。
振り返るには長すぎる5時間という試合。適当に飛ばしながら再生していく先程の映像に映るのは、エストが圧倒している姿ばかり。
――そう、エストは試合に勝ったのだ。
見るともなしにそれを見ながら先程の試合の、ほとんどが対戦相手である歪宮の感想を語っていると、画面上には『今日も楽しかったです』『安定の強さ! さすエス!』『エスト様カッコよかったですよ!』『勝ったのは間違いなくエスト』と、前向きに励ますような言葉が流れてくる。
中には当然と言うべきか、『10連勝達成おめでとう!』『ついに新装備!?』『もしかして武器種変わったりする?』『実装はいつ頃の予定ですか?』と期待に胸を膨らませているコメントが少なからず見受けられる。
ずっとその言葉を、この結果を待ち望んでいたはずなのに。今日勝てば、悩みなんて無くなると思っていたのに。
エストはそれらのコメントに気付かない振りをして、ファンの戸惑いも無視して新装備の話には一切触れることなく、当たり障りのないことだけを話して、いつもより少し短めにその日の配信を終えた。
静かになった配信室でひとり、やらなきゃ良かったとバカみたいな後悔に苛まれる。
あんなに心待ちにしていたはずなのに、今は新装備に思いを馳せたところで少しも心が躍らない。
‥‥私、なにやってんだろ。
エストはしばらく何をするでもなくただじっとその場に佇んで、項垂れるように配信室の床を見つめていた。




