76.ドラゴンの研究書(2)
魔導研究所の書庫に収められているドラゴンに関する研究書の著者、タジミール・アシュレイが、30年前に黒竜と共にオルディスを出奔した竜騎士団長――。
この著者が名前を偽っているのではなく本物だとして、なぜそれがラフニール王国の母国語で書かれているのか。
研究書は手書きで書かれて製本された小冊子で、司書に頼まなければこの膨大な量の蔵書の中から見つけ出すのは到底不可能だっただろうという、薄くて目立たない装丁だ。
30年前にリリーズ貿易港の上空を黒竜が飛んでいたという目撃情報と併せて考えると、その出奔した竜騎士団長はずっとオルディスの対岸のラフニール王国で暮らしているということなんだろうか。
その場にいる全員がおそらく同じことを考え始めたところで、ハルが口を開いた。
「ちなみに、この本の入手ルートは?」
司書は石板をじっと見て無機質な声で答える。
「6年前に、カシム村のタージン・アシス様より寄贈されております」
―――っ!
一同が息をのむ中で、シャルロッテだけは冷えた頭で「ああ、やっぱり…」と思っていた。
30年前にあの山の山頂付近で命を落としたパートナーの黒竜を弔い、生まれ変わるのを待ちながら木こりとして暮らしていたのだろう。
幸いにも生まれ変わった竜との再会を果たしたけれど、万が一、自分が歳を取りその日を迎えることなく亡くなることも考慮してこの本を書き上げたのだろうか。
シャルロッテは、タージン・アシスのことを何も知らなかった。
こちらも「訳アリ」だったために、そういう突っ込んだ話を避けていたのだが、それはお互いにとって都合がよかったのかもしれない。
家族はいないとだけしか聞いていなかったし、王都とは違い貿易港で働く人やカシム村の農夫や木こりは屋外での作業が多いためにみんなよく日焼けしているから、タージンの肌が浅黒いのも長年の蓄積としか思っていなかった。
言葉はもちろんのこと、文字もすらすらと書いていたから、よその国の出身だと考えたことすらなかった。
ドラゴンの育て方に精通していたことに関しては、当時はそもそもドラゴンとは何たるかということすらよくわかっていなかっため、山に生息するブッシュモスキートをはじめとした魔物たちとたいしてかわらない認識だった。
タージンおじいちゃんは、ドラゴンにも詳しいのね!しかも手なずけるだなんて、木こりってすごい!
そんな風に思った記憶がある。
そして白竜には「シロちゃん」という名前をつけて、ペットのようにかわいがっていた――これはタリクには言わないほうがいいだろう。
ドラゴンを神聖視しているオルディス人が聞いたら怒るに違いない。
しかもそれが、国を捨てて出奔した竜騎士団長さんだったとは……。
ここまで思考を巡らすのに何秒ぐらいかかったのだろうか、サイラス、ハル、カタリナの3人がじっとシャルロッテを見ていた。
3人とも、わたしがあの山小屋で一緒に暮らし、最後を看取って弔った木こりの名前がタージン・アシスであることを知っている。
「そのタージン・アシスという人物に会わせていただくことはできないだろうか」
タリクの切迫した声が沈黙を破る。
タージン・アシスはすでに故人であることをここで言ってしまってよいものか判断がつかずに、サイラスとハルの顔をうかがう。
「ちょっと愛弟子を返してもらうよ、あとはよろしく」
サイラスはそう告げると、シャルロッテの手を引いて書庫を出た。
「サイラス先生!?」
「シャルロッテ、今『どうしましょう?』って言いそうになっただろう?」
魔導研究所の外へと出て、周りに人がいないことを確認し、それでも尚小さな声でサイラスが問いかける。
シャルロッテは無言で頷いた。
母国語で手短にやり取りできればと思ったのだ。
「あのタリクという男、ラフニール語がわかっているよ。わからないフリしてるけどね」
シャルロッテは驚いて目を見開く。
「なんで?って思ってるだろう?だって、僕が母国語で自己紹介したときもわかっていたようだし、決定的なのはさっきの本の入手ルートに関するやり取りを全て理解していたことだよ」
あのときわたしは、タージンおじいちゃんの名前が出てきて慌ててしまったからそれどころではなかったけど、たしかにハルと司書のやり取りは母国語だった。
なのにタリクは、タージン・アシスに会わせろと言ってきたのだ。
それはつまり、通訳など介さなくてもラフニール語を理解していることを意味している。
シャルロッテは「なるほど…」とつぶやいた。
「向こうも突然、国家の反逆者である祖父の名前が出てきて驚いたんだろうね。さてと、ハルバートがどうごまかしてるかな」
サイラスの声はどこか楽しそうだった。




