69.和平交渉
白竜の襲撃の翌日、ラフニール王国は王太子と巫女の婚約を発表した。
その「王太子」は、クリストファーではなく、ハルバートだった。
自分はただの身代わりで、いずれ兄が元気になったらまた入れ替わるだけだと、ハルは己に言い聞かせていたが、兄クリストファーが元気になるのにあとどれぐらいかかるのかは不明だった。
医務室の奥の部屋で治療を受けていた兄からは焦げ臭いにおいが漂い、頭も体も、ほぼ全身を包帯で覆われていて、常に数名がかりでヒーリングをかけられていた。
正直、これで本当に生きているのか?という目を背けたくなるような状態だったが、ルーゼン医務室長によれば、サイラスが持ってきたドラゴンの涙のおかげで「これでも劇的に良くなったところです。先ほどまでは包帯すら巻けない状態でしたので」とのことだった。
最終的な回復の度合いと、それまでにどの程度の日数がかかるのか――とてもそんなことを聞ける状況ではなかった。
サイラスは「普通の生活を送れるようになるまでに長い年月がかかるだろう」と予想しているようだし、「人前にはもう出られない」とも言っていた。
シャルロッテが見た未来はつまり、そういうことなのだ。
ごく一部の関係者以外は、王太子がドラゴンの炎で顔を焼かれた事実を知らず、巫女とともに怪我ひとつせずにドラゴンとそれを操っていた魔術師を制圧したと信じ切っている。
自分はこれから先ずっと、兄の代わりに表舞台に姿を見せ続けることになるのだろう。
では…シャルロッテは一体、どちらの妻になるのだろうか……。
それでもハルバートは、双子の兄の全快を願っていた。
海を挟んでオルディスの大陸に最も近い港であるリリーズ貿易港には、あらかじめ秘密裏に停泊させておいた軍艦が早朝の白竜の襲撃の直後にサイラス・ドリュクからの伝書鳥の一報を受け、オルディスに向けて出港した。
国王が協力を求めた関係諸国の軍艦も続々と集結し、その日の夕方には砲台をオルディスの港へと向け、遠巻きに囲む陣形が出来上がっていた。
さあ、どうする?
自慢の竜騎士団はどうした。
血気盛んな海の男たちは、ドラゴンと戦うことを待ち望んでいたのだが、しばしの睨み合いの後、オルディスはあっさりと白旗をあげるという、あまりにもあっけない幕切れとなったのだった。
オルディスの竜騎士団長代理であるタリク・アシュレイは、オルディスの代表として和平交渉がしたいと申し出てパートナーの青竜と、数名の部下とともにラフニール王国の王城へとやって来た。
リリーズ貿易港からの道中――といっても、オルディスの和平交渉団はの各々のパートナーに騎乗して上空を飛んで来たわけで、だまし討ちを警戒するラフニール王国の騎士たちは、タリクの「裏切るようなことがあれば、この利き腕の右腕を切り落として差し出そう」と大真面目な表情で告げた宣誓を信じることにした。
オルディスは奴隷制や公開処刑制度の残る「野蛮な国」というイメージがある。
利き腕を差し出すと言われて「オルディス人は噂通りの…」と面食らいつつも、代表のタリク・アシュレイの立ち居振る舞いは粗野なものではなかったし、大陸間の公用語を綺麗な発音で話す様子も好感が持てた。
護送に当たった第四騎士団所属の騎士に至っては、うちの粗野で下品な団長よりもよほど品がある…と思いながら、脳裏に浮かんでくる「ガハハッ!」と笑うサンダース団長を追いやるのに苦心したという――。
翌朝、王都に到着したオルディスの交渉団は、半壊している石造りの塔や、広場に面した窓ガラスが全て割れている王城を目の当たりにした。
ラフニール王国で交渉にあたるのは王太子で、その護衛には第五騎士団のロックウェル団長がついた。
白竜への言及も当然あるだろうということで、乗り手であるシャルロッテも同席した。
こういう国家間の重大な交渉事はいつもクリストファーが担っていた。
自分が不慣れな身代わりであると悟られてはならないとガチガチに緊張していたハルだったが、その不安を不機嫌そうで不遜な態度をとることでどうにか隠している状況だった。
お前が交渉にあたってみろと父親である国王から指名されたとき、試されているのだと思った。
クリストファーがこれまで背負ってきた重責を初めて実感した。
事情を知っているロックウェルをつけてくれたことが親としての温情なのだろう。
だからこの交渉は、失敗は許されない。
「宣戦布告もなく、いきなり早朝に白竜が単騎で乗り込んでくるとは、我が国は随分と舐められているのだな。貿易を通じて良好な関係を保っていると信じていたのがこちらだけだったのが残念だ」
大変遺憾であると声色でも態度でも示すと、目の前のタリク・アシュレイは頭髪と同じダークグレーの瞳をそっと伏せた。
浅黒い肌はオルディス人と特徴で、年齢は20代後半だろうか。
彫りの深い精悍な顔立ちだ。
鎧の下に隠してある肉体が相当な鍛錬を積んでいるだろうということは、立ち居振る舞いでわかる。
「私は軍人ですので、回りくどい交渉や駆け引きは苦手です。ですから正直にオルディスの内情と今回の件についてお話しします」
頭を下げて、ふうっと息を吐いたタリクは、顔を上げると真っすぐにシャルロッテを見つめてとんでもないことを言い放ったのだった。
「その前に、これだけは言わせてください。シャルロッテさん、私と結婚してください!」




