65.お迎え
窓ガラスは粉々に砕け、絨毯や家具からは焦げ臭いにおいとともに、顔をしかめたくなるような独特なにおいも漂っていた。
これがドラゴンの吐き出す炎特有のにおいなのだろうか。
砕け散ったガラスとともに床に仰向けで倒れているクリストファーは、利き腕の右手で顔をかばう体勢のままピクリとも動かない。
頭髪が燃えたときの嫌なにおい、そして肉の焦げるようなにおいはまさか…。
王太子の寝室に飛び込んできた側近たちは、その凄惨な光景に一様に絶句して立ち尽くし、大きく深呼吸した後に駆け寄った。
「クリストファー殿下!」
「殿下!しっかりなさいませ」
「医務室長を呼んでまいります!」
皆、我に返ったようにバタバタと動き始めた。
窓の外にはもうドラゴンの姿はなく、どこか遠くで瓦礫が崩れる音が聞こえる。
戻ってくる前に少しでも窓から離さなければならない。
三人がかりでそっとその体を持ち上げると「うっ…」と微かなうめき声が聞こえた。
医務室長はいまどこに…そう思いながらひとまず王城の医務室へと向かっていた側近は、王太子の寝室から続く廊下の角を曲がったところで、向こうから医務室長、ロバート・ルーゼンとその弟子たちがやって来るのを認めて、安堵で膝から崩れ落ちそうになるのを必死でこらえた。
「殿下は?」
「深度のひどい火傷を負っておいでです」
医療スタッフたちの表情が一様に険しくなる。
「あの、サイラス先生は?」
この国ナンバーワンのヒーラーは、サイラス・ドリュクのはずだ。
彼は、王太子殿下の治療には当たってくれないのだろうか…。
震える声が、どの感情によって引き起こされているものなのかすら、自己判断ができないまま側近は尋ねた。
「サイラス先生はドラゴンの制圧のほうに向かわれた。殿下の治療は我々のみで行います」
ルーゼン室長は、大丈夫だと励ますようにその大きな手で側近の肩に触れたあと、再び弟子たちとともに駆け出したのだった。
その頃、「ドラゴンの制圧に向かった」と言われたサイラス・ドリュクは、王都からはるか南東のカシム村にある山ふもとに立っていた。
「何だ、まだすごい積雪じゃないか」
呆れたようにつぶやいて、王城からここまで飛んできたときと同じようにパチンと指を鳴らす。
次に姿を現したのは、山小屋の中だった。
なぜか普段よりも早い時間に目が覚めたシャルロッテは、二度寝するかここで思い切って起きるかしばし思案した後に起き上がり、すっかり冷え切った居間の暖炉をつけた。
簡単に身支度を整えた後、朝食の用意に取り掛かろうとしたときにハルが起きてきたことに気づくと、己の顔が自然にほころぶのを自覚しながら「おはようございます」と言った。
ハルは、寝室から出てくるときにはいつもすでに騎士様の服装になっている。
山小屋でふたりっきりなのだから、そこまできちんとしなくても…といつも思うのだが、それが護衛騎士の務めなんだとか。
「おはよう、シャルロッテ。早いね」
「はい、なんだか目が覚めてしまって」
「実は俺も」
そう言いながらハルにぎゅっと抱きしめられたとき、突然ポン!という乾いた音がまだ冷たいままの室内に響き、目の前にサイラス・ドリュクが立っていた。
「おっと、お邪魔したかな」
咄嗟にお互いの体を突き放すようにして飛びのいたふたりを、オッドアイをくるりと瞬かせながらおもしろそうに見ているサイラスのあまりの突然の登場に、シャルロッテは心底驚いてすぐには言葉が出てこない。
「サイラス先生、こんな時間にいきなりどうしました?」
すぐに冷静な対応ができるハルはさすがだと思いながら、その横顔に見惚れているシャルロッテの手をサイラスが引くと、その華奢な体はいとも簡単に胸におさまってしまった。
「無粋なことをしてごめんね?ドラゴンが王都で暴れているんだ。すぐに来てもらえないかな」
「―――っ!まさか…だってまだ雪が…」
サイラスがそんな冗談を言いにわざわざここへ来るはずがない。
シャルロッテにはそうわかっていながらも、にわかには信じられなかった。
「王都はここよりも北にあるのにねえ。標高のちがいかな、向こうはもう雪はない。といっても、我々もドラゴンはまだこの気温では高いパフォーマンスは出せないと踏んでいたんだけどね。その裏をかかれたのか、ナメられているのか…白竜はどうやらほかの竜に比べて寒さへの耐性があるようで、単騎でやって来たんだよ」
サイラスがシャルロッテを胸に抱えたまま、指をクルっと回して暖炉の火を消した。
「おしゃべりしている暇はないんだ。ハルバートはどうする?」
ハルはいつでも持ち出せるように棚の上に置いていた革袋を手に取ると、シャルロッテを挟むようにしてサイラスの背中に長い腕を回した。
「もちろん行きます」
「おっと、シャルロッテ。これは君にとってはハーレムというやつかな?」
「違いますから」
状況の深刻さとは裏腹の師匠の軽口を反射的に冷たくあしらった直後、指をパチンと鳴らす音が聞こえたと思ったら、三人は王都の入り口に立っていたのだった。




