62.子守歌
護衛騎士がこんなことになってすまないと申し訳なさそうに言うハルに、冗談めかして「子守歌でも歌いましょうか」と言ったら、ふふっと笑われた。
了承なのか拒否なのかすらわからなかったけれど、ハルに頼まれた通り頭のバンダナの結び目をほどいて外した後、とっておきの「子守歌」を歌った。
幼いころシャルロッテが弟のケヴィンのために作ったオリジナル曲だ。
病室は個室だが、ベッドとサイドボード、そして付き添いで泊まれるようにもなっている長椅子でいっぱいいっぱいの広さしかない。
大声で歌えば、両隣の部屋の迷惑になりかねないため、静かにゆっくり歌った。
ハルは目をつむったまま笑っていたが、次第に息遣いが規則的になり、繰り返し歌いながら「この子守歌の効果は絶大かもしれない」とシャルロッテがひとり悦に入っているうちに、なんと眠ってしまった。
賊に襲われて大怪我を負うひどい一日だった疲労と、スープの鎮静作用もあるのだろう。
ぐっすり眠る額にかかる赤い髪を眺めた。
王太子殿下の影武者だと初めて聞いた時には、赤く染めているのだと思っていたけれど、これが地毛なのだ。
眉毛やまつげは、燃えるような赤ではなくどちらかというと茶色が強いためそのままだが、頭髪は赤い色を隠すために黒く染めていることもある。
しかし、火急の要件で王太子の代理を務めることもあるため、その黒い染料は簡単に落とせるようになっているらしい。
カシム村に来てからは、山で過ごすときはもうバンダナもメガネもせずに実にくつろいだ様子で過ごすハルがいた。
村民に限って言えば、男系の王族が継承する赤い髪のことも、王太子殿下の容姿も知らない人ばかりだ。
しかしカシム村は、南側には交易船が往来するリリーズ貿易港があり、東側には隣国へと続く山がそびえているという立地で、ここから北西にある王都を往来する様々な人たちの交通の要所となっているため、誰が見ているかわからない。
山ではともかく、村では赤い髪を大っぴらに見せびらかすわけにもいかない。
外したバンダナを畳んで枕元に置き、誰かが入ってきたらすぐにこれで覆い隠そうとイメージトレーニングをした後、シャルロッテも長椅子に横になったのだった。
物音がしたらすぐに起きて…という緊張感を保ちながら浅い睡眠を心がけていたはずなのに、シャルロッテ自身も疲れていたのかぐっすり眠ってしまった。
コンコンという扉をノックする音に対する反応が遅れたのはそのためで、治療院の若いお弟子さんが「おはようございまーす」と引き戸を開けた時、シャルロッテはハルの顔に抱き着くようにして必死に髪を隠そうとしていた。
「しっ、失礼しましたっ!」
シャルロッテとハルのその様子は、ともすれば親密な男女がする情事のようにも見えなくはなく、まだ若い弟子の目には刺激的な光景に映ったようで、上ずった声をあげて引き戸をピシャリと閉めてしまった。
「く、苦しい」
ハルのうめき声にハッとしてシャルロッテは体を離した。
ハルの顔を胸で押しつぶしていたらしい。
「ごめんなさい」
慌ててバンダナでハルの頭を覆い、赤い頭髪が見えてないかチェックしてから引き戸を開けた。
「おはようございます。お待たせしました」
「お、お取込み中、失礼しました」
頭を下げるお弟子さんに、ハルとシャルロッテは何ともばつの悪そうな表情で「こちらこそ失礼しました」と言ったのだった。
夜はよく眠れたか、熱は、怪我の状態は、痛みは…と一通りのチェックをした後、持ってきてもらった朝食を見たハルは「またこのスープか…」とげんなりしている。
「山小屋に帰ったらまた熊肉スープが食べたい」
そう言いながら、苦い薬膳スープを完食する試練に耐えるハルがいた。
もちろん昨晩同様、シャルロッテに食べさせてもらっている。
「昨日、ドリスのお店を出るときにまた熟成熊肉をもらっていたから、作りましょうね」
雑貨店のエリナに預けたままになっている荷物のことを思い出して、今日中に取りにいかなければと考えながら、ハルも今日中にここを退院するほうがいいだろうと考えを巡らせる。
「山小屋へ戻ったらサイラス先生を呼びましょう。たぶんすぐに怪我を治して…」
「ダメだ」
シャルロッテの言葉を遮るようにハルは言った。
「サイラス・ドリュクはダメだ」
もう一度、これまで聞いたこともないような低く静かな声でハルバートは告げたのだった。




