55.ほのかに灯る想い
一緒に寝てあげようかだなんてハルにからかわれたせいで、ベッドに横になってもなかなか寝付けないシャルロッテがいた。
王都を離れるまでずっと、ハルとカタリナが相思相愛の恋人同士だと勘違いしていたためにあまり深く考えたことすらなかったが、ハルは意外と女たらしなんだろうか。
それとも、顔色一つ変えずに平気そうにしながらも実は酔っぱらっていたんだろうか?
クリストファー殿下も、もう少しハルさんのように気さくに笑ってくれたり冗談を言ってくれたりしたらいいのに…。
そこでハッとする。
ふたりを比べてしまうとは、何とも失礼な話だ。
王太子殿下の婚約者候補…いや、ほぼ決定しているであろうその立場を受け入れる覚悟も自覚もないままに、その大きな懸案事項を頭の片隅に追いやって、しかも王太子殿下に直接挨拶もせず逃げるようにカシム村に戻ってきた。
怒っているだろうか…それとも、それすら無関心か。
次に顔を合わせるときにはどんな表情で、何て挨拶しようか。
ハルさんとカタリナとサイラス先生に要相談だわ……。
ドキドキと心臓がうるさすぎてしばらく寝付けなかったが、心地よい硬さのベッドと羽毛掛布団の温かさに体を包まれているうちに徐々に眠気がやって来た。
どんな悩みであろうとも、寝て起きたら大概どうでもよくなっているのはどうしてだろう。睡眠には浄化効果があるのだろうか…。
そんなことをふと思いながら、シャルロッテが抱える不安は夜の静寂に溶けていったのだった。
翌朝、目が覚めてカーテンを開けると、目の前に広がる朝日に照らされた海の向こうにオルディスがうっすらと、影のように見えていた。
サイラスに白竜と自分の関係を洗いざらい話したあのとき、彼はオッドアイを光らせて何度も頷きながら「なるほどな、ヤツらの目的がわかったよ」と言った。
オルディスの誇る竜騎士団がこの国に攻めてくるのは、侵略が目的ではないらしい。
あのときサイラスと話した内容について、ハルやカタリナに相談したいシャルロッテだったが、そんなことをすれば当然、あの怖いおしおきが待っている。
とにかくその日までに、自分のできる準備はしっかりしておこう。
朝食はルームサービスを持って来てもらい、ハルと一緒に食べた。
バターを惜しげもなく贅沢に練り込んだと思われるサクサクのクロワッサン、ふわっふわなスフレオムレツ、表面を香ばしく焼いた厚切りベーコン、かぼちゃのポタージュスープ、そして柑橘類を何種類か組み合わせたと思しきフレッシュジュースを堪能した。
「美味しい!幸せ~」
食事を美味しく食べられることがいかに幸せかをかみしめながら、シャルロッテはハルが引くほどモリモリ食べた。
王城で暮らしていた2か月間のうち、最後のほうは食欲もなく、何を食べても味がしなかった。体重も減ってしまった。
カシム村に帰郷してからは、それを取り戻すかのようにお腹いっぱい食べていた。
……おい、クロワッサン、何個目だ?
目の前で「美味しい、幸せ」と言いながら小動物のようにモグモグと口を動かし続けるシャルロッテを、少し引き気味に眺めるハルがいた。
しかし、魔導研究所内で受けた陰湿な行為により心身ともに疲弊して顔色の悪かった頃を思えば、昨晩の牡蠣小屋での彼女も、いま目の前でクロワッサンを頬張る彼女も、別人のように健康的で可愛らしい。
なぜだろうか、シャルロッテを見ていると気を引き締めておかないと自然と口元が緩んでしまう。
ほのかに灯るその気持ちの正体が何なのか、今はまだ気付かないままのハルだった。
*****
リリーズ貿易港からの帰路、ジビエ料理が評判の『うさぎのしっぽ亭』に立ち寄った。
カタリナと知り合った日にここで食事をして、カタリナがホロホロ鳥をいたく気に入って…あの日が随分と前のことのように思える。
いずれハルともここで食事をしようと考えているシャルロッテだったが、さすがにこの日のランチをここでいただくのは無謀すぎる。
それはまた、お腹を空かせた状態の時のおたのしみということにして……。
「ドリスさん、フレッドさん、おはようございます。仕込み中にごめんなさい」
ランチの時間が始まる前、まだ開店準備の仕込み作業中であろうという時間帯に見せの裏口からシャルロッテが顔をのぞかせた。
「おはよう、シャルロッテ」
濡れた手を拭きながらドリスが笑顔で迎え入れ、シャルロッテの背後に立つハルに目をやった。
「あ、こちらは…」
「ハルさん!はじめまして!わたし、この食堂を切り盛りしているドリス・ニールです」
ドリスはシャルロッテが紹介する前にハルの手を握って上下にブンブン振りながら自己紹介を始めた。
あまりの勢いに、ハルも言葉もなくされるがままになっている。
「ふふっ、エレナの言っていた通りね」
雑貨屋のおかみさんがドリスに何を言ったのだろうとシャルロッテが首を傾げていると、ドリスは何度も頷きながらハルの顔を覗き込んで笑った。
「シャルロッテの恋人はかなりの男前で、それを隠すように妙な変装をしてるって聞いていたのよ。シャルロッテは面食いだったのね」
「え、いや…あの…」
ようやくハルの手を離したドリスは、しどろもどろになるシャルロッテに向き直って、あははっと笑った。
「わかってるわよ、見た目じゃなくて中身も素敵な人なんでしょう?」
ドリスの旦那様で調理を担当しているフレッドが厨房から顔を出し、シャルロッテとハルを交互に見て、にっこり笑って引っ込んでいった。
シャルロッテは頬が熱くなるのを感じながら、一瞬失念しそうになったここを訪ねた目的を思い出して気持ちを落ち着かせる。
「あの、先日お願いしていたものは、もう届いていますか?」
「いいタイミングよ。昨日、いいものが入ってきたの。かたまりでいいのよね?」
「はい、ありがとうございます」
代金と引き換えにシャルロッテは薄い布にくるまれた肉塊を受け取る。
開店時間が迫っているから長居は無用で、頭を下げて帰ろうとするふたりをドリスが引き留めた。
「待って、これも持って帰って。今日、店でも出そうと思って下ごしらえは済んでいるから、野菜と一緒に煮込めばすぐに食べられるわよ」
有無を言わさず革袋を渡されて、耳元で「しっかり胃袋掴んでおきなさい」とささやかれたシャルロッテは、また真っ赤になってしまった。
「ハルさん、シャルロッテのことよろしくお願いしますね。店にも食べに来てくださいね」
「はい。近いうちに是非」
ハルはにっこり笑って、ドリスと握手を交わした。
ハルさんは、この状況を楽しんでいる雰囲気だわ。
わたしだけがあたふたして…恥ずかしい……。
「持つよ、貸して」
当たり前のように重い荷物を持ってくれて、ドリスさんて元気な人だねと笑って、肩を並べて歩くこの人が本当の恋人だったら……さぞ楽しいのでしょうね。
ふと、そんなことを考えて、それをすぐに胸の奥にしまい込んだシャルロッテだった。




