53.牡蠣小屋
外で薪割をしているはずのハルが、たまにその手斧を持ったまま木立の中へと消え、しばらくすると何事もなかったかのように戻って来て薪割を再開する。
そんな様子にシャルロッテも気づいていたが、咎めることも何をしているのかと聞くこともしなかった。
護衛とはいえ、四六時中そばに張り付いていなければいけない理由は何もない。
そもそも、わたしが巫女様だということはごく限られた人しか知らないわけで、そのうちの誰かがわたしを襲うことは考えにくい。
つまり「護衛」というのは建前で、実際はわたしがどこかへ逃げ出さないように見張っているだけだ。
シャルロッテはそう考えていた。
実際はハルが、神経をとがらせて山小屋周辺を見回っているとも知らず——。
「ねえ、ハルさん、リリーズ貿易港の牡蠣小屋が今年も始まったんですって。行ってみませんか?」
「牡蠣小屋って?」
首を傾げるハルに、牡蠣小屋とはその名の通り牡蠣を食べるための小屋で、牡蠣が旬の晩秋から春にかけて港に建ち並び、水揚げしたばかりの新鮮な牡蠣を自分で焼きながら食べるのだとシャルロッテは興奮気味に説明し、
「しかも、漁師さん直営なので安いんです!」
と締めくくった。
ハルは苦笑しながらよくわかったと頷き、さっそくこの日の夕方に行くことにした。
本来ならばカタリナと行く約束をしていた牡蠣小屋だったが、ハルと一緒でも楽しいだろう。
いずれカタリナとも行く機会が訪れるに違いない。
思いがけず王城でお給料を、しかもかなりの額をもらっていたことで今年の冬は懐が温かい。
ハルと一緒に冬の休暇を楽しもうとシャルロッテは思っていた。
馬車に揺られること数刻でリリーズ貿易港へ到着した。
馬車を降りると予想を上回る冷たい潮風が吹き荒れていて、コートの前をしっかりと重ね合わせて手で押さえたまま前方に見える牡蠣小屋へと早足で向かっていると、横を歩くハルが肩に手を回してきた。
これも護衛騎士の務めなんだろうか…。
分厚いコートの上からでもわかる大きな手が触れているところからじんわりと温かさが広がって、感謝と共に湧き上がる気恥しさと戸惑いのせいで無言のまま足を動かすシャルロッテだった。
牡蠣小屋へと飛び込むようにして入ると、中は熱気と煙と牡蠣の香りが充満し、牡蠣を焼くジュウジュウという音と楽しくおしゃべりする声や店主の威勢のいい声が賑やかに響く、外の寒さとは打って変わった異世界のようだった。
入った瞬間にハルの変装メガネもシャルロッテの未来視防止メガネも真っ白に曇り、ふたりで顔を見合わせて笑う。
ああもういいや、と言ってハルがメガネを外し、シャルロッテもそれに倣った。
幸いなことに空席があり、すぐに牡蠣にありつくことができた。
生牡蠣1皿と焼き牡蠣用の空に覆われた牡蠣1盛り、そして白ワインを注文するとすぐに運ばれてきた。
ハルはここの光景全てが物珍しいのか、少年のようにワクワクした顔でキョロキョロしている。
「焼いて、殻も開けて出してくれる牡蠣小屋もあるんだけど、わたしは自分で焼くこのスタイルが好きなんです」
熱くなり始めた鉄板に牡蠣を並べていると、ハルも「へぇ~」と言いながらそれを手伝った。
焼き上がりを待つ間に、生牡蠣と白ワインで乾杯する。
口の中いっぱいに広がるミルキーな磯の香りと、キリッと酸味のきいた辛口の白ワインの相性が抜群だ。
「んん~っ!」
「うんうん」
このやり取りだけで、お互いの言わんとしていることがわかる。
生牡蠣をひとつ、つるんと食べるたびに「ん~っ!」と歓喜しながらジタバタするシャルロッテをハルが可笑しそうに眺めている。
「冬はやっぱりこれですねー。カタリナも連れてきてあげないと!」
「そうだね、喜びそうだ」
ほどなくして殻が開き始めた鉄板の牡蠣を、備え付けの分厚い皮手袋をはめて持ちあげる。ナイフを横にして隙間に差し入れてグイっと手首を返すと簡単に殻が外れる様子を見て、ハルが「俺もやってみたい」と見よう見まねで殻を開け始めた。
「ハルさん、何をさせても上手ですね。さすがです」
殻の開いた牡蠣を鉄板に乗せ、白ワインを身にジュッとかけて取り払った殻を再び乗せてフタにする。
「白ワイン蒸しにすると美味しいんですよ。生牡蠣よりも、こっちのほうがさらに好き」
縮んでぷっくりした蒸し牡蠣をハフハフいいながら食べ、蒸さずに焼いただけの牡蠣も食べ、レモンを絞って食べ…あっという間に1盛り食べきってしまい、もう1盛り追加注文した。
食事中、ずっと笑顔を絶やさなかったシャルロッテがふと真顔でハルを見つめた時、ハルはメガネをかけて立ち上がった。
「さてと、そろそろ出ようか。美味しかったね」
「あ、はい」
シャルロッテもメガネをかけて慌てて立ち上がる。
お会計を済ませて外へ出ると、辻馬車乗り場めがけてまたハルに肩を抱かれながら小走りした。
牡蠣小屋の熱気と飲食で汗ばんでいるぐらいだった体がどんどん冷えてきた。
馬車にすぐ乗れたのは幸いだった。
「今夜はもう遅いから、この近くの宿に泊まろう」
シャルロッテが先に馬車へと乗り込むときにそう提案され、「えっ!?」と思っている間にもうハルは御者に行き先を告げていた。
どんなに遅くなろうとも、もちろん山小屋まで帰るつもりだったシャルロッテは、後から乗ってきたハルに向かって「え…あの…」と戸惑いを隠さずにいる。
「護衛の経費として預かっている予算があるんだ」
ハルは微笑みながら懐をポンっと叩く。
「巫女様の護衛だからね、具体的な額は言えないけどかなり持たされているんだ。余らせて王都に戻ったら、次から予算が減らされるかもしれないだろう?だから、使い切るつもりでいってわけ」
悪そうな顔つきでニッと笑うハルにつられてシャルロッテも笑った。
「そういうことなら、お願いしようかな。ありがとうございます」
白ワインをかなりの量飲んでいたために、いつもよりも判断力が鈍っているシャルロッテは、まあいいかと思いながら上機嫌で了承したのだった。




