38.ケヴィン・マクロード(3)
懐かしい子守唄を聞いていた。
記憶の彼方、とても小さいときにお姉さまがよく歌ってくれた歌だ。
森を訪れた姉弟がオオカミに追われ、たどり着いた山小屋で斧を見つけ、風を巻き起こして山小屋を吹き飛ばそうとしているオオカミを姉が斧でやっつけてめでたし、めでたし。
そんな不思議な歌で、最後は「もうだいじょうぶだよ~」という歌詞で終わるのだが、大きくなってからふと思い出して、母に「あのヘンな歌は子守唄だったのか?」と尋ねると、母は笑いながら泣きそうな顔をして「あれはシャルロッテお姉さまが、あなたのために作ったオリジナル曲よ。一応あの子は子守唄のつもりだったみたいだけど」と教えてくれた。
目を開けて見上げると、なぜかあの姉を騙るメガネっ子がその子守唄を歌いながら僕の髪をなでている。
夢…?だろうか…。
僕は再び目を閉じた。
次に目を開けたときには、実家のベッドに寝ていた。
普段は王城内の騎士団の寄宿舎で生活しているため、実家は久しぶりだ。
なぜここにいるんだっけ…と考えて思い出した。
騎士団のブッシュモスキート討伐。
キラーマンティスが現れて吹き飛ばされて、同僚がブッシュモスキートに襲われて、夢中で突き刺した剣で大量の返り血を浴びて、その血液は同僚のもので……。
そこまで思い出して、またクラっときてしまい、両手で顔を覆った。
情けない…。
僕は同僚の介抱をすることもできずに大量の血にビビって卒倒したんだよな。
そこでなぜか「お姉ちゃんが助けてあげるから」って…ああ、あれは、天国の姉ではなくあのメガネっ子か。そのあとたしか「サイラス先生!」って……?
うん、僕を覗き込んだあのオッドアイと漆黒の髪の持ち主は、たしかに王国付き相談役兼占い師、そして魔導研究所の所長であり大魔導師のサイラス・ドリュクだった。式典で国王陛下の傍らに立つ彼を見たことがある。
同僚を助けてくれとお願いすると、あっさり「助けるから安心しろ」と言われて、僕はホッとして気を失ったんだっけ。
しばらくボーっとしながら、あの出来事を何度も思い返していた。
すると、僕が目を開けていることに気づいたメイドが母を呼び、母が転がるような勢いでベッドまでやって来た。
「よかった、ケヴィン。目を覚ましたのね。気分はどう?」
「どれぐらい眠ってた?」
「あの日から今日で3日目よ。たまたま討伐会に居合わせたサイラス・ドリュク様に助けていただいたんですってね。心の傷が癒えるまで眠り続けるだろうっておっしゃっていたそうよ。あなたと一緒に倒れていた騎士様は、もう元気ですって。だから安心しなさい」
なるほど。僕が怪我を負ったせいではなく、精神的なショックで倒れたこともお見通しだったわけか。
たまたま居合わせただなんて、そんなはずないだろう。あんな大物がブッシュモスキートの討伐に帯同するはずがない。あのメガネっ子が呼び寄せたんだ。
そして、あの子守唄で僕の心の傷を癒す手伝いもしてくれたからこそ、こんなに早く目覚めたんじゃないかという気がする。
「喉がカラカラだ、水が欲しい。それに、腹ペコだ。水浴びもしたい」
そう言うと、母はパッと顔を輝かせてメイドに用意をお願いした。
部屋にふたりっきりになったところで、僕は母の手首を掴み、その目をまっすぐ見つめながらささやいた。
「母上、食事が終わったら、シャルロッテお姉さまのことで話がある」
笑顔だった母の顔が、一瞬にして引きつった――。
水浴びの後の久しぶりの実家の食事はとても美味しかった。
お腹がびっくりするからもっとゆっくり…なんて言われても、どうにも止められずにマナーがなっていないと後から叱られる覚悟でガツガツ食べた。
ちょうど家に居合わせた長兄が、そんな僕の様子を興味深げに見ている。
「数ヶ月で随分体が大きくなったじゃないか。その行儀の悪い食べっぷりも、いかにも騎士という感じでいっそすがすがしいな」
血のつながりのない長兄も次兄も、僕のことを実の弟のようにかわいがってくれた。
それは今でも変わらない。
食事をしながら、ハービッツ副団長がいかに男前か、そしてロックウェル団長がいかにイケオジか、ハルさんがいかに謎な人物であるか、あとは、王城内でたまに次兄に会って家の様子を聞いていることも長兄に話した。
「楽しそうでなによりだ。ケヴィンはおとなしくて優しい性格だから、本当は騎士なんて向いてないと思っていたけど、案外性に合っているのかな。ちょっとうらやましいな」
穏やかに微笑む年の離れた長兄は、すっかり「次期公爵様」の風体をしている。
跡目を継ぐことを定めとされた長男と、自由奔放に生きているようにとらえられがちな後妻の連れ子である末っ子、それぞれに悩みと葛藤があるのだということを、改めて知った。
食事のあと案の定腹痛に襲われ、それがどうにか落ち着いてからようやく母の元を訪ねた。
メイドがお茶の用意を終えて退室すると、単刀直入に母に聞いてみた。
「突拍子もないことを言うようだけど、もしかしてシャルロッテお姉さまは、生きているんじゃないのかと思っているんだけど」
母は俯いて、はらはらと涙をこぼした。
「あの子に会ったのね。あなたのこと、ここまで送ってくれたあのメガネの子がシャルロッテでしょう?あなたのことを助けてくれたのよね?」
母から語られたシャルロッテお姉さまの秘密はどれもこれも衝撃的なものだった。
実の父の事故死を予言したこと、その当時、特別な能力を持っていることがすでに噂になっていたこと、死んだことにされ身寄りのない孤児として里親を転々としていたこと、経歴が複雑になったところでマクロード家との養子縁組の準備を進めていた矢先に放火犯の疑いをかけられ、たまりかねて逃げ出したまま5年間行方知れずだったこと、そして、国を挙げて探していた相談役の後継者であること……。
母は今でも孤児の里親斡旋事業に熱心に関わっている。
その裏に、姉の経歴を誤魔化そうとする目的があったとは…。自分が何も知らず、公爵家でのうのうと可愛がられている間に姉はどれほどの苦労を強いられたのだろうか。
知らなかったとはいえ、姉だと名乗る彼女にとても冷たい態度をとってしまったあの日の自分を殴り飛ばしたい。
ハービッツ副団長や相談役がなぜ彼女に肩入れするのかも納得した。
姉の、相談役を呼んだ時の泣きそうな声や、帰りの馬車の中で子守唄を歌う優しい声を思い出しながら、助けてくれたことへの感謝の気持ちが募ってきて、僕は母とともに泣いた。
それから5日間、僕は実家に滞在し続けた。
騎士団から離れ実家でのんびり過ごしていると、土ぼこりまみれの訓練漬けの日々がとても遠い思い出のように感じられた。
これ以上ここに居続けたらきっと、戻れなくなる……。
そう感じて、夕食の席でみんなに言った。
「明日、騎士団に戻ることに決めたよ」
言ってからふと、半年前に、騎士団の試験を受けようと思うと宣言したときと同じシチュエーションだなと気づいた。
「大丈夫なのか?」
心配する長兄に向かってしっかり頷いた。
「守りたい人がいるんだ。今度は僕が守る側になれるように頑張ろうと思う」




