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20.お仕置きと加齢臭

「はあっ…なんか、すごくイヤ~な気分にさせられたよ」


 サイラスがすっかりしょげ返っている。


「だから、続きを知りたいですかと前置きしたんです。どうです、わかったでしょう?わたしの未来視は『呪い』だって。先生は将来、カタリナの娘と遊ぶたびに『もしや今日か?』と怯えながら過ごすことに…」


「やめてくれ!もう聞きたくないっ」

 サイラス先生はローブで両耳をふさいでしまった。

 そのまましばらく動かないと思ったら、今度はいきなり立ち上がって宣言した。

「その宿命に抗うことが、これからの僕のライフワークだな」

 

 ガッツポースで言っていることはかっこいいけれど、そんな大げさなものではない。

 なにせ、ギックリ腰なのだから。

 でも、そのポジティブなノリは正直うらやましい。

 そう思いながらシャルロッテは座ったままサイラスを見上げていた。


「ああ、ごぼう茶が冷めてしまったね。今日はこれぐらいにしておこうか、僕はこのあと早速、肉体改造計画を立てなければならなくなったのでね。メガネも早速作らせて、今日中にカタリナの執務室に届けるよ。これからの話はまた明日、同じ時間にここへおいで」

「はい、よろしくお願いします」

 頷いてシャルロッテは立ち上がった。


 前を歩くサイラスが「そうそう」と何かを思い出したように振り返った。

「この部屋で知りえたことは全て、たとえカタリナであっても漏らしてはいけないよ。もしも話してしまいそうになったときには、こわーいお仕置きが発動するおまじないがかかっているからね」

 ウインクしたサイラス先生の顔は、いたずらっ子のそれだった。


 一体いつおまじないなど……!最初に抱き着かれたときか!

 さすがね。いくら若く見えていたって実際はおじいちゃんなんだから、食えないに決まってる。

 これからは気を付けよう。王城にはこうやって『気さくなボディータッチ』を装って何か仕掛けてくる輩がたくさんいるかもしれないのだから。


 強く思ったシャルロッテだった。


 サイラスが廊下へ続く扉を開くと、目の前にカタリナが立っていた。

 ずっとそうやって控えていてくれたのだろうか。


 カタリナはシャルロッテの様子を見てホッとし、次にサイラスを見て少し怪訝な顔をしたあとニヤっと笑った。


「明日もまた同じ時間にシャルロッテをここに連れてきてくれるね?お疲れ様」

「かしこまりました」

 サイラスの指示にカタリナは笑いをこらえながら恭しく答えた。


 魔導研究所の廊下を小気味いリズムの足音が響く。

「すごいなシャルロッテは。研究室から出てきたときのサイラス先生の顔がゲッソリしていたじゃないか。あれは相当なダメージを食らった顔だな。ざまあみろだ」

 カタリナは嬉しそうに言った。


 サイラスとカタリナがどういう仲なのかイマイチわかっていないシャルロッテも、先ほどのサイラスの憔悴した顔を思い出して笑ってしまう。


「シャルロッテ、昼ご飯は騎士団の食堂でもいいかな?外へ出てもいいんだけど、それは夕食にしょうかと思っているんだ」

 魔導研究所から出て騎士団の建物のほうへと歩きながら、カタリナに言われてはじめて、もうそんな時間かとシャルロッテは気づいた。


 サイラスと話していた時間はほんの30分ぐらいのつもりだったのに、2時間近く話していて、しかもその間ずっとカタリナはサイラスの研究室の前でああやって不動の姿勢で控えていたということか。


「カタリナ、ごめんなさい。わたし、あなたのお仕事の邪魔をしているんじゃないかしら?」

 シャルロッテがおずおずと聞くと、カタリナは首をかしげた。

「邪魔?何を言ってるんだ。第五は『なんでも屋』だと言っただろう?私の今のメインの仕事は巫女様をお守りすることだ。公私混同甚だしいのは間違いないが、しっかり職務を全うしているところだよ」


 わたしを見つけてくれたのがカタリナで本当によかったと思いながら、シャルロッテははにかみながらお礼を言った。

「ありがとう。では護衛の騎士様とともにお昼ご飯は騎士団の食堂でいただこうかしら」

「御意」

 ふたりは顔を見合わせて笑った。


「そういえば…さっき言っていたカレイシュウ?サイラス先生の首から匂って…」

 シャルロッテが、カタリナがそのことでゲラゲラ笑っていたことを思い出しながら、加齢臭とは何かと聞こうとし、それに対してカタリナが「待て!」と慌ててシャルロッテの口をふさごうと手を伸ばしたが、間に合わなかった。


 シャルロッテの体がビクン!と震えたかと思うと、次の瞬間、芝生の上に膝をついた。


 そして、最終的には芝生でお腹を抱えて転げ回り、涙を流しながら盛大に笑い続けたのだった。

 「ひゃっ!ひゃっ、ひゃっ、ひゃっ……やめてー!…ひゃうっ!」

 

 そんなシャルロッテをカタリナは頭を抱えながら見守るしかなかった。

「すまないシャルロッテ、気を付けるよう言うべきだった」


 そう、これこそがサイラスが研究室を出る前にシャルロッテに言っていた「こわーいお仕置き」だったのだ。

 サイラスの研究室で知ったこと、起きたことを彼の許可なく漏らした場合に発動するお仕置き「こちょこちょの刑」。


 どこから?誰が?くすぐっているのかは知らないが、大事な内容だけでなく、あんな雑談ですらお仕置きが発動するとは、とんでもない『呪い』をかけられてしまったと思ったシャルロッテだった。



「はあっ、まだ違和感があるっていうか、ゾクゾクするっていうか…」

「怖いだろう?あれ、いつでもどこでも発動するんだ」

 シャルロッテとカタリナは、騎士団用の食堂で昼食をとっていた。

 

 騎士団のランチメニューは日替わりで1種類しかない。

 今日のメニューは、塩漬けした豚バラ肉のスライス、マスタードソース、チーズ、鶏卵のオムレツ、レタスをライ麦パンではさんだサンドイッチと、ヒヨコ豆のスープ。

 飲み物はお替り自由のセルフで、シャルロッテはオレンジジュース、カタリナはアイスミントティーを選んだ。


 塩味が強めなのは、体を動かすことが仕事の騎士団ならではの味付けなのだろう。

 見えない手で脇腹をくすぐられて食前にしっかり運動したおかげか、シャルロッテはボリュームのあるサンドイッチに豪快にかぶりついてペロリと食べた。


「ああ、そうだ、シャルロッテ。加齢臭のことなんだが…一般的(、、、)な話ということで話すと」

 カタリナは「一般的」という言葉に力をこめて強調し、表向き、サイラスとは無関係であるように取り繕いながら話し始めた。


「うん、続けて」

 シャルロッテは緊張してゴクリと喉を鳴らした。


「あの油臭いような青臭いようなニオイは、誰でも高齢になるほど体から放たれるものなんだ。特に首の後ろ辺りから。一般的には、高齢の男性が一番ニオイが強いらしい」


それを聞いてシャルロッテもようやく理解した。

 タージン特有の香りだと思っていたあのニオイは、世間一般では「加齢臭」と呼ばれていて、そのニオイがするなどと言われることは非常に不本意であるにちがいないということを。


「なるほど、だからあのとき…」

 うっかり言いかけたシャルロッテの口を、テーブルをはさんで身を乗り出したカタリナがものすごい速さでふさいだ。


「もがっ……はぁっ、カタリナありがとう。危なかったわ」

 混んでいる食堂で醜態を晒さずにすんで、シャルロッテが胸をなでおろしているところへ、ひとりの壮年男性が近づいてきた。


「カタリナ、ずいぶんと楽しそうだな。相席しても?」

 ダークブラウンの髪をカチっとオールバックにし、それよりも少し薄い色の瞳でシャルロッテとカタリナを交互に見ている大柄なイケオジが立っていた。


「ロックウェル団長、お疲れ様です。どうぞ、空いてますので」

 カタリナに「団長」と呼ばれた男は、それじゃ遠慮なくと言ってカタリナの横に座った。

 シャルロッテが慌てて立ち上がって挨拶しようとすると、手で制された。

「食堂では無礼講ですので、どうぞ楽にしてください。第五騎士団長のロックウェルです」

「はじめまして、シャルロッテ・アシスと申します。カタリナさんにはいつもお世話になっています」

 シャルロッテは座ったままペコリと頭を下げる。


 サンドイッチにかぶりつきながら「なんの話で盛り上がってたんだい?」と尋ねるロックウェル団長に

「加齢臭について話していました」

と、シャルロッテがためらいなく素直に答えると、ロックウェルは咀嚼をピタリと止め、首の後ろに手を回して横に座るカタリナを見た。


「臭うか?」

「いいえ、全く臭わないかと」

 カタリナは、笑いをこらえ肩を震わせながら答えた。


 

 ある程度以上の年齢に達した男性にとって、「加齢臭」という言葉は相当な殺傷能力を持っているということを学んだシャルロッテだった。

 


 

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