021
ガストロイに続く道。
両脇に崖のあるその場所に、シンの姿はあった。
シン以外に同行しているのは、サンドラ。
貴族の出身である以上、それこそ現在のアリスにとっては右腕と呼ぶに相応しい人物なのだが……それでも、サンドラはシンが外に出るという話を聞くと、半ば無理矢理時間を作って一緒に来た。
「ガストロイに向かうのなら、ここを通る必要があるな」
「そうですね。けど、それは当然相手も知っている筈でしょう? ここから一方的に攻撃をするというのは、難しいのではないですか?」
ガストロイを攻めるのなら、攻める方にしてみればここは死地と呼ぶに相応しい。
左右に切り立った崖が存在し、その間を通る道は馬車が二台から三台並ぶことが出来る程度の道でしかない。
だからこそ、ここを通る敵は崖の上を警戒するのは当然だった。
「私なら、もしどうしてもここを通る必要があるのなら、まず戦力をここに派遣して安全を確認してから通ります。……その場合、どうします? 蛇王からもここに戦力を派遣しますか? 反乱軍がここを占拠されるのは致命的である以上、ここに送ってくるのは精鋭の可能性が高いですが」
騎士というだけでも、蛇王にいる多くの者にとっては一人で倒すようなことは出来ない。
毎日のように戦闘訓練をしている騎士と元山賊では、どうしてもその能力に差があるのだ。
もちろん、蛇王の中にも一人で騎士と戦えるだけの実力を持っている者がいるが、それはあくまでも少数でしかない。
純粋な実力では、マルクスを筆頭として何人か。
バジリスクの能力を使ってもいいのなら、シンもその中に含まれるだろう。
だが、そうなると蛇王の指揮を執る者が少なくなり、いざというときの対処が難しくなる。
そんな思いから尋ねるサンドラだったが、シンはそんなサンドラの言葉に笑みを浮かべて首を横に振る。
「言っておくが、俺は別に上から弓で攻撃するといったことは、別に考えていない」
「え? では……落石でも起こすのですか? ここは岩盤がしっかりしているので、岩を落としてもそこまで大きな被害を相手に与えられませんが」
岩を数個落とすよりは、矢を十本、二十本撃った方が有効なのは当然だろう。
ましてや、サンドラが口にしたように、この崖の岩盤はしっかりしており、多少の岩を落としたくらいでは崖が崩れて下に大量の岩や土砂を落とすといったことは出来ないのだから。
だが……
「これを見てくれ。……ハク」
「しゃー」
サンドラの言葉に、シンは近くで遊んでいたハクを呼び寄せる。
ハクを呼んで何を? と疑問に持ったサンドラだったが、シンに指示されたハクが次に取った行動に、唖然とする。
何と、ハクの姿が巨大に……全長一メートルほどにまでなったのだ。
「こ、これは……?」
「しゃー?」
驚きのあまり声が震えるサンドラ。
だが、大きくなったハクは、そんなサンドラにどうしたの? と舌を出しながら首を傾げる。
普通なら、一メートルほどの蛇が目の前に姿を笑わせばパニックになってもおかしくはない。
小さなままならともかく、それが大きくなった場合は、蛇というは見ている方が驚く。……目の前でいきなり突然掌に乗る程度の大きさだった存在がそこまで大きくなれば、それが蛇であれ何であれ、驚くなという方が無理だろうが。
とはいえ、いきなり大きくなったハクに驚いたのは事実だったが、そんなハクを見ていると、やがてサンドラも幾分かは落ち着いてくる。
「シンさん、これは?」
「見ての通りハクだ」
「いえ、そういうことを言いたいんじゃなくて……」
サンドラが何かを言いかけるが、シンはそれを止めて口を開く。
「サンドラが何を言いたいのかは分かる、正直なところ、俺だってこの前ハクがいきなり大きくなったのを見て驚いたんだからな」
むしろ、シンの驚きはサンドラ以上のものだっただろう。
大抵自分と一緒にいるハクが、いきなり……そう、いきなりここまで巨大化したのだから。
それで驚くなという方が無理だった。
「驚いたか?」
「え、ええ。それはもう」
シンの言葉に、サンドラはしみじみと同意したように頷く。
視線の先にいるハクは、サンドラの知っているハクではない。
ハクではないのだが、それでもやはりハクであるというのも、事実だった。
それは、ハクが自分に向けてくる円らな瞳を見れば、明らかだ。
そんなハクの様子に安堵しながら、サンドラは改めてシンに視線を向ける。
「それで、ハクが大きくなるのは分かりましたけど、それからどうするんですか? ただ大きくなっただけで、この件を解決出来るのは思いませんが」
「だろうな。……ハク、潜れ」
潜れ? と、サンドラはシンの言葉に疑問を抱く。
だが、その言葉の意味は次の瞬間にはすぐに理解出来た。
何と、シンの言葉を聞いたハクは地面に潜ったのだ。
それも、まるで地面が水であるかのように。
モグラの類が掘って地中を進むというのであれば、まだ納得も出来る。
だが、今回の場合はそれとは全く話しが違っていた。
ハクは何の抵抗もなく、本当に水中に潜ったかのように地中に潜ったのだから。
「え? これは……一体……痕跡も残ってるのに……」
ハクが水中を泳ぐようにして地中に潜った。
だが、地面の上にきちんとハクが潜った穴は存在している。
それこそ、普通にモグラが土の中に潜ったかのような痕跡が。
「見ての通り、ハクはこうして土の中でも普通に移動出来る。それもきちんと穴を掘りながら。……いや、これは正確には穴を掘ってるって訳じゃないけど。ともあれ、そんな感じで移動が可能だ。それこそ、土だけじゃなくて岩も同じように移動出来る」
そこまで告げた後、サンドラがシンの言葉を理解したと確認すると、シンは笑みを……ただし、悪役と呼ぶに相応しい笑みを浮かべながら、再び口を開く。
「さて、問題だ。こうして切り立った崖の上。それも岩盤がしっかりしていて、まず崖崩れの類が起きないと思われている場所を通る反乱軍。そして、地面という場所を泳ぐように移動して、その痕跡は残るハク。これらを考えると……どうなると思う?
「っ!?」
さすがと言うべきだろう。
サンドラは、シンの言葉の意味をすぐに理解し、それがもたらす結果を想像して息を呑む。
とてもではないが、普通なら出来ないことだ。
……そもそも、ハクのような特殊な能力を持つ存在がいて、初めて出来ることなのだ。
「ハクの力を使えば、岩盤にも被害を与えることで、それを弱めることが出来る……」
「正解だ。反乱軍が押し寄せてきても、俺たちがここで弓を持って待ち構える必要はない。ハクに頼んで、崖崩れを起こせばいい。そうすれば、こっちは特に何をするでもなく、反乱軍に大きな被害を与えることが出来る」
シンの説明に、サンドラは納得したように頷き……だが、すぐに難しい表情で口を開く。
「作戦については分かりました。完全に向こうの意表を突く以上、上手くいく可能性が高いでしょう。ですが……一つ、心配なことあります」
「心配なこと?」
「はい。反乱軍に大規模な崖崩れで致命傷を与える。これはいいでしょう。ですが、そうした場合にあの道は大量の岩や土で埋まることになります。この道だけが唯一ガストロイから他に通じている以上、それを片付ける手間が膨大なものになるかと」
その辺までは考えていなかったのか、シンの顔は戸惑いに揺れ……やがて、地面からハクが姿を現したところで、ようやく口を開く。
「取りあえずガストロイには鉱山で働いている奴も多いから、そっちに協力して貰うことになるだろうな」




