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006


「行け、行け、行け! あの亡霊を倒すのだ!」


 男爵の言葉が戦場に響くが、戦況としては圧倒的に不利としか言いようがない。

 男爵の中でも男爵家と爵位としては低いが、それでも解放軍――貴族側からの自称――の一員として、国を救うためにはそれなりに大きな戦功を立てている。

 ……もっとも、だからこそ各個撃破するべき相手として、アリスや蛇王によって選ばれてしまったのだが。

 馬車を襲うための部隊と戦った場所からそう遠くない場所にあって、戦いやすい相手だったというのも大きいが。

 それでも、騎士や兵士の対応によっては、戦いにならなかった可能性もある。

 だが、騎士が明らかに蛇王を見下し、上からの目線で接してきたために、そのような真似も出来なくなった。

 そうして最初に戦った部隊の生き残りに宣戦布告の手紙を持たせ……傭兵団如きが何を場生意気なと考え、その結果が現在の状況だった。

 男爵にとって不幸だったのは、最初の戦いにおいてシンはバジリスクの能力を一切使うこともなかったし、アリスの存在も隠し通していたことだろう。

 だからこそ、先端が開かれた瞬間に迎撃に出て来ていた男爵の部下の多くがシンがバジリスクの能力で集めた蛇に襲われてしまう。

 一匹や二匹の蛇なら、どうとでもなっただろう。

 だが、一人につき十匹、二十匹といった蛇が集まってくれば、話は別だ。

 ましてや、兵士たちを噛んだ蛇の中には毒を持つ蛇も多数いた。……それでも死ぬような毒ではなく麻痺をする程度の毒だったのは、単純にこの辺りにはそこまで強力な毒を持つ蛇がいなかったからだろう。

 当然ながら、そのような光景を見せられれば大抵の者は混乱するし、指揮も下がる。

 特に連れている兵士たちは傭兵や男爵の治める村や街から徴兵した者たちで、元々指揮は決して高くなかったというのもある。

 そこに山賊山脈で戦いを繰り返してきた元山賊たちが襲いかかったのだから、兵士たちにはどうしようもなかった。

 だが、それが分かっていても男爵は退却出来ない。

 敵集団の中に、アリスの……自分たちが家族を皆殺しした王女の姿を見つけたからだ。

 ここで退却や降伏をしても、絶対に自分は助からない。

 そう分かっているからこそ、何とか兵士たちの指揮を高めてアリスの息の根を止めようとしていたのだが……


「残念。お前の望みは叶わない」


 いきなり背後でそんな声が聞こえ、咄嗟に振り向いた男爵だったが……瞬間、顔が灼熱に包まれる。


「がっ、があああああああっ!」


 灼熱感の次に続いて訪れたのは、圧倒的なまでの痛み。

 右目を貫いている何かに、ただ悲鳴を上げるだけだ。


「部下を鼓舞するので忙しかったんだろうけど、回り込まれているくらいには気がつけよ、な!」


 その最後の一言と共に、シンは持っていた流星錘のロープを引く。

 再び上がる男爵の悲鳴。

 右目に突き刺さっていた刃が、眼球ごと抜かれたのだからそれも当然だろう。

 シンは手元に戻した流星錘の刃の先端についている眼球に、眉を顰めながら軽くその刃の部分を振るう。

 ベチャリ、と。

 地面に叩きつけられた眼球が潰れる音が、戦場の中だというのに妙にシンの耳に響く。

 その男に微かに眉を顰めながら、喚いている男爵に流星錘の紐を巻き付け、気絶させる。

 本来なら、この男爵は殺しても構わない。

 だが、この後の手間を考えると、やはり殺すのではなく生かしておいた方がいいというのがこうして捕虜にした理由だった。

 この男爵の持つ領地は、男爵という爵位を考えれば決して広くはない。

 しかし広くないからこそ、蛇王にとってはいい隠れ蓑になるというのも、この男爵が狙われた理由の一つだった。


「敵大将、蛇王のシンが捕らえたぞ! 死にたくない者は降伏しろ!」


 周囲に響き渡る声で叫ぶシン。

 正直なところ、このような真似は決して好みではないのだが……それでも、この戦いを終わらせるためには、男爵を捕らえたということを大々的に知らせる必要があった。

 実際に今のシンの宣言を聞いて、兵士の多くは持っていた武器を落として降伏を選択する。

 ……戦い以前に、大量の蛇が足に纏わりついたり、麻痺毒を持つ蛇に噛みつかれるといったことになった者は、とてもではないがこれ以上戦えるとは思わなかったのだろう。

 ましてや、徴兵されて無理矢理戦場に立つことになった者としては、余計にそう思うだろう。

 騎士の中には何人か降伏を拒む者もいたが、そのような者はマルクスのような腕の立つ者によってあっさりと殺されてしまう。

 こうして、戦場はあっさりと……それこそ当初予想していたよりも素早く幕を閉じるのだった。






「さて、正直なところ貴方を生かしておく必要があるとは思えないのですが……何か弁明、いいえ言い訳はありまして?」


 領主の館にある一室。

 そこでアリスは右目の手当てをした男爵を相手に、そう尋ねていた。

 弁明ではなく言い訳と言い直したのは、目の前の男が口にする内容は弁明というほどに高尚なものではなく、言い訳という表現が相応しいと思ったからなのだろう。

 ここは間違いなく男爵の領土であり、屋敷なのだが……それでも、どちらが主でどちらが従なのかは、現状を見れば分かる。

 本来は男爵の物だろう椅子に座っているアリスに対し、男爵は床に直接座らされていた。

 この光景を見れば、それこそ誰であってもアリスの方が立場が上だというのは分かるだろう。

 ましてや、椅子に座っているアリスの横にはシンやマルクス、ジャルンカ、サンドラといった面々が男爵に鋭い視線を向けながら立っているのだから。


「な、何が目的で私の領地を襲った!」


 男爵は、半ば強がりではあるがアリスに向かって叫ぶ。

 右目に激痛が走り続けているが、今は混乱しすぎてその痛みをほとんど感じていない。

 ポーションを使ってある程度の治療をしたというのも大きいだろう。


「あら、言い訳はありませんの? なら、そろそろ次の段階になりますわよ?」


 次の段階。

 それが何なのかは男爵も分からなかったが、それでも自分を見るアリスを見れば、それがろくでもないことなのは容易に想像出来る。

 口元に笑みを浮かべ、近隣諸国から多数の縁談があった美貌を艶やかに彩っていた。

 だが、その目のみが一切笑っておらず、鮮血の王女の異名に相応しい酷薄な視線を向けている。

 アリスにとって、目の前の男は男爵という爵位の低い相手ではあるが、同時に間違いなく自分にとっての仇だと理解しているからこその視線。

 そんな視線を向けられた男爵は、今の状況で何を言えばいいのか、どうすればいいのかを迷う。

 それでもこうして自分を生かして捕らえたということは、何らかの意味があっての行為である以上、恐らく殺すということはしないだろうというのが、男爵の唯一の希望ではあったが。


「私は、貴族として出来るべきことをやっただけだ」

「貴族として……ですって? 反乱が起こっている状況で貴族がやるべきことは、忠誠を誓った主君たる王を守ることではなくて? 少なくとも、主君たる王を害するような真似はするべきではありませんわ」


 お前の言ってることは許容出来ない。

 そう、鋭い視線で告げ、今にも魔法を使いそうになっているアリスを押し止めたのはサンドラだった。


「アリス様」

「……分かってますわよ」


 マジックアイテムによって魔法を封じられているアリスだったが、完全に封じられている訳ではない。

 本来の実力よりはかなり弱まっているが、それでもある程度の魔法を使うことは可能だった。

 そんなアリスの様子を見て、改めて鮮血の王女という異名を思い出したのだろう。

 男爵は、いつの間にか口の中に溜まっていた唾液を飲み込むのだった。

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