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「何だと!?」
その報告を聞いた瞬間、フレデリクは飲んでいたワインのグラスを地面に叩きつける。
ガラスで出来た……それこそ、平民が買おうと思えば数年、十数年……場合によっては数十年も働かなければ購入出来ないようなグラスだったが、そのグラスはあっさりと砕け散り、周囲にワインの香りを漂わせる。
だが、愛飲しているワインの香りが周囲に漂っても、フレデリクが聞いた報告で身体の中にある強烈な怒りを静めることは出来なかった。
当然だろう。フレデリクとしては、慈悲と牽制のつもりで山賊に交渉を持ちかけてやったのに、その結果は交渉に行った者の全てが石化させられるというものだったのだから。
特に交渉の責任者として派遣された、フレデリクとも親交のある貴族にいたっては一目で誰かは分からないほどに顔を殴られた上で全裸にされ、その上で石化させられるという……貴族にとっては単純に殺されるよりも屈辱的な扱いを受けていた。
「落ち着いてください、フレデリク様。……ここで怒り狂っても意味はありません」
サンドラのその言葉に、フレデリクは一瞬鋭い視線を向けるも……実際、ここで自分が怒っても何の解決にもならないというのは理解しているのか、自分を落ち着かせるように深呼吸し、口を開く。
「すまぬ。少し取り乱した」
フレデリクはサンドラのその言葉でようやく少し落ち着き……懸念を口にする。
「石化、か。私が知ってる限りでは、アリス王女んが得意としている魔法は水系の魔法であって、石化……土系の魔法は使えはするが、そこまで得意ではなかったはずだ」
「そうですね。それに、今のアリス王女は封印具によって魔法の力を大幅に制限されているはずです。少なくとも、鮮血の王女と呼ばれたときのような力は発揮出来ないかと」
「……では、誰がこのような真似を?」
「アリス王女が逃亡したときには一人だったという話ですし、それを考えれば山賊の中に土系統の魔法を使える者、もしくはその素質を持った天才的な人物がいて、アリス王女が指導することによってこれだけの魔法が使えるようになったとか」
「ありえん!」
サンドラの言葉を、フレデリクは即座に却下する。
もっとも、それはフレデリクが山賊に……いや、貴族以外の相手に偏見を持っているからというだけではなく、純粋に常識的に考えても当然のことだった。
魔法使いの修行というのは、今日教えて明日すぐに出来るといったようなものではない。
それこそ、普通であれば何年もかかるようなものなのだ。
もちろん、魔法使いの中には天才と呼ぶべき人物もいる。それこそフレデリクたちが探しているアリスは、その最たる者だろう。
だが、フレデリクの感覚では、山賊如きがそのような才能を持っているというのは決して許されるべきことではない。
「で、これからどうします? 交渉は失敗した訳ですが」
ブラスの言葉に、フレデリクは即座に口を開く。
「決まっている。向こうが交渉を蹴った以上、こちらも遠慮する必要はない。山賊風情が私に逆らったのだ。それは死にたい……いや、死よりも酷い目に遭いたいということだろう。……すぐに出撃する。ここから山賊山脈までは、一日程度の距離だ。明日……もしくは明後日にでもゴミを掃除してくれる」
「では、すぐに進軍の準備を進めますが、それで構いませんか?」
「うむ。それに、交渉団を纏めて石化させるなどといった真似をするには、大量の魔力を必要とするはずだ。ならば、その魔力が回復するよりも前に仕留めるのが確実だろう」
フレデリクは自らの同胞を殺した――正確には石化だが――相手に強い怒りを抱きながら、頷くのだった。
交渉が終わってから数日……山賊山脈の麓には、フレデリク率いる反乱軍の姿があった。
当然のようにシンが率いる山賊たちも、戦闘の準備を整えて山の中に隠れている。
平地での戦いは、戦いの専門職たる兵士や騎士に勝つのは難しく、山の中に引きずり込んで戦うというのが、シンたちが勝利するための絶対条件だった。
……反乱軍と本格的に戦いになるということで、シンに対して不満を抱いている者もいたが、それでも最終的にはシンの指示に従って反乱軍と戦うつもりになったのは……シンの力に対する信頼もあっただろうが、同時に自分たちはこの山を追い出されれば生きていけないという思いもあったのだろう。
そもそも、山賊をやっているという時点でいつ討伐されてもおかしくはない。
幸いにもミストラ王国は現在内乱の真っ最中なので、討伐隊が差し向けられる可能性は少なかったが、それでも皆無ではない。
であれば、ここで反乱軍を倒して山賊山脈にいる山賊は手強いということを示しておきたい……と、そう考えている者が多いのも事実だったが。
ともあれ……山賊山脈にある一つの山に山賊たちは潜み、その山の前に反乱軍は対峙するといったのが現在の状況だった。
「フレデリク様、進撃の準備整いました。ご命令を」
「うむ。では……全軍、出陣! 山賊などという野蛮な輩を駆逐し、目的のアリス王女を捕らえよ! ただし、アリス王女は最悪死んでも構わん!」
その言葉と共に、まず最初に兵士たちが前進を始める。
背後では騎士たちも戦闘準備を整えてはいるが、動く様子はない。
「フレデリク様、交渉の方は本当にもういいのですか?」
サンドラのその言葉に、フレデリクは論外だと口を開く。
「交渉を任せた人物を、連中は魔法を使って石化させるなどという真似をしたのだ。そうである以上、こちらからの譲歩はもう一切ない! 連中には、相応の報いを受けて貰う!」
怒りを押し殺したような声で告げられる言葉に、サンドラもそれ以上は何も言えなくなる。
サンドラに出来るのは、なるべく早くアリスが投降して、この虐殺ともよべる戦闘が終わるように祈るだけだ。
(アリス王女の魔法が自由に使えれば、もしかしたら勝ち目はあったのかもしれないけど……交渉団を石化させた魔法使いがいてもフレデリク殿の目論見通り、魔力は回復していないでしょうし)
そのように考えているサンドラの視線の先で……不意に、兵士たちの足が止まるのが目に入り……不審に思った瞬間、兵士たちの悲鳴が周囲に響き渡るのだった。
時は少し戻り、兵士たちが山賊山脈に向かって進軍を始めた頃……シンは気楽な様子で、それこそ全く緊張を顔に出した様子もなく山賊山脈に続く道で待機していた。
もっとも、緊張していないというのはあくまでもそのように見せているだけで、心臓は激しく高鳴り、胃が痛いという思いを感じていたのだが。
それを表に出さないようにするには、周囲にいる護衛の山賊たちを緊張させないためだ。
上に立つ者が余裕のない態度を見せれば、それは当然のように下にいる者も落ち着かなくなってしまう。
「さて、どうやら向こうも動き出しそうだし……出鼻を挫くためにも、一発かましてくるか。お前たちはここで待ってろ。ただし、相手が混乱したら……」
「分かってるっす。シンのお頭から命じられた通り、追撃をしたあとはすぐに山に引き返すっす」
シンの言葉に、ジャルンカはすぐにそう答える。
そんなジャルンカの言葉にシンは頷き、山を下りていく。
山賊山脈に向かって進み始めた兵士たちは当然シンの姿に気が付いたが、一人が降りてきたところでどうにかなるものではないと、特に足を止めるようなことはせず、その数で押し潰そうと進み続け……
「ヒャッハー! 俺に喧嘩を売った、その不運を呪え!」
その言葉と共にシンはバジリスクの能力を発動し……その視線が向けられた兵士の多くが、瞬時に、または徐々に石像と化していくのだった。




