028
ヘルマンがいつの間にかいなくなっている。
それをシンが知ったのは、かなり遅くになってからのことだった。
今回の一件が発覚するのが遅れた理由は色々とあるが、やはり最大の問題はヘルマンが孤立していたことだろう。
シンに乗っ取られる前は、この山賊団を力で強引の纏めていた……いわば、恐怖で支配していたのだ。
それだけに、シンによって山賊団を乗っ取られると、当然のように誰も自分からヘルマンに関わろうとはしなくなった。
もっとも、それでヘルマンに嫌がらせ……正確にはこれまでの復讐といった行為がされなかったのは、シンに負けたとはいえヘルマンが強かったからだろう。
シンであればまだしも、普通の山賊たちが腕自慢のヘルマンに敵うはずがない。
結果として、ヘルマンは孤立しており……その上、貴族軍……アリス曰く反乱軍がやってきており、その迎撃の準備で忙しかったというのも影響している。
結果として、シンがヘルマンの姿がないと聞かされたのは……実際にヘルマンがいなくなってから、数日後。
その頃には、とっくにヘルマンはフレデリクに殺されており、すでにこの世には存在していなかった。
「す、すいませんシンのお頭。僕がもうちょっとしっかりと見ていれば……」
そう言い、申し訳なさそうに頭を下げてくるのは、戦闘には向いていないが、偵察という一点においてシンが非常に頼りにしているサンディ。
そんなサンディの言葉に、シンは首を横に振る。
「気にするな。サンディは、この数日で何度も他の山賊団のところまで走って貰ったからな。その状況でヘルマンがいないことに気がつけってのが無理だろ」
「しゃー」
ハクもまた、そんな声を上げてサンディを慰める。
実際、サンディの隠密行動能力と足の速さによって、遠く離れた山賊団にもシンの伝言が届けられたのだ。
……手紙でも良かったのだが、山賊になるような者には字を読めないし書けないという者も多い。
幸いにもシンはこの世界に来る際にその辺りもパソコンによって可能になっていたが、そのようなことを他の山賊たちに望む訳にもいかないだろう。
だからこそ、サンディに伝言を頼んで貰ったのだ。
もっとも、サンディの外見は十代前半の少女で、性格的にも内気だ。
見た目では山賊に見えないサンディではあったが、今回のようなときのことを考えて、他の山賊団にも仲間であることをしっかりと前もって知らせておいた。
「ま、その辺は気にするな。……それより……」
シンがサンディに何かを言おうとした、そのとき……部屋に向かって誰かが走ってくる音が聞こえてきた。
何だ? とシンがそちらに視線を向けると、やって来たのはジャルンカ。
表情に驚愕を浮かべてまま、シンの視線を受けて止まる。
「シンのお頭、貴族軍……いや、反乱軍から交渉したいって使いの者がやって来たっす」
「……はぁ?」
ジャルンカの口から出たのは、シンにとっても完全に予想外の言葉だ。
言ってることは分かるのだが、何故この状況で……と、そう考えたシンは、ふと思いつく。
(もしかして、ヘルマンか?)
いつの間にか消えていたヘルマン。
そのヘルマンが反乱軍に協力しているのであれば、向こうが探しているアリスが自分たちと一緒にいるのは当然理解しているだろう。
であれば、直接シンたちの下に交渉をするために反乱軍から使者が派遣されてきてもおかしくはない。
「……分かった、会う」
それだけを告げ、シンは使者が待っているという洞窟の外に向かうのだった。
そこで待っていたのは、騎士……ではなく、兵士と呼ぶべき存在。
反乱軍がいわゆる貴族軍である以上、普通なら使者というのは騎士が来るものなのだが……シンは特にそれを気にした様子もない。
元々その手の細かいことを気にしない性格をしているというのもそうなのだが、自分たちが山賊であるというのを理解している以上、兵士ですら珍しいと思ったというのも大きい。
洞窟の前で待っていた兵士に向かい、シンは進み出る。
そんなシンを見た兵士は、こんな子供が? と一瞬驚きの表情を浮かべるものの、すぐに口を開く。
「お前がシンだな?」
その口調は、とてもではないが対等な相手にするものではない。明らかにシンを下に見た言葉遣い。
とはいえ、山賊と兵士という関係を考えれば、むしろいきなり攻撃してこないだけでも上出来だろう。
「そうだ。それで、反乱軍が交渉について話があるってことだったけど、何についての交渉だ? 上納金を支払うなら、多少は山賊山脈を通る奴を見逃してやってもいいが?」
シンの口から出たのは、強気の交渉の言葉……というよりは、半ば喧嘩を売っていると言っても構わない言葉だった。
当然、兵士もシンのその言葉に不愉快そうな表情を浮かべる。
兵士にしてみれば、反乱軍という名称で呼ばれたのも面白くなかったし、自分たちが上納金を支払うといった風に言われたのも面白くなかったのだろう。
貴族軍に所属しているというプライドから、シンの言葉を許容出来るものではなかったが、それでも結局相手は山賊風情だと何とか自分を押さえつける。
「そのような交渉ではない。こちらが何について交渉したいのか、そちらはもう分かっているはずだが? そんな訳で、二日後の昼に山賊山脈を降りた場所にある草原で交渉をしたいとの伝言を預かっている。……構わないな?」
「そうだな、構わないぞ」
「……何?」
予想外にあっさりと交渉を引き受けたシンの言葉に、兵士は驚く。
あれだけ無礼な物言いをしてきたのだから、てっきりこの交渉は決裂すると、そう思っていたのだから。
それが、予想外にこうして交渉を受け入れたということは……
(口では強がりを言っても、正面から戦えば勝ち目がないのは、山賊風情であっても理解出来るか。なら、こちらが予想していた以上に容易くアリス王女を手に入れられそうだな)
交渉の場を整えるためにやってきた以上、当然この兵士もこの山賊たちもアリス王女を匿っているのは知っていた。
そのあとは、細々とした打ち合わせをすると、そのまま兵士は帰っていく。
……結局最後まで、その顔に浮かんでいるのはシンたちに対する軽蔑の色だった。
もっとも、兵士が山賊に向ける感情としては、それほど間違っている訳でもない。
「シン、一体何を考えているんですの?」
兵士がいなくなったのを確認したのか、アリスが姿を現してそう尋ねてくる。
まだそこまで長い期間一緒にいた訳ではないが、アリスもシンの性格はそれなりに理解している。
少なくとも、シンが自分を反乱軍に売るような真似をするとは、思えなかった。
だからこそ、何故今回のような交渉を引き受けたのかが、理解出来なかった。
「そうだな、取りあえず反乱軍に所属する貴族の顔を見ておきたかった、というのが一番大きい」
「交渉に出てきても、それが今回の部隊を率いている貴族とは限りませんわよ?」
「それならそれでいい。結局のところ、俺は貴族とういのを直接見たことがないからな」
そう言った瞬間、アリスの顔が見るからに不機嫌そうになる。
「シン、言っておきますが、私は王女。貴族よりも高い地位にいる存在ですわよ?」
「……国を反乱軍に奪われた、亡国の王女だけどな」
「シン、突然ですけど魔法の訓練をしましょう」
にっこりと笑いながら、アリスは魔法の触媒用に持っている水筒の水を鞭状にして、シンに襲いかかるのだった。




