エリックと私の事情
その後、少し話してから、仲の良い者たちだけで話をしたいだろうと気を遣って私は退散した。
テラスで風に当たっていると、エリックもやって来た。
やはり先ほどの会話の様子からしても、エリックはユナ様とカイル様の付き添いだったのだろう。
「ええっと……、久しぶりだな」
「そうね」
なんだか気まずそうである。
私はそんなこと構わずに言う。
「あの街のあの本屋で別れた時、実はまたいつか会うだろうと思っていたの。
思っていたけれど、この前図書館で会った時は驚いたわ」
「ああ、あの時は驚いた」
それから、私はずっと聞きたかったことを聞く。
「そういえば、貴方は何故王都から遠く離れたあの街に住んでいたの?」
妹のユナ様もエリックとは違う場所だけれど、王都から離れた場所にいたようだし……。
ユナ様は病弱であるから療養のために祖父母の元に行っており、エリックは叔父について領地の運営を学んでいた、という噂はあるけれど……。
所詮は噂であり、本当のところは全く違うこともあったりする。
「それは……、まだ言えない」
「そうなの」
エリックの難しい表情から、全て解決した訳ではないのかもしれない。
「お前は、ええっと夫人は――――」
「――別に今は気にしなくていいわ」
ここは公の場でもないし。
というか、敬語でなかったのに今更である。
「そうだな。お前は……、アウロフィッツ伯爵の息女なのだよな。
お前はあの街、あの本屋で別れる時、自分は幸せになれるか分からないけれど、家族は幸せになれる、と言っていた……」
「ええ、貴方の思っている通りよ。
お金を援助してもらう代わりに、私はエルハイム公爵家に嫁ぐことを受け入れたの。受け入れたけれど、エルハイム公爵は気難しく神経質な人だと言われて、正直不安だった。だから、自分は幸せになれるか分からないと言ったわ」
「そうか」
それから私は「でも……」と続ける。
「でも、ルーズベルト様はとても優しい人だった」
私がそう言うと、エリックは不思議そうに聞く。
「優しい?」
「ええ」
「そう、なのか?
俺は公爵と軽く何度か話したことはあるが、その、気難しくて、神経質な方だという認識は間違っていないと思うが。
まあお前は、窮屈に過ごしている訳ではなさそうだし、それはエルハイム公爵がお前を自由にさせているからだと分かる。
けれど、何て言うか……、ええっと、優しい……のか」
うーん、そんなに意外なんだなあ。
「確かに顔はいつも、眉間に皺を寄せて厳しい顔をしているけれど。優しいわよ?」
「そうか、まあ何にしろ、気が合わない訳ではないなら良かった」
「ええ、上手くいっているわ」
「それと、図書館に通っているのだったな。
そうだな、お前はずっと図書館に行ってみたいと言っていたから」
私は本も買えなかった昔を思い出す。
今となっては懐かしささえ感じる。
そうすると、感動が蘇ってくるものだ。
「ええ、本当に嬉しいわ!」
思わず顔が緩んだ。
そんな私を見て、エリックはなんだか「う゛」と唸ったので、私は首を傾げた。
「どうかした?」
「い、いや……」
それから私とエリックは何となく沈黙して風にあたった。
気まずい沈黙ではない。
私は元々、何か話さなくては、とか考えない性格だし、エリックもまたそうだった。
少し経って、私は言う。
「ここでの生活はとても穏やか。
ルーズベルト様も、この屋敷の者たちも良い人で、たくさん本が読めるし。
本当に…………」
今更になって、なんだか急に実感した。
本当に、今更になって…………。
これほどまでの穏やかさを……。
きっと、平民として暮らしていた時の友人であるエリックと話しているからだろう。
「――――安心した」
エリックの漏れ出たような声に、私は言う。
「心配掛けたわね? ごめんなさい」
「いや、いいさ。ずっと気にしていたが、今リリアナがこうして穏やかなに過ごしていると分かっただけで、全ての心配がなくなったようだ」
その後少し世間話をすると、ふと、ルーズベルト様がこちらにやって来るのが見えた。
ルーズベルト様は見つかってしまったというように、どこかばつが悪そうに近づいて来ると、エリックは言う。
「お邪魔しております」
ルーズベルト様はいつもの仏頂面で返す。
「ああ、ゆっくりしていってくれ」
「ありがとうございます」
ルーズベルト様は確かにいつもの仏頂面であるが、いつもよりも苦い顔をしているように見える。
エリックの方がよっぽど私と見合っている、とか余計なことを考えていそうだわ。
後でフォロワー入れておかないと。ナイーブな御仁ですから。
◇◇◇
日が暮れる前には皆帰った。
夕食後、エミリア様が部屋に戻ってから、ルーズベルト様と紅茶を飲んでいた。
なんとなく、ふてくされているような感じである。
「ルーズベルト様? なんだかご機嫌が斜めのようですね?」
「そ、そんなことはない」
私は言う。
「エリックと話をすることができて良かったです。
彼にはこちらに嫁ぐことは話さず、ただ事情があるとだけ言って別れたので、別れ方はモヤモヤしたものでした。
そして久々に会った時、彼からすると、平民だったはずの女が公爵夫人になっていたのですから驚きますよね。いつか事情を説明したかったのです」
「そうか……」
ルーズベルト様は嫌そうであるが、渋々納得したように頷いた。
「けれど申し訳ありません」
「?」
「嫌な気持ちにさせてしまって」
ふと、私であったら、と考えてみる。
ルーズベルト様が他の女性と親しげにしていたら、とても嫌な気持ちになる。
私は無意識にぐッと手を握りしめた。
確かに、これは腹立たしい。
「ルーズベルト様、私は本当にエリックのことを友人以外の何者とも思っていないのですからね? 今まで好きなどと思ったことはないし、一度もドキドキなどしたこともないし!」
「あ、ああ、そうか……?」
私がまくし立てるように言うと、ルーズベルト様は目を丸くして驚いていたが、徐々に安心したような、嬉しそうな顔になる。
「うむ、分かった」
ルーズベルト様は満足そうにそう言う。
そんなルーズベルト様に私はなんだかとてもホッとして、思わず微笑んだ。
ルーズベルト様も微笑みを返してくれると、温かい何かが胸のあたりに広がったのだった。