聖女は三歩進んで二歩戻る ー05ー
それは目を覆いたくなるほどの状況だった。
「誰か来てくれ!アルバートが……!」
「俺の足が、足が……!!」
「ぶ、無事なものは町に走れ!!」
「隊長がやられた!!魔獣の襲撃だ!」
その一帯の木々は焼け焦げ、ぽっかりと穴が空いているかのようだ。
白亜の鎧は突如として落ちてきた稲妻のせいで黒に汚れ、それを真新しい赤い血が染める。
黒焦げの大地には鮮血とうめき声で満ちていた。
誰もが助けを求めている、誰も助けに来ないのに。
「聖女様、ジョゼフィーヌ様……どうか救いを……」
「隊長!息をしてください!隊長!!」
国一番の先鋭達が集っているはずの騎士は息も絶え絶えとなり、救いを求める。
大の大人が呻き、嘆く。
祈ることしかできないこの現状に。
「どうするの」
ニケの隣でルーカスが問う。
巨大蜘蛛となり駆けつけ、今はヒトの姿となって茂みに身を隠しているのだ。
血の臭いがする。
そして焦げた臭いも。
ニケは拳を握った。
「ルーカス。私の身体に蜘蛛の糸を回しておいて。私が駆け出したら引っ張って茂みに隠して」
「何するつもり?」
「いいから。ニキータ。私を追いかけて来る人がいたら私の姿に化けて別の方向に走って。迷わせすぎないように。適度なところでスライムに戻って。攻撃したらダメだからね」
「絶交はダメだもんな、わかった」
黒いローブを脱ぎ、ビリビリに破れた白のワンピースの上に蜘蛛の糸を這わせる。
そして改めて、ニケはルーカスの黒いローブを着た。
フードを深く被り、顔を隠すようにして。
「私が救うわ」
これは私の責任だ。
ニキータが魔王だとわかりながら、友達になった。
ヒトを攻撃すると予想もしていなかった、少し考えればわかることなのに。
この人達を絶対に救わねばならない。
誰かに助けを求めるというならば、聖女が行く。
全ては私が悪いから。
茂みから立ち上がると、ニケはゆっくりと近づいた。
黒焦げに焼けた大地は熱く、裸足のニケの足を焼く。
飛び跳ねたくなるほどに痛かった。
(こんなのまるで処刑ね。真っ赤に焼けた鉄の靴を穿かされた白雪姫の魔女みたい。余りの熱さにまるで踊っているようで、白雪姫と王子様はその姿を見て笑っていたというじゃない)
ならば耐えてやろう。
そして微笑むのだ。
だってニケは踊り狂う魔女ではない、王子様に救われて共に微笑む白雪姫でもない。
聖女なのだから。
ニケは唇を噛みしめた。
血に染まる足で一歩ずつ彼らに近付く。
近付けば近付くほどにわかった、それがどれだけ酷い状況なのかと。
人が焦げる臭いが鼻をついて、血の臭いが充満していた。
嗅いだことのある臭いだ、とニケは思った。
この地獄は既に体験している。
(ああ、私がゲームの中のニケならば)
こんな地獄は起こらなかった。
彼女はいつも輪の中心にいて、誰もが彼女のことを敬う。
彼女は誰からも愛されて、誰からも求められる。
けれどどういう訳だが、今のニケはニケじゃない。
誰も彼女を聖女だと知らず、誰も彼女を敬わない。
死の淵にいる目の前の彼らが救いを求めるのは「ニケ」じゃない、「ジョゼフィーヌ」だ。
「お助けください、ジョゼフィーヌ様……」
騎士が祈りの言葉を紡ぐ。
誰も「ニケ・ヴィクトリア」を求めない。
けれどこれは私の責任だから。
ニキータは私の友人だから。
誰になんといわれようが私は聖女だから。
(今ここでみんなを助けられるのは『私』だけ)
焼けただれた足が痛い。
それでもニケは進む。
騎士達がニケに気づき、剣を向ける。
焼け焦げた仲間を庇い、血を流しながらもニケに殺意を向ける。
こんなボロボロの姿で誰が信じる?
あなた達が求める聖女は来ない、なんて。
そんな絶望を誰が言える?
もしかしたら殺されるかもしれない。
そう思うとニケだって怖かった。
ただただ殺されるなんて思ってもいないが、それでも目の前の彼らは武器を持ってる。
ニケには太刀打ちできない。
足が痛い、血が流れてる。
それでもニケは紺色の瞳を向けた。
誰も信じないだろう。
目の前にいるボロボロで、ぐちゃぐちゃで、剣を向けられて、殺されるかも知れなくて。
そんな「私」が「聖女」なんて。
誰に頼ればいいんだろう?
ふと見ると精霊達が自分を指差していた、ニケは思わず笑ってしまう。
精霊達はニケにしか見えない。
それこそがニケが聖女たる証。
「精霊達よ、私の声を聞いて。救いを求める全ての者を癒して……ヒール!!」
ニケの周囲にいた小さな精霊達がキラキラと輝く。
いや、輝いているのは私だ!
自分の手がキラキラと輝いていることに気づき、ニケは光の中で薄く微笑んだ。
目が眩みそうなほどの光がその場に満ちていく、全てのものに。
それはまるで逆再生しているかのようだった。
草花1つ生えていなかった真っ黒な大地は輝き、美しい緑が生い茂る。
根元まで真っ二つに割れていた大木は更に大きく太くなり、葉を茂らせる。
騎士達の怪我は癒えるばかりか、失われていた手足さえもその姿を取り戻すーーー
「きみ、は……」
声が聞こえた気がして、ニケはふと視線を向けた。
赤色の髪をした、随分と年上の騎士の緑色の瞳と目が合う。
ニケは誤魔化すように思わず微笑み返した。
それで誤魔化せたとは思わないが、彼は随分驚いたらしく目を開いたのがわかった。
確か一番酷い状態だった騎士だ、息がないかもしれないと思っていたが生きていたらしい。
「よかった……」
ふとニケは呟いて息を吐き出した。
「新しい魔獣か!?」
「いやでも、足が……!」
身体が治ったことに気づき、騎士達が騒ぎ出す。
頃合いだ。
ニケは元いた場所に向かって駆け出した。
「待て!君!!」
「誰か捕まえろ!」
ぐん!と蜘蛛の糸が引っ張られて、ニケは飛ぶかのように茂みに突っ込んだ。
ニケを追いかけようとしていた騎士の足音が、急に別の方向に向かい出す。
「あっちだ!」
「さっきは違う方向にいたのに……」
「やっぱり魔獣か!?」
「聖女よ、失礼ね」
ニキータは見事に騎士達を誘導してくれているようだ。
足音や人の声が遠くに行くのを感じながら、ニケは呻く。
ルーカスが抱きとめてくれていたので大きな怪我はないようだが……
蜘蛛の糸に引っ張られるままに茂みに突っ込んだので、顔中に小さな傷ができたようだ。
チリチリと痛む顔以上に、足が燃えるように痛い。
何かが身体からごっそりと抜けた気がする。
ニケはルーカスの膝を枕にしたまま、切れた息を整えようとした。
身体が重くて痛い。
「大丈夫なの」
「大丈夫よ、意外と……」
「無茶をするね。でも……聖女と名乗っちゃったらよかったんじゃない?」
「だってそんなの、自作自演みたいじゃない。そんなのはダメ」
「魔王はご主人のパートナーじゃないから自作自演ではないと思うけど」
何か思うことがあるのか、口を尖らせるルーカスを見上げながらニケはふと笑う。
ルーカスの白い肌と金の瞳が太陽の光を受けてキラキラと輝いてる。
ああ、ルーカスは綺麗だなぁ、なんてニケは能天気なことを唐突に思った。
「……今の状況で……誰が信じててくれるっていうの?私が聖女だって。頭のおかしい人って、思われちゃうわ」
こんなボロボロの服で。
今のこの状況で。
救いを求める時に人々が口にするのはジョゼフィーヌ。
そんな「聖女」に偽物だといって、こんなボロボロの少女が「私が聖女だ」と叫んで何になる?
「早く町に行かなくちゃ……服を買って、お風呂にも入りたいわ。何か食べたいし……魔法通行証も手に入れないと、それに……」
どんどん瞼が重くなる。
考えたいことは山ほどあるのに目が開かない。
ヒールの1つで魔力が奪われるはずないのに、どうして……
上手く頭が働かない、それでもひとつだけ思った。
「あなたは綺麗、ね……ルーカス」
チカチカとルーカスの金の瞳が輝いている。
彼の白い肌に赤が差し込んだ気がした。
その途端、ルーカスの手が伸びてくる。
「寝て」
必死に目を開けようとするニケの努力を打ち消すかのように、ルーカスの手が置かれた。
視界が闇に包まれる。
冷たい手が心地いい。
「僕が何とかする」
でも……
口を開こうとしたのに、ニケの声は言葉にならなかった。
何かに引っ張られるかのように、ニケの意識は失われていくーーー
「だからもっと僕を頼って」
ルーカスの声が聞こえた気がした。
けれどそれに答える前に……
ニケは意識を手放した。




