第六話 血路を開け
「みなの者、よく持ちこたえてくれた! 隊長、報告を!」
カイルは砦の残存部隊へと歩み寄る。
その脇を、エセルは荒い息をつきながら、ノクスの背から半ばずり落ちるように下馬した。
最初に口を開いたのは、砦の守備隊長だった。
「――砦の当直。死亡二名、行方不明三名。重軽傷五名。無事二十名です。」
「第六騎士団分隊は、一名重症、他無傷です。馬を失ったものが数名おります。」
救援に出かけて帰れなくなった第六騎士団の部隊長も口を開いた。
「よし。負傷者の元へ付与魔法士どのをお連れしろ。
こちらは“一番様”だ。回復魔法も使える。
日没まであと二時間――それまでに本隊へ帰参するぞ!」
騎士たちはいっせいにどよめき、視線が一斉にエセルへ集まった。
当のエセルは――無様に膝をついたままだった。
肩で息をつきながら、震える膝を手で押さえる。
――せめて、少しだけ。
心の中で必死に哀願した。
そんなエセルの様子に気づいたカイルが、ゆっくりと歩み寄る。
そして、彼女の耳元で囁いた。
「――もしかして……動けませんか?」
エセルは必死に首を縦に振る。
すると、
「失礼」
カイルは短く断ると、エセルの膝裏へ手を差し込み――
そのまま軽々と抱き上げた。
いわゆる――お姫様抱っこである。
――ひえぇぇぇぇぇぇ
驚いたやら嬉しいやら、エセルの頭は真っ白になった。
周囲の騎士たちが、息を呑む。
「付与魔法士どのは、強行軍でお疲れだ。私が運ぶ。」
カイルの落ち着き払った、有無を言わせぬ口調に――
一同は口を閉ざすしかなかった。
「痛覚経路遮断! 体力増強――治癒力増強!」
連れてこられた救護室。
カイルの腕の中でエセルが詠唱すると、苦痛にうめいていた兵たちの眉間がふっと緩む。
苦悶の表情が、にわかに消えていった。
痛みを取り払われ、身体の軽くなった兵たちが歓声を上げた。
――治癒魔法って言ったって……私にできるのは、麻酔に体力や治癒力の増強だけ……
結局は一時しのぎ。自己治癒力に頼るしかないのだけれど……
そのそばでエセルは、覆面の下で苦笑した。
「おまえたち、あまりはしゃぐな。すぐに出立の準備にかかれ!」
カイルは兵に声をかけてから、腕の中のエセルへ視線を落とし、優しげに微笑んだ。
「一番様、お疲れのところ見事な詠唱をありがとうございました。
その……魔力は足りておりますか? もし足りないようでしたら……」
少し視線を外し、言い淀んだ。
――いつもの魔力補給を、してくれるってことよね?
エセルは自分の魔力残量を確かめ、そろりと右手を差し出した。
一瞬――、ほんの一瞬、カイルの口端が、嬉し気に吊り上がる。
だが、その笑みは瞬時に消えた。
いつも通り、エセルの指先へ唇が寄せられる。
かぷり――
カイルの形の良い唇がわずかに開き、エセルの指先に白い歯が立てられる。
「あっ……はあっ」
思わず声が漏れる。
駆け巡った魔力の衝撃は、いつもの比ではなかった。
「――『魔法師の塔』へ問い合わせたところ……
魔力は肉より骨の方が伝導率がよい、との回答でした」
うっすらと歯型の残る指先を、愛おしげに撫でながらカイルはつぶやいた。
「――『魔力の番』というものをご存じですか?」
エセルは首を横に振った。
カイルは撫でる指先を止めぬまま、静かに言葉を続けた。
「魔力にも相性があるようです。
『魔力の番』同士となると――魔力を何倍にも増幅して受け渡すことができるそうですが……
私以外の者と、魔力のやり取りをされたことは?」
エセルは再び首を横に振る。
儀礼的なキスが、いつしかお決まりの儀式に変わってから――
それを授けてくれる人は、カイルただ一人だった。
それは彼が隊の最高責任者で、エセルが筆頭付与魔法士だったからなのだが――
「もとよりあなた様は、魔力量もその器も、他の者より大きい……
それをあの接触だけで補えるのは、ありえないことだそうですよ?」
カイルはニコリと微笑むと、エセルを立たせてから胸に手を当て、貴婦人に対するように礼をした。
「私は準備に参ります。
出立の際には――またよろしくお願いします。」
踵を返してカイルが去ると、エセルは負傷者が寝ていたベッドに座り込んだ。
――カイル団長……反則、ですよぉ……
残された指先が、じんわりと熱を帯びている。
――はっ!?
この指に私もキスしたら、間接キッスになるのでは?!
なんで今までそれに気が付かなかったの?!
いやいやいやいやいや……団長には想い人が――
天井を見つめたまま、エセルはしばらくその場から動けなかった。
まもなく点呼がかかり、砦の門前に六十名弱が整列した。
最後にエセルがカイルの横へ進み出ると、一同は胸に手を当てて礼の姿勢をとった。
「これから、関門まで駆ける。
馬のない者、重傷から回復した者を隊の中央で守れ。
バルザック!」
カイルが一人の騎士を名指しすると、前方にいた壮年の騎士が進み出た。
「君の隊が殿を務めてくれ。
道は――私がノクスと開く。」
「はっ!」
バルザック以下十余名の騎士が、拳で胸を叩いて応えた。
その様子にカイルは満足げに頷くと、今度はエセルに向き直る。
「付与魔法士どの。
彼ら全員が、生きて関門へ辿り着けるよう――
ありったけの魔法をかけてください。」
――ありったけの魔法をかければ、それだけ肉体に負担がかかるわよ?
その後の戦闘に響くはずだけど……
カイルの言葉に、エセルはすぐにはうなづかなかった。
彼女の沈黙を正しく受け取ったカイルは、静かに付け加えた。
「その後の代償は、甘んじて受け入れます。
関門に辿り着いた暁には、彼らを前線から退かせます。」
その言葉にエセルはゆっくりとうなずき、騎士隊へ向き直った。
「各個シールド展開!
体力・筋力増強五倍、痛覚鈍化、勇猛付与!」
エセルの詠唱が、砦の門前に響き渡る。
次の瞬間、騎士たちの身体を魔力が奔った。
かつてないほどの増強に色めき立つ騎士たちを前に、
エセルは半ばやけ気味に心の中で叫んだ。
――さあ、覚悟しなさいっ!
五倍も増強したら、二、三日は動けないわよ~!
それから今度はカイルに向き直ると、心を込めて詠唱する。
「シールド展開!
体力・筋力増強三倍――
稲妻付与、衝撃波、前方へ範囲拡張!」
――あなたはまだ前線に立たなきゃいけないでしょう?
満足げに拳を握るカイルを見て、エセルは覆面の下でニヤリと笑った。
馬にも強化の付与魔法を施し、いよいよ砦を出立する時が来た。
「さあ、お手を――」
馬上からカイルが手を差し伸べ、エセルを行きと同じように自分の前へと座らせる。
――この席なら、戦況に合わせて付与を重ねられるから……役得、よねぇ
カイルに抱きしめられるような姿勢に、そう自分へ言い訳をしながら、
前方を見れば、ゆっくりと門が開いてゆくところだった。
日はすでに傾き始め、森の木々の影を濃くしている。
「グルルルルル……」
門の外には相当数のヘルハウンドが戻ってきており、騎士たちの姿に唸り声をあげる。
だが、先頭に立つカイルとノクスの姿に、
すぐに飛びかかることを躊躇しているようだった。
「関門まで駆け抜けるっ! 陣形を乱すなっ、行くぞっ!」
カイルの咆哮が夕暮れの森に響く。
剣が抜かれた。
次の瞬間、ノクスが地面を蹴った。
行く手を紫電が薙ぎ払い、飛びかかるものは長剣の餌食となる。
六十名の中隊は地響きを鳴らし、ひとつの塊となって関門へと向かう。
「森が途切れるっ! 一番さまっ、合図をっ!」
カイルはまた一匹を切り捨てながら叫んだ。
エセルは腰の道具袋をがさごそ探ると、筒状の緊急用信号弾発射器を取り出した。
高く掲げ、魔力を込めて紐を引く。
次の瞬間、まばゆい閃光弾が空高く打ち上がった。
――数秒。
関門からも、信号弾が打ちあがった。
「関門まで二千フィート! もうすぐだ、遅れをとるな!」
カイルの声が隊を鼓舞した。
森を抜けると、岩山に挟まれた草原が開け、その奥に関門が見えた。
西向きの関門は、夕日に赤々と照らし出されていた。
信号弾はきっかり二十秒ごとに打ち上がり、
門の位置をカイルたちに示している。
「五百フィートっ!」
カイルが叫んだ。
「衝撃波収斂! 前方へ最大拡張!」
エセルが叫んだ。
カイルはその意図を読み取り、剣で前方を薙ぎ払った。
切っ先の軌道に沿って稲妻が唸り、衝撃波が走る。
門まで一直線――血路が開いた。
門扉が開き切ると同時に、カイルを先頭に隊がなだれ込む。
殿のバルザックが滑り込んだ瞬間、
重い門扉が轟音を立てて閉じられた。
隙間から入り込んだヘルハウンドは、
待ち構えていた第二騎士団によって次々と屠られていった。
門の向こうでは、なおヘルハウンドの群れが唸り続けていた。




