魔術師の戦い方【後編】
「リオンさんはどうして魔術師になろうと思ったんですか?」
汗を拭いながらゼーラが唐突に尋ねた。地面に座り込んでいたリオンは空を見上げ、長いまつ毛を伏せる。杖を膝の上に置いてしばらく黙考した後、彼女はふわりと微笑んだ。
「理由は色々あるけどね……一番最初は、本当に単純なものだったかな」
柔らかな風が青色の髪を揺らす。彼女の目は夕焼け空の一点を見つめていた。
「初めて魔法っていうものを見た時……その美しさに心を奪われたの」
リオンの声は優しかった。懐かしむような眼差しに、ゼーラは息を飲む。
「幼い頃にね、父に連れられて行った社交会で出会った男の子がいてね。そいつが見せ物の一つで魔法を初めて見た。何もない空中に突然現れた光の粒子が踊るように舞って……まるで星屑を集めたみたいに輝いていた」
リオンは右手を軽く掲げる。何も起こらないが、指先の動きにかつて見た光景を追うような穏やかさがあった。
「それを私に見せてくれたそいつが言ったんだ。『魔法ってすげぇだろ?』ってね。そいつは私の知ってる中でも随一の魔法バカだったよ。いつも魔法書を読み漁って……」
そこでリオンは苦笑した。
「魔法は才能の世界だ。固有魔力の有無が人生の格差を決めてしまうってことも、そいつはよく口にしてた。だから私たちは何も持たない者でも扱える魔術に目を付けたのさ。もっと多くに魔法が行き渡ったら、世界は変わるはずだって」
ゼーラはぽかんと口を開けた。目の前の少女が背負っていた想像以上の重さに。
「そんなに深い理由があったんですね……」
「ありきたりだよ。結局そいつとも喧嘩別れしたきり会ってないし。だからこれはただの意地みたいなものなのかもね」
リオンは杖を立てかけて立ち上がった。夕陽に染まる横顔が凛と美しい。
「でも信じてるよ。魔術を広めることができれば、少なくとも……生まれ持っての運命とか才能で人生を諦める人は減るんじゃないかって」
言い終わると同時に振り返り、ゼーラに杖を差し出した。
「さて、続きの訓練に戻りましょう」
「はい!お願いします!」
杖を受け取りながらゼーラは思った。この人が持つ未来に自分が少しでも助けになればいいなと。
「……ねぇ、そろそろやられてくれないかなぁ……。僕にだって色々とやらないといけないことがあるんだよぉ……。あまり長引くとヴァルさんに怒られちゃうよ……」
リオンは血で濡れた左腕を抑えながらセリオンを睨んだ。袖口から覗く白い肌には無数の擦過傷が刻まれている。先ほどセリオンが床から隆起させた岩石の欠片が掠めた痕だ。青ざめた顔で息を整えるゼーラが後ろに控えている。
「そろそろ理解してくれないかな……」
セリオンは指先で土くれを弄びながら俯いた。髪が顔を覆い隠す。
「僕と君たちとじゃ魔法の練度も規模も違い過ぎる……馬鹿でも理解できるのに……」
その口調は震えていたが、瞳の奥には嗜虐的な光が宿っていた。まるで玩具を壊す子供のような無邪気な残酷さ。リオンは唇を噛み締めた。彼女の膝は微かに震えている。これまでゼーラを庇いながら戦っていたが、セリオンの魔法の範囲攻撃は回避しきれていなかった。床は蜂の巣のように陥没し、天井からは岩石の破片が絶え間なく落下してくる。
「君ならわかるでしょ?魔術なんてもともと戦闘に不向きだってこと……固有魔力の魔法だったら無詠唱で発動できるけど……魔術は詠唱や文字が必要になってくるからどうしても一動作遅れる……」
セリオンは頭を掻きながら独り言のように語り続ける。リオンが杖を構え、魔法を発動しようとする。その指先が微かに震えた。
「水よ、眼前の敵を──」
だが言葉は途切れた。
ズシン!
鈍い衝撃音と共に床が歪む。セリオンの足元から無数の土柱が槍のように突き上がり、リオンの詠唱を遮ったのだ。鋭利な先端が杖を持つ手の甲を掠め、血飛沫が舞う。
「リオンさん!」
ゼーラの悲鳴が響く。リオンは後方に跳び退きながら杖を振るが、傷ついた指先が痙攣し集中を乱された。
「……だから遅いって」
セリオンは肩を落として溜息を吐いた。彼の背後から新たな土塊が隆起し、人の形を成していく。泥人形のように不気味な人型ゴーレムが三体、リオンとゼーラを取り囲むように形成されていく。
「魔法文字を書く時間もない……詠唱する余裕もない……君たちがこの部屋…いや、この監獄に足を踏み込んだ時点で詰んでたんだよ」
「……はは」
「……?何が面白いの……?」
セリオンの問いにリオンは薄く笑みを浮かべた。
「私……そういう言い訳が一番嫌いなんだよね」
その言葉にセリオンは眉をしかめる。
「……意味が分からない。もういいよ……死んじゃえ」
セリオンがそう言うと、三体のゴーレムが一斉に動き出す。彼らの足裏から衝撃波が発生し、床を砕きながら突進してくる。拳は岩石よりも堅牢な鉱物質に変化し、頭部には新たに棘が生え揃う。それぞれが異なる角度から迫り来る。
「──っ!」
ゼーラが悲鳴を上げる間もなく、ゴーレムの巨腕が風を切る轟音と共に振り下ろされる。砂塵が爆ぜ、視界が灰色に染まった。その瞬間、
「───実行」
リオンの声は小さく、しかし異様なほど明瞭に響いた。
パリン。
硝子の割れるような音と共に、空間が歪んだ。まず床からだった。セリオンが魔法文字を刻み込んだ石材の隙間から、蒼白い魔力の稲妻が迸った。それは瞬時に拡張し、床一面を奔る雷紋となり、四方へ放射状に駆け巡る。壁面に彫られた同様の文字列へ到達すると、垂直方向への稲妻となって壁を這い登り、天井へと到達。更には隣接する区画へと連鎖的に伝播していく。
バリバリバリィッ!
魔力の奔流はゴーレムたちの足元へ侵食し、鋼鉄より硬い皮膚を透過した。まるで血管に電流を通したかのように、怪物の体表に青白い光の筋が走る。次の瞬間、セリオンの前衛に位置していた一体が急停止した。続いて二体目、三体目も。拳は振り上げたまま、脚は一歩踏み出しかけた状態で宙に固定される。
「──は?」
セリオンが呆けた声を漏らす。
(ゴーレムが止まった?)
セリオンは慌てて指令を送る。
「……何やってるんだよ……早く攻撃して……」
だが反応なし。ゴーレムは微動だにせず虚空を見つめている。代わりに動いたのはリオンだった。血の滲む手で杖を地面に突き立てると、腰を落とし低く呟く。
「やれ」
ゴーレムの瞳が一度だけ妖しく瞬いた。
グォォン!
真正面の一体が振り上げていた拳をリオンからセリオンへ目標を変更し、水平に薙ぎ払った。空気が破裂する音と共に巨大な質量が壁へと迫る。
「──ッ⁉」
セリオンは慌てて地面に手を付け、防御のための壁を形成しようとした。だが───、
(は?固有魔力が流れな───)
セリオンの認識が追いつく前に、ゴーレムの拳が彼の胴体を捉えた。骨が軋む鈍い音と肉が潰れる湿った衝撃。スーツが千切れ飛び、血の帯を曳きながらセリオンの体が壁面へ叩きつけられる。
ドガァン!!
巨石を投げつけたような衝撃で土壁が崩れ落ちた。瓦礫の中に蹲るセリオン。呼吸が浅く、肺胞が潰れている。彼は咳き込みながら血泡を吐き出し、焦点の合わぬ眼差しを向ける。
(何が……何が起きた?)
答えは即座に降ってきた。
視界の隅で蒼白い光のラインが消え──否、収束している。監獄全域へ広がっていた魔力の稲妻が逆流し始めたのだ。それはすべて、目の前に立つ杖を構えた少女の元へ。リオンの足元の魔法陣が再び煌々と輝き出し、彼女の周囲に魔法文字を浮かび上がらせる。
──魔法の簒奪。
リオンの魔術の本質がセリオンの網膜に焼き付いた。
(まさか……嘘だろ……!?)
彼女はゴーレムだけでなく、監獄全体の魔法文字を書き換えてしまった。つまり───。
(僕の魔法を……丸ごと乗っ取った⁉)
冷たい汗がセリオンの背中を伝う。喉が干上がる。彼は必死に抗おうとしたが、魔法は微塵も従わない。ただ主となったリオンの命令だけを忠実に実行する。
(そんな……まさか…ありえない……)
セリオンは壁際にずり落ちたまま呻いた。肋骨が数本逝き、右腕は痺れで動かない。それでもセリオンの脳裏を駆け巡るのは、あまりにも常識外れな現実だった。
魔法の権限を他者から剥奪する──理論上不可能ではない。しかし、その実行にはいくつかの前提条件が不可欠だった。
まず第一に、魔法の根幹を成す固有魔力の魔法文字配列を完全に解析しなければならない。固有魔力とは個人特有の魔力パターンであり、その魔法文字は所有者の精神構造や環境との相互作用によって生成される極めて複雑な情報コードである。一つの魔法式ですら千を超える文字が組み合わさり、その配置は千差万別。これを解析するのはほぼ不可能とされてきた。
しかも問題はそれだけではなかった。セリオンが築き上げた監獄全域に及ぶ巨大な魔法を乗っ取るとなれば、必要な処理量はさらに跳ね上がる。必要と文字数は数万を超え、最適な配列を導き出すためそれ以上の配列パターンの暗記が必要となる。例えならば、広大な砂漠の砂粒の中から特定の形をした一つの砂だけを探し当てるようなもの。
───まさに天才の所業である。
しかし、目の前に立つ少女、リオン・アルベルトは常人であった。固有魔力を持たず、先天的な魔法資質を持たない凡庸な人間。しかしそんな境遇を嘲笑うかのように、ある日を境に彼女は魔法に魅了され続けた。毎夜寝台に入ると天井を見つめながら魔法文字の幻影を描き続けた。指先がペンだこで腫れ上がっても本を捲り続けた。膨大な時間と執念の末に彼女は一つの真理へと辿り着いた──固有魔力とは一種の言語体系にすぎないということに。
固有魔力の言語化。これこそがリオン最大の偉業である。固有魔力の特性を文法とし、魔法文字を単語に見立てて分類することで規則性を見出し体系化したのだ。この功績により先の時代で魔法は才能の領域から解放され、教育や研鑽で習得可能な技術へと昇華されることとなる。そしてそれこそが彼女が提唱した新概念──“魔術”である。
リオン・アルベルトの魔術史における代表的な成果の一つ。固有魔力保有者の魔法を乗っ取り支配する荒技は本来であれば魔法では不可能な筈であったが彼女は常識の殻を打ち破りそれを実現してしまう。魔法を用いる者に対して持たざる者が唯一抗うことができる術。
「魔術の基本は、数多ある魔法文字の“分析”と“応用”。そしてそこから私が生み出した魔術、それが【対魔法無効魔術】。どう、魔術のお味は?」
リオンは血塗れた手で杖を掲げながら微笑んだ。
「……嘘だ……ありえない……こんなの……」
セリオンは歯を食いしばりながらも、その目は既に敗北の色を湛えていた。魔法を奪われた魔導士など、赤子と変わらない。
「あんたの固有魔力、媒体の形状を変化させる魔力だったんだね。始めは、土系統の魔法だと思ってたけど、私の撃った水の魔法があまり効いてなかったから、候補を絞るのに少し時間がかかった。けど、これで安心ね」
リオンは杖を地面に突き立てるとゴーレムたちは、砂用に崩れ落ちた。
「……はは、何だよそれ……」
セリオンは乾いた笑いを零す。
「アンタの敗因は二つ。この監獄全体を媒体として、自分の固有魔力を晒し過ぎたこと。そして、戦いをすぐに終わらせなかったこと」
リオンは血で濡れた左腕を押さえながらセリオンに近づく。瓦礫の山に半ば埋もれた彼は既に抵抗する意思も力もないようだった。青ざめた顔で息をするのも辛そうだ。
「これで詰みよ」
リオンは杖を構え、詠唱を開始する。彼女の唇が動くたびに杖先の魔法文字が紅く輝きを増していく。炎系の魔術、その一撃は対象を完全に炭化させるほどの威力を持つだろう。セリオンは虚ろな目でそれを見上げるしかない。
「リオンさん!」
鋭い制止の声。リオンが振り返るとゼーラが顔を引き攣らせながらこちらを見つめていた。彼女の目には明らかな恐怖と葛藤が宿っている。
「何?」
「その……あの……」
「なに?」
「えっと……その……」
ゼーラは言葉を探すように視線を彷徨わせた。そして意を決したようにリオンの目を見据えた。
「リオンさんが……好きな魔法で……人を殺すのを……私は見たくないんです!」
「……」
リオンは僅かに瞠目した。その紫紺の瞳に微かな揺らぎが生じる。
(そう……か)
ゼーラの訴えは打算も計算もない純粋な気持ちだった。それが分かるからこそリオンは一瞬だけ思考を巡らせる。
「そうね……」
彼女は詠唱を中断し、杖の輝きを収束させた。代わりに杖先を地面に打ちつけセリオンの傍らに立つ。そして躊躇うことなく──
コン!
杖の柄でセリオンのこめかみを軽く小突いた。乾いた打撃音が鳴り響く。
「──ぐえ」
小さな呻きとともにセリオンの体がぐったりと弛緩した。意識を刈り取られたのだ。ゼーラは安堵と驚きが入り混じった表情で立ち尽くす。
「……これで十分でしょう?」
リオンは肩を竦めると杖を背に預けた。ゼーラは小走りに駆け寄ってくる。
「ありがとうございます」
「気にしないで。私は最初から殺すつもりなんてなかったわ」
「本当ですか?」
「まぁ……状況次第ではそうしたかもしれないけれど……今は貴方の気持ちも汲んであげたくなったの」
リオンは少し照れ臭そうに答えると、気絶したセリオンを眺めながらふとゼーラの方を見た。銀髪の少女が心配そうに自分を見つめている。その健気な眼差しに不意に胸が温かくなる。
(あの人に……似てるな)
その瞬間だった。
ズキン。
鈍い痛みが額を貫いた。視界が一瞬霞む。
(……あの人?)
その名前が喉まで出かかるのに、掴めない。誰か大切な人を思い出そうとしているのに、霧の中に消えていく感覚。
(おかしい……何か大事なこと忘れているような……)
記憶の糸が断ち切られたような喪失感に苛まれている。
「リオンさん?」
ゼーラの声が現実に引き戻した。リオンは我に返り、軽く頭を振る。
「なんでもないわ」
努めて平静を装うが、指先の微かな震えをゼーラは見逃さなかった。
「本当ですか?顔色が悪いですよ?」
「大丈夫……ちょっと疲れただけ」
リオンは無理に笑顔を作り、話題を変えることにした。
「それより今のうちにみんなと合流しないとね。この騒ぎでどこかでピンチになってるかもしれない」
その言葉にゼーラの表情が引き締まる。
「はい!そうですね!」
リオンはセリオンの懐を探り、彼が持っていた鍵束を見つけ出すと、天井近くにある放送用の魔力石装置に近づいた。操作盤に手を触れると淡い青光が灯る。
深呼吸ひとつ。そしてマイクのような受話器を手に取り、毅然とした声で宣言した。
「こちら、リオン・アルベルト。この監獄を操作していた男を倒した。繰り返す──」
その報告は監獄全域へと響き渡った。暗闇に閉ざされていた空間に、僅かな希望の灯火が灯った瞬間だった。
今月はここまで、来月も頑張って書いていくのよろしくお願いします。




