終幕 結 宝船
潮の香り。波を蹴り裂いて何かが近付いてくる音がする。
どこからか聞こえてくる篳篥や笙、そして鈴の音。
音と風に乗って漂ってくる、優しく芳しい天上の香り。
そしてあたたかく、眩しい光。
波飛沫を上げながら、その帆にいっぱいの風を受け、船は地を進みやってきた。
誰もが何処かで見た事のある船。
その船首には、これまた誰もが何処かで見かけた事のある方達が勢揃いしていた。
大きな袋を背負い、小槌を持つ。米俵に腰を下ろすは――大黒天。
烏帽子に狩衣姿。左手に鯛、右手に釣竿を持つは――恵比寿天。
鎧を身につけ、右手に矛、左手に宝塔を掲げるは――毘沙門天。
太鼓腹を突き出し、肩には大きな袋を背負いしは――布袋尊。
身体は小さいが、頭がとても長い、白い髭の美しい――福禄寿。
鹿の角を生やし、経典を括った杖と桃の実を携える――寿老人。
羽衣を纏い琵琶を奏でし絶世の美女は――弁財天。
金銀財宝や珊瑚を積み、七福神が乗り込んだ“縁起物”『宝船』
それが若葉の背後から現れた。
若葉は自分が招来したモノの大きさに驚きながらも、緊張が解けずに硬直したままだった。
「にゃー!おっきいおふねにゃ!」
そんな事にはお構い無しのクロは素直にポンポンと手を叩いて喜んでいる。
「えっ…ちょ…呼び出してたのってこれ?!マジか拝んどこ…」
そして訳も分からぬ内に助力するハメになった小鳥遊は懸命に“良縁”をお祈りしていた。
『宝船』に乗った七福神は、招来に携わった者達に笑顔を見せながら、若葉達の横で停止した。
声も出ない四人を他所に、小槌を持った大黒天が舳先へと立ち、小槌をひと振りすると――『宝船』の舳先に海が盛り上がり、5メートルはあろうかという巨大な水の壁が立ち上がっていた。
水の壁は高さをそのままに徐々に前方へと厚みを増し、とうとう津波となって『百鬼夜行』へと襲い掛かっていった。
だが『百鬼夜行』の前には妖怪達の進行を食い止めようと奮戦する相志とサンが居る。このままでは二人が溺れてしまう――焦る若葉の耳に威厳のある男性の声が降り注いだ。
“これは『蓬莱の海』――穢れを流す神気の波である。汝らに障りは無い”
穢れを洗う。その言葉にはっとして『百鬼夜行』へ目を向けると、ちょうど『蓬莱の海』が津波となって『百鬼夜行』を飲み込んだところだった。
『七福神』の放った『蓬莱の海』を正面からまともに受ける『百鬼夜行』の妖怪たち。津波に飲まれたその瞬間に、名も分からぬ怪たちが消滅していく様子が見えた。
波に崩れる砂楼のように妖怪達が崩れ落ち、蓬莱の海へと溶けてゆく。
先頭に立つ“清盛公”や絡新婦、飛頭蛮に川赤子らのような名のある(点)妖怪はまだその形を保ってはいたが、それでも自分の肉体が少しずつ崩れ落ちてゆく事に怯え、動けずにいた。
突如精彩を失い、苦しみ出した妖怪の動きで、何が起きたのかに漸く気が付いた。
自分達の周り――いや、辺り一体を清らかで濃密な気が満たしている。
――何が起きた?
刀は握ったまま両手を下ろし、相志は背後に目を向けた。
目に入ったのは、光り輝く大きな船。そして舳先に座す神々しい七人だった。
「あれは…宝船?!――もしや若葉さんが!?」
「はい!ママが成功したんです!僕達の勝利です!」
少し離れた所で大きくなったサンは嬉しそうに宙返りを繰り返している。
『百鬼夜行』に目を向けると、大頭――清盛公もその身体が徐々に崩壊を始めているようだ。旗竿持ちの様な小物の怪などはとっくに消滅している。これならばそのうち『百鬼夜行』は全て消滅するだろう。
護りきった――いや、助けられたのか。
安堵すると同時に、己の不甲斐無さに胸が詰まりそうになる。
けれど、今は素直に感謝するべきだと、相志はこの難局を乗り越えることが出来た幸運と、助けてくれた大切な仲間に黙って頭を下げた。
紫苑はあまりの驚きで何も言えず、立ち上がれぬままでただぽかんと眺めていたが、
「わ…若葉さん!これって!!た…たた…」
ようやく言えた言葉も疲れの所為か驚きの所為か、呂律が回っていない紫苑。
しかし、そんな事は知らぬとばかりに、
「はい!!『宝船』です!!」
とアッサリ話す若葉。
「たからぶねです…って…はぁ…」
いくら助力を得たとはいえ、『宝船』とは神と同義であり、一人の陰陽師が呼び出せるような代物では無い事を知っている紫苑だが、それは言わぬが花か、とそれ以上の追求と説明は止めることにして、
「おかげで助かりました。感謝いたします」
と、若葉に向かって頭を下げた。
しかし、多少はエッヘンとか胸を張っても良い成果なのに、当の若葉がどことなく不服そうな顔をしていたことが気になった紫苑。横に立つ若葉へと声をかけた。
「どうか…したのですか?何か心配事でも?」
「あ…いえ、自分で呼んどいて何ですけど、これでオッケーなんでしょうかね?」
「…自信があるのではないのですか?」
「いや、あるにはあるんですけど…なんかこう…『焼き祓え!』って船からビームとか出すかなってちょっと期待してたので…」
若葉の言葉に眩暈を覚える紫苑。倒れていて良かったと思いながら、
「そ、それは…難しいかと思います…」
そうしてどうにか収めることが出来たが、当の七福神は『び、びーむ?』と困った顔を見せていたのだった。
そんな、当惑する神々と紫苑の顔を眺めていた若葉。ほっとひと息吐いた瞬間、まるで体中の力が抜け出してしまったかのように、その場に座り込んでしまった。
「あ…なん…動け…ど…て…」(あれ、何か動けないんですけど。どうなったんですか?)
地面に座り込んだまま、紫苑へ顔を向けて何とか言葉を搾り出す若葉。
「若葉さんも私と同じ…力の使いすぎです。しばらくは動けませんよ」
「あ…あい…」
『宝船』を見上げ、改めて自分の呼んだ代物の大きさに驚く若葉だった。
そして――
「これは…?俺は『百鬼夜行』に喰われて…」
自分の身体を撫で回そうとするが、指の感覚が無い。いや、あるにはあるのだがまるで別の代物のようだ、と手を顔の前に遣る。
見えたのは甲虫のそれにも似た前脚。それも――たくさん生えている。
「肉体が妖怪へと作りかえられている…仮説通りだ。だが理性まで持っていかれるとはね…」
百鬼夜行の妖怪に食い尽くされ、新たな妖怪の一匹として生まれ変わった夢見だった。
姿は物怪と化したままだが『神気の海』にあてられた事で、人のこころを取り戻していた。
「しかし何故、理性が戻った?…この濃密な神気の所為か?しかし何処から――まさかアレは?!」
理性を取り戻した夢見は遠くに『宝船』を見つけると、一つになった眼を細めて嬉しそうに語り出した。
「そうか『宝船』!…『百鬼夜行』は穢れと不吉の象徴…対して『宝船』は瑞兆でもあり、穢れを流す、つまり大祓にも通じる…良く気が付いた。さすがだよ、おめでとう若葉くん。しかし…」
神気に浸る己の肉体は次第に崩壊を始めている。だが不思議と痛みは無く却って心地良い。しかしこの心地良さに包まれたまま崩壊してゆく事が恐ろしかった――もう時間は遺されていないのだから。
「理性は取り戻せたが、肉体はもはや限界か…ならば――」
崩壊が進み、槍の様に細く鋭くなった腕を顔の前で構える。
「俺の怨みだけは晴らさせて貰おう!!」
そして、苦しみ悶える妖怪の合間を縫うように疾走し、崩壊を早める肉体も省みずに神気の海を泳いだ。
前へ――前へと。そして
ただならぬ殺気に相志が振り向いたその瞬間――夢見は相志の胸を自分の腕で刺し貫いていた。
「夢…見?…まだ――」
妖怪となった夢見に掴みかかろうと腕を持ち上げる相志。だが口からゴボリと血を吐き出すと、その手は力なくだらりと落ちた。
「…神気にあてられて(点)正気を取り戻したんだよ…」
もう届かない答えを相志に告げる夢見。そして自らの身体も崩壊を始めながら、それでも鼓動を止めた恋敵の身体を静かに地面へ横たえた。
「相志さん!!」
そして漸く、傍に居た大きな三つ目狐の存在に気が付いた。
「君はサンか…成長したんだね」
「夢見さん?!どうして!?」
声で分かったのだろうか。サンが名前を叫んでいる。この姿になっても人としての名前で呼んでくれることに嬉しく思うと同時に悲しく感じていた。
「神威にあてられて理性を…取り戻したんだよ…そうさ。全ての黒幕は俺だよ」
夢見はその場から立ち去ることも出来ず、崩壊に身を委ねたままで静かに答えた。
「サン…若葉ちゃんには内緒で頼むよ?」
夢見はおどけた表情をしたつもりだったが、自分の身体がこうである以上、伝わる可能性は低いだろう。
「どうして?ママも騙していたんじゃないんですか?」
サンがそう思うのも当然だろう。立場が同じなら自分だってきっと警戒する。
「信じてくれないと…思うけど――生徒に嘘は教えない。それは葛葉の名に誓おう」
でも隠し事はあったんだけどね。と笑い、ひとつ大きく息を吐いた。
「最後の弟子の成長も体感できたし、憎い相手も…殺せた。思い残す事はもう――…」
そして妖怪としての肉体が崩れ落ち、神気の海に流されてゆくのを確認すると、サンは相志を背中に乗せ、若葉の元へと走った。
『宝船』は『蓬莱の海』を放った後も若葉と紫苑の隣に停泊を続けていた。
『百鬼夜行』の群れは既に8割以上が崩れ去り、神気の海へと消えている。そして頭目でもある清盛公の妖怪も、最早原形を留めないまでに崩れ落ちていた。
『宝船』上の七福神は笑顔のままであったが、その様子は『百鬼夜行』が完全に消え去るまで睨みを利かせ続けているように見えた。
紫苑も若葉も術を行使しすぎた所為で動けない。
これで終わる――皆がそう思っていたところへ、血塗れの相志を背に乗せたサンが走ってきた。
「紫苑様!ママ!相志さんがぁ!」
満足に動けない若葉と紫苑に代わり、小鳥遊が相志の身体を預かり、地面に寝かせた。
「相志さん?!何があったの?!」
若葉の叫びにサンは一瞬言い澱んだが、主人を悲しませない選択を取る事にした。
「宝船に気をとられた隙に…後ろから…」
横たえた相志に紫苑が這って縋りつく。無言で胸の傷をなぞり、温もりの消えかかった掌を自分の頬に添えていた。
「小鳥遊さん!早く病院!119番!」
焦る若葉。そんな中、静かに首を振る小鳥遊。
「心臓を貫かれてる…即死だよ…」
相志に寄り添う紫苑から顔を逸らし、苦しそうに答える小鳥遊。
紫苑は何も言えずにただ相志の亡骸に寄り添い、涙を流していた。
「ごめん…ごめんなさい…ごめんね相志…」
その時、若葉達の背後から強い光が近付いてきた。
何事かと振り返ると、そこには紫苑と同等かそれ以上に美しく輝く女神が立っていた。
「弁財天…さま…?」
弁財天は誰とはなしに微笑むと、相志の骸の横に立った。
そして膝を折り――相志の顔へと優雅にその顔を近付け、口づけをした。
「えっ?!べ、弁天様?!」
驚く若葉。だまって様子を見守る紫苑。小さくキャーと叫びながら、何故かクロちゃんの眼を手で隠す小鳥遊と、それを嫌がるクロちゃん。
軽く触れていた唇が離れ、弁財天が立ち上がる。すると、息が詰まっていたかのように呼吸を再開する相志。みるみると顔色が良くなってくる。
「息を吹き返した?相志?!起きて!相志!」
泣きじゃくる紫苑。小鳥遊は相志の様子を確認すると、スマホを取り出して耳にあてながら叫んだ。
「息は吹き返したけど浅い!危険な状態に変わりは無いわ!今救急車を呼ぶから!」
そして若葉は、相志が息を吹き返してからも、地を離れ空に浮かんでゆく『宝船』から目が離せないでいた。『宝船』から呼ばれていたのだ。フラつく足で立ち上がり、『宝船』の声に耳を傾ける。
“次は一人で我等を呼び出してみよ。さすれば我等、汝と縁を結ぼう”
そして宙に浮いた『宝船』は船底に雲を纏い、遥かな空へと登っていった。
夢見の『人払い』も効果を失ったのか、救急車のサイレンが遠くから近付いてくる。
それを聞いた若葉は、漸く全てが終わった事を悟った。そして一つ大きく息を吐き、
「た…たり…ここに――」
成されたり。
ようやく終わった。そう思った瞬間、若葉は目の前が一気に暗くなっていった。




