10-2 影女
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『ごめん…ごめんね…助け…られな…』
助けられなかった。辛い思いをさせただけだった。生み出されたばかりのクロに謝りました。けどクロは、もう力を失った女の子の腕からするりと抜け出し、ご主人の亡骸に一度振り返ると、玄関に向かって駆け出したのです。そのまま前足で玄関ドアのサムターンに飛びつき、勢いを利用してドアの鍵を開けると、そのままドアを開けて外に飛び出して行きました。
『えっ?!クロちゃん?!――サン!』
『うんっ!おいかける!』
急いで飛び出したので扉が閉じる前に外に出ることには成功したサンでしたが、その頃には既に黒猫の付喪神は何処にも見当たりませんでした。
付喪神は式神と違い、陰陽師との繋がりは存在しない。その上それまで過ごした扱われ方に起因する自由意志が存在する。つまり、お手軽に手駒を作れるが、必ずしも忠実とは限らない、という事である。
女の子を目の前で死なせてしまった事で精神的にどん底へと沈み疲れきっていた私は付喪神の捜索を諦め、サンには店に戻るよう指示を出しました。
ショーケースに背を預けて床に座り込み、涙で濡れた顔を覆っていると、そこにイケメンな声がかけられました。
「どうかしたんですか?若葉さん…」
顔を上げると、買い物で出かけていた相志さんが戻ってきていました。
「相志さん…実は――」
そして私は、店先での発見からつい今しがたまでの出来事を相志へと説明したのでした。
「そうですか…そんな事が…」
相志さんから温めの紅茶を貰い、それに口を付けながら、私はさっきまでの出来事を相志さんに説明した。相志さんは悲しそうな目をしてしばらく俯いた後、ゆっくりと顔を上げて私に言った。
「ですが、それとこれとは別の話――これ以上の深入りは止めるべきです」
だから、相志さんからこんな言葉を聞かされるとは思っても見ませんでした。
「どうしてですか?!そんなの――」
「確かに、女の子の死はとても悲しい事です」
私の反論に対し、相志さんはゆっくりと、だが力強く話を続けた。
「そして、若葉さんはこの件に関わってしまったのかもしれません。ですが、その関わりは彼女の運命に何も影響を及ぼしてはいない。つまり、若葉さんが関わろうと関わるまいと、どのみち女の子は死ぬ運命にあった――違いますか?」
「それって――私が未熟だから助けられなかったって事ですか?!」
私が詰め寄ると、相志さんは何も言わずに首を振った。
「若葉さんは、彼女の運命に涙する責任も、理由も――怨む必用すら無いんですよ」
「そんな…」
「陰陽師が自らの意思で人を祟る。それはつまり人が人を殺す事。即ちひとごろしです。若葉さん、貴方は自らの意志で他人を――人として人を殺す覚悟がおありですか?」
人として人を殺す――その言葉に私は心臓を鷲掴みされた気がした。でも…それでも…
「陰陽師である前にひとりの…普通の人間で居たいんです。悲しい事があったら涙を流して、許せない事があったら怒って…」
俯いたままの私の肩に手を置き、更に相志さんが冷たく言い切る。
「普通の人間は、式神を従えて『祟り』を起こす事など出来ません。力を持った人というのは自らを律する精神が必用なのです」
相志さんの言い分は理解できる。それは正論なのだろう。力のある者が思いのままに力を振るう。それはとても危険な事。けれど――
「それでもっ!」
私が間違っているのかもしれない。けれど、正しい事ばかりが本当に間違っていないと言い切れるの?
「若葉さん…」
困ったような、溜め息混じりの声。相志さんも困っているのだろう。
そんな時だ。か細く小さな声だけど、無駄にダンディな声が聞こえてきました。
「そこまでにしときな、相志――姐さんが呼んでるぜ」
二階で体を休めている筈のこんぺいさんがフラフラと泳いできていた。
地霊との戦いで重症を負い、本来の姿である普通の金魚にその姿を戻しての療養中であるこんぺいさん。完治には暫く時間が必要らしく、未だにヒレは裂け、自慢の鱗も所々剥がれ落ちたままである。
「そうか…済まない」
相志さんはそう言って静かに二階へと登っていった。こんぺいさんはそのまま私の方へ近付くと、その小さな声で私に告げた。
「あらましはサンから伝わってるぜ…若葉ちゃん」
「こんぺいさん…」
「若葉ちゃん、相志はあぁ言ったが…俺ぁそうは思わねぇぜ?俺達ゃ刀でもなければ未来から来たキリングマシーンでも無ぇんだ。『祟り』に個を無くす必用はねぇよ。だがそいつは、自分自身で相手の命と向かい合うって事だ。個を無くすより辛ぇぞ?殺した相手の魂の重さがな、その手から離れなくなるんだよ。相志はそれをよく知っているんだ…だから若葉ちゃんには辛い思いをして欲しくないんだよ。だから」
相志を怨まないでやってくれ。
こんぺいさんはそう言って踵を返した。
「俺と姐さんが言いたいのはそれだけだ。じゃ、俺は上で休ませてもらうぜ」
そう言って力無くフラフラと泳いでいくこんぺいだったが、こちらに尾びれを向けたままで止まり、
「…それによぉ」
と再び話し出した。
「確かに若葉ちゃんは俺らから見たらピーピー鳴くしか能の無いヒヨッ子だ。胸のサイズはヒヨコ以下だしな」
「慰めになってませんよ、それ…」
「それでも――想いを繋ぐ事は出来た様だぜ?」
こんぺいはそう言い残して二階へと泳ぎ去った。
その時、『タタリアン』のドアベルが音を立てて来客を告げた。
顔を拭っていらっしゃいませ、と声を上げると、店先に立っていたのは、辻神を連れ回していた、あの男性――萌ちゃんの父だった。しかもその腕には、足先が土埃で煤けた――私が付喪神へと変えたぬいぐるみ、クロが抱かれていた。
「えっ…クロちゃん?!」
私は思わず声をあげてしまっていた。
「やっぱり…ご存知なんですね?このぬいぐるみの事」
萌ちゃんの父親は驚く様子もなく、然もあらんといった様子で話し掛けてきた。
「あっ…」
付喪神のクロは、萌ちゃんの父親に抱かれたままで能天気に私へ腕を振っている。
「えーっと…どこから話せばよいものか…」
「いえ、大体はクロが教えてくれました…貴女が、このクロに魂を下さったの…ですね」
「…信じて頂けるんですか?」
「娘の声で話す、娘のお気に入りだったぬいぐるみです。信じるのに理由が要りますか?」
萌の父親は『お気に入りだった』と言った。何が起きたのかは全てクロから聞いているのだろう。
「あの子はホントに猫が好きでしてね…でも社宅じゃ飼えないし、だから…このクロはあの子のお気に入りだったんです。私がこの人形を動かして、よく一緒に遊んでいました」
クロを抱きながら片方の手でクロの頭を撫でている。クロは気持ち良さそうに頭を傾げていた。
「娘には会わせて貰えなかったんです。それで、トボトボ歩いていたらこの…」
「おっかけたの。えらいでちょ?」
男性の腕の中で、汚れ綻びかけてしまった手を挙げる、付喪神のクロ。あの時外に飛び出したのは、まだ近くに居る筈の父親を追いかけるためだったのか…確かにあの場では一番頼りになるだろう。
「驚きましたが、急いでアパートまで引き返したら…そしたら…娘が――」
萌の父親は俯いて肩を震わせている。あの現場を見たのか――
「それで、警察に電話しようとしたら、この子に止められたんです。そして、『ついてきて?』って――娘の声で僕に言うんです」
クロが男性の顔を見上げ、慰めるようにポンポンと叩いている。
「私は――娘を助けられなかった…でもクロが…私をここに連れて来てくれたんです。『クロと萌ちゃんのうらみをはらして』って…これを差し出して…萌の声で…」
そう言って取り出したのは、あの子が折り紙で作ったのだろう。紫色の――なにか。
「もえちゃんがつくったの。おはにゃだよ?きれいでちょ」とクロ。
折り紙のお花だったのか…ゴメン、言われなきゃ分かんなかった。でも、今までで一番――何物にも変え難いお花です。
「お願いします…娘の――萌とクロの…僕の怨みを…」
クロを両手で包み込むように抱きながら、大粒の涙を流す男性。
「クロももっと、もえちゃんと遊びたかった。いっぱい可愛がってほしかった。泣いてあげたいけどクロは泣けないから――おねがいにゃ」
そして、最期まで自分を愛してくれた子が作った小さな花を両手で抱え、祟りを願う付喪神。
でも、私がこの『祟り』を受けても良いのだろうか…私情を挟んでしまう事になるのでは無いだろうか?
私が――人を殺す事に。
その時、背後から鈴の転がるような美しい声が聞こえてきた。
「何を迷うことがあるのですか、若葉さん」
振り返ると狩衣姿の紫苑さんがそこに立っていた。
「怨み花に依頼人、両方が揃いました。今こそ葛葉の陰陽師として、怨みを『祟り』に変えるのです」
紫苑さんはそう言って、私に形代を手渡した。
葛葉の陰陽師として――怨みを『祟り』に。
私は小さく頷いて、形代に念を込めて軽く放った。
人の形に切り取られた白い紙は、そのまま宙を滑る様に進み、男性の目の前で静かに動きを止めた。
知らずに流れていた涙を拭って依頼人へと伝える。
「この形代に――依頼人の血を頂きます」
そこまで言って気が付いた――どうやって血を出そう。自分で指とか噛み切ってくれないかしら…
「血、ですか?」
それから二、三秒ほど経つと、クロが男性の腕から離れ、そのまま男性の指先に噛み付いた。
「あ痛っ!って…あぁ、そういう事か」
男性の指先には血の球がぷくりと浮かび上がっていた。浮遊する形代をポンポンと叩き『ここだよ』と主張する付喪神のクロ。うむ。よく噛み付いてくれた。
「これで――良いですか?」
不安げに男性が聞いてくる。私は空中に漂う糸を手繰る様にして、形代を引き寄せた。形代には男性の血とクロの足跡が付いている。私は小さく頷いて――
「子を二度も奪われた父と、儚い魂が紡ぐ祟り――存分に味わって頂くとしましょう」
「あ…」
そこは譲ってくれないんですね…紫苑さん。
何処までも続く茜色と濃紺の混ざりあう、だが決して一つになる事の無い『夕闇の境』。
名も知らぬ背の高い草の揺れる、荒地を貫く一本の道を往き、首の欠けた地蔵を通り過ぎたところで現れるのが――『鬼哭の辻』だ。
今日は私が先頭を歩き、その後ろを相志さん、一番後ろを紫苑さんが歩いている。
萌ちゃんの父親と、生まれたばかりで主人を失った付喪神、クロの怨みを『祟り』と成すために。
辻の前に立ち呼吸を整える私。
「若葉さん、今日は何をお使いに?」
後ろから相志さんが尋ねてきた。
「はい――今昔百鬼拾遺、上之巻、雲をお願いします」
相志さんは静かに頷いて、辻の真ん中に蝋燭を並べはじめた。
クロが紫苑さんに抱かれてその様子を見ています。
萌ちゃんの父親はクロを預かる事を拒んだのでした。見るのが――話すのが辛いから、と。
「娘との思い出で、あの子の声で話すけれど、萌じゃあない。でも今の僕はそれを弁えずに居られません…」
そう言うと、彼はクロを紫苑さんに差し出しました。
「身勝手とは思いますが…預かって頂けませんか?」
紫苑さんは小さく頷いてクロを受け取り、そっと抱き締めた。
そんなクロはというと、紫苑さんの腕に抱かれながら、相志さんが辻に蝋燭を立ててゆく光景を興味深げに見つめています。
相志さんが辻に蝋燭を並べ終えるのを確認すると、私の肩に乗っていたサンがピョンと飛び降り、蝋燭に向かって歩き出しました。療養中のこんぺいに代わり、蝋燭に火を灯すため。
サンがフワフワな尻尾をピンと立てると、その先に小さいけれど綺麗な火が灯りました。その尻尾を蝋燭に近付けて丁寧に火を灯すサン。その後もトコトコと歩いては同じ事を繰り返していき、ようやく六本全てに火を着けた。
相志さんが私の前に神楽鈴を差し出した。私はそれを恭しく受け取ると神楽鈴を前に構え、しゃん、と三度鳴らし、その後静かに鳴らし続ける。
「金沙羅の左 双盃の右 天より下りて地を満たすもの」
唱えながら、左足の草履をリズム良く強弱をつけてたんたんと踏み鳴らす。
右手を胸の前で握り、人差し指と中指を立て、印を結ぶ。
「寿老の星は南天の地に輝き 歳徳の寿ぎはわが手に満ちる」
私の言葉に応じるように、遠くで鈴の音が聞こえた。やがて鈴の音の足音と共に『歳神』がやって来て、地面に立てられた蝋燭の前に並んだ。
その時、後ろからクロの声が聞こえてきました。
「えもの?」
…獲物?歳神の事?でも君の元になった子だよ?獲物じゃないんだけど…と思っていたら今度は紫苑さんの声がした。
「いえ、違…あぁ、でも貴方の源だから、あながち間違ってはいないのかしら…」
「やっぱりえものにゃ!」
クロが両手をぽふぽふ叩き合わせる音が聞こえる。両手の先に詰められたペレットが小さくカサカサ鳴っている。
「はい。でも後でね」
あ、後で?
「わかったにゃ」
「おりこうですね」
付喪神の餌なの?…って言うか餌、要るの?
「どうしました?若葉さん」
私の様子に気付いた紫苑さんが声をかけてきた。
「いえ、なんでも…」
気を取り直して、私は呪文を唱えはじめる。
「日の出と共に来るもの。
頭を垂れる稲穂を運ぶ形無き理の貌よ来たれ
汝が絵姿に寄りてここに現れよ
慈愛を糧に踊り出で奇跡きを為せ」
中央に置いた本『今昔百鬼拾遺、上之巻、雲 』の頁がひとりでにめくれてゆき、そして止まった。
夜天に浮かぶ三日月に照らされ、庭の松が障子に影を落としている。
蒼白く淡い月光が象る影はまた蒼白く淡い。
そして。
その松の枝に重なり映る女の影は逆さである。
枝に手をつき、足を掲げ。腰まで届く髪を下から上に靡かせながら。
天から落ちてきたのか、天に落ちまいとしがみつくのか。
この世の者ではないのだろう。だから逆さまなのだ。障子を見越せば、きっとその姿は何処にも無い。
どちらにせよ美しく――また恐ろしい事には変わりない。
そんな絵が、描かれている。
これが、私の選んだ妖怪。
「怪威招来――影女!」
その言葉と共に形代を飛ばし入れる。それに応じて赤い鼻緒の白足袋達が蝋燭で囲まれた輪の中へと一斉に踏み込んだ。
途端、鼻緒の赤と足袋の白が紅白の渦となって形代に吸い込まれてゆく。そして全ての『歳神』が形代に吸い込まれた途端、円を作るように配置していた蝋燭の炎それぞれが、日の出の様にゆっくりと、しかし次第に強く光を放ち始め、一際眩しく輝きを放ち――
ようやく目を開けられるようになり辺りを見回すと、辻の中央に――
何も居なかった。
いや、『鬼哭の辻』の向こうから――
影だけが。
沈みそうな夕陽に照らされているような、長い影がこちらに近付いている。けれど、道に影を落とす姿は何処にも見えない。
背の高い影だけが、そこに居る。影が身に纏う衣装のかたちは小さい女の子のようである。
「これが…歳神の影女…」
後ろで見ていた紫苑さんがいつのまにか私の隣に並び、陶酔するような目で『影女』の祟りを見つめていた。
「…辻神の時はどうだったんですか?」
聞いてみると紫苑さんは、いかにも残念そうに眉を顰めながら教えてくれました。
「某探偵マンガの犯人の様な…と言えばお分かり頂けますか?全身黒尽くめで目だけが爛々と」
「こわっ」
「趣きもへったくれもあったものではありませんでしたが、これは…美しい…」
うん…好きなんですね、妖怪…
「はぁ…せ…性格的にはどんな妖怪なんですか?」
「ひと言で言えば、執念、ですね。決して離れずどこまでも追い立てる。基本的に辻神でも歳神でもそれは変わらない筈です」
『影女』の頭がくん、と揺れた。きっとお辞儀をしたのだろう。そうして夕焼けの道を影だけがどこかへと向かって行った。
にゃ――ん。
影女に亡き主人の面影を見たのか。紫苑さんの胸の中で静かに見ていたクロが『影女』を見送って一度、ないた。
そして私は
歩み去る『影女』の背中に向けて呟きました。
「祟り――ここに成されたり」




