終幕
山本ヨウヘイがあの日、自分の身に起こった出来事を、友人である佐藤コウジに語り終えたところだった。
「お前も大変な目に遭ってたんだな」佐藤が言った。
「俺も冤罪で警察に捕まるとは思ってなかった」そう言うと山本はグラスに入ったワインを一気にあおる。
ふたりは佐藤宅で、午後十二時を越えてなおも酒を飲み続けていた。
「それにしてもその清水ってヤツが、まさか俺を誘拐した二人組のヤツらと繋がっていたとは思わなかったよ」
「刑事さんから詳しい話を聞かせてもらったけど、そいつらは清水の父親が経営していた工場の元従業員で、そこを辞めた後も清水からヤクを売ってもらっていたらしい」
「ヤクの売人か。とんだ悪党だなそいつ」佐藤は顔をしかめてそう言うと、山本の空いたグラスにワインを注ぐ。
「清水たちは誘拐犯を含めた六体の死体を車の不法投棄場に捨てたことは認めたが、未だに殺人と銀行強盗は否定している」
「証拠はあがっているのに往生際が悪いヤツらだ」
「金も猟銃もたまたま偶然拾っただけだと言い張っているが、銀行強盗犯が乗り捨てた車からふたりの指紋が検出されたからな。裁判で有罪を言い渡されるのは目に見えている」
「この町から危ないヤツが消えてせいせいするよ」
佐藤はそう言ってワインを口にする。都内の犯罪率を考慮して郊外にあるこの家を買ったというのに、この町にはとんでもない悪党が住み着いていたとは思わなかった。誘拐犯に銀行強盗犯とその一味。その中には女も含まれていたという。だが最終的には金の分配を巡って争いが起き、清水たちによって全員撃ち殺された。金のために平気で人を殺せるなんて、冷酷非情な極悪人。捕まってくれて本当によかった。
「なにぼーっとしているんだよ。もっと飲めよ」山本が佐藤のグラスにワインをなみなみと注ぎ込む。
「おいおい、いいのかよ。これヴィンテージ物のすごく高いワインだろ。そんなにがぶがぶ飲んだらもったいないぞ」
「いいんだよ。このくらいケチケチしないで飲めよ」
「やけに気前がいいな」
「最後くらい楽しくやろうぜ」
「ああ、わかったよ。ところで一つ気になっていたんだが、どうしてお前は銀行から預金を全額引き出したんだ?」
「それは使うために決まっているだろ」
「使うって何に?」
「いろいろさ」
「いろいろ?」佐藤は眉根にシワを寄せる。
「世の中には楽しい事がいっぱいあるだろ。それを遊び尽くすんだよ」
「どうして急にそんなことを?」
「だってもうすぐ人類は滅びるんだぜ。残された人生楽しまないと損だろ」
山本のその言葉を聞いた瞬間、佐藤は一気に酔いが覚めた。驚愕の面持ちで友人を見つめる。まさかこいつ……。
「一九九九年七の月」山本があの予言を口にする。「恐怖の大王が空から降ってくるだろう、アンゴルモワの大王を蘇らせるため、その前後の期間、マルスは幸福の名のもとに支配するだろう」そこで言葉を切ると、さみしげな表情になる。「お前も知っているだろ、ノストラダムスの予言を。人類は今月で滅亡してしまうんだ」
佐藤は開いた口が塞がらなかった。こいつもバカだったとは考えもしなかった。だが現実は非情。友人である山本ヨウスケはバカだ。
「……ヨウヘイ、お前の金はどうなった?」佐藤は恐る恐る質問する。
「湯水のごとく使いまくったさ」平然とした様子で答える。「お前も知っているだろ、今月俺が海外を飛び回っていたのを」
「……ああ、知ってる」まさかそんな目的で、旅行していたとは思ってもいなかったがな。
「ラスベガスは最高だったぜ。じゃんじゃんお金が消えていく。それが快感に感じるほどにな」
「……なんてことだ」佐藤は頭を抱える。
「だがなコウジ、いくらラスベガスとはいえ、持ち金を全部使い切れなかった。だから競馬で大穴に全額つぎ込んでやったよ」
「お前はバカか!」佐藤はテーブルを強く叩いて立ち上がる。「ノストラダムスの予言で人類が滅亡すると本気で信じているのか!」
「もちろん信じているさ。だから今月最後の三十一日ぐらいは、お前と飲もうと思って今日はここにやってきだんだよ」
山本はひどく狼狽している。どうやら佐藤がなぜ自分を怒鳴りつけているのかわからない、といった様子だ。
「どうしたんだよコウジ。そんな顔しないで楽しくやろうぜ」山本がそう言って明るく笑いかける。「陽気に生きよう、我々は必ず死ぬのだから」
「時計を見ろ」佐藤は無情な事実を告げる。「もう深夜十二時を回っている。今は八月一日。もう七月は終わったんだ」
そう言われ山本が壁に掛けてあった時計を見た瞬間、雄叫びにも似た叫び声あげて立ち上がると、両手で頭を抱えるようにしてのけぞり、そして床に膝をついた。
そんな山本を佐藤は哀れみの表情で見下ろした。そうとうショックだろうな。人類が滅びると信じて金を使い果たしたのに、その日が訪れなかったんだからな。
「わかったかバカ。ノストラダムスの予言で人類は滅んだりはしないんだよ」
山本が笑い声を漏らし始めた。「俺達生きている、生きているってすばらしい」
「ああ、生きているってすばらしいな」佐藤はあきれた口調で言う。「だがな、金もないのに今後の生活はどうするきだ」
「金ならある。それも以前よりもたくさん」
「えっ?」予想外の返答に佐藤は素っ頓狂な声をあげた。
「言っただろ。競馬で大穴に全額つぎ込んだって」満面の笑みでそう言った。
「まさか当たったのか!」
「当たったよ。そのせいでどうやって手元に増えた大金を使い切ろうか悩んでいたけど、もう時間もないし面倒くさいから使わずに取っておいたんだ」
「こいつ、なんて強運なんだ」
「生きててよかった」
佐藤と山本は信じられないといった様子でお互いの顔を見つめると、やがて苦笑するかのように笑い声を漏らし、そして楽しげに大声で笑い出す。
「お前ノストラダムス信じてたのかよバカ」佐藤がからかうようにして言った。
「悪かったな。信じていましたよ」山本は恥ずかしそうに言う。「だってあんなにテレビで特集されたら誰だって信じる」
「信じていたのはごく一部のバカだけだぜ。お前もその仲間だけどな」
「うるせえな、バカにしすぎだろ。だがおかげで大金が手に入った」
「とんでもねえ悪運だよ」
「なあコウジ、祝福の乾杯しようぜ」山本はグラスを手にした。
「いいぜ、ヨウヘイ」佐藤もグラスを手にする。
山本がグラスを掲げる。「陽気に生きよう、我々は必ず死ぬのだから」
「人間はいつか必ず死ぬ、そんなの当たり前だ」
「だったら残された人生、笑って楽しく生きようぜ」
「もちろん、そうさせてもらうよ」
グラス同士がぶつかり、軽やかな音が響くと宴が再開された。




