第二幕 第二場
「人類は今月中に滅亡する」
悲嘆にくれた様子でそう言ったのは、野口ツバサという名の男だった。彼は三十代半ばのあごひげを蓄えた男で、ノストラダムスの予言で人類滅亡すると本気で信じている。そのため仕事は半年前に辞め、その後は貯金で贅沢な生活を送っていたが、それも先月までの話。いまは金に困っていた。
「ああ、たしかにそうだな」
野口の言葉に同意したのは、彼と同年代の男で名前は今井カイセイ。今井は口ひげを生やした男で、毎日そのひげをこまめに切りそろえるマメなタイプの人間だった。そのため自分の口ひげがおしゃれだと思っており、ただ単純に口ひげを剃ってあごひげを伸ばしている野口とは格が違うと思っている。だがそれを口にするとケンカになるので、話題にしないよう気をつけていた。
そんなふたりの出会いはとある居酒屋での事だった。今井がノストラダムスの予言で人類が滅びる事に絶望し、やけ酒をしているところに声を掛けてきたのが野口だった。ふたりはすぐさま意気投合し仲良くなってしまった。理由は簡単、お互いのまわりにノストラダムスの予言を信じてくれる人がいないため、理解者を求めていたからだ。
二人はいま、東京都二十三区内にあるアパートの一室にいた。
「なあ野口、俺は悲しいんだ」今井が口ひげを撫でながら言った。「せっかくダイエーが優勝できそうだっていうのに、七月で人類の歴史は幕を閉じてしまう」
「たしかにそれは残念だよな。今シーズンのダイエーはすこぶる調子がいい。このままいけば、もしかすると優勝もありえるかもな」
「そうなんだよ。せっかく二十六年ぶりに優勝が見られるかと思っていたのに、運命は残酷だ」
「しかし今年はパリーグ盛り上がっているよな。西武からプロデビューした松坂も調子がいいし、あの『リベンジ』発言にはしびれた」
「ああ、あれはすごかったよ野口。ロッテとの試合で黒木に投げ負けたのがよほどくやしかったんだろうな。インタビューでリベンジします、と発言し、その言葉通り次の登板ではプロ初完封してしまうもんな」
「あれ以降、よくテレビとかで雑誌でリベンジって言葉をよく使われていないか?」
今井は少し考え込む。「気のせいじゃないか」
「俺の気のせいか?」野口は首を傾げる。「なんかやたら使われているような気がするんだけどな」
「もしそれが本当なら、今年の流行語はリベンジで決まりだな。でもまあ、流行語大賞が決まる前に人類は滅亡してしまうんだがな。こればっかりはしかたがない。ノストラダムスの予言が外れるわけがないからな」
「まったく残念だよ。今年のパリーグは盛り上がっているのに、もっと見ていたかったんだ。オリックス・ブルーウェーブのイチローもヒットを飛ばしまくるし、タフィ・ローズもホームランを打ちまくる。最高にエキサイティングだよ」
「やっぱパリーグ最高だよな」今井は上機嫌になる。「ちなみに俺はダイエーのファンだが、野口はどこのファンなんだ」
「もちろん巨人だよ」即答する。
「……ああ、そうか」
今井ががっくりと肩を落として落ち込むなか、野口は奥の部屋からゴルフクラブを持ってくる。
「ゴルフクラブなんて持ち出してどうしたんだ野口?」
「なあ今井、金儲けの話があるんだが乗らないか?」
野口はにんまりと口を歪ませ、怪しい手つきで自慢のあごひげをなでさすりながら、今井を勧誘する。
「金儲けの話ね」今井は少し悩むような仕草をみせた。「どうしようかな」
「乗ってこいよ今井。女に貢ぐ金に困ってるんだろ。俺も貯金が尽きて困ってる。お互いに大金手に入れて、残された人生ド派手に生きようぜ」
「わかったよ。話を聞かせてくれ」
「よしきた!」
野口は鼻歌を口ずさみながらゴルフクラブを開き、中に入っていた、いくつもの猟銃を今井に見せつける。
「銃じゃないか」今井の目は猟銃に釘付けとなる。「それもこんなにたくさん。これいったいどうしたんだ野口?」
「違う違う」鼻先で指を降った。「いったいどうしたじゃない、いったいこれで何をするかだ」
「なるほど。それじゃあ質問を変えよう。いったいこれでどうやって金儲けをするつもりなんだ?」
「ずばり銀行強盗さ!」
「ほう、そいつはおもしろい」
今井が食いついた事で、野口は気分を良くする。再び鼻歌を口ずさみながらゴルフクラブの中から二丁の猟銃を取り出すと、そのうちの一丁を今井に手渡した。
「これ本物か?」今井は猟銃をためつすがめつ観察している。
「もちろん本物さ。ちゃんと弾だってでるぜ」
「そいつはすげえ」
今井は初めてオモチャを与えられた子供のようにはしゃいでいる。その様子を野口はまるで父親のように微笑ましく見守っていた。
「どうだ今井、やる気になってくれたか」
「もちろんだよ野口。どうせ死ぬなら派手にやってやろうぜ!」今井が叫んだ。
「もしかしたら駆けつけた警官に撃ち殺されるかもしれないぞ!」野口も叫んだ。「それでもいいのか!」
「どうせノストラダムスの予言が的中して人類は滅びるんだ! 今さら死ぬなんて、そんなの怖くねえよ! まさか野口、お前怖いのか?」
「ふざけたこと言ってるんじゃねえよ! 俺が怖がるだと? バカも休み休みに言いやがれ!」
感情の高まった二人は熱い抱擁を交わす。お互いにお互いの背中を叩き、相手を褒め讃える。
「最高だぜ今井」野口が言った。「お前と知り合えた事を神様に、いや、ノストラダムスに感謝するぜ」
「それはこっちのセリフだ。誰もノストラダムスの予言を信じてくれずに、ひとりさみしく飲んでいた俺に声を掛けてくれた時はうれしかったぜ」
二人は抱擁を解くと、照れくさそうに笑った。
「それで野口、いつやるんだ」
「今日だ!」
「今日?」今井は驚いた様子だった。「急な話だな」
「今月中に人類は滅びるんだ。早ければ早い方がいいだろ」
「それもそうだな」すぐさま納得する。
「それじゃあ計画を聞いてくれ」
野口はそういうと奥の部屋に今井を誘った。そこにはテーブルの上に東京都郊外であるX市の大きな地図が広げられていた。
「郊外にあるこの銀行を狙う」野口は地図のとある場所を指差した。「なぜわざわざ遠くにあるこの銀行を狙うかと言うと、ここは銀行支店だがなんと土日でも夜の七時まで営業している。閉店間際の時間になると、人通りも少なくなるし、誰かに目撃されて通報される可能性も低くなる」
「考えたな」今井は感心したかのようにうなる。
「ただし逃げる際にはわざと車を目撃させる」
「どうして?」
「捜査をかく乱させるためだよ。警察ってのは銀行強盗が起きたとき、犯人はすぐさま現場から遠くへ逃亡するだろうと考えて検問を敷くはずだ。俺達はその裏をつく。まずさっきも言った通り、わざと乗ってきた黒い乗用車を目撃させ」そこで言葉を切ると、地図のある部分を指差した。「そしてこのホームセンターの地下駐車場に移動し、あらかじめそこに用意しておいた車に乗り換える。しかもその車は派手な真っ赤色。警察も銀行強盗が派手な車で逃亡するとは思わないだろ」
「お前、冴えてるな」
「まあね。あとはここの自動車の不法投棄場に移動するだけだ」そう言って地図のとあるポイントを指差す。「ここに捨てられている車のトランクの中に金を隠し、俺達は何事もなかったかのように検問を抜けて東京に帰る。二、三日もすれば警察は嫌でも検問を解くはずだ。そしたら金を回収して外国なりどこなり行って、バカンスを楽しむだけださ」
「お前天才!」今井は感激したように野口を見つめる。「絶対成功するよ」
「あたりまえだ。これだけ念入りに計画を練ってたんだ。失敗するはずがない」
「絶対に成功させようぜ」
「そのためにもう少し念入りに打ち合わせをしよう」
「ああ、わかったよ野口」
こうして野口と今井による銀行強盗計画が進められていく。絶対に成功するはずだ、とお互い信じて。




