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第19話 メグミはお客さんじゃない


休日の午前。


朝比奈邸の玄関扉が開いた。


「おはよー」


相沢メグミは、いつもの調子で靴を脱いだ。


《メグミ様、おかえりなさいませ》


「ただいまー」


リビングからユウトの声が飛んでくる。


「メグミ、来た?」


「来たよ」


「麦茶ある?」


「いきなり?」


「冷蔵庫」


「自分で取りなよ!」


言いながらも、メグミはそのままキッチンへ向かう。


冷蔵庫を開けた。


「麦茶、もう少ししかないじゃん」


「え?」


「後で作っときなよ」


「分かった」


「返事だけはいい」


メグミは自分の分だけグラスへ注ぐ。


ユウトが振り返った。


「俺のは?」


「自分で取って」


「今そこまで行ったじゃん」


「だから何?」


そのやり取りを、サッちゃんが少し離れた場所から見ていた。


「……」


ユウトが気づく。


「どうした?」


「いえっ!」


サッちゃんは首を振る。


「いつも通りですっ!」


「何が?」


「朝比奈邸の日常です!」


「まあ、そうだけど」


その時。


玄関のチャイムが鳴った。


《来訪者を確認。設備点検業者です》


「あ、今日だったな」


先週から調子の悪かった廊下のセンサー照明を確認してもらう予定だった。


ユウトが立ち上がるより先に、メグミが玄関へ向かう。


「私出るよ」


「お願い」


扉を開ける。


作業服姿の男性が頭を下げた。


「お世話になっております。点検に伺いました」


「はい、どうぞ」


メグミが中へ通そうとしたところで、男性が確認する。


「ご家族の方でしょうか?」


「え?」


一瞬。


メグミが止まった。


「あ、違います」


すぐに笑う。


「幼なじみです」


「失礼しました」


「いえいえ」


それだけだった。


作業員をユウトへ引き継ぎ、メグミはリビングへ戻る。


サッちゃんが近づいてきた。


「メグミ様」


「ん?」


「先ほど、ご家族ではないと」


「うん。違うよ?」


「そうなのですね」


「そうなのです」


サッちゃんが少し考える。


「ですがKAINは、“おかえりなさいませ”と言います」


メグミは天井を見る。


「それはKAINに聞いてみて」


《メグミ様は準常駐者として登録されています》


即答だった。


メグミが顔をしかめる。


「聞くんじゃなかった」


◆


昼前。


点検業者が帰ったあと。


サッちゃんが突然、手を叩いた。


「決めましたっ!」


ユウトが嫌な予感を覚える。


「何を?」


「本日は、メグミ様を正式なお客様としておもてなしします!」


メグミが麦茶を飲む手を止めた。


「……なんで?」


「日頃、大変お世話になっていますので!」


「別にいいよ」


「いけません!」


「なんで」


サッちゃんは胸を張った。


「今まで、メグミ様をきちんとおもてなししたことがありません!」


「そりゃ私、勝手に来てるし」


「だからこそですっ!」


リナがキッチンから顔を出した。


「悪くないわね」


「リナさんまで」


「客人への対応はメイドの基本よ」


「本職二人が組むと怖いんだけど」


そこへミナミが階段から顔を出す。


「あたし、居候初日にそんな待遇されなかったけど」


ユウトが即答する。


「ミナミは玄関で“泊めて”って言ったから」


「差別だ」


「条件が違う」


ノアも静かに現れた。


「来客対応であれば補助可能です」


メグミが周囲を見る。


「……嫌な予感しかしない」


◆


数分後。


メグミはソファの中央へ座らされていた。


紅茶。


菓子。


背中にはクッション。


鞄はノアが預かっている。


サッちゃんは真正面。


リナは隣。


二人とも完璧な待機姿勢だった。


メグミが紅茶へ手を伸ばす。


サッちゃんが反応する。


「お砂糖はいかがですかっ!」


「大丈夫」


カップを置く。


リナが問う。


「おかわりは?」


「まだ一口しか飲んでないよ」


少し姿勢を変える。


ノアがクッションの位置を直す。


「ありがとうございます」


「ありがとう……」


三人が再び静かに待つ。


メグミは数秒耐えた。


「……サッちゃん」


「はいっ!」


「私、入院した?」


「していませんっ!」


「じゃあ普通にして」


ユウトが向かいのソファで笑っている。


「せっかくなんだから楽しめば?」


メグミが睨む。


「じゃあ交代する?」


「遠慮します」


「ずるい」


その時。


ユウトが冷蔵庫を指さした。


「メグミ、麦茶取って」


サッちゃんが振り返る。


「ご主人様! お客様にそのような――」


「はいはい」


メグミは立ち上がった。


冷蔵庫を開ける。


ユウトのグラスへ注ぐ。


テーブルへ置く。


「ほら」


「ありがと」


「次は自分でね」


「はい」


その数秒だけ。


メグミの肩から力が抜けていた。


サッちゃんが、それを見る。


◆


昼食後。


メグミは流し台の前に立っていた。


「メグミ様!」


サッちゃんが飛んでくる。


「食器はわたしが洗いますっ!」


「いいよ。これくらい」


「ですが!」


「いつもやってるし」


サッちゃんが止まった。


「……いつも?」


「うん」


メグミは皿をすすぐ。


ユウトがタオルを持って隣へ来た。


「俺も拭く」


「珍しい」


「一応俺の家だから」


「だったら普段からやって」


「はい」


サッちゃんは二人を見る。


「昔から、こうなのですか?」


メグミがユウトを見る。


「まあね」


「どれくらい前から?」


「おばさんが亡くなった後くらいかな」


ユウトの手が、一瞬だけ止まる。


メグミはそれ以上重くしなかった。


「ユウト、ちゃんと食べてるか怪しかったから」


「食べてたよ」


「カップ麺は料理じゃない」


「料理とは言ってない」


「冷蔵庫に飲み物しかない時もあったし」


「昔の話だろ」


「洗濯物ためてた」


「それ言う必要ある?」


「部屋は今もたまに汚い」


「現在進行形!?」


メグミが笑う。


ユウトは苦い顔をした。


サッちゃんは黙って聞いていた。


「メグミ様は」


「ん?」


「ずっと、ご主人様の様子を見に来ていたのですね」


「ずっとってほどじゃないよ」


メグミは皿をすすぐ。


「近所だったし。幼なじみだし」


「でも」


サッちゃんの声が、少しだけ静かになる。


「一人にしなかったのでしょう?」


メグミの手が止まる。


水の音だけが流れた。


「……まあ」


少し照れたように笑う。


「放っとくと危なかったから」


「おい」


「本当でしょ?」


「否定しづらいけど」


サッちゃんも笑った。


「メグミ様も、ご主人様を守っていたのですね」


「そんな大げさな」


「でも、一人にしなかったのでしょう?」


同じ言葉を、今度は笑顔で繰り返す。


メグミは少しだけ困った顔をした。


「……そういうことにしとく?」


「はいっ!」


◆


午後。


三人でリビングへ戻る。


サッちゃんが宣言した。


「メグミ様をお客様として扱う計画は中止します!」


メグミが拍手する。


「やった」


「しかし!」


「まだあるの?」


「メグミ様は、お客様ではありません」


「うん」


「では、何でしょうか」


メグミが首を傾げる。


「幼なじみ?」


「それは関係性です」


「じゃあ何?」


サッちゃんは腕を組んだ。


かなり真剣に考えている。


ユウトが言う。


「別に決めなくていいだろ」


「ですが!」


「メグミはメグミだし」


「雑だなあ」


メグミが笑う。


その時。


サッちゃんが顔を上げた。


「分かりました!」


嫌な予感。


「メグミ様は――」


一拍。


「いつもの人ですっ!」


沈黙。


メグミが瞬きをする。


「……何それ」


ユウトが吹き出した。


「雑だな」


「ですが、しっくりきます!」


サッちゃんは大真面目だった。


メグミはしばらく彼女を見る。


そして、少し笑った。


「……まあ、いいか」


「はいっ!」


◆


少しして。


話題は昔のユウトへ移った。


きっかけは、メグミが棚の奥から古いゲームソフトを見つけたことだった。


「あ、これまだ持ってるんだ」


「懐かしいな」


「ユウト、これ負けるとすぐ電源切ってたよね」


「切ってない」


「切ってた」


「記憶違い」


「小学生の時、泣いたくせに」


「それは言うな!」


サッちゃんが目を丸くする。


「ご主人様が、泣いたのですか?」


「サッちゃん、そこ食いつかなくていい」


「詳細を!」


「聞かなくていい!」


メグミが楽しそうに笑っている。


サッちゃんも笑った。


ただ。


その笑顔が、ほんの少しだけ止まる。


メグミは気づいた。


「サッちゃん」


「はい?」


「気になる?」


「何がでしょう」


「昔のユウト」


サッちゃんが少し迷った。


「……はい」


珍しく、素直だった。


「わたしの知らないご主人様が、たくさんいるのですね」


メグミはすぐには答えなかった。


一瞬だけ。


ユウトを見る。


小学生の頃から知っている顔。


泣いた顔も。


怒った顔も。


一人になった頃の顔も。


それから、サッちゃんへ視線を戻した。


「……これから知ればいいじゃん」


サッちゃんが瞬きをする。


「これから?」


「うん」


メグミはユウトを指さす。


「こいつ、まだ十七だよ?」


「こいつって言うな」


「これからの方が長いでしょ」


サッちゃんはユウトを見る。


ユウトも、少し気まずそうにサッちゃんを見る。


数秒。


サッちゃんの顔が明るくなった。


「はいっ!」


メグミは、それ以上何も言わなかった。


◆


夕方。


雨も上がった。


「じゃあ帰るね」


メグミが玄関で靴を履く。


「傘持ってる?」


「あるよ」


「忘れ物は?」


「ない」


「じゃあ、また学校で」


「うん」


メグミが扉へ手を伸ばす。


その時。


《メグミ様》


KAINの声。


「何?」


《いってらっしゃいませ》


メグミの手が止まった。


「……いってらっしゃい?」


《はい》


「私、帰るんだけど」


《承知しております》


ユウトが眉をひそめる。


「普通、“お気をつけて”じゃない?」


《メグミ様は準常駐者です》


メグミが笑う。


「またそれ?」


《“おかえりなさいませ”“いってらっしゃいませ”が最も適切と判断しました》


後ろからサッちゃんが言う。


「メグミ様は、いつもの人ですからっ!」


「その分類まだ生きてたの?」


「はいっ!」


メグミは玄関の外へ出た。


一度だけ振り返る。


ユウト。


サッちゃん。


その向こうにいる、いつもの朝比奈邸の面々。


少しだけ笑う。


「じゃ」


手を上げる。


「行ってきます」


《いってらっしゃいませ》


扉が閉まった。


ユウトはしばらく玄関を見ていた。


「……帰るのに、“行ってきます”って変じゃない?」


サッちゃんが首を傾げる。


「そうでしょうか?」


ユウトは少しだけ笑った。


「……まあ、いいか」


「はいっ!」

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