第18話 朝比奈邸、停電中
夕方から降り始めた雨は、夜になる頃にはすっかり本降りになっていた。
窓の向こうで、白い光が一瞬だけ空を裂く。
少し遅れて、轟音。
「うわっ」
ソファに座っていたユウトが肩を揺らした。
その直後。
ぱちん。
朝比奈邸の照明が、すべて消えた。
「……」
真っ暗になったリビング。
数秒の沈黙。
ユウトが口を開く。
「ミナミ」
「なんで!?」
暗闇の向こうから即座に声が返ってきた。
「まだ何もしてないから!」
「“まだ”?」
リナの冷たい声。
「言葉の綾!」
次の瞬間、壁際の非常灯が淡く灯った。
いつもの明るさには程遠い。
薄暗い橙色の光が、リビングだけをぼんやり照らす。
《外部電源の供給停止を確認しました》
KAINの声が響いた。
《非常電源運用へ移行します。防犯、通信、生命維持関連設備を優先し、照明、空調、娯楽設備の大部分を停止します》
「原因は?」
ユウトが聞く。
《周辺地域で落雷による停電が発生しています》
ミナミが両手を広げる。
「ほら!」
《なお、今回の停電にミナミ様の関与は確認されていません》
「ほらぁ!」
ユウトは思わず笑った。
「KAINに無罪証明してもらう生活ってどうなんだよ」
「信用って積み重ねだからね」
「積み重ねた結果がそれなんだよ」
◆
「ご主人様、動かないでくださいっ!」
突然、サッちゃんがユウトの前へ出た。
「なんで」
「暗所は奇襲に最適です!」
「停電だよ」
「停電を利用した襲撃の可能性もあります!」
「誰がうちを襲うんだよ」
サッちゃんは真剣だった。
そして真剣なまま、ユウトのすぐ前に立っている。
近い。
「サッちゃん」
「はいっ!」
「大丈夫だから」
「念のためです!」
「何の念だよ」
その時、ユウトはあることに気づいた。
「……ノア?」
返事がない。
「ノア?」
もう一度。
背後から声がした。
「ここにいます」
「うわっ!」
振り返る。
すぐ後ろにノアがいた。
「いつからそこに!?」
「停電直後からです」
「全然気づかなかった!」
「暗所では気配を抑える習慣が」
「暗い時くらい存在感出して!」
「了解しました」
ノアは少し考えた。
「……ここにいます」
「今から言われても遅い!」
メグミが吹き出した。
「ノアちゃん、暗くなるといつも以上に強いね」
「暗所活動は得意分野です」
「そういう問題かなあ」
今日は雨がひどくなる前からメグミも朝比奈邸へ来ていた。
夕食を一緒に食べて帰る予定だったが、外はすでに土砂降り。
しばらく帰れそうにない。
「懐中電灯を持ってきたわ」
リナが廊下から戻ってきた。
片手に大型の懐中電灯。
もう片方には、丸いウサギクッション。
ユウトが見る。
リナも見る。
「……何?」
「いや」
「非常時には精神的安定も必要よ」
「何も聞いてないけど」
「そう」
リナはウサギクッションを脇へ抱えたまま、懐中電灯をテーブルへ置いた。
さらに、保温ポットとカップまで並べる。
ユウトが目を丸くした。
「なんでお湯まであるの?」
「保温ポットよ」
ミナミが感心したように言う。
「停電より強いな、この人」
「備えは重要よ」
サッちゃんが力強く頷いた。
「さすがリナですっ!」
「あなたはまず前から退きなさい」
「ですがご主人様の護衛が!」
「停電よ」
「停電です!」
「だから何よ」
押し問答が始まった。
◆
ミナミがタブレットを片手に廊下から戻ってきた。
「非常電源は問題なし。KAINも生きてるし、防犯システムも動いてる」
「復旧は?」
「外の設備次第かな。早ければ一時間。長ければ二、三時間」
ユウトが眉を上げた。
「ミナミでも直せないの?」
「電力会社の設備まであたしに直せって?」
「なんかできそうだから怖いんだよ」
「やろうと思えば――」
リナが見る。
「やらないよ?」
「まだ何も言ってないわ」
「先に言っとこうと思って」
KAINが淡々と告げる。
《地下研究室への電力供給も制限しています》
「えっ」
ミナミが固まった。
《研究設備の一部は停止中です》
「そんな……!」
「そこが一番ショックなんだ」
ユウトは呆れた。
「テレビは?」
メグミがリモコンを押す。
反応なし。
「ゲーム機も無理だね」
「Wi-Fiも制限かかってる」
ミナミが確認する。
リビングに沈黙が落ちた。
雨音。
雷。
薄暗い非常灯。
やることがない。
メグミがぽんと手を叩いた。
「じゃあ、何かしよっか」
サッちゃんが顔を上げる。
「何をしましょう!」
ノアも反応した。
「停電時避難訓練でしょうか」
「遊ぶの」
「……遊び」
ノアが少しだけ考える。
メグミは棚を探した。
「あった」
取り出したのは、一組のトランプだった。
ユウトが嫌な予感を覚える。
「全員で?」
「全員で」
サッちゃんが目を輝かせた。
「カードを使用した競技ですねっ!」
「その言い方すると一気に危ない」
◆
最初に始めたのは、ババ抜きだった。
「ルールは理解しましたっ!」
サッちゃんは自信満々だった。
「同じ数字を揃えて捨て、最後までジョーカーを保持していた者が敗北!」
「そう」
「単純ですっ!」
五分後。
サッちゃんは明らかにジョーカーを持っていた。
口元が引きつり、視線が泳ぎ、一枚だけ妙に奥へ隠している。
ノアがじっと見る。
「右端のカードを引く確率が最も――」
「分析禁止!」
メグミが即座に止めた。
リナがウサギクッションを抱いたまま、淡々と言う。
「分析しなくても分かるわ」
「何がでしょうか!」
サッちゃんだけが必死だった。
その隙に、ミナミがカードを一枚袖口へ滑らせる。
「ミナミ」
メグミが見る。
「何?」
「袖」
「……」
「戻して」
「はい」
ユウトが頭を抱える。
「普通にやれよ!」
「こういうのは普通にやればいいんだって」
メグミが笑う。
サッちゃんが力強く言った。
「普通が最難関ですっ!」
「そこで胸張らないで」
結局。
一回目の勝者はメグミ。
二回目もメグミ。
三回目も。
「なんでメグミが一番強いんだよ」
「みんな考えすぎなんだよ」
「普通にやってるだけ?」
「普通にやってるだけ」
サッちゃんが悔しそうにカードを見る。
「普通……恐るべしですっ!」
「敵みたいに言わない」
◆
大きな雷が鳴った。
どん、と窓が震える。
その瞬間。
ぎゅっ。
ユウトの腕に何かが触れた。
見る。
サッちゃんの手。
しっかりつかんでいた。
「……サッちゃん?」
「はいっ!」
声が少し高い。
「雷、苦手?」
「いいえっ!」
「今つかんだよね」
「ご主人様の安全確認ですっ!」
「俺、一歩も動いてないけど」
「突然の大音量による身体反応を確認しました!」
「俺の?」
「……はいっ!」
もう一度。
ごろごろ。
今度は小さな雷。
サッちゃんの指に少し力が入った。
ユウトは見なかったことにした。
「まあ、確認終わったならいいけど」
「はい」
それでも。
手はすぐには離れなかった。
向かいのメグミが何か言いたそうな顔をしたが。
ユウトが目で止める。
メグミは口元だけで笑った。
◆
しばらくして。
カード遊びも一段落した。
誰かが「次は何をする」と言うでもなく、全員そのままリビングに残っていた。
リナはソファでウサギクッションを抱えている。
ノアの横には、あの忍者猫のぬいぐるみが置かれていた。
ミナミは床に座り、使えない工具を意味もなくいじっている。
メグミはソファにもたれ、雨の音を聞いていた。
サッちゃんは。
いつの間にか、ユウトの隣に座っている。
停電した直後は「護衛距離ですっ」と言っていた。
今は、もう何も言わない。
ユウトも。
何も言わなかった。
雨音だけが続く。
いつもなら明るいリビング。
テレビの音。
KAINの案内。
家電の動作音。
全部なくなっている。
それなのに。
「なんか」
ユウトがつぶやいた。
メグミが見る。
「ん?」
「停電って感じしないな」
「暗いけど?」
「そうじゃなくて」
ユウトが言葉を探していると。
隣から、サッちゃんが小さく言った。
「みんな、いますからね」
ユウトは横を見る。
サッちゃんは、いつものように笑っていた。
それだけだった。
でも。
ユウトには、それで十分だった。
昔だったら。
この家の灯りが消えたら。
きっと、本当に静かだった。
今は。
笑い声がある。
誰かの気配がある。
同じ部屋に、何人もいる。
ユウトは少しだけ笑った。
「……そうだな」
短い沈黙。
その余韻を壊すように、ミナミが床から顔を上げた。
「ねえユウト。今、やたら騒がしい人間もいるとか思った?」
「思ってない!」
「反応早っ」
「勝手に心を読むな!」
リナがため息をついた。
「静かな時間は三十秒も続かないのね」
「それが朝比奈邸ですっ!」
サッちゃんが胸を張る。
ユウトは笑った。
「まあ、そうかもな」
◆
ぱっ。
突然。
照明が戻った。
「うわ、まぶしっ」
全員が目を細める。
《外部電源の復旧を確認しました》
KAINの声。
《通常運用へ移行します》
空調が動き出す。
テレビの待機灯がつく。
家が、いつもの朝比奈邸へ戻っていく。
誰かが立ち上がるかと思った。
でも。
誰も動かなかった。
サッちゃんが手元のカードを見る。
「続きをしますか?」
リナがカードを整える。
「まだ勝負は終わっていないわ」
ノアが静かに言う。
「再戦を希望します」
ミナミが笑う。
「今度こそ勝てる気がする」
メグミが即座に返す。
「さっきも言ってたよ、それ」
ユウトはカードを受け取った。
「じゃあ、もう一回」
一拍。
KAINの声。
《照明を再び消灯しましょうか》
全員の声が重なった。
「それはいい」
雨の音に。
また笑い声が混ざった。




