第14話 相合傘は護衛任務です
放課後。
六時間目の終了を告げるチャイムが鳴る頃には、窓の外はすっかり灰色になっていた。昼までは晴れていたはずなのに、校舎の窓を細かい雨粒が叩いている。
「うわ……」
ユウトは昇降口で立ち止まった。傘立てには色とりどりの傘が並んでいる。当然、その中に自分のものはない。
朝、天気予報を見なかった。
「……結構降ってるな」
駅まで行くだけでも、かなり濡れる。
さて、どうするか。
そう考えたところで。
「ご主人様ーっ!」
雨音の向こうから、よく通る声が聞こえた。
校門の前。黒と白のメイド服姿で、大きく手を振っているサッちゃんがいる。片手には黒い傘。
「……やっぱり来た」
「お迎えに参りましたっ!」
「ありがとう。助かった」
ユウトが駆け寄ると、サッちゃんは満足そうに胸を張った。
「十六時十三分、降雨を確認! ご主人様が傘を所持していない可能性を考慮し、雨天時帰還支援へ移行しましたっ!」
「普通に『傘持ってきた』でいいよ」
「傘を持ってきましたっ!」
「そう、それでいい」
少しは学習したらしい。
ユウトはサッちゃんの手元を見る。
「……傘、一個?」
「はいっ!」
「サッちゃんのは?」
「こちらですっ!」
「それ一本じゃん」
サッちゃんが傘を見る。ユウトを見る。
「一本ですっ!」
「確認しなくても分かるよ」
理由を聞くと、朝比奈邸の傘をミナミが試作に使ったらしい。
「自動乾燥機能ですっ!」
「傘に?」
「はい!」
「なんで?」
「『濡れた傘を乾かす手間から人類を解放する』と言っていましたっ!」
「壮大に言えばいいってもんじゃないだろ」
結果、二本が開閉不能。一 本が温風機能だけ暴走。残った普通の傘が、これだった。
「普通の傘って大事なんだな……」
ユウトはしみじみ言った。
◆
「では、ご主人様がお使いください!」
サッちゃんが傘を差し出す。
ユウトは受け取らなかった。
「サッちゃんは?」
「わたしは問題ありませんっ!」
「濡れるだろ」
「耐水性には自信があります!」
「そういう問題じゃない」
「では、ご主人様の後方二メートルを追従しますっ!」
「それただの雨ざらしだから」
サッちゃんは少し考えた。
「……では三メートル?」
「離れるなって意味じゃない」
ユウトは傘を開いた。
「一緒に入ればいいだろ」
サッちゃんが瞬きをする。
「一緒に?」
「傘一本なんだから」
「……了解しましたっ!」
ユウトが傘を持ち、サッちゃんが隣へ入る。
肩が触れた。
「近っ」
思わず声が出た。
サッちゃんは即座に一歩離れる。今度は傘の外に半分出た。
「離れすぎ!」
「近いとご指摘が!」
「極端なんだよ!」
再び引き寄せる。肩がぎりぎり触れるくらい。
サッちゃんは傘の内側を見上げた。
「有効範囲を考えると、もう四・二センチ接近した方が――」
「数字で相合傘するな」
「相合傘?」
「あ」
「二名で一本の傘を使用する行為ですか?」
「まあ、そう」
「なるほど!」
納得したらしい。
そしてサッちゃんは真剣な顔で言った。
「では、効率のよい相合傘を実施しますっ!」
「そういう競技じゃないから!」
◆
歩き始めて五分ほど。
サッちゃんは妙におとなしかった。
ユウトは横を見る。金色の髪が、傘の縁のすぐ下で揺れている。
「サッちゃん」
「はいっ!」
びくっとした。
「さっきから静かだけど」
「異常ありませんっ!」
「異常がある人の返事なんだよな、それ」
見ると、サッちゃんの右肩が傘から少しはみ出していた。黒い布地に雨粒が付いている。
「濡れてるじゃん」
「これくらい問題ありません!」
「あるって」
ユウトは足を止め、サッちゃんの腕をつかんだ。
「え?」
そのまま自分の方へ引き寄せる。
肩が触れた。腕も触れる。
ほんの少し顔を横へ向ければ、サッちゃんの横顔がすぐ近くにある。
「……ご主人様」
「何?」
「近いです」
「さっき俺が言ったやつじゃん」
「はい」
「濡れるよりいいだろ」
「はい」
返事だけは素直だった。
ただ、いつもの元気さがない。
「大丈夫?」
「大丈夫です」
「ほんとに?」
サッちゃんは少し迷った。
「……少しだけ、落ち着きません」
「狭いから?」
すぐには答えなかった。
肩と肩が触れたまま、二人は歩く。
「たぶん、それだけではありません」
雨音が、妙に大きく聞こえた。
少しして、サッちゃんが小声で付け足す。
「脈拍も少し速いです」
「自分で実況しなくていいから」
「ですが状況把握は重要ですっ!」
「その状況は把握しなくていい」
サッちゃんが少しだけ笑った。
その笑顔に、ユウトも肩の力が抜けた。
◆
交差点の手前。
信号が赤になり、二人は立ち止まった。雨は少し強くなっている。
ユウトは傘をサッちゃん側へ傾けた。
「ご主人様」
「何?」
「傘がそちらへ不足しています」
「俺はいいよ」
「よくありません」
「サッちゃんこそさっき濡れてたじゃん」
傘を戻そうとするサッちゃん。押し返すユウト。
「ご主人様側です!」
「サッちゃん側!」
「ご主人様ですっ!」
「頑固だな!」
「護衛ですからっ!」
その時。
サッちゃんの表情が変わった。
視線がユウトの後方へ走る。
「ご主人様!」
「え?」
次の瞬間、強く腕を引かれた。
身体がサッちゃん側へ傾く。
直後、大型車が目の前の水たまりを通り抜けた。盛大な水しぶきが歩道の端へ飛んでくる。
ユウトが目を閉じる。
数秒。
何も当たらない。
恐る恐る目を開けると、視界のほとんどが黒と白だった。
サッちゃんに抱き込まれていた。
ユウトの頭を庇うように片腕を回し、自分の身体を盾にしている。
「……サッちゃん」
「はい」
「水、避けられた」
「はいっ」
「ありがとう」
「当然ですっ!」
元気な返事。
しかし、離れない。
「……もう大丈夫だよ」
「はい」
「サッちゃん?」
「はい」
「離してもらっていい?」
「――っ!」
ぱっと離れる。
「申し訳ありませんっ!」
「いや、謝らなくていいけど」
「緊急回避行動でしたっ!」
「分かってる」
「護衛行動ですっ!」
「それも分かってる」
「他意はありませんっ!」
「そこまで聞いてない!」
サッちゃんの顔が赤い。
ユウトもたぶん似たようなものだった。
信号が青になる。
「……行こうか」
「はいっ!」
二人は並んで歩き出した。
三歩。
四歩。
少し空いた距離は、雨に押されるようにまた縮まった。
◆
朝比奈邸までは、まだ少しある。
二人は傘の下を歩き続けた。
サッちゃんはさっきより静かだった。ユウトも同じだった。
何となく横を見る。
雨で少し濡れた金髪。いつもより静かな横顔。
「……」
「ご主人様?」
見ていたことに気づかれた。
「いや」
ユウトは前を向く。
「近いなと思って」
サッちゃんが肩を少し動かした。
「では、離れますか?」
一歩外へ出ようとする。
ユウトは反射的に止めた。
「いや」
「はい?」
一拍。
「……このままでいい」
サッちゃんが目を見開く。
ほんの一瞬だけ。
「了解しました」
いつもの「っ」がなかった。
雨音の中、肩だけはずっと触れたままだった。
◆
朝比奈邸へ着く。
ユウトが傘を閉じると、ばさりと雨粒が落ちた。
同時に、さっきまで近かった距離が元に戻る。
「到着しましたっ!」
サッちゃんがいつもの調子へ戻る。
「雨天時帰還支援、完了です!」
「だから普通に迎えって言おうよ」
「お迎え完了ですっ!」
「うん。ありがとう」
サッちゃんは笑った。
ユウトが玄関を開けようとした時。
「ご主人様」
「ん?」
振り返る。
サッちゃんは閉じた傘を見ていた。
「……もう少し」
「うん?」
「雨でも、よかったですね」
ユウトが止まる。
「え?」
サッちゃんの顔が一気に赤くなった。
「なんでもありませんっ!」
「いや、今――」
「何も言っていませんっ!」
《補足》
玄関上部のスピーカーから、KAINの声が響いた。
《明日の降水確率は十パーセントです》
「KAIN!」
《はい》
「聞いていませんっ!」
サッちゃんはそのまま玄関の中へ逃げていく。
ユウトは濡れた傘を見た。
「……もう少し、か」
少しだけ笑った。




