第1話 遺言と爆誕
朝比奈ユウトの家は、広い。
広い、というより、広すぎる。
高校生が一人で暮らすには、明らかに持て余す大きさだった。玄関ホールはちょっとしたホテルみたいで、廊下は無駄に長い。階段は左右に分かれていて、掃除をするだけで軽く一日が終わる。
もっとも、掃除はユウトがしているわけではない。
《ユウト様。夕食予定時刻を三十四分超過しています》
天井付近のスピーカーから、落ち着いた男性の声が響いた。
屋敷管理AI、KAIN。
父が遺した、この家のもう一人の住人のようなものだ。
「わかってる。今、行く」
ユウトはリビングのソファから立ち上がった。
朝比奈家は、金だけはあった。父・総一郎はかなりの資産家で、仕事で家を空けることも多かった。母はユウトが小さいころに病気で亡くなり、父も少し前にこの世を去った。
残されたのは、財産と、広すぎる屋敷と、KAIN。
困ることは少ない。
けれど、困らないことと、寂しくないことは別だった。
「……静かすぎるんだよな、この家」
《音楽再生を開始しますか》
「そういう意味じゃない」
ユウトが苦笑した、その時だった。
リビングのテーブルの上に置いたままの小さなUSBメモリが目に入った。
父の遺品整理をしていた時に見つけたものだ。ラベルには、父の字でこう書かれていた。
『ユウトへ。見たらたぶん驚く。父より』
「……嫌な予感しかしない」
ユウトはしばらく迷ったあと、ノートパソコンにUSBを差し込んだ。
画面が暗転し、すぐに父の顔が映る。
『ユウト。これを見ているということは、私はもうそこにいないのだろう』
「重い始まりだな……」
『まず謝っておく。お前には、ずいぶん寂しい思いをさせた』
ユウトは何も言わなかった。
画面の中の父は、少しだけ困ったように笑っていた。
『財産も屋敷も残した。KAINもいる。だが、金と建物だけでは足りないものがある。この家には、人が必要だ』
「人……?」
『そこで、最高のメイドを手配した』
「メイド?」
ユウトが思わず聞き返した瞬間、KAINの声が重なった。
《正門に車両接近。識別信号、ABEL》
「ABEL?」
《車両AIです。朝比奈総一郎様の事前登録データと一致》
父の映像は、まだ続いている。
『掃除、洗濯、料理、護衛、緊急脱出、制圧、潜入、その他いろいろ。きっとお前の生活を支えてくれる』
「途中から家事じゃなくなったぞ」
《正門、開放します》
「待て、KAIN。俺、まだ何も許可してない」
《総一郎様の生前設定により、承認済みです》
「父さん!」
その瞬間、屋敷の外からタイヤの音が聞こえた。
そして、数秒後。
《ABELより通信》
スピーカーから、今度は少し軽い声が響いた。
《サッちゃんを予定通り搬送しました》
「サッちゃん?」
《なお、同乗者が最短接触経路を選択しました》
「最短接触経路?」
ユウトが天井を見上げた。
次の瞬間。
ドゴォンッ!
リビングの天井が爆発したように砕けた。
「うわあああああっ!」
白い粉塵が舞い、天井板の破片が降り注ぐ。
その中心に、金髪のメイドが片膝をついて着地していた。
少女と呼ぶには少し大人びていて、大人と呼ぶにはどこかまっすぐすぎる。
長い金髪が粉塵の中で揺れ、澄んだ青い瞳がまっすぐユウトを見上げていた。
黒を基調にした戦闘的なメイド服。白いエプロン。白いヘッドドレス。指抜きグローブに、頑丈そうなブーツ。
彼女は勢いよく立ち上がると、胸に手を当てて言った。
「本日より朝比奈家配属となりました、サッちゃんですっ!」
「天井から来るな!」
「最短接触経路ですっ!」
「玄関があるだろ!」
「玄関ルートは三十二秒の遅延が発生しますっ!」
「三十二秒くらい我慢してくれ!」
サッちゃんと名乗った金髪のメイドは、粉まみれのリビングの中央で、実に誇らしげに立っていた。
《リビング天井損傷率二十三パーセント》
「二十三で済むのかこれ!」
《登録名、サッちゃん。朝比奈邸常駐メイドとして登録完了》
「勝手に登録するな!」
ユウトが叫ぶ横で、父の映像が淡々と続いている。
『彼女は少しだけ個性的だが、腕は確かだ』
「少しだけじゃない!」
「ご主人様」
サッちゃんがまっすぐユウトを見た。
「掃除、洗濯、料理、護衛、制圧、爆破、潜入、アイロンがけまで、何でもお申し付けくださいっ!」
「爆破と潜入を家事に混ぜるな」
「必要に応じて契約書をご確認くださいっ!」
サッちゃんは腰のポーチから、分厚い書類ホルダーを取り出した。
「朝比奈家専属メイド契約書、全四百二十七条ですっ!」
「多い!」
「重要事項ですっ!」
「アイロンがけに四百条も必要か?」
「車両AIとの連携、屋敷管理AIとの情報共有、緊急時の退避経路確保、寝室周辺警戒範囲、食事中の毒物検査などが含まれますっ!」
「俺の生活、思ったより危険扱いされてるな」
画面の中の父が、最後に少し真面目な顔になった。
『ユウト。彼女はお前に必要な子だ。だが、もしかしたら、お前も彼女に必要なものを与えられるかもしれない』
ユウトは、思わず黙った。
『頼んだぞ、ユウト』
映像はそこで終わった。
静かなリビング。
いや、正確には、天井に穴が空き、床に瓦礫が散らばり、金髪の戦闘メイドが直立しているリビング。
ユウトは深く息を吐いた。
「……ええと。つまり、今日からここで働くってことか」
「はいっ! 朝比奈邸を、ご主人様の安全な拠点として維持しますっ!」
「拠点って言うな。家だ」
「家」
サッちゃんは、その言葉を確かめるように繰り返した。
「朝比奈邸を、ご主人様の安全な家として維持しますっ!」
「まあ……その方がまだいい」
ユウトは一歩踏み出した。
その時、足元の契約書ホルダーに引っかかった。
「うおっ」
倒れる、と思った瞬間。
サッちゃんが一瞬で距離を詰め、ユウトの肩と背中を支えていた。
速い。
けれど、乱暴ではない。
「危険確認。ご主人様、負傷はありませんかっ?」
間近にある青い瞳は、驚くほど真剣だった。
「……ない。ありがとう」
「ご無事で何よりですっ!」
「危険を作ったの、サッちゃんだけどな」
「改善しますっ!」
《ABELより補足通信》
スピーカーが再び鳴った。
《着地成功と訪問成功は同義ではありません》
「車のAIが一番まともなこと言ってる!」
サッちゃんはきりっと胸を張った。
「次回からは、天井強度を確認してから進入しますっ!」
「次回も天井から来る気か!」
《KAINより提案。修繕業者の手配を開始します》
「頼む。あと、夕飯も……」
「ご安心くださいっ!」
サッちゃんが勢いよく振り返る。
「ご主人様の夕食補給任務、ただちに開始しますっ!」
「夕飯を補給任務って言うな!」
ユウトは頭を抱えた。
父が遺したもの。
広すぎる屋敷。屋敷管理AI。謎の車両AI。
そして、天井から降ってきた最強メイド。
「俺の静かな生活、終わったな」
「はいっ! にぎやかな生活へ移行しますっ!」
「そこは否定してほしかった」
広すぎる屋敷に、誰かの足音が増えた。
それは、たしかに騒がしかった。
けれど、さっきまでの静けさとは、どこか違っていた。
朝比奈邸の静かな夜は、もう戻ってこない。
天井から降ってきた一人のメイドによって、ものすごく騒がしくなったのだから。




