第1話 鳥の贈り物
朝の光が窓から差し込むと、木くずの匂いが部屋いっぱいに広がっていた。
「もうすぐできるぞ」
父さんは椅子に座ったまま、小さなナイフで木片を削っていた。左足を投げ出すような姿勢は、去年の秋に膝を痛めてからの癖だ。走ることはもうできないと母さんは言っていたけれど、父さんは畑仕事だけは休まなかった。
「鳥、だよね」
「ああ。お前が羽を広げた鳥が好きだって言ったから」
僕はその横にしゃがみ込んで、削られていく木の形を見ていた。まだ翼の部分は角ばっていて、鳥というより四角い塊に近い。それでも父さんの手つきは迷いがなくて、少しずつ、少しずつ、形になっていくのがわかった。
「今日中には終わらせる」
「急がなくていいよ」
「急いでるわけじゃない。ただ――」
父さんはそこで言葉を止めて、木片に視線を戻した。何か言いかけてやめる。そういうことが最近多い気がしたけれど、僕はあまり気に留めなかった。
台所では母さんが鍋をかき混ぜる音がしていた。いつもと同じ朝だった。
異変に気づいたのは、昼前だった。
村の見張り鐘が鳴った。一度、二度。普段は火事や獣の侵入を知らせる時にしか鳴らない鐘が、今日は途切れることなく鳴り続けていた。
「ノエル、家の中にいなさい」
母さんの声はいつもより低かった。父さんは削りかけの鳥を懐にしまうと、外へ出ていった。
「すぐ戻る」
その言葉を最後に、父さんの姿は表の道に消えた。
遠くで、何かが崩れるような音がした。次に、悲鳴。それから、地面を揺らすような重い足音の連なり。走っているというより、行進に近い音だった。
「母さん――」
「こっちに来て」
母さんは僕の腕を掴むと、台所の床板を剥がした。下には野菜を保存するための小さな穴があった。
「入って。息を止めて、音を立てないで」
「母さんは」
「入って、ノエル」
有無を言わせない声だった。僕は穴に押し込まれ、床板が戻される直前、母さんの顔が見えた。
「もし――もし私たちとはぐれても、生きて。誰よりも先に、自分が生き延びることを考えて」
床板が閉じた。
暗闇の中で、僕は膝を抱えた。外では窓ガラスが割れる音、何かがひっくり返る音、そして知らない言葉の号令が聞こえた。帝国の言葉だと気づくまでに、少し時間がかかった。
足音が近づいてきた。二人分。床のすぐ上を歩いている。
僕は息を止めた。心臓の音が自分の耳にまで響いて、これでは見つかるとしか思えなかった。けれど足音は、床板の上でしばらく止まったあと、何も気づかないまま離れていった。
なぜ見つからなかったのか、僕にはわからなかった。ただ怖くて、身体が固まっていただけだ。
どれくらいそうしていたか、煙の匂いが穴の中まで入り込んできた。天井の隙間から赤い光が差し込む。家が燃えている。
このままでは焼け死ぬ。僕は床板を押し上げて、外に這い出した。
家の中はもう半分が炎に包まれていた。母さんの姿はない。表に出ると、村はいたるところで燃えていて、灰色の煙が空を覆っていた。見たこともない鎧を着た兵士たちが、家々の間を歩いている。走る村人を、彼らは軽く追いついて組み伏せていた。人の力じゃない。誰かの身体が淡く光って、次の瞬間には信じられない速さで距離を詰めていた。
僕は物陰づたいに逃げた。母さんの言葉を思い出しながら、とにかく村の外へ。
井戸の陰を抜けたところで、泣き声が聞こえた。
「マティ?」
隣家の五歳の男の子が、崩れた壁の下敷きになった足を引きずりながら、うずくまっていた。
「あんちゃん、足が」
「動ける?」
「いたい、いたいよ」
このまま行けば、自分だけなら逃げられるかもしれない。そう思う自分に気づいて、僕は自分が嫌になった。母さんは生きろと言った。でも、目の前で泣いている子供を置いていくことが、生きるということだとは思えなかった。
僕はマティの腕を肩に回し、引きずるようにして歩き出した。重心が崩れて、何度もよろけた。
「もう少しだから」
「ほんとに?」
「ほんとに」
根拠なんてなかった。
路地を抜けたところで、目の前に鎧の兵士が立っていた。逃げる間もなかった。兵士は僕らを一瞥すると、腰の道具から縄を取り出し、慣れた手つきで僕の両手を縛った。表情は変わらなかった。怒りも、嘲りもない。ただの作業のようだった。
「子供、二名確保」
兵士が背後に向かって声を上げる。応えるようにもう一人が近づいてきて、マティの怪我を短く確認し、頷いた。
「連れていけ」
僕は気づいた。彼らは、逃げ遅れた子供をたまたま助けているのではない。集めている。最初からそのつもりで、村の中を歩いていたのだ。
縄で縛られたまま、僕は燃える村を振り返った。父さんも、母さんも、どこにもいなかった。生きているのか、それすらわからないまま、僕はマティと一緒に連れて行かれた。
懐に、鳥の飾りはなかった。あれは父さんが持ったままだった。




