シンシア教授の日常と金菫の王子 終話
激しい熱量を抱えた魔法だった。
結界に守られた観客席にすら肌をひりつかせるような熱が襲い掛かったほどだ。アイリーンは、と誰もが円形闘技場の中心に注目した。
爆発で舞い上がった土煙が風に流されていく。
『――あ、おおっ!!』
実況の女子生徒が思わずと言った様子で声を上げた。
ところどころが赤熱した闘技場の中心。
陽炎と白煙の揺らめくそこに、立っていたのは一人だけ。
『勝者はアイリーン・シンシア教授!! 一体どうやってあの魔法を防いだのでしょう?!』
直後観客席から轟く一斉の歓声。
大音声に円形闘技場が揺れるかのようだった。
翻る銀の長髪、静かな双眸は微かに黄金の光を帯びている。
魔眼――彼女の異能の一つ。それが『炎天』の核を食らい、堅固な『水壁』で完璧に防御する穴を作り出したことに気づけたのは、彼女のその瞳の輝きをよく知るリオだけだった。
アイリーンは、魔力を使い果たして倒れたフィラメアに歩み寄り、サッと横抱きにして退場を始める。爆発音のような喝采が静かなその背中を追いかけていた。
――――――
「――……ん」
「目が覚めた?」
フィラメアが身じろいで小さな声を上げたので見れば、その青い目が開かれたところだった。
しばらくさ迷った視線は、私の上にはたと立ち止まって「ハッ」と彼女を一瞬で覚醒させた。
「ここはっ!」
「医務室。魔力切れで倒れたの、憶えてる?」
訊きながら水を差し出せば、躊躇いがちに伸びてきた手がコップを受け取った。
「……わたくしの、負けなのね」
「そういうことになる」
はぁ、と悔しげな溜め息。
「でも、まさか決闘に合わせてオリジナルの魔法を組み立てて来るとは思わなかったし、上手く意識の誘導をされたし、魔法はいい出来だったしで驚き通しだったよ。頑張ったね」
そう言って笑えば、彼女は悔しさと嬉しさとが絶妙に入り混じった顔で「敗者に慰めは不要よ……」と武士みたいなことを言う。
「校医から魔力補充の薬が出てるからしばらく飲むように。この薬の使用経験は?」
「あるわ」
「そう、じゃあ大丈夫かな」
私はサッと立ち上がって彼女に背を向けた後、少し考えて振り返った。
「あのね、フィラメアちゃん」
「……」
「貴方のお陰で、少し前進できそう。だから、ありがとう」
「そう」
「じゃあ、ゆっくり休んでね」
停滞しているのは本来性に合わないのだ。
ずんどこ進んでこそ、私、というものじゃない??
――――――
「――リオ」
「アイリーン!」
その後ろ姿に私から声をかけたのは初めてのことだった。
びっくりしたのか、菫色の目を丸くしたリオに「さっきは応援に来てくれてありがとう」と告げる。彼は柔らかく微笑んだ。
「お疲れ様、流石、素晴らしい魔法ばかりだったよ」
「うん、ありがとう」
「貴方から話しかけてくれるなんて珍しいね、何かご用かな?」
穏やかに問われると、少し緊張して言葉に詰まった。
らしくないぞ、って思うけどこればっかりは仕方ない。
「……あの、ね」
「うん」
「フィラメアちゃんと、交流……交流なのかな……? とにかく、話したり、決闘したりして、少しだけ、自分に変化があったの」
「うん、そう」
「ええと、それで……その……」
おかしい、顔に熱が集まって、口が上手く回らない。喉の奥に言葉が絡まる。
「……リオの、リオの言う「好き」について、もっと、過去じゃなくて、未来の方を向いて、自分の「好き」のことも、考えることに、する」
俯いて、言葉尻をカッスカスに掠れさせながら何とか言い切った。
…………リオの返事がない。
不安になって、ソロ、ソロ……と顔を上げて――目を見開いた。
「あ、ありがとう、アイリーン」
「エ、ア、ウン……」
リオの白皙は真っ赤に染まっていた。それどころか耳の先まで赤い。
いつも穏やかなリオが、わたわたしているのが分かった。
「え、へぁ~~……」
「嬉しいよ、すっごく、嬉しい」
「じ、自分で言うのもあれだけど、こんな返答でそんなに喜ばれると罪悪感が……」
私の恋愛力が低いばっかりに……
リオの喜びのハードルが地を這っている気がする。
するとリオは「ううん」と首を横に振った。
「ちゃんと、僕の言葉は届いてたって、そういうことだから」
「あ……」
「大好きだ、アイリーン」
「ひぇ……」
心底嬉しそうに笑ったリオが腕を広げる。ぎゅっと抱きしめられて、一瞬固まったけど、少し高い体温にほどけるみたいにして緊張が解けた。
恐る恐る、リオの背中に腕を回してみた。
今度はリオが一瞬固まって、それからゆるゆると弛緩したので、つい「ふふふ」って笑ってしまった。
「ごめんね、歩みが遅くて」
「いいんだ、それが貴方と重ねる時間なら」
「そっか」
「うん」
そっか、と小さく繰り返して目を閉じた。
どったんばったんの奇声奇行生活に少しだけ進歩があった瞬間だった。
慣れないことだから、相も変わらず定期的に「ミ゜」とか「ヌバゥッ」とか鳴いたりもするけど、でも、私は逃げなくなった。
このことを手紙にしたためて、王宮のジェラルディーンと隣国のラタフィアに送ったらそれぞれ
「貴方が逃げなくなったなんて驚くべき進歩ね」
「その一歩を乗り越えてしまえばあとはすぐですわ」
とのお返事を頂戴した。なるほど分からん。恋と愛とを両立した二人の思考は恋の方のド初心者である私には難しすぎる。でも
「幸せになりなさい、アイリーン。後悔のないように」
「どうか、貴方の道行きに幸の多からんことを、いつまでも祈っておりますわ」
二人がそう言ってくれるから、この亀より遅い歩みを止めるつもりは微塵も湧かなくなった。だって彼女たちが信じてくれるなら、できると思える。
「――おはよう、アイリーン」
「おはよう、リオ」
今日も今日とて、講堂の前で遭遇したリオは嬉しそうに笑っているから。
「今日もよろしくね」
「うん」
それなら、この先に悪い未来はないのだと、心の底から信じることができるんだ。




