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10 杖の行方

 咲は「来たね」と呟き、腕の幅いっぱいに杖でぐるりと円を描く。

 空中になぞられた金色の魔法陣。光に当てられた店の風景が、白一色のがらんとした空間に一変する。


 魔翔(ましょう)(さき)の戦場。

 そこに、芙美もいた。


 久々に目にした魔翔は黒い狼のような風貌で、四肢を地面に立てて咲を威嚇(いかく)する。

 魔翔は目がない。けれどこの魔翔はそれがあるべき場所が(くぼ)んでいて、顔があるように見える。


 怯える芙美を一瞥して、咲は眉をひそめた。


「力はないんだろう? 魂で引っ張られたのか? こいつは飛び掛かってくるから気をつけるんだよ」


 黒い狼と対峙(たいじ)する咲。お互い睨み合っているが、咲は面倒そうに溜息をつくだけで怖がる様子はない。

 魔翔にはいくつかのパターンがあるが、町子はこの狼型に会った事がなかった。しかも、記憶の奴等とは決定的に異なることがある。


「魔翔って、こんなに大きかったっけ?」

「魔法を喰らうからね。こっちの力が大きくなると、こいつらも肥えてくるみたい。最近はこんなのばっかりだよ」


 確かに、町子が初めて魔法少女になって一番最初に倒した魔翔は、蜂のような極々小さな飛行形態だった。


「それだけ私も強くなったんだよ。毎回思うけどさぁ、アンタたち、口だけはでかいよね」


 挑発する咲の声に、魔翔がキィと鳴く。形はそれぞれだが、どれも声は同じだ。


「さぁて、いこうかね」


 もう一度、咲が杖を回す。今度は小さい魔法陣。

 空中に描かれた、ゆっくりと回転する文字は、地の魔女である彼女特有の金色で、芙美が綺麗だと改めて見惚れてしまうほどだ。


 魔法陣から抜ける金色の矢が魔翔を狙う。

 後ろ脚で地面を蹴った狼は、光を避けて飛び上がる。裂けるような口角から、白い煙が唾のように散った。


 高揚するように「キィキィ」と何度も叫ばれるその声に、咲は「五月蝿(うるさ)いよ」と吐いて、今度は三辺の穴を描く。

 彼女の前に浮かんだ黒い正三角形の周りには、金色の文字が並んだ。

 円以外の魔法陣は、町子が初めて目にするものだ。 


 咲に喰らい掛かる魔翔。

 「危ない」と叫んだ芙美の声に重なり、バンと大きい衝撃音が鳴る三角形に弾かれて、魔翔の身体が地面に転げた。


 何もできないまま芙美は咲の後ろで安堵し、荒い呼吸を繰り返していた。

 魔翔の姿に恐怖を感じる。こんなこと町子にはなかった。彼女は自分の力に自信を持っていたから。

 力のない事が、こんなにも怖い事だったのだろうか。身体が戦闘への拒否反応を示している。胸の前で握り締めた拳が、小刻みに震えていた。


「さようなら」


 立ち上がろうとする魔翔に杖を突きつけ、咲は薄く微笑んだ。

 くるくると細く回る杖の先端から文字を映した光が走り、魔翔の腹を貫いた。

 キィと断末魔を響かせ、横たわった黒い身体が空間へ溶ける。


「もう、雑魚なんだから」


 咲は芙美を振り返り、「大丈夫?」と気遣った。白かった異次元に喫茶店の風景が滲み、二人は元の店内へ帰還した。


 店に戦闘の跡はなく、何事もなかったように窓の外から住宅街の音が流れ込んでくる。

 急に力が抜けて、芙美は床にぺたりとへたり込んだ。硬い床がひんやりと冷たい。


「私は平気だよ。それより強いね、咲ちゃんは」

「どうしたの? 町子だって強かっただろ」

「町子は、そうだったけど……今は、こ、怖かったよ」


 正直な感想に、咲は杖をしまい芙美の前に手を差し伸べた。

 芙美はゆっくりと立ち上がり、促されるまま窓際の席へ戻る。咲は放置されていたカップを引き上げ、カウンターのサイフォンから再びカフェオレを淹れ直してくれた。


「ありがとう」

「気にしないで。久しぶりなんだから仕方ないよ」


 湯気の立つ猫のマグカップを口に運び、咲は「そうだね」と視線を落とす。


「今のは慣れてるから平気だったけど、初めて遭遇する形だとやっぱり焦るよ。危ないと思ったことは何度もある。もし戦闘で命を落としたら――私も生まれ変われるのかな」

「咲ちゃん……」

「でも町子……って、今は芙美か」


 思いたったように咲は芙美に視線を合わせた。真っ直ぐに向けられた赤いフレームの奥の瞳に、芙美は硬く息を飲み込む。


「記憶があって魔翔が見えるなら、何かのきっかけで力が戻る可能性があるかもしれないよ。一応、頭に入れといたほうがいいかも」

「魔法使いに……戻れるのかな」


 魔翔を目の前にして、何もできない自分が悔しくてたまらなかった。ただの人間は、こんなにも弱いものなのだろうか。

「戻りたいの?」


 「……うん」と素直に返事して、芙美はカフェオレをすすった。スプーンですくったマシュマロを口に運ぶと、熱でフワフワと溶けていく。


「そっか。じゃあまずは杖が欲しいよね。私もこれがないと何もできないし」


 再び抜かれた杖を芙美は両手に受け取って、久しぶりの感触に緊張を走らせる。

 ペンより若干太い木製で、先端が細くなっている。町子や他の仲間もみんな同じ形状だ。

 魔法の杖とは言うが、事情を知らない人が見たらただの棒切れにしか見えないだろう。


「町子や類が発見された場所に行ってみたんだけど、どっちも見つからなかったんだよ」

「探してくれたの? 私、迷惑かけてばっかりだね」

「いいんだよ。それより、振ってみる?」


 笑顔で頷く咲の提案に、もしかしてと期待を込める。

 芙美は「いいの?」と急いで椅子を下り通路に立つと、店の中央に向いて構えた。



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