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2話『雪色の世界で』

 帰るために病院の廊下を歩いていた。


 ――現在地がよくわからなくなって、迷っていたわけではない、決して。と言うか、人気が少なくなったのは気のせいではないはずだ。


「あ」


 ふと思い出したかのように、おもむろにズボンの左ポケットに入ってるスマホを取り出そうとした。

 慣れた手つきで、手帳型ケースを華麗に開いて見せる。まではよかったが、つけていたストラップも華麗に空中を舞った。


 さすがの予想外の出来事に反応が遅れる。ストラップは彼のことなどお構い無しに転がっていき、とある病室へと入っていった。


「はぁ……」


 そろそろ変え時だと彼もわかっていたが、機会がなかったのが災いした。加えて、面倒くさがりなところが裏目に出たと言うべきか。


 でも、おかげで出逢うことができたのだから、良かったと言うべきなのだろう。


「――」


 “言葉を失う”とはこう言うことなのだと思った。

 目の前に広がるは一面白のみで構成された、まるで別世界のような場所だった。先ほどまでいた病室となんら変わらないはずなのに、綺麗にすら思えたんだ。


 その中に、存在を誇示するかのようにある黒に気づくまでには時間を要した。

 窓の外を眺めるために、ベッドから起き上がっていた小さな背中は、黒の正体が女の子だと教えてくれた。


「ヘックシ」


「お母さん……?」


 生理現象と言うのは、どうしてこうもタイミングが悪いのだろう。抑えようと粘ったそれは、私の意思とは関係なく外へと出ていった。

 おかげでストラップを拾って、静かに立ち去ろうと模索していたのがパーとなる。


 しまった、と少し焦るが、落ち着いて対応するべきだとすぐに判断した。なぜなら、なにも悪いことはしていないのだから。

 ……部屋に無断で入ったこと以外は……。

 ――いや、それでも充分か。


「あー、悪いが君のお母さんじゃない。その部屋に入ったことは謝る。ストラップを拾いたかっただけなんだ」


 両手を上げて降参の意思表示をする。ついでにこれだよとストラップを左右に揺らした。

 見惚れてたけど、別にやましい気持ちなんて無いし、ちょっと世界の時間が止まった、みたいな。……誰に言い訳してるんだ。


「では、どなたですか?」


 尋ねながらこちらに向けられた少女の顔は、まるで大和撫子を体現したかのようで、優しい微笑みに心が奪われそうになる。前髪は眉毛辺りで綺麗に揃えられており、少し丸びを帯びているのが似合っていた。


 二度目の耳に届けられた音は川のせせらぎのように心地よかった。


 同時にある違和感に気づいた。


「そうだったな。俺は斎藤(さいとう) 悠真(ゆうま)だ。あとこっちからも一つ質問だ」


 訊くべきではない。心のどこかで声が聞こえた気がした。

 だが、好奇心には勝てないもので、私は己が欲を優先した。だって知りたいし。


 少女は首を傾げて、「なんでしょうか?」と待ってくれていた。断られると思っていたのに、まぁとにかく第一関門突破。と言っても第三までしか無いけど……。


「訊くべきでは無いかもなんだが、君は――目が見えていないのではないかな?」


「……わたしは今、あなたをちゃんと見ている(・・・・)けど、どうしてそう思ったの?」


 優しい微笑みの持ち主の大和撫子も、さすがにこの問いには驚いていた。だが、表情から恐怖は感じない。本当に疑問に思っているように感じた。


 素朴な疑問。と言っても、感覚の問題だと言われればそうかもしれない。


「いやなに、ちょっとした予測ってやつよ。生まれつきか何かは知らないが、少なくとも数年ってところか」


 先日読んだ小説に似たような場面があった。たぶん、読んでなかったら気づかなかったかもしれない。


「音がした途端に確認し、すぐに母親ではないと気づいた辺り、恐らく母親ならすぐに返事をするんだろう。だから君はこちらを向いた。そして誰だと尋ねた。そこで私の顔の位置を確かめたんだろう、もちろん本当のことがバレないように。さすがの俺も、まんまと騙されるところだったよ」


 やれやれとため息をつく。相手に対してではなく、自分に対してだ。何をやっているのか、と。推理ごっこならもっとマシな相手がいるだろうに。


 俺の考えに再び微笑みに戻っていく。なぜか俺はそれが嬉しかった。どうやら止めるつもりはなく、最後まで聞くつもりらしい。

 だから甘えさせてもらうことにした。


「でも残念だったな。逆に俺を見すぎたな。君はストラップを全く見なかったんだよ。そして、俺の目を見すぎだ。人ってのは元来、見つめ合うのに抵抗がある。なのに君は迷わず目を見て、視線を反らさなかった、俺がそうなるように仕向けたのにだ」


 すると視線が俺から窓へと戻った。

 振り向き際の表情から、続けても構わないと判断した。


「最後にもう一つ。これが一番の理由だ。――勘、だよ」


 すると抑えていたかのように突然フフフと笑いだした。もちろん、女の子らしく可愛いらしいものだ。つられて私も微笑んでしまうほどに。


「あなたは面白い人ですね。あなたみたいな人は初めてです」


「良く言われるよ。友人曰く、“変な奴”らしいからな。自分でも何となくはわかるが、なかなか変えられないのが性格ってもので……。とまぁ、なんと言うか、悪いな」


 頬を掻きながら謝罪する。プライバシーに乱入するのは悪いことだとわかっていながら、一方的に話してしまったんだ。

 私の悪い癖、みたいなものだな。


 だが、視線を反らす俺に返ってきたのは、包み込まれるような優しさだった。


「いいえ、そんなことはありませんよ。おかげで勉強になりました」


 青空に見える太陽と言うより、“夜の空に淡く光る月のような人”、そんなことが頭をよぎった。


「つまりは、本当に見えていない(・・・・・・)んだな」


「はい、見えていません(・・・・・・・)


 これが彼女との出逢いだった。今でも、もう少しロマンチックな方がよかったんじゃないかとか考えたりするが、これが“らしさ”と言うやつだろう。


 ――どこにでもある平穏な日常。

 それに悠真は退屈を覚え始めていた。何も不思議なことや特別なことが起きない日常に。

 だから、もしかしたら悠真が“病院(ここ)”に足を運ぶことになったのは偶然ではないのかも知れない。

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