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 礼拝堂を出て、今度は城の物見台に上る。見張りの兵は下がらせて、秋の風に当たる。

 結われていない髪がなびく。


「ねえ、実は最近、気づいていたことがあるのですよ」


 何がです、といつも通りに微笑む男の正面に立ち、一歩近づく。


「そうこの感じです。気づくべきでしたね。バスチアンとあなたは同じような背丈で同じような体格だったということに」


 ただ、この男の方ががっしりとした筋肉をつけているようだが。


「あの夜――あの祭りの夜にわたしを抱きしめた無礼な男の正体はあなたでしょう?」


 相手の顔が一瞬にして強張ったのを見て取ると、わたしは楽しくなった。


「何も話さない、というのはいい手段でしたね。わたしが興味をもつだろうし、何より、声を出してばれるなんて愚は侵さない」


 まったく何を思ったのかしれないけれど……実にタイミングよく現われたものだと感心する。


「でも、あなたはわたしを甘く見すぎでしょう。何年も顔を合わせているのに、あんな仮面一つで誤魔化せると思って?」


 ねえ? とからかうような声音で聞いてみる。オーウェンは返さなかった。そうであっても今日のわたしの機嫌はすこぶるよかった。オーウェンの上に立つ優越感に浸れるのだから。


「さて、この無礼な男にどんな罰を下しましょうか」


 彼はやがて苦笑した。


「ひどく楽しそうな顔をなされておいでですよ、女伯さま」


 ええそうでしょうね。わたしはあなたが不幸な目に合うのが好きなのですよ。


「ええ、だからこそわたしが次に恋をするならば、それはあなたなのでしょうね……」


 文意からすればちぐはぐだろうが、構わない。言いたいのは後半だけなのだ。

 彼の青い目が驚きで見開かれ、色が深くなる。優しい湖面の色。


「わたしは、あなたが嫌い。大嫌いだから、あなたを愛人にする。出世したいなら、せいぜいわたしの機嫌をとって、伴侶の座を目指しなさい」


 変わった愛の告白ですね。オーウェンは目を細める。


「それならば、私も覚悟を決めましょう。婚約は解消します」


 元々気に染まない縁談でしたし、と付け加えられる。

 そんなもの、当たり前でしょうに。


「女伯が相手なのだから、上手くいけば玉の輿。気合が入っているようで結構」


 騎士が手っ取り早く出世する方法は二つ。城主の未亡人との結婚か城主の跡取り娘との結婚だ。

この男の真意などどうせ見通せない。要は、この男に賭けてみたくなったのだ。


「確かにそんなこともあるかもしれません。しかし、そうならば、ここまで私が回りくどいことはしなかったことも知っておられたはず。気持ちがあるからこそ、不器用になってしまう……」


 オーウェンは微笑み、わたしの髪に手を絡める。いまだ結われないわたしの髪。再び結える日も近いのかもしれない。


「そうね。わざわざ仮面まで被ることもなかったでしょうに」


 珍しく、堂々としたこの男らしくない振る舞いだ。


「一世一代の賭けだったのですよ、あれは」


 彼は遠くを見る。その先にあるのは、あの日の祭りの風景だろう。ぼんやりと立っているわたしの前に佇んで、様子を伺ったあの夜のことを。


「あの祭りは私にとっては最後の機会だったのです。来年には私は別の娘と結婚していたでしょうし、女伯さまは新たな伴侶を得たかもしれない。今年に賭けるしかなかった」

「それにしては、臆病な手だったのではなくて?」


 彼は、気弱そうに唇を釣り上げた。初めて見る表情に新鮮な心地がする。どうして、この時だったのだろう。落ちた、なんて表現したくなったのは。


「男とはえてして臆病なものです。自分の好意がどう受け止められるのか知りたくなくて、壁をつくります。私にとってはあの恐ろしげな仮面こそがそうでした」


 男とは臆病なもの。この男からそんな殊勝な言葉が出てくる日が来ようとは。わたしはくすくすと声を忍ばせて笑う。オーウェンは恨めしそうにわたしをなじる。


「ひどい方です」

「わたしがひどいのは今更でしょう」


 よくよく中身を見ても嫌いにならないなんて、この男には酔狂なところがあるのだろう。

 ……そう。この男は、わたしと対等に立とうとする。主君と臣下ではなく、一人の人間として向き合おうとする。だからこそ、わたしと張り合うだけの地位を求めたのだろうし、わたしに反抗的な態度だってとってみせる。すべては、わたしに「オーウェン」という一人の男を見せるがため。本当に気に食わない男だ。……けれど、ここまでされて、しかもそのことに気づいてしまったら、誰が嫌いになれようか。

 それほどには、わたしはこの騎士に完敗を喫している。

 と言って、それを口には出すつもりはないけれど。皮肉めいた口振りは変わることはないし、そうそう甘くはならない。

 オーウェンは至極真面目そうな顔をして、わたしを覗きこんだ。


「女伯さま。あなたはご存じないでしょう。初めてあなたにお会いした時、私はきっとこの方を一生愛することになるだろう、と思ったものです」

「都合のいいこと」


 そんな物語のような話があるとは思えない。


「では、じっくり時をかけて説得してまいりましょう。私はあなたさまの騎士ですから、心の底からお仕えするのが役目です」


 いつものようににっこり笑うオーウェンには、以前のような得体の知れなさを感じない。それだけお互いを知るための時間をかけたということだろうか。

 びゅうっとひときわ強い風が吹く。冬の前だというのに、柔らかくて、心地の良い風だ。

 遠くの景色も見える。

 こげ茶色の町。色づく山々。下を流れる川。空は高く、遠い。澄み切って、どこまでも遠くに行ける気がする。

 ああ、それはきっと。目の前にいる愛しい男のおかげなのだろう――。




 少々、過去にさかのぼる。わたしは黄昏と夜の隙間に立っていた。


「叔父様。あなたは知らないでしょうね。わたしがどんな気持ちであなたを見ていたかなんて」


 銀の盆の上に乗せられた叔父の首。その唇に口づけを贈る。冷たい血の味がする。

 叔父がほしかったものを、今になって与えたのだ。

 叔父の顔は穏やかだった。あの朝みた、清浄さそのままで。最期の時、何を思って瞼を閉じたのだろう。そればかりは聞いてみたかったのに。


「あなたが本当にわたしを手に入れたかったのならば。バスチアンに手をだし、彼の大事な人までも害してはいけなかったのですよ。そして、強引な手段ではなく、じっくりと数年をかけてもいいから、口説けばよかったのですよ。真摯な気持ちで。……そうすれば、いつかはわたしも振り向いたのかもしれないのに……」


 わたしがほしいものをそのまま与えてくれればそれでよかった。この人は間違えてしまった。きっと叔父とオーウェンは同じなのだ。どちらもわたしに恋して、わたしのために行動を起こした。その行動の結果が違った。それだけなのだ。それだけの違いが――永遠の違いとなったのだ。


「いいえ」


 私はいつしか呆然と否定を口にしていた。

 きっと、それだけではなかったのだ。己で言ったことをすぐさま翻意したのは、言葉にして初めて気づいたことがあったからだ。私と叔父との間にあった壁はそんな手段の問題ではなく。

 叔父の冷たく弾力を失った頬に手を添えた。生前は、こんな親愛の仕草さえ取ることはできなかったというのに。


「叔父様。私は、叔父様を信じられなかったようです」


 「物」になった叔父には何の気兼ねもなく自然に触れられる。なぜなら、私が口づけを落としたその冷たい唇から、その気持ちが吐き出されることはもうないのだから。


「母を捨てたというあなたを信じられなかったのです」


 城に残る小さな肖像画の母は、わたしの面差しと似通っている。叔父が母に恋をしたのかは今となっては誰も知らない。結果として母は捨てられたことだけは知っている。どうして、顔が似た母と同じく、わたしも捨てられないと断言できようか。あるいはわたしが持つ地位は、叔父にとっては魅力に過ぎたのだ。


「しかし、あなたがわたしを置いて行ってしまったことは、哀しく思います」


 だって、そうでしょう。

 叔父、父、バスチアン……。彼らが存在した在りし日のこと。

 わたし一人だけ残されて、こうして彼らのことを懐かしんでいる。


「みながみな、ひどい男たちだこと。過ぎ去っていくばかりで、誰もわたしのことを考えてはくれないのですか」


 叔父は誠実な愛を捧げてはくれず、父は母の面影に似たわたしを代わりに愛し、バスチアンはわたしではない娘を愛した。わたしに爪痕ばかり遺しておいて、相手が気に掛けることはなかった。

叔父の頬に暖かい滴がぽたりぽたりと一つ二つと伝っていく。目元が熱い。

 道化のように、戯れに生き、戯れに死ねたなら。かくも言い切れたあの道化が羨ましくも妬ましい。……それとも、道化はままならぬからこそ、ああも断言できたのだろうか。決して言葉にできぬ思いを抱えながら、踊り続けるその、ままならなさに。


「皆、いなくなってしまったのだから、わたしはきっとオーウェンからは逃げられないでしょう」


 騎士の叙任など今まで何人も見てきているのに、わたしは今となっても父のいる玉座に進み出た騎士オーウェンの姿を忘れられない。儀式を終えて、顔を上げた際にどこまでも深い海のような青の瞳と邂逅したとき、わたしにぬぐいきれぬ淡く染まった思いを抱かせたこともまた事実だったのだ。


「叔父様。わたしはこれが最善の選択だと信じます」


 女伯イゾルデ。その名がどうこれから残されていくかはわからない。けれど、どうかわたしの選んだ道が少しでもより良きものであればいい。

 きっとその道で手を差し伸べてくれる者の名を、わたしはもう知っている。


「さようなら、叔父様。過去の人」


 孤独な足音が遠のいていった。





 古い城下町のトゥアーには、昔の息吹がそのままに。訪れたならば、一度細い路地に入ってみるといい。数百年変わらぬ光景が待っていよう。そして、耳を澄ましてみるといい、目を凝らしてみるといい。遠い昔にいた人々の影が差し、きっとあなたに語りかけてくれるだろう。

 トゥアーには、美しき女伯イゾルデの伝説が今も息づいている。




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