第5話 巨大なもふもふフェンリルだったー!?
姿を表した、四足歩行の茶黒い巨大生物。
木の裏に隠れた私はその存在を目視して、両手で口を押さえる。
(な、ななな、なんなのアレーーっ!?)
思わず叫びそうになった言葉を心中で留めた。
食い入るように見つめても、あの魔物はよく分からない。
「……セリエーヌちゃんの知識にも引っ掛からない。未知の魔物だ。ど、どうしよう」
小汚ない雰囲気があるけど、魔力の波動は間違いなくあの魔物から漏れている。
風化した泥のような汚れに全身が覆われているその魔物は、バチャァアアン! と、川に飛び込んだ。
そして流れる清流に寝っ転がり、全身を石ころにこすり付けるように体を動かしている。
まるで猫が毛布の上でゴロニャンしているような光景だ。
「――グルルゥゥ~♪」
バチャバチャと水浴びをする魔物。
なんだか気持ち良さそうに鳴いている。
「……怖い魔物じゃないのかな? 水浴びしてる様子は可愛らしいけど」
だけど、やっぱり関わらない方が良さそう。
幸い私のことは気づいていないようだし、このままゆっくりとフェードアウトしよう。
と、思って一歩後退した、瞬間。
――――ペキッ。
(し、しまっ――枝を踏んじゃった!?)
慌てて隠れ直すけど、時すでに遅し。
「――何者じゃッ!!」
「ひゃう!?」
厳しい怒号を受け、反射的に身が縮こまってしまう。
低い重低音の声だった。
あ、あああ、やばいやばい!
は、早くここから逃げないとぉぉおおお!
で、でも体が硬直して動けない……!
恐る恐る、巨大な魔物の方を見てみる。
魔物は、水浴びを中断してじっと私の方を見ていた。
わぁああー! やっぱりバレてるーー!!
「……ん? でも、さっきの言葉は一体誰が……」
怖い声色だったけど、明確に人の言葉が投げ掛けれた気がする。
も、もしや近くに冒険者でもいたのかな!?
そ、それなら助けてもらえるかもしれない!
「そこに隠れているお主だ! 我を無視するでない!」
……え。
もう一回聞こえてきた。
さっきよりもはっきりとした口調で。
そして、その声の主は――水浴びをしている巨大な魔物!?
「え、ええー!? い、いま喋ったのって、あの魔物!?」
木の後ろから見たけど、もう完全にわたしの存在に気付いている様子。
隠れっぱなしだと機嫌を損ねるかもしれない。
わたしはおずおずと木の後ろから姿を現した。
「……なんだ、子供ではないか」
「ど、どうも、こんにちは……」
わたしも川辺に降り立ち、魔物と対峙する。
いつ戦闘になるか分からないから、サングラスを少し鼻の頭に乗っけてレンズをずらす。
私の『魔眼』から魔法を放てるように。
だけど戦いたくはないので、わたしは笑みを浮かべて努めて友好的に挨拶した。
「わ、わたしはアイリです。あの、水浴びをしているのに邪魔しちゃってごめんなさい。す、すぐに立ち去りますので、どうか見逃してもらえないでしょうか……?」
「ふむ……」
茶黒い魔物は、すくっと立ち上がった。
体についていた水がぼたぼたと流れ落ちる。
ちょっとだけ毛皮? っぽいものが見えた。
「子供とはいえ、人間か」
「あ、あのぅ、わたし、美味しくないですよ……! 食べても腹の足しにもならないと思いますよぅ……!」
内股でビクビクと体を震わせる。
だけど、魔物はバシャ、バシャ、と一歩ずつ川を渡ってくる。
「そう身構えるでない。なにも取って食ったりせんわ」
いや無理でしょー!?
一歩一歩近付いてくるにつれてめちゃくちゃデカイ体が接近してくるし!?
わたしみたいなか弱い幼女なんて軽く踏み潰されちゃうくらいの巨体だよ!?
「あ、あわわわわ……!!」
そして、ついに魔物が目の前までやって来てしまう。
わたしの顔くらい大きさの鼻先が眼前に迫った。
クンクンと匂いを嗅いでいるようだ。
犬や狼っぽい仕草?
だけど、わたしはガタガタと震えて何もできずにいた。
いざとなったら魔眼の力で撃退してやろうなんて意気込んでいた数十秒前の自分をシバいてやりたい。
実際こんな凶悪な魔物を目の前にしたら身が竦んじゃうって……!!
戦うなんてムリムリ……!!
魔物はひとしきり私の匂いを嗅いだ後、不思議そうに頭を傾げた。
「ふむ。お主、不思議な匂いをまとっておるのう。む? ところで、その面妖なメガネはなんじゃ?」
「え」
遅れて、わたしが装着しているサングラスのことを聞いているのだと気付く。
いまだ恐怖に震える体で、何とか言葉を絞り出す。
「あ、え、えと、これは『神のサングラス』っていう私のスキルで……ま、魔眼の暴発を抑えるために着けてて、だ、だから、別にオシャレとかファッションとかそういうんじゃなくて、ええええーと」
頭が混乱してしどろもどろになる。
ぐるぐると目が回って自分でも何を言っているのか分からなくなってきたけど、魔物は真剣な眼差しで聞いてくれた。
「ふむ、なるほどのう。お主の瞳に妙な魔力の気配を感じたが、神の加護によるものか。人間の魔眼使いとは、珍しいものじゃ。それとも、この時代にはお主のような人間はありふれておるのかえ?」
「ふぇ……? あ、いや、わたしも人に会ったことないので何とも……でも、一般的には珍しいのかな?」
セリエーヌちゃんの知識を探ると、魔眼を持った人間がありふれているというような情報はない。
むしろ高位の魔法使いなどが有しているレアスキルっぽい特殊能力だ。
魔物はわたしの曖昧な返答に怒ることもなく、ひとしきり思案を巡らせると、ゆっくりと離れていった。
目の前に迫っていた肉食獣っぽい鼻先が遠退いていって、ちょっと安心する。
「まだ幼子のようじゃが、人間であるならちょうど良いわ。色々と聞きたいことがあってのう」
「聞きたいこと、ですか?」
「うむ。じゃが、その前に」
魔物は二歩、三歩、後ずさる。
そして、堂々と吠えた。
「貴様の魔法で、我を攻撃してみるのじゃ!!」
「ええっ!?」
いや、なんで!?
全く脈絡が感じられないんだけど!?
魔物は茶黒い体を見せつけるようにわたしの目を見た。
「お主、我のこの姿を見てみよ。率直にどう思う」
「え、えっと……ちょっぴり、ファンキー……?」
「そうじゃ。土まみれで汚いじゃろう!」
「せっかくオブラートに包んだのに!?」
はっきり自分で言っちゃうタイプ!
私の配慮を返してほしい!
「我は長い間、眠りについておっての。つい先ほど、この地で目を覚ましたのじゃが、眠っていた間にだいぶ汚れてしまったらしい。水浴びでもすればすぐに落ちるかと思ったが、眠り過ぎていたからか汚れがこびりついてしまって中々落ちん」
「は、はあ」
ゆえに、と魔物は続ける。
「貴様の魔法を我に食らわせることで、我の体にまとわりついた汚れをキレイさっぱり落とすのじゃ! 魔眼使いなら魔法の一つや二つ余裕で放てるじゃろう!」
それで本当に汚れが落ちるの!?
だけど、今の私に拒否権はない。
絶対的強者にやれと命じられればやるしかないのだ。
……嫌な所で社畜根性が発動してる気がする。
「わ、分かりました。でもわたし、手加減とかできませんけど……」
「よいよい。どの道、貴様の魔法では我に傷ひとつつけられんわ」
「むぅ」
なんかそこまで言われると闘志にちょっと火が付いてしまう。
そこまで言うなら、魔眼の力を全力でお見舞いしてやる!
魔眼を抑えなかったら、どうなるのか実験してみたいしね!
「じ、じゃあ行きますよ! まずは、水属性魔法から」
「ばっちこいじゃ!」
サングラスを下にずらし、鼻の頭に鼻パッドを置いた。
露出したオッドアイの両目。
その内の、左の青い瞳に魔力を流していく。
セリエーヌちゃんの知識の断片と、わたしの実体験により、魔法の発動方法は何となく掴んでいる。
全身の魔力の流れを意識し、魔法を発射したい体の部位に集めるのだ。
そして任意の属性に変換し、場合によって形や性質などを変形すれば、魔法は発動できる!
「ほほう、これは思ったより凄まじい魔力量じゃの!」
あまり詳しい部分は分からないので、とりあえず左目に魔力をドハドバと流す。
青い瞳が、キラキラ~! と輝きを放ち、水飛沫のような冷たい飛沫と視界の滲みを感じる。
そして、ギンッ! と魔物を直視した。
「いっけぇぇええええええ!! 水魔法ぉぉおおおおおおお!!!」
左目が発光し、特大の水の砲弾を発射。
ミサイル砲のような巨大な砲弾が魔物の顔面に直撃した。
――――ドガガァァアアアアアアアアアアン!!
「ひゃう!?」
水魔法の反動でバランスを崩し、後ろに倒れてしまった。
じゃり、と川辺の石ころの感触がお尻と手のひらに伝わる。
直後、爆風のごとき強風が私の金髪をはためかせた。
「い、いててて。あ、さっきの魔物は……」
下がった視線を上に持ち上げる。
水魔法を顔面に受けた魔物は、シュウウウ……と霧状になった水粒を振り払い、高笑いを響かせた。
「――カッカッカ! これは気持ち良いのぉ~! スッキリ目が覚めるような爽快感じゃ!」
魔物は先ほどの宣言通り、無傷だった。
犬のように身震いをして、顔回りに滴る水をブルブルと弾く。
「ほ、本当に無傷なんだ……」
「やはり、川で体を洗うよりも魔法を受けた方が簡単じゃのう!」
愉快そうに笑う魔物。
わたしはその魔物の顔の一部に、違和感を覚えた。
「あれ、なんかすっごく綺麗な銀色の毛並みが見える……?」
茶黒い汚れまみれだった魔物の体。
その中で唯一、顔回りだけが銀色の毛並みが覗いていた。
さらさらふわふわで、とっても触り心地が良さそうな毛並みだ。
「あれって、わたしの魔法が直撃した部位だよね? あの銀色の毛並みが、魔物の本当の姿なの……?」
川辺にへたり込んだまま呆けている私に、魔物が目を向ける。
「ほれ、何をしておる! さっさと次の魔法を寄越さんか! 顔は綺麗になったゆえ、その他の部位に当てるのじゃぞ!」
「は、はい!」
わたしは立ち上がり、さっきの要領で再び水魔法を発動。
魔物の首に、胸に、前足に、背中に、後ろ足に、お尻に、尻尾に、次々とミサイル並みの水の砲弾をぶっぱなす。
「水魔法! 水魔法っ! 水魔法ぉおおおーー!!」
全力をぶつけているっていうのに、魔物は涼しい顔で魔法の直撃を受け続けた。
魔法が命中したポイントは、例によって銀色の毛並みが出てきた。
「良いぞ良いぞ! だいぶ身綺麗になってきた! 最後に特大火力の魔法でフィニッシュじゃ!」
「特大火力……なら!」
体内の魔力の流れを変更。
左目に集めていた魔力を、右目に変更する。
赤い瞳が、爛々と輝きを増す。
ボッ、ボボボッ、と火花が散るような熱い魔力が弾けた。
そして。
「これがわたしの全力だぁぁああああー!! 食らえ、炎魔法ぉぉおおおおおおおおおおお!!!」
魔眼の力を解放!
右目が赤く輝いたかと思うと、魔物の真下からごうっと炎が噴き出した。
その炎はまるで火山が噴火するように直上に爆発し、炎の嵐を発現させる。
「う、うわぁぁあああ! す、すごい!!」
竜巻と炎が融合したような、凄まじい炎魔法の一撃。
ごうごうと燃え盛る炎の渦はとぐろを巻くように魔物を焼き尽くした。
火花と煙、それから凄まじい熱気が周囲一帯に飛び散った。
一瞬、森に燃え移って山火事にならないか心配になったけど、その前に魔物が動く。
魔物の周囲に魔力が集まったかと思うと、ドパァン! と炎の嵐が内側から破裂した。
幾重にも分裂して威力が弱まった炎魔法は徐々に衰えていき、やがてシュゥウウウウと消えてしまった。
いつの間にか川から上がっていた魔物は、哄笑を響かせる。
「フィニッシュに炎魔法とは気が効いておるのぉ! おかげで乾燥いらずじゃ! 体の水気も綺麗さっぱりなくなって快適快適!」
土汚れがなくなり、真の姿を現した魔物に絶句してしまう。
なぜならば、その魔物の姿はセリエーヌちゃんの記憶ではなく、《《わたしの記憶》》にヒットしたからだ
「も、もしかしてあなたって――フェンリル!?」
銀色のもふもふ毛並みをまとう魔物は、嬉しそうに笑った。
「なんじゃ! お主、我のことを知っておるのか! いかにも、我こそが誇り高き白銀の神獣――フェンリルである!!」




