閑話2 蠢き出す影
空が黒く染まり、月明かりが仄かに街を照らす時刻。
グリィトの街の外、森の深くに位置するとある洞窟に一人の中年の男が踏み入った。
この洞窟は場所を知っている者でなければ辿り着けないだろう。そう思わせるほどに周囲は草木で生い茂っており、森の一部と化している。
真っ暗なその洞窟の中へ入った男は、マジックバッグからオレンジ色に光るランプを持って歩み出す。洞窟の奥には、隠された地下への階段があった。
その階段を降りていく。コツ、コツ、と靴音を響かせると、鉄製の重厚な扉がある。
その扉をギィィ……、と軋む音を鳴らしながら開いた。
「――時間通りの到着だな、『依頼人』さん」
明るい照明のもと――下卑た笑みと共に、大きな図体の男が待ち構える。顔や体に走らせた歪な刺青が常人ではないことを物語っていた。高級なソファにドッカリと腰を下ろし、見下すように『来客者』を眺める。
部屋の周囲には仲間の男たちも十人ほどたむろしていた。
ピリついた、物騒な空気が漂っている。
人目を忍び、夜闇に紛れてこの洞窟まで訪れた男は、ランプを消して扉を閉める。
「……裏のルートからすでに連絡はいっていると思うが、改めて言おう。ボルザルド……お前に、とある人間の始末を依頼したい」
「はいはい、届いてますぜ? 俺たち――『黒烏』に『仕事』を頼みたいってお手紙は」
殺し屋――『黒烏』。
依頼人から指定された人物を殺害し、金をせしめる裏組織。
傲岸不遜な態度でソファに座す男――ボルザルドは、その『黒烏』を束ねる首領だ。
ボルザルドが手を広げて尋ねた。
「で、今回はどいつを殺して欲しいんだ?」
「似顔絵を持ってきた」
「似顔絵?」
「特徴的なナリをしてるから、見れば分かるはずだ。――こいつを、始末して貰いたい」
男はマジックバッグから一枚の羊皮紙を取り出し、ボルザルドに渡した。
受け取った紙面に視線を落としたボルザルドは、眉を曲げて怪訝に唸る。
なぜなら、描かれていた似顔絵が少し予想外だったからだ。
「なんだ、アンタが殺したい奴ってのは――女のガキなのか?」
ボルザルドの手にある紙には、幼女の首から上の似顔絵が描かれていた。
まるで指名手配犯さながらの描き方。
ボルザルドに殺しを依頼する人間は数多くいれど、子供をターゲットにするのは珍しい。
そして気になる点がもう一つ。
似顔絵の幼女は、《《黒いサングラスをして目を隠している》》ことだった。
依頼人が静かに告げる。
「そのガキは今日グリィトで見つけた。居場所もおおよそ特定できる。たしか今は『アイリ』という偽名で活動しているはずだ」
「……へぇ」
ボルザルドは思案する。
この、ターゲットが特殊な『仕事』を受けるかどうか。
しかしボルザルドが判断を下す前に、依頼人が自身のマジックバッグを漁った。
そして、片手で大きく鷲掴むように、一つの水晶玉を取り出す。
「俺もただの使い走りに過ぎない。事の詳細は、主が直接してくださるそうだ」
「その水晶……通信型の魔道具か? それもかなりの高性能。市販にゃ流通してねぇ、特注品か」
依頼人はボルザルドの正面にあるテーブルの真ん中に水晶玉を置いた。
すると、水晶玉から半透明の映像が投影される。
その映像には、堀の深い冷酷な顔立ちの男がいた。首元に移る衣服は、貴族御用達のハイブランド品。
画面の前の男が、低く声を震わせた。
『――お前が、悪名高きボルザルドか』
「……っ!」
ボルザルドは預けていた背中を起こし、画面に釘付けになる。
それも当然だ。
今ボルザルドの眼前に映る男は、目が飛び出すほどの超有名人だったからだ。
「おっと……こいつぁ驚いた。あなた様はパロウル王国南部領のほぼ全域を支配していらっしゃる大公爵――フェルマーレ公爵家当主、ヴィルゲリア=フェルマーレ様じゃありませんか」
ボルザルドの言葉に、周囲にたむろしていたゴロツキたちも表情が変わる。
画面に映るヴィルゲリアは驚愕の反応を返すボルザルドを前に眉一つ動かさず、最低限の言葉を紡いだ。
『……この俺が出てきた意味、理解るな?』
「ケケケ、まさかあのヴィルゲリア様が幼女趣味ですかい? こりゃあ傑作だ! 世間にバレりゃあ大スキャンダルじゃ済まねぇぜ!」
「お、おい貴様! 当主様に向かって無礼なッ!!」
自身が仕える主を侮辱され、依頼人の男がいきり立つ。
ボルザルドは肩を竦めて一笑に付した。
「冗談ですよ。で、本題にいこうじゃありませんか」
『使いの者が伝えた通りだ』
端的なヴィルゲリアの返答。
ボルザルドは再び似顔絵を見た。
似つかわしくない黒いサングラスをかけた幼女の顔がある。
「この幼女――アイリとか言いましたかい? こいつを殺せ……それがヴィルゲリア様のご要望で?」
『くどい』
突き放すような物言いに、ボルザルドは笑みで応える。
「とは言え、ターゲットの説明がこの似顔絵だけじゃあちと情報不足ですぜ。もう少し、このガキに関する情報を教えてもらえませんか?」
ヴィルゲリアはしばし沈黙した後、ぽつりとこぼした。
『その者の真の名は、セリエーヌという。齢にして六歳。一昨年の冬、我が「幽閉塔」から脱走し、そのまま行方を眩ませていた』
ヴィルゲリアは羅列するように情報を言った。
ボルザルドは黙って聞き、頭に入れる。
ほどなくして、ヴィルゲリアの表情が暗く歪む。
『あやつは《《公爵家の忌み子》》だ。とっくに死んだものと思い諦めていたが、生きていたならば好都合。今度こそ見失う前に我が手中に収める』
「……そうですかい。ま、色々と気になる言い回しじゃあるが、最低限の情報はもらった。余計な詮索はしないでおきますよ」
ただ、とボルザルドは視線を鋭くさせる。
「公爵家の当主様がそれだけ血眼になって求める幼女だ。となりゃあ、少しばかし……《《値》》は張りますぜ?」
『無論だ。――おい』
「はっ」
控えていた男が、マジックバッグを開ける。
そして、そこから大きく膨らんだ巾着型の革袋をテーブルにドンッと置く。
衝撃で、じゃらり……と金属が擦れあう音が響いた。
ボルザルドは巾着の口を開け、僅かに目を見開く。
巾着の中には、百や二百では到底効かないほどの大量の金貨がぎっしりと詰め込まれていた。
「おいおい、こいつぁ……」
『金貨千枚だ』
「「「な、なんだって!?」」」
周りを取り囲んで話を聞いていた『黒烏』の荒くれ者たちも、たまらず叫んだ。
ボルザルドも叫びこそしなかったものの、驚きは隠せない。
それも当然だ。
金貨千枚――日本円にして一千万円もの大金をポンッと投げ出されたのだから。
「金貨千枚クラスの依頼を受けたことがねぇわけじゃねぇが、さすがに一人のガキを殺す対価として差し出されたのは初めてだな」
が、ボルザルドは衝撃と同時に冷静に思考を巡らせた。
そして、直感する。
これはもっと――《《絞れる》》と。
ボルザルドは不安をアピールするように芝居がかった素振りで首を振った。
「とはいえ、こうも易々と大金を手渡されちゃ逆に気味が悪くなってきた。何か重大なリスクが孕んでるんじゃねぇかと邪推しちまうな」
フェルマーレ公爵家は大貴族だ。
それゆえ、保有している資産も膨大。
資金力だってそこらの成金や裏組織とは次元が違う。
大半の人間にとったら金貨千枚は大金でも、公爵家からしてみればその価値はさほど大きくはない。
ボルザルドは、最低でもこの倍……上手く乗せれば三~五倍近い金も引き出せると確信する。
長年、裏で生きてきた者の直感だ。
が、ヴィルゲリアから発された言葉はボルザルドの想定を遥かに超えていた。
『何を勘違いしている』
「あ?」
『今、貴様の目の前に放ったのはただの「前金」だ』
「……前金、だと?」
ボルザルドの表情が変わる。
が、ヴィルゲリアは変わらぬ声色で告げた。
『もし、セリエーヌの殺害に成功したならば、その十倍の報酬をくれてやる』
「「「じ、十倍!?」」」
度肝を抜く報酬額に、ボルザルドを含め『黒烏』全体が激しい衝撃を受ける。
ボルザルドは、乾いた笑いを漏らすしかなかった。
「……ケケケ、これは参った。金貨千枚の十倍――《《金貨一万枚》》! それが幼女の殺しの代金ですかいッ!!」
ヴィルゲリアは無言でボルザルドの目を見据える。
画面越しというのに凄まじい迫力。
不意に、ヴィルゲリアが言った。
『だが、いくつか条件がある』
「条件?」
『どのような手段で殺害しても構わんが、遺体は全てこちらに引き渡してもらう。そしてセリエーヌの「眼球」は両方とも絶対に傷をつけるな。もし「眼球」が傷ついていれば、報酬は半減するものと思え』
「眼球、ですかい……分かりましたよ」
もはや是非はない。
金貨一万枚もの報酬を払う大貴族だ。
これほど金払いの良い依頼人はまずお目にかかれない。
となれば。
セリエーヌを殺した後、回収した幼女の『眼球』を何に使うかなど、ボルザルドにとってはどうでも良いことだった。
『期限は一週間以内。終わり次第、そこの使いの者に報せろ。回収係を派遣する』
「了解ですぜ。この『仕事』を終えた後も、ぜひ『黒烏』をご贔屓にしてくだせぇな――ヴィルゲリア様」
『此度の働きぶり次第だ』
通信が切れ、画面が消失する。
水晶玉から光が失われた。
「で、では俺はこれで失礼する」
「ああ。ヴィルゲリア様にヨロシク」
依頼人の男が水晶玉を回収し、そそくさと帰っていった。
バタン、と扉が閉められると同時、『黒烏』の面々が騒ぎ出す。
皆、金貨一万枚という破格の報酬に目が眩んでいる様子だ。
まだ金も入っていないのに、どんちゃん騒ぎと化していた。
ボルザルドは興奮している手下たちを尻目に、虚空に向けて言う。
「おい、出番だぜ――ナデシコ!」
「…………、」
ボルザルドの背後に伸びる影から、一人の少女が姿を現した。
華奢で、黒髪が揺れる。
服装は暗い紺の忍び装束を全身にまとっていて、クールなくノ一のような風体だった。
ボルザルドは似顔絵が描かれた紙を指に挟み、後ろに回す。
「今回はデカイ仕事になる。お前も手伝え。『黒烏』総出で当たろうじゃねぇか」
「…………い、いや……私、は……」
「――取れよ」
「う、ぐぁ……!」
ボルザルドが凄む。
瞬間、少女の首に紫色の紋様が光った。
少女が苦しみ出し、震える手でボルザルドの指に挟まった似顔絵を受け取った。
すると、首に光っていた紋様が収まる。
「お前も十分に殺しの腕は育っただろう。なにせ、この俺から英才教育を受けたんだからなぁ。後は実践あるのみだ」
ボルザルドはおもむろに立ち上がった。
「このガキはお前が殺せ。そうすればお前に施した『奴隷印』は消してやるよ。この仕事を成功させた暁には、本当の意味で『黒烏』の一員として仲良くやっていこうじゃねぇか」
ボルザルドはゆっくりとソファを迂回し、少女――ナデシコの肩に手を置いた。
「期待してるぜ、ナデシコ」
「…………っ!」
ナデシコは唇を噛みしめ、似顔絵を握る手に力を込めた。




