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第80話 勇者、営業する


 (“正しい説明”より先に、人の心が動く瞬間がある)


 配達から戻ってきた結衣は、店に入るなりエレンの顔を覗き込んだ。


「さっきより、大丈夫そう……だね」


「結衣ちゃん、心配しすぎだって」


 軽く笑って返すエレン。


 その笑顔は、いつも通りキラキラしていた。


 さっきの車の中での表情とは、別人のように。


 そのタイミングで、豊が入れ替わるように車の鍵を手に取った。


「じゃ、次の配達行ってくるな」


「うん、気をつけてね」


 ぱたん、と扉が閉まる。


 少しだけ静かになった店内で。


 エレンが、ふっと息を吐いた。


「……君のお兄さんさぁ」


「ん?」


「こっちが何も言ってないのに、急に米談義始めちゃってさ」


「……あぁ〜」


 結衣が苦笑する。


「やれこの品種はどうだの、こっちは炊き方で変わるだの……アレ、一体なんなの」


「あはは……お兄ちゃん、話し出すと止まらなくて……」


「おかげで、ちょっとだけ米について語れるようになったよ」


「それはそれで、すごいね……」


 苦笑いしながら、結衣は棚の整理に手をつける。


 そんなやり取りをしていると。


 店の引き戸が、からりと開いた。


 見慣れない顔の女性が、少しだけ遠慮がちに中へ入ってくる。


 店内をきょろきょろと見渡す視線。


(……初めての人、かな)


 最近、スーパーでお米が品薄になっている影響か、こうして初めて来るお客さんが少しずつ増えていた。


「いらっしゃいませ」


 結衣が笑顔で声をかける。


 けれど。


 女性は、にこりともせず。


 棚に並んだ値札を見て、眉をひそめた。


「……あの、ここに書いてるのが値段ですか?」


「は、はい。そうです」




「……高いわね」


 はっきりとした一言。


 空気が、少しだけ張る。


「えっと、その……うちは産地直送で、精米したてなので、味は全然違って……」


 慌てて説明する。


「あと、最近は肥料代も上がっていて——」


 言葉が、早くなる。


 説明すればするほど、相手の表情が硬くなっていく気がして、それが分かるから余計に焦る。


 けれど。


 女性の表情は変わらない。


 財布に手がかかる。


(……ダメだ)


 分かってしまう。


 このままだと、帰られる。


 そのとき。


「——たしかに」


 すっと、横から声が入った。


 結衣の隣に、エレンが並ぶ。


 ほんの少しだけ、女性の目線に合わせて身をかがめる。


「少しだけ、お高く見えますよね」


 やわらかく微笑む。


 否定しない。


 むしろ、受け止める。


「私も最初、そう思いました」


 一拍。


「……え?」


「ここに来たとき」


 さらっと言う。


「正直、高いなって」


 女性の表情が、わずかに緩む。


 警戒が、少しだけ解けた。


「……そうなのよ。毎日使うものだし」


「ええ」


 静かに頷く。


「だからこそ」


 視線をやわらかく合わせる。


「ちゃんと見て選んでいらっしゃるんだな、って思いました」


「……え?」


「値段だけじゃなくて、“どれがいいか”を考えてる方って」


 ふっと笑う。


「実は、そんなに多くないんですよ」


 空気が、少しだけ緩む。


 女性の肩から、ほんの少し力が抜けた。


「ところで」


 少しだけ首を傾げる。


「ご飯、どんな感じがお好みですか?」


「え?」


「柔らかめが好きか、しっかりした食感が好きか」


 穏やかに、でも真剣に。


「それによって、合うお米が変わってくるんですよ」


「……どちらかというと、しっかりした方が好きかしら」


「じゃあ」


 エレンが、棚のお米に軽く触れる。


「これが合うと思います」




「今夜、炊いてみてください」


「……え?」


「何も言わなくていいです。ただ、食べてみてください」


 少しだけ、楽しそうに。


「ご家族が、おかわりするかどうか」


 女性が、少しだけ考えるように視線を落とす。


「……でも、高いのはやっぱり気になるわ」


「そうですよね」


 即座に、否定しない。


 そして。


 ほんの少しだけ、いたずらっぽく笑う。


「一袋だけでいいです。本当に、それで」


「もし気に入らなかったら、正直に言ってください」


 軽く肩をすくめる。


「そのフィードバックの方が、ありがたいくらいです」


「……」


 女性が、思わず小さく笑う。


 肩の力が、もう一段階抜けた。


「……じゃあ、それ、もらうわ」


「ありがとうございます」


 結衣が、ぱっと顔を明るくする。


 袋を用意しながら、ちらりと横を見る。


 エレンは、何でもなかったみたいに立っていた。


 ただ少しだけ、満足そうに笑っている。


 会計を終え、女性が店を出ていく。


 扉が閉まって。


 静けさが戻る。


「……すご」


 ぽつり、と結衣が呟いた。


「何が?」


「今の」


 一拍。


「めちゃくちゃ自然だった」


 エレンは、少しだけ笑う。


「別に。ちょっと、気分よくなってもらっただけ」


 さらっと言う。


 本人にとっては、本当にそれだけのことらしい。


 けれど。


 結衣は、少しだけ考え込んだ。


(……私)


 頭の中で、さっきの自分の声が再生される。


 産地直送、精米したて、肥料代——


 並べた言葉は、全部正しかった。


 間違っていなかった。


(ずっと、“説明”してた)


 でも、この人は説明しなかった。


(……でも、この人)


 否定しなかった。


 受け止めた。


 それだけで、相手の表情が変わった。


 視線を落とす。


 自分の手を見る。


 米袋を持ち続けてきた、少し荒れた手。


(……待つだけじゃ、ダメなのかも)


 ふと、そんな考えがよぎる。


 まだ言葉にはならない。


 うまく整理もできない。


 でも。


 確かに、何かが動き始めていた。

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